マーメイド転生…かと思いきや、海スライムらしい。擬態…だと…?
艶やかな鱗に水滴を散らして、尾鰭を波に叩き付ける。
ばしゃん、と宙返りした私は、気分良く眼下の青に飛び込んだ。
素晴らしい。
イルカの飼育員に憧れた時代もあったが、今や私がジャンプする側です。高く跳ねる芸を仕込むより、そりゃ自分が跳ぶほうが楽しいに決まっている。爽やかな潮風を胸いっぱい吸い込む、肺呼吸の幸せ。
落下の勢いのままに深く潜る。エラは見当たらないのでエラ呼吸ではない…はずなのだが、不思議と呼吸に難はない。
まぁ、本体からしてエラはない。肺もないけど。
だから私の呼吸方法なんて、どんなに思案しても仕方のないことではあるのよね。
ふと、荒れた流れをすいすいと躱し、一匹の小さな魚が寄ってきた。コーゼだ。
「まだそんなことやってるの、ラーナってば。今時、半魚なんて。危険が大きいばかりで流行らないよ」
半魚て、君。
マーメイドって言って下さいませんかね。幻想的な生き物になったつもりで楽しく泳いでいたのに、急に上半身のほうが魚になってしまった気がします。
コーゼは今、熱帯魚の姿でウロウロと私の回りを泳いでいた。
「それ、新しいね。小さくて可愛い」
「そうさ。なかなか使い勝手が良いよ。この辺りでは、こんなカラーリングが隠れやすいらしいね」
先日まで、コーゼはウツボだった。
私が「可愛くない」と散々にぶーぶーと文句を言ったので、新たな姿は可愛めを体得してきたのだろう。
こう見えても私達は同じ種族だった。小魚コーゼもマーメイドな私も、そもそも実際には何一つ魚の形などしていない。
私は。
私達は。スライムの一種だ。
アレよ、あのっ、海にいるし、クラゲみたいなもんよねっ。丸くて透明なぷよぷよが波間を漂う感じ。可愛いでしょ。
………うん。嘘ついたね。
真ん丸で鰭っぽいパーツもないから、優雅になんて漂わない。
そもそも泳げないから、流されるか海底を転げるかしかありませんね。
食われやすい生き物はめっちゃ卵産むって言うけど、御多分に漏れず大量発生な海スライムは、しかし卵生ではない。
なんか…結局のところ魔物なので、周囲に漂う魔力とそこら辺の自然の要素がいい感じに結びついたら発生する。これは海スライムに限ったことではない、通常の魔物の発生の仕方なのらしい。
さて、そんなクラゲの成り損ないとも言えない私達は熱帯魚のように、そしてマーメイドのように、実に多様な姿を取る。
我々の気になる本体ですが、…そう、イクラみたいな感じ。小粒な身体は破れやすい膜で少しだけ粘度のある体液を包み、あるのかないのか目を凝らさねば見えぬカスみたいに小さく脆い核を保護している。
だが、これでもかとリスクを背負った、あんな姿で暮らす仲間なんていない。
海スライムは核が壊れると死ぬのだ。
中の汁が漏れ出ても、水圧から核が守れなくなって死ぬ。なのに頼みの膜は全然強度がない。膜が無事だったとしても、ぶっちゃけ、強い波がぶつかったらオシマイ。体液に伝わった衝撃で、脆い核が壊れて死ぬ。酷い。
魔力が多い場所では魔物が生まれやすい。そのせいか、人間の集落は近くにはなかった。魔物は開墾などしないので辺りには古来の自然がよく残っている。もちろん水辺も流れが急だったり岩場だったりして…危ない。
つまり、大半の海スライムは発生と共にすぐ死ぬ。シビア。
割と絶滅危惧種じゃない? 捕食されまくりという意味でも。
っつか餌として狙ってくれるならまだしも、無意識に呼吸と共に吸い込み殺すのやめて。プランクトンちゃうねんで。
そんなわけで、海スライムは脆い本体を包み隠すため、主に何かに擬態して生きている。
擬態発動時にはその形を作るために多くの魔力を必要とするが、形状の維持には然程かからない。そもそも海スライムは、辺りに漂う魔力を効率良く取り込み、変換する術に長けているのだ。
特に魔力の多い地域の海は、いい。海水に溶けたそれを、無尽蔵ってくらい使える。
維持にあまり魔力を必要としないってことは…形さえ作ってしまえば、その後は陸に上がろうが空を飛ぼうが平気ってことだ。
シーンに合った擬態を上手に使いこなせば、海スライムは世界最強の生き物なのじゃないかとすら思うよ。
擬態してないと大波の一撃で死ぬけど。
「ラーナ、何考えてるの?」
「ん? んーん。なぁんにも」
へらりと笑って見せる。
しかしコーゼにはバレているようだ。
「やっぱりそろそろ移動しよう。さっきも船を見たよ。この辺りはもう、人間がウロウロと出てくるから危ないよ」
わかりやすい表情があれば、恐らく眉をしかめている感じ。
現実には顔色など欠片も窺えない無表情の魚類なのだが、心なしか不機嫌そうに見えなくもない。
「…ね、ちょっとだけ見たいな。人間と一緒に暮らしたいとは言わないし、魔物の私と仲良くしてくれるとも思ってないけど」
「だぁめ。ほら、早くラーナのゴミ袋持ってきなよ。ぼく、もう行っちゃうよ。ラーナ、ぼくと離れてもいいの?」
「ご、ゴミじゃないし! でも待って、先に行かないでね、すぐ戻ってくるから!」
ふくれっ面で私がそう言うと、満足そうにコーゼが空気の泡をこぽこぽと吐く。
仕方がない。
未だに彼だか彼女だかはわからないが、生まれて初めて意思の疎通ができた相手であるコーゼと、意味もなく別れたいとは思えなかった。
