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異界は今日も群青色  作者: 新月 乙夜
ひとりぼっちの異界征伐
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異界顕現災害


 目の前の光景を見て、「ああ、夢だ」と気付く。いつもの夢、いつもの悪夢だ。


 ――――逃げるんだ!


 父さんがボクと母さんを逃がす。


 ――――逃げてっ!


 母さんがボクを逃がす。


 走りながら振り返ると、奥と手前に血だまりがある。そして真っ赤な目をした奴らがボクにも襲いかかり……。


 ――――そして、オレは目を覚ます。


「ハァ、ハァ、ハァ……!」


 荒い呼吸をしながら見上げる天井は、もう見慣れた自分の部屋のそれ。腕や背中に汗をかいているのが分かる。枕元の時計に目をやれば、時刻は朝の五時前。桐島きりしま颯谷そうやはゆっくりと身体を起こした。Tシャツは汗でぐっしょりと湿っている。


「夏はきらいだ……。気持ちワル……」


 汗で湿った前髪をかき上げながら、彼は鬱陶しそうにそう呟いた。


 桐島颯谷。今年で14才になる中学二年生だ。彼は9才の時に、ある災害で両親を失った。その時のことを、今もこうして夢に見る。この悪夢とも長い付き合いだ。


 いま彼は祖父に引き取られ、東北地方の片田舎で二人暮らしをしている。学校はつい先日夏休みに入ったばかりで、早起きするべき理由はなにもない。だが二度寝はできないと分かっているので、彼は重い身体を引きずるようにして立ち上がった。


 トイレをすませて手を洗い、口をゆすいでから水を飲む。タオルを取り出し、洗面台で顔を洗うと、ようやく身体が少し軽くなったように感じた。颯谷は「さて」と呟くと、台所に立って朝食の支度を始めた。


 とはいえ大したものは作らない。ごはんは時間になれば電気釜が炊いてくれる。おかずは冷蔵庫の中の残り物をレンジで温めてから出した。味噌汁用の水を火にかけ、お湯が沸くまでの間に納豆を二人分かき混ぜる。お湯が沸いたら、適当に具材を入れて味噌汁を仕上げた。


「お、ソウが朝ご飯作ってくれたか。ありがとうな」


 颯谷が味噌をといていると、そこへ一人の老人がやって来る。彼の祖父の、桐島きりしま玄道げんどうだ。作務衣姿で、首にはタオルを掛けている。朝の涼しい時間に畑仕事をしてきたのだ、と颯谷はすぐに気がついた。


「味噌汁だけ。もうすぐできるから」


 颯谷はそう言って玄道を座らせる。ご飯が炊けてから、二人は朝食を食べた。食事中の言葉数は少ない。玄道はもともと多弁な人ではなかったし、颯谷も両親が死んでからめっきり口数が減った。静かな食卓は、しかし颯谷にとってはそれなりに心地よい。


 朝食を食べ終え、掃除などの家事を終えると、颯谷は家の裏の山へ向かった。この山、実は玄道の持ち山。ただ地下資源があるわけでも、林業をやっているわけでもない。資産価値のない土地などを「負動産」と言ったりするが、世間一般にはこの山もそれに類するのかもしれない。


 だが実のところ、玄道はこの山からそこそこの収入を得ている。どういう事かと言うと、この山、実は松茸が採れるのだ。季節になるとこの松茸を料亭などに卸して収入を得ているのである。さらに山菜も豊富で、それを道の駅などで売ったりもしている。そういう収入が今の二人の生活を支えていた。


 そんなわけだから、玄道は頻繁にこの山に出入りしている。颯谷もそれにくっついて歩き、山菜採りを手伝ったりしていたので、この山のどこに何があるかはだいたい把握しているつもりだ。彼は迷いのない足取りで山に入った。


 手には何も持っていない。夏なのだし、途中で喉が渇くかもしれないが、冷たい湧き水を飲める場所も教えてもらっている。そもそも昼食前には帰るつもりで、午後はエアコンを付けて夏休みの宿題をやるつもりだ。だがその予定が現実になることはなかった。


 ――――ピギィィィィィン……!