八つ当たりでコーゼの近くに尾鰭を振う。
小魚が水流にグルグルと巻き込まれ、楽しそうに笑った。その声を背に、岩場に隠した荷物を取りに行く。
1人になるのは、嫌だ。
この世に生を受けたとき、私は小さな小さな一粒の、頼りない海スライムだった。
似たような姿のモノは幾つか周りに散らばっていた。波間や珊瑚の陰、海草の葉の上にひっそりと、あたかも何かの卵のように。
あれらが同類だと見ただけですぐに認識できた。
それから、本能的に、姿形を変えられるものだとも知っていた。
私には人間だった記憶があるのに。
…こんなイクラは私じゃない。手もない、足もない、そんなはずがないよ。
だから、私は「私」を作り出した。
けれども。
初めての変化は大失敗だった。
今が魔物だというならば、前の私は死んだのだろう。そんなことまで深く考えず、ただ、私が思い描く私になった。
周囲の魔力を吸い上げ、手足が伸び、息を吸おうとして…私は溺れた。
人間は水中で呼吸などできない。
もがいても、指の隙間から水が逃げるだけ。肺を満たす水に恐怖した。
苦しさに意識を失いかけて…変化が解けた。
こんな海の底に人間はいられない。私はもう、人間じゃない。そう思い知った。
イクラに戻った私は、ゆるゆると海底の砂に落ちて。けれど息をつく間もなく、慌てて跳ね上がる。
砂の中から顔を出した何か。細長い魚みたいな、それが別のイクラをつついたのを見たのだ。
イクラは唯一の盾たる膜を破られ、簡単に海に溶けて消えた。
辺りを見渡せば、少ないながらもいたはずの仲間は、全て死に絶えていた。
…イクラのままでいたからだ。
イクラじゃ駄目だ。死ぬ。もう駄目だ、人間にもなれない私も、ここで死ぬんだ。なんで私イクラなの。
泣きたくても、目はない。声を上げようとしても、口はない。でも見える。聞こえる。自分が何なのかがわからない恐怖。
震えていても死が迫るだけ。そう思えば、負けず嫌いが顔を出した。
絶望なんかしてない。死にたい? そんなはずないじゃない、生きてるんだもの。
小粒のままじゃ駄目、口に入るサイズじゃ食われるから。人型は駄目、溺れるから。
何ならいい? 何なら死なない? 私は今、何に変身すればいい?
答えのないままに、魚が迫ってきた。口も声帯もない今の姿で声を上げられないことは知っていたけれど、心の中では遠慮なく大きな悲鳴を上げて。
咄嗟に岩に変化。
今度は成功だ。魚はゴチンと私にぶつかって目を回し、ぷかりと腹を上に向けた。
ほっとして変化を解きかけたが、バグンと鈍い音と共に襲来した鮫が、魚を一飲み。
うおぁ、弱肉強食。
私は鮫から目を離さないようにしつつ、再度、岩に姿を固定した。
色んな魚が来たが、誰も私には目を止めない。近くの岩には、たまに上ってくるエビやヒトデがいて、ゾッとした。
やだな、上られたらどうしよう。そっと取っつきにくそうな段差の多い表面に変えておいた。えぇい、鼠返し代わりに各所に溝も付けてやれ。棲まれたら嫌だから穴とかは絶対あけないぞ。
…しかし相手も変な岩なんて嫌だったのか、全く上られなかった。
岩、強い。
私ずっと岩でいようかな。
結構、本気でそんなことを考えていた。
そして実際、体感で3日くらいは岩でいた。岩、無敵。食われないって素晴らしい。
しかし安全が確保された岩系女子でいる間に、私は少しずつ冷静になり、周囲を観察して現状把握に努めた。
食事はどうやら、積極的には必要なかった。
口からとすら言わず、何かを取り込んで溶かすことが海スライムとしての食事であるようで、基本的には水分と塩分と魔力があれば生きていける。海生まれのせいか、塩分は必須のようだ。まぁ、陸上生物だったとしても、きっと塩分は必要だったよね。
ちなみに、これらは全て体表から海水を吸収できるので、岩でも問題は皆無だ。
すんごい味気ないご飯…辛い。
ちょっとずつ変化も試した。
そのうちに、本当に、自分がなりたいように姿を変えられることを知った。身体の一部分だけ、別の何かに変えることもできるのだ。
いつまでも岩としてここに居続けたって仕方がない。だって、私は生きているのだ。
そうだ、移動しよう。
そっと岩から腕を生やし、匍匐前進で移動を始めたときには、自分気持ち悪いかなーと思いつつ…脳裏をよぎった某梅飴CMが大変参考になりました。
ツッコミなんていない海の中。私を止めるものなど誰もいない。
悪乗りして足も生やし、普通に海底を歩いて移動するようになると周りにいた魚は皆逃げました。
手足の生えた岩だもの。私でも逃げるわ、こんなの近付いてきたら。完全に魔物だ。
しかし前述の通り地形が悪い。岩場で足とか切る。血が出ると鮫が寄ってくる。
でも鮫が来たなら手足を消して、ドンとその場に落下すれば良いだけだ。リスクマネジメント岩。本当に無敵。
そうして移動を続け、心に余裕を持って過ごせるようになってようやく、私は現在のマーメイドタイプを思いついた。
他の魚の口に入らない大きさ。泳いで移動できる便利さ。そして自分自身を許容できる見た目の良さ。
更に涙が宝石になるタイプなら、生活費も手に入って完璧だわ。
あれ、宝石…真珠だった? アクアマリン? 琥珀だったような気もするぞ。それとも涙が宝石化するのはマーメイドではない?
うーん。
うろ覚えすぎてよくわからんけど、せっかくだから生活費になれ!
溺死寸前を体験した身として、変化する寸前まで呼吸のことだけは心配していたけれど…マーメイドは水陸両用という己の認識にキッチリ基づき、溺れることはなかった。
人魚、素晴らしい。「私」の顔をしているはずだが、水中眼鏡がなくても視界はぼやけないし、鼻にツーンともこない。うっかり海水のしょっぱさに悶絶もしない。低い水温に震えることもない。
己の容姿に対するモヤモヤが払拭され、機動力も段違いだ。
薄暗くて冷たい海の底から、陽の当たる深度まで生活の場を移せば、自然と気分も明るくなった。
日差しが揺れる水面。温かな水にカラフルな魚の群れ。そして岩は無敵だ。
最高かよ。もうリゾートでしかない。
お仕事忙しかったし、薄給だったし、なかなか旅行なんて行けなかったもんな。良いじゃない、マーメイド。世界の海を回ろうぜ。七つの海は私のものだ!
そう、そしていつか嵐で溺れた王子様を助け…いけるな、すぐさま人間に変化すれば、どこぞの泥棒猫姫に手柄を取られる心配もないわ。
でも王子に嫁ぐ願望はないから、金品を褒美に貰って、念願の陸に上がろう!
…いや、待て。
そもそも今の私は明らかに人間じゃない。当然、教育なんてものは受けていない。
前世も異世界人で…ここは絶対、日本どころか地球じゃない。
神様介入のチート転生じゃないから、赤子から親に育成されていない私は…もしかして言葉が通じないよね。
困ったな。根が人間なので、いつかは人間に紛れて暮らしたいのに。どこかに駅前留学はございませんか。
イルカは鳴き声で会話する…なんて噂を聞いたことはあるけれど、今のところ海の中では、他人の会話らしきものを一切認識できていない。
イクラ仲間は喋ることなく全滅した。現状、誰より近くて遠い相手である。
困ったな、どこかに似たような境遇のイクラはいるのだろうか。んん、でもイクラの時の私って…口ないし喋れなかったよね。
今のマーメイド状態なら声は出るけど…あのぅ、そこの鯖っぽい方…あ、待って、逃げないで。すみません、ヤドカリさん…おおぅ、閉じ籠もられた。
皆様、見慣れないマーメイドに警戒していて、仲良くなれません。
人魚姫は海底の民に愛されてチヤホヤされるもんだと思っていたけれど、違うな。あれは本当は、親の七光りだった。権力への媚だったのだな。うーん、納得しちゃうわ。
所詮、私は偽りのマーメイド。本性イクラはクールに去るぜ。アディオス、海の民。
…しかし、やっぱり会話できる相手がいないと情報が入らないわ。
食べられるもの、食べられないもの、みたいなサバイバル餌情報については…魔物の本能が何とかしてくれるというか、食べられないものは今のところないようなのですが。
なんせ本当は海スライムだ。無敵のはずの岩でさえも、私の本能は「食える!」と答えている。
暴食のマーメイド、怖い。おやつは小石ですわ、なんて…そんなの美しくない。歯が強すぎる。
いや、待てよ。もしそれが宝石なら、美し…駄目だ、お菓子感覚で宝石をつまむマーメイド…許せないな、エンゲル係数が。
そんな妄想コントで己を支えつつ、途方に暮れた本心を誤魔化しながら彷徨っていたときに、私はコーゼに出会った。
「危ないよ、人の形は」
呼びかけると言うには小さな、まるで囁くような声。
始めは幻聴かと思った。
1人が長すぎて、ついに脳内会話の相手が自我を持ち始めたのかと。精神分裂的な。
「どうして?」
問いかけながらもしばらく泳いでしまった。けれど答える声は並走するように、やや下方から発されながらもついてきた。
「人間は魔物を見ると攻撃してくるからさ。半端に擬態したって逆効果なんだよ」
私はようやく、それが自分以外の声だと認識した。
だってほら…うっかり自分のこと魔物とかあんまり思ってなかったじゃない。ひと夏のマーメイドだし、魅惑でしかないじゃん。
「どこ? 誰?」
きょろきょろしていたら、「こっちこっち」と声は答えた。探すのに苦労したのは私だけの責任ではない。その時、コーゼは砂に埋まったカレイだった。
けれど一目見て分かった。
これは、仲間だ。
その時の気持ちを、なんて表現したらいいだろう。
曇天からサーッて一筋の光が差した瞬間の地獄に仏、掃き溜めに鶴、もう、もう、そんな程度じゃないの。地獄は楽園になったし仏はアロハ着てた、掃き溜めだって色とりどりの花溜めになったし、鶴の良さはわからん。そんな感じ。まぁ、即行浮かれポンチ。
「あのっ、あの、はじめまして!」
「はい、はじめまして。同族なんて久し振りに見たよ。よく生きてたねぇ」
「わあぁ、本当に同族なんですよね? じゃあ貴方も本体はあの、イクラみたいな?」
「イクラ? 海スライムだよ。小さくて丸い夕日色の…あぁ、同じ。そう」
イクラは通じなかったけれど、言葉は通じた。
魔物は発する音に魔力と意思を乗せるので、使う言語は関係なく会話できるんだって。やったよ、言語チート完備されてたよ!