 風鈴の音というにはけたたましく、ガラスが割れたにしては澄んでいる、そんな音。そんな音が突然、空から響いた。颯谷は反射的に空を見上げる。そこにはまるでキリで突き刺したかのようなひび割れがあった。


「あ、ああ、あ……!」


 颯谷の顔から血の気が引く。焦点の合わない目で空を見上げる彼の口からは、うめき声だけがこぼれた。そうやって彼が立ち尽くしている間にも、空に現われた異変はその規模を広げていく。


 ピギィ……、ピギィィ……、ピギギィ……。


 音が響く度に、空のひび割れが広がっていく。そして最後に「バリィィィン!」と大きな音を立てて空が割れた。いや、実際に割れたのは空間で、そこから現われたマーブル状の光がまるでカーテンのように降りてくる。


(ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい!)


 それを見て颯谷は駆け出した。心の中で「ヤバい」と連呼しながら、来た道を全力疾走して戻る。すぐに息が上がるが、彼は足を動かし続けた。足がもつれて転んでも、痛みも全部無視して走る。だがそうしている間にも、マーブル状の光のカーテンは徐々にその高度を下げていた。


(間に合え、間に合え、間に合え!)


 颯谷は必死になって足を動かした。そして家の屋根が見えてくる。「もう少し」と思った矢先、光のカーテンが彼の視界の上の方から現われた。身体は熱い。それなのに冷や汗が出る。彼は歯を食いしばって足を動かした。だが速度は上がらない。そして無情にも彼の目の前で光のカーテンは地面に到達した。


「う、ああ、うう、あああ……!」


 颯谷の足の動きが遅くなる。だがそれでも彼は前へ歩く。荒い呼吸のまま光のカーテンに近づき、恐る恐る手を伸ばす。彼のその手は光のカーテンに触れた。まるでコンクリートの壁のように硬い触感だった。


「……っ!」


 マーブル状だった光のカーテンは、いつしか群青色になっていた。いつか見たのと同じ群青色。その向こう側、見えていたはずの家の屋根はもう見えない。群青色の壁に遮られてしまった。颯谷は拳を握って何度も叩いたが、群青色の壁は小揺るぎもしない。やがて彼はその場に崩れ落ちてうずくまった。口からは嗚咽が漏れ、目からは涙が流れる。しばらく彼は立ち上がれなかった。



 § § §



 ――――異界。


 それは突如として現われ、此方と彼方を隔てる檻だ。外側から俯瞰して見ればドーム状になっていて、その内側と外側はほぼ完全に隔絶されている。なぜ、どのように現われるのかは一切不明。しかしその影響は否応なく周囲に及び、そして甚大な被害をもたらす。それは「異界顕現災害」と呼ばれていた。


 異界の「異界」と言われる所以、それはその内側の異常性にある。どんな異常が現われるかは事例によって異なるが、まず共通するのは怪異モンスターが現われること。そしてモンスターは人を襲い、文明を破壊しようとする。異界顕現災害による被害とは、その大半がモンスターによる被害だと言って良い。


 そのほかにも、例えば異界によって区切られた空間内で明らかに面積が増えていたり、存在していなかったはずのモノが増えていたり、あるいは外ではありえない法則が働いていたりと、確認されてきた事例はまさにカオスだ。


 ただ異界顕現災害の被害を大きくする最大の要因は、前述した異界の「内側と外側を完全に隔絶する」という特性である。人の出入りはもちろん、電波や光、空気の行き来も完全に遮断されるのだ。


 それは要するに、異界の内部へ救援隊を送ることができないことを意味している。つまり異界が顕現した際にその内部に取り残されてしまうと、生き残るために何もかもを自力でやらなければならないのだ。


 では具体的に、生き残るためには何をしなければならないのか。異界には「コア」があり、このコアを破壊することで異界を消滅させることができる。つまり「コアの破壊」が生き残るための必須条件になるのだ。


 異界、つまりドーム状のフィールドを消滅させても、それでモンスターも一緒に消えるわけではない。だが新たなモンスターが出現することはないし、外からの救援も期待できる。生き残る確率は一気に上がるだろう。ちなみに異界を消滅させることは「異界征伐」と呼ばれている。


 ただ当然ながら、コアの破壊はそう簡単ではない。複数の守護者がいたり、コアがモンスターと同化して「ヌシ」と化している場合があったりするからだ。それら強力なモンスターとの戦闘は避けられないと考えて良く、それが異界征伐の難易度を上げる大きな要因となっていた。


 ではもし、異界に取り残された者たちがコアを破壊できなかったら、あるいは最初から異界内部が無人だったら、その異界の征伐は不可能になるのか。実のところ、そんなことはない。異界について「人の出入りはできない」と上記したが、実はある条件下では人の出入りが可能になるのだ。