コーゼは私より長く生きているようだ。
また、幼少時は比較的安全な場所に群れでいたらしく、大人から教わった知識もあった。イクラが集いし隠れ里があったとは…と思ったけどよく話を聞いたらもう滅んでいたので本当に残念でした。
「群れの大人もなしにひとりで生き延びたなんて、随分と運が良かったんだね。擬態できないとすぐ死んじゃうでしょう」
「擬態、あ、変身のことですね。そうですね、他にも何粒か仲間はいたようなんですけど、気づいたらいなくなってて…」
私はもう、自分以外の誰かというものが、嬉しくて嬉しくて。たまらずに話しかけまくった。
聞きたいことも聞いてほしいことも、もう山ほどあった。気が狂いそうになるくらい、海の底は孤独だったのだ。
何を聞いても話しても涙が止まらなかったけれど、出る傍から周囲の海水に流されるらしく、零れ落ちはしなかった。何だよ、涙は真珠じゃないのかよ、皮算用失敗。
しかし鼻水は簡単にいなくなってくれなかったので、泣いていること自体はバレバレで、何度もそれを手で遠くにやる様をコーゼに笑われた。ティッシュなんぞ、ない。
コーゼは名前についても教えてくれた。魔物は生まれた瞬間から固体名を持っていて、認識しようとさえすれば、何となく理解できるはずだと。
言われるままに色んな姿勢で天啓を待ってみたところ、ターナとかカーナとかラーナとか、そんな感じの音がそうであると理解できた。
ピタッと来る音はそうそうないので、何となく自分が思ったものを名乗るらしい。
「コーゼの群れは近くにあるんですか?」
「ううん、もうだいぶ前になくなっちゃった。すごく大きな蛸の一家が襲来してねぇ…ぼく、あれからしばらく蛸にはなれなかったな」
今は平気、とコーゼは笑った。
平気になるほど前のことなのか、平気にならねば海の中では生きられなかったのか。
私はそれを聞いて。
救いの神のように現れたこのカレイが、目の前で蛸に食べられたりなんてしたら…何だかもう生きる気力なんて空っぽになってしまいそうな気がした。
そうだ、シャチになろう。
海のギャングならば、蛸くらい一飲みにしてやれるだろう。守ろう、このカレイを。決して脂の乗った美味しそうなカレイだなんて思っていないんだからねっ。
…しかし…シャチになっても、蛸とか魚を生で飲めるかな。不安。
だって、それ、踊り食いって呼ぶよね。うまくできないと、逆に一寸法師現象で負けることだって有り得るよね。
ちょっと小さい奴から練習してみようかな、また後で…明日…い、いつか…。
それからずっと、私はコーゼと旅をしている。
行き先は特にない。
色んな生き物を探して、それに擬態できるようになることがコーゼの目標だった。私も、師匠に倣うことにした。
擬態とは、捕食した相手の姿を写し取ることだとコーゼは言った。
けれど私は前世の知識があるせいか、捕食せずとも見ただけでその姿を写し取ることができた。
もちろん前世の記憶のおかげで、今生ではまだ見たことがないものにもなれた。マーメイドのような実在しないものにも、なれた。
海スライムにはそもそも脳ミソがない。どうやって考えたり記憶しているかわからないが、本来なら、存在しないものを補って作り出せるほどの想像力を持たないのだろう。
コーゼは捕食に積極的だった。
本来は無意識に体表から海水を取り込んでいる私達だ。コーゼも別にお腹が空いたわけではないけれど、周囲の生き物がそうしているから真似をしたのだとか。捕食風景も記憶しているためなのか、中身は所詮海スライムだからなのか、特に消化にも不自由はないという。
だが捕食を続ける最大の理由は、それこそが擬態の一助になるということ。想像力を持たない海スライムでも、捕食し身をもって解析したものならば、驚くほど精巧に模倣できるのだという。
擬態しているとき口から取り込んだものであっても、それは正しく以降の姿の糧になるらしい。ただしあまりにも食べた量が少ないと、対象への理解が深まらないみたい?
本来の小粒な姿でもスライムはスライムなので、相手をまるっと取り込んで消化はできるらしいよ。できるかな、この私に。イクラが他の生き物を襲うなんて、正直、疑問しかない。
動かない相手でなければ、ぷちっとされて死ぬのもこちらなのでは。
うん、捕食ね…練習するね、そのうち。
…そのうち、小魚…茹でたシラス辺りから…。元人間として、どうしても生魚を生きたまま、頭から踊り食いは…心情的に難しい。死んでても頭と鱗と内臓は…。できれば切り身を焼いていただけますと大変助かります。
コーゼは人間に対して強い警戒心を持っていた。
直接対決したことはなくとも、ニアミスは何度かあるらしい。かつて人間に擬態した仲間も、すぐに見破られて殺されたそう。
前世人間でしたとか、とても言えませんね。
「人間は魔物も魚も関係なく襲ってくるからね、近付かないのが一番だよ」
のんびりとした調子で諭されたけど、不安しかなかった。
魔物が人間に擬態しても、すぐバレるの? 擬態名人のスライムでも?
そんな…私の「目指せ陸上生活」に暗雲が。
で、でも、その仲間は別に人間を食べて完コピしたわけじゃなくて、見た目で擬態したわけでしょ? 動きが不自然だったのかもしれないよね!
理由を知らねば対処できないのだが、コーゼにもバレた理由はよくわからないようだった。うーん。
でも私ならそう怪しまれる不自然さはないのでは。元人間として。まだ人間歴のほうが長いし。
「あったあった」
岩場に隠してあった、私の貴重品入れ。
コーゼはゴミ袋なんて言ってくれたけど、これにはいつか陸上で生活するための資金を貯めているのだ。
元が漂着物の袋なので贅沢は言えず、丈夫なのは良いのだが、なんか結構大きい。だから休憩時には、流されない岩の隙間なんかにキュッとしておく。
袋の口紐を解いて中身をちらりと確認。
沈没船から回収した、劣化してない硬貨や名入れのない宝飾品。装飾の綺麗な剣。
真珠に珊瑚に綺麗な石。綺麗な貝殻に、角が丸くなったガラス片だって、うまくアクセサリーに加工すれば売れるはずよ。
ただ、石に穴を開ける道具や、パーツを繋げる紐なんかがなかなか手に入らない。海中サバイバル生活の限界。
うん、中身も外袋も異常なし。口紐を縛り直して、メッセンジャーバッグのように身に付ける。尾鰭を一振りして、コーゼの元へと泳ぎ出した。
けれど。
先ほど別れたはずの場所に、コーゼの姿はなかった。
「…コーゼ?」
場所を、間違えた?
ううん、そんなはずはない。
海の中を行く私達の、地形認識能力はとてもとても高い。同じように見える景色の中を迷わずに行く、私達の、脳内地図には間違いがなくて。
「コーゼ、どこ…?」
私を、置いていった?
ううん、そんなはずはない。
あの子は私が、どれほどあの子にベッタリ依存しているか理解していて。一度は群れを失ったあの子もまた、私に驚くほど執着していて。
ならば。コーゼの身に、…何か…?
「…そういえば…人間…近くにいるって」
ぐん、と水面に向けて急上昇する。水面すれすれでスピードを落として、そっと顔だけを出して。周囲を睨む。
そして私は遠ざかる船を見つけた。
まさか、狩られた?
だけどコーゼは小さな熱帯魚の姿をしていたはず。魔物退治としても食料確保としても、あれでは不適格な生き物のはずだ。
声は出さずに、音を出す。人間には聞こえない音域。そこに、魔力を乗せて。
『コーゼ、どこー!』
返事はすぐに来た。
『…ラーナ、逃げて…』
乗せられた魔力が弱い。弱っている。
そして、返答は。
間違いない、あの船から返された。
「逃げろとか冗談っ…、あぁー、シャチでも水揚げされたら戦えないかなっ」
全力で船を追う。
私の中の人魚のイメージがおかしいのか、正直、私の泳ぐスピードは物凄い。マーメイド化してから、私が逃げ切れなかった敵などいないくらい。
だけど、戦闘はあんまり…ほぼ経験がない。
ましてや…相手は人間だ。
人魚が不老不死の妙薬だと信じられていたらどうしよう。ううん、妖怪・半魚人として即座に斬りかかられるかもしれない。
完全に人化する?
でも、海から突然人間の女が上がってきたら、もっと不気味じゃない? むしろ魔物じゃない理由がなくない?
「でも。コーゼを見捨てるなんて…有り得ないよ!」
水の中に船底が見えた。
そこそこ大きい船のようだが、私のイルカ大ジャンプで跳べない高さではない。
まずは偵察だ。
海底近くまで潜水して、そこから勢いを付けて急浮上。
ざばん!
大きな音と水飛沫。太陽を背にしての、大ジャンプ。ざっと視線を巡らせる。
驚いた顔をした人間。男ばっかり。
甲板に網。色とりどりの魚。その中に。
「いた!」
コーゼ!