 まず異界は顕現した時、そのドーム状のフィールドは群青色をしている。内部が無人だと、あるいは無人になると、フィールドの色は徐々に黒くなっていく。そして完全に黒色になると、モンスターが異界の外へ出てくる。これは氾濫スタンピードと呼ばれていた。


 いうまでもなくスタンピードは異界周辺の地域にとって脅威だ。上に記したように、モンスターは人を襲い、文明を破壊しようとする。これにどう対処するかは国防上非常に重要なのだが、今は割愛する。


 さてスタンピードを繰り返すと、異界の色は徐々に白くなっていく。そして完全に白くなるとモンスターの流出が止まる。このタイミングで異界への侵入が可能になるのだ。ただし一度入ったら征伐するまで外に出ることはできず、ずっとその状態が保たれるわけではない。


 異界が再び黒くなり始めるまでにおよそ1日。このタイムリミットを過ぎると突入はできなくなる。また最初の人間が突入してからおよそ1時間で異界は群青色に染まる。つまり異界が白くなってから1日以内に突入する必要があり、突入は一時間以内に済ませなければならない、ということだ。


 突入は命がけだ。赴くのはモンスターが跋扈する異常な空間であり、しかもその後は補給や援護が何もないことが確定している。文字通りの死地と言っていい。だが突入しなければ異界は再び黒くなり、スタンピードを起こすだろう。まさに「行くも地獄、退くも地獄」である。だが征かねば災禍は収まらぬ。ゆえに「征伐」と呼ばれるのだ。


 今からおよそ5年前、颯谷が9才のとき、彼は異界顕現災害に巻き込まれた。大型連休に家族で行楽地へ出かけ、案の定、高速道路で渋滞に巻き込まれ、そこへ異界が現われたのだ。そのとき彼は車の中にいて、何が起こったのかはまったく分からなかった。ただ両親が焦り始め、周りの車からも人が降りて騒然とし始めたことを覚えている。


 車から降りて目にしたのは、周囲を覆う群青色の檻。いま彼の目の前に、同じ群青色の壁がある。あの異界顕現災害で彼は両親を失った。モンスターに殺されたのだ。悪夢で見慣れてしまったその光景が、強烈な切迫感を伴ってリフレインする。彼はせり上がってくる胃の内容物をぶちまけた。


「おぇぇ、ぐぇ……!」


 もうダメだ、もう死ぬんだ。父さんと母さんと同じように。絶望が颯谷の思考を諦め色で塗りつぶす。彼はうずくまったまま動けなくなってしまった。


「じいちゃん……! 誰か……、誰か助けてくれよっ!」


 地面に額を付けたまま、颯谷はそう叫んだ。なんで自分ばかりこんな目に遭うんだ。理不尽だ、不公平だ、あり得ない。そんな感情ばかりが渦巻く。軽い錯乱状態に陥っていた彼を落ち着かせたのは、奇しくも五年前の記憶だった。


『いいか、坊主。異界に呑まれちまったら、待ちの姿勢は絶対にダメだ。助けなんて来ないんだからな。動くんだ。動いて、できる事をするんだ。そしてできる事を増やすんだ。それができたヤツだけが、生き残ることができるんだ』


 それは異界顕現災害に居合わせた、とある能力者の言葉。そして彼は異界征伐を成し遂げ、颯谷たちを救ってくれた。今ここに彼はいない。だが彼はあの時、生き残るための知識を与えてくれた。そして颯谷自身、あの日から何もしてこなかったわけではない。


「死ぬもんか……」


 そう呟いて颯谷は立ち上がった。あの日、両親が逃がしてくれたこの命を、何もせずに諦めるわけにはいかない。彼は群青色の壁に背を向けて歩き出す。


「生きてやる……! 絶対に死ぬもんかっ!」


 颯谷はそう叫んだ。異界への宣戦布告だった。



颯谷「この作者、夢で始めるの好きすぎない!?」

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― 新着の感想 ―
一言:「World Endをもう一度」から来ました。夢から始まる所が似ているような? これから読み始めます。楽しみです。 World Endは、一つ心残り、秋斗と奏が今後どうなるか? 心の声:(出来れ…
最初の異界は運良くコアを破壊できる能力者がいたんだ
ランキングからきて読み始めました 修辞しっかりなのに読みやすくテンポ良くて感心しきり (使いこなせていない作品だとクドくて読みづらい) 続き読みに戻ります。楽しみ。
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