大きな魚の陰に隠れるようにして、網の隙間に絡まっている。
あれはきっと漁だ。人間が魔物狩りをしたわけではなくて、海の中に流された網に、コーゼが絡め取られてしまったのだろう。
だとしたら、魔物として姿を現す私こそが危険になる。
…それでも。
見つけたのに、置いていけない。
バシャンと私は海に戻る。
滞空は十分だった。むしろ、もう少し低く跳ぶ必要がある。偵察跳びではなく、船縁を越えて甲板に下りないといけないからだ。あんまり高いと接地時にゲフンてなりそうよね。
では、もう一度。
潜って、勢いを付けて、…ジャンプ!
今度は人間達とも距離が近い。
互いに顔を認識するくらい。緊張は、する。
落ち着いて。コーゼを助けて、速やかに離脱するのよ。頑張るぞ。
ぶんと尾鰭を振って宙で方向転換し、甲板にビタンと落下した。
『コーゼ、助けに来たよ!』
…そこそこ痛いです。多分膝辺りを打ったけど、魚類部分は身が肉厚だから大丈夫っ。
でも、ナイスよ私。
目標地点、網の近くだ。魚の半身では歩けないから、どうしても遠いと時間がかかってしまうもの。近いところに降りられたのなら、上出来。
「ま、魔物だ!」
誰かが声を上げ、甲板にいた人間達が武器を構えた。ガチャガチャと剣や棒を向けられている。
怖いわ。めっちゃ怖いけど、でも、それどころじゃないわ。
…コーゼが何も喋らないのだ。
必死に、魚の詰まった網へと這い寄った。海中で育ったコーゼは、私と違って陸上を知らない。陸で生きられる生き物を知らない。擬態できない。
コーゼの状況を、私は知っている。
環境に不適格な擬態。海の底で人化したあの時の私のように…コーゼは今、水揚げされた魚としての苦痛を味わっている。
焼けつく太陽と取り込めない酸素に、もがく力さえなくして。
完全に意識を失えば擬態は解けてしまうだろう。
『しっかりして、コーゼ。すぐ助ける』
魔力を乗せた音に、しかし反応はない。
小さなコーゼは、干からびかけているのだ。
慌てて私は自分の髪をまとめて、コーゼの上で絞った。ぼたぼたと落ちてきた水に、少しだけコーゼの身体が潤いを取り戻す。
何か器があれば良かったのに。
一生懸命網を避けようとするけれど、執拗に絡まったそれは、小さなコーゼの身体にきつく食い込んでいて解けない。剥がれて欠けた鱗が痛々しい。周りの魚がバタバタ跳ねて邪魔をする。このままじゃ駄目だ。
視界が歪むのがわかる。泣いてる場合じゃない。ないのに。
かつん、と小さな音。何かはわからないけれど、構ってられない。からん、かつん、と音は繰り返される。今のところ害はない。
コーゼの身体が乾いてしまう。
身体に巻きつけていた布袋を胸側に回して、水気を絞る。中身がごちゃごちゃ入っているから邪魔で、絞れる部分が少ない。
今、役に立たないのなら、こんなのゴミじゃないの。
先程から、こつん、からん、と小さな音が増えてしまって、うるさい。
コーゼが小さく身じろぎした。
もう少しだけ頑張って。
ふと、頭上が陰った。
はっとして顔を上げると、剣を肩に担いだ男が、すぐ近くで私を見下ろしている。
恐ろしさに、手が震えた。私は今や、人間と敵対する魔物なのだ。
だが。
話のわからない人間、ばかりではないと。元人間の私は、そうも、思っていて。
「お願い…コーゼを助けて。乾いちゃう」
相手が目を見開いた。
あの剣で、私自身が切り捨てられるかもしれない。それでも、私はぼろぼろと涙を流して懇願した。
からから、ころころと小さな音だけが変わらずに響いている。
「お願い。これ、これをあげる、私の宝物なの。だから、コーゼを助けて」
お金をあげれば助けてくれるかもしれない。身体に巻きつけていた布袋を、急いで彼に差し出した。生活費はまた探せばいい。
沈黙していた男は、すっと腕を下ろした。ああ。剣が、下りてくる…。駄目だったのか。死ぬかな。痛いかな。
でも、それどころじゃない。コーゼが。
コーゼが。
からから、からから。ころころ。
剣は私の首の横を通り、甲板にがしゃんと音を立てた。
やや乱暴に置かれた、だけ。
「…え…?」
「この魚だな?」
男は腰のベルトからナイフを抜いて、コーゼに絡んだ網をざくざくと切り裂く。あっという間に網から魚達が溢れ出す。
ひくひくと動く小さな魚。私が手を伸ばすより早く、男はそれを掴むと、振りかぶって海に放り込んだ。
『…コーゼ!』
思わず声を上げる。
答えはすぐ返った。
『へーき、だよー…』
間に合った。
水に戻った魚は弱っていても、私達は魚ではない。運悪く本体に傷を負わない限り…私達は、死なない。
コーゼが、生きてる。
「ありがとう!」
助けてくれた男に、笑顔でお礼を言った。
しかし、目の前の男はびくりと肩を揺らした。
怯えられた? ちょっとショック。えと、泣き顔不細工からの笑顔は怖かったですかね。あ、魔物だからかな?
まだ受け取ってもらえていなかった布袋を、相手の胸に押しつけた。
「ありがとう、これ、あげるね! 本当にありがとう、親切な人! 船の人達も驚かせてごめんね。さよなら!」
尾鰭を甲板の上で力強くキック。水の中ほどの勢いがつかずとも、重力を知らない私ではない。十分な跳躍で、宙へと跳ねた。
「おい!」
逆さまの視界で、男が驚いたように立ち上がり、こちらに手を伸ばす。
魔物相手なのに引き止める?
ただの条件反射かな。うん、きっとそう。不思議な気持ちを抱きながら、着水した。
ぶくぶくとそのまま水の底へ沈む。
深く、深く。
「ラーナ」
そろりと熱帯魚が姿を現した。
やはり私のときのように、一度擬態は解けたのだろう。随分と底の方で現れたコーゼに、そっと手を伸ばす。
擬態し直したその身体には、網の跡も鱗の剥がれもない。それでも。
「コーゼ。痛いところはない?」
「うん。…うっかり魚取りの網に引っかかっちゃったんだ。慌てて大きな魚に擬態して逃げようと思ったんだけど、もう既に網の目にぎっちり絡まっちゃってて、エラに縄が…。それ以上の大きさにはなれそうもなくて」
小さい魚も一長一短だね、なんて。
笑って言おうと思ったけど無理だった。
「…ごめんねぇ…ごめんね、コーゼェ。私が、可愛い魚がいいなんて言わなければっ、こんな目には合わなかったのにっ」
「ち。違うよ! ぼくは自分であれになったんだよ、ラーナのせいじゃないっ」
「違わないよぉ…」
「冷静に考えたら、ほら、最悪本体に戻れば網は抜けられたんだ」
「無理だよ、本体なんて脆いもん、死んじゃうよぉ…」
「泣かないでよぉ…ラーナぁ…」
感情のままに海底でおいおいと泣く私達は、遥か頭上の船が大騒ぎの末に錨を下ろし、停泊態勢を取っていたことになど気がつかなかった。
**********
「まァだ海見てんですか」
掛けられた声に、ちらりと目だけを遣る。
からかう色はない。それでもつい、フンと目を逸らしてしまう。馬鹿げた理由で結構な時間をここで潰していることは、自分でも理解している。そしてそれも無駄に終わるのだろう。
あれからどれだけ長いこと眺めていても、波間には女の姿など見えやしない。日が暮れてしまえば尚の事、この目に見つけられるものなどないだろう。
「アンタまだ拗ねてんですね。仕方ないでしょう、あいつらが拾った宝石までアンタが自分のもんにしたら、反感買いますよ」
「…わかってる」
「そう睨まれても。おお怖い、船長殿はご機嫌斜めだ」
肩を竦めて、生意気なことを言う。本人はあくまでも副船長の肩書きを持つだけの従者だと言い張るが、気心は知れていた。その歯に衣着せぬ物言いも気に入ってはいたが…今だけは、ちょっとうるさい。
「涙が宝石になる魔物なんて、聞いたことがねぇや。象牙の肌に黒い髪ってのも良くねぇ。もっと東の人間に聞く色合いだ、そっちの海から逃げてきたって可能性もある。気に入ったんなら、むしろ深入りしねぇほうがいいと思いますがね」
知らず、溜息が出た。全くその通りだからだ。
魔物を気に掛けるなどどうかしている。どう考えても、双方にとっていいことはない。
だが。
怯えた女の顔。
あれは俺達の前に姿を見せる危険を、知っていた顔だった。けれども、命乞いはしなかった。
人間と同じように、目が潤んだ。けれど頬を転がった水滴は見る間に複雑な色を孕んで固形化し、カツンと音を立てて甲板に落下した。
陽光を反射したあの輝きを見た瞬間、誰もが身動きを忘れた。金になる、そんなことよりも、純粋にその美しさに釘付けになったんだ…荒くれ者の海の男達が、誰一人の例外もなく。
そして美しい宝石を零し続けた女は、小魚を海に投げてやった途端に、満面の笑みを浮かべたのだ。
本当に、嬉しそうに。
「ありがとうって言ったんだぞ。小魚一匹のためだけに、わざわざ人間の前に飛び出してきて。…あれが普通の魔物とは思えない」
「…あー」
「例えばエルフや獣人のような、今まで人間に知られていなかっただけの亜人種なんじゃないか? 亜人とて始めは魔物と思われて迫害されていた」
しかも、礼だと渡してきたのは古い時代の硬貨に、見たこともない金属の剣だ。宝石や不思議な色に輝く貝殻なんかも入っていた。
割と堅実なはずの、俺が懇意にしている商人達でさえ目の色を変えて俺から買い取ろうと値を吊り上げるだろう。研究者から貴族、王族まで欲するに違いない美しい珍品。正に宝の山。
荷も無事で船員に欠けもないんだ、涙だけでも今回の航海は大きく黒字になる。だろうに、渡されたのはとんでもない値打ちものだ。確かに、彼女の宝物だったんだろうが。
…小魚一匹のために、全部寄越した。
「せめて、ここではない海域に移動するよう、伝えることができればな…」
港に戻れば、船乗り達の口から話は漏れるだろう。見たこともないその魔物を捕らえようと、こぞってハンターを雇い船を出す商人達の姿が見えるようだ。
美しい女の魔物が、宝石の涙を零す。そんな与太話に、しかし証拠の見たこともないような宝石が揃えば、それは商機に変じるだろう。
うまく捕らえて飼い殺すことができれば、金貨の溢れ出る壷を手に入れるのと同義だ。
ここに停泊できるのは、せいぜいが明日の朝まで。
天候任せで物資に限りがある船の旅では、アクシデントが付き物だ。万が一に備えるためにも、順調なときに無駄にしていいものなど、何一つ有りはしない。
「…亜人だとしたって、下半身が魚だ。人間の国じゃ、簡単にゃ受け入れられねぇですよ。誰が見ても、魔物にしといたほうが儲かる。…程々にして船室に戻って下さいよ」
「ああ」
「明日も寝坊なんざさせませんからね」
「わかっている」
そう言いながらも、海を見つめたまま、振り向くことはできなかった。
その通りだ、魔物にしておいたほうが儲かる。だから、魔物にされる。俺一人が何を言ったとしても。
必ず、彼女は魔物として世に認知されるだろう。例えばどこかの国が、彼女の種族を新たな人種であると認めでもしない限りは。
…魔物は、討伐される。ままならない。
**********
「ねぇ。考えてみたんだけど」
不意に小魚コーゼがそう言って、目の前で両手に乗るくらいの大きさの石に擬態した。
唐突なその変化には少し驚いたけれど、かつて私がピンチになった際には多用した変化だ。客観的に見ることができたのは面白い。
当然のことながら泳いだりなんてできない石は、自重によって水の底へと引き寄せられていく。浮力によってゆらゆらと多少の時間を要したが、やがてもそりと砂をまきあげて緩やかに着陸した。
石になっても同族…コーゼだということがわかる不思議。波に磨かれてつるりとした表面のそれを前に、私も岩チェン。
コーゼとは違い、速めにドッスンと海底に着陸する岩。鮫も鼻をぶつけて逃げるサイズなので、大きく重いのだ。決して私本体の重量とかではない。
「あれ、結構大きいんだね?」
「そうね。食べられないための岩だからね。コーゼくらいだとまだ大きめの石だよね」
下手な魚というか魔物だと、食べられることがある危険なサイズだと思います。海の中には細かな貝を丸飲みどころか、私の顔くらいある貝を殻ごとバリバリするヤツなんかもいるからね!
そんな強靭な顎を持つ魔物ですら、岩に齧り付いては来ないのだ。フフン。
「少しサイズ感を間違えたか。でも、それくらいあれば確かに、核も奥まっていて安心感があるような気もする」
コロリと波に揺られた石は、私の隣へ来…そうで来なかった。その場で私と同様の岩の塊になる。私を真似たのか、いっそ外観は瓜二つ。でもやはり少し小さいし、なぜか軽いようで、まだ簡単に波に揺らされている。材質が軽石か何かなのかしら?
岩に親しんでなど来なかったコーゼだ、簡単に擬態できなくても仕方がないのかも知れないね。
それにしても、なぜ急に岩への擬態に目覚めたのかと問えば、コーゼは小さく「…うん…」と口籠った。
「ラーナの話を聞いた頃はさ、誰も側に居なかったから自分なりに考えたんだろうなぁって…正直、動けもしない岩に擬態するだなんて変なことするなあって思ってたんだけど」
コーゼにとってみれば擬態とは「他の生き物」に変身することなのだ。
言われてみれば当初は私が必死に話しているのに、コーゼはフフフと笑いながら聞いていた。しかし自分が海スライムとして珍妙な自覚もありますので、特に腹も立ちませんね。
誰が何と言おうとも、私はそれで助かって、今を生きているわけだしね!
「ふとね、あの時、ラーナのように岩に変われれば良かったのかなって思ったんだ。ぼくは岩になんてなったことはなかったけれど、ラーナは危険を感じたらすぐに岩に変化できるんでしょう?」
もはや脊髄反射のようなスピードで変化できるね。
どんな岩かなど考える必要すらない。もはや魂に刻み込まれた姿と言っても過言ではないよね。もう一人の私。嘘です、過言です。岩より人魚でいたい、あわよくば人間になりたい私です。
「岩になれたら網を破けたかもしれないし…それが無理でも、船の上であんなに弱ることはなかった。ラーナを…ラーナを、あんな風に危険にさらすこともなかったんだ、そう思ったら、ぼく…」
「そんなの…! でも、岩が最強という私の持論には納得してくれたわけだね?」
「うん。ぼく、岩の姿も体得しておこうと思う」
私達は海底で、しばらく岩となる特訓を続けた。
岩は無敵。ロングリブザ岩。
さあコーゼよ、自然と一体になるのだ!
小さい、まだそれじゃ石よ! もっと重心ブレさせずに! 駄目よ、そんな登りやすそうだとヒトデが寄ってくるじゃないの!
スパルタ教師と化した私に、コーゼが付き合ってくれたのは…あまり長い時間ではなかった。
私の擬態ではなく、実物の見本が見たいというコーゼの要望に応え、程よい岩を探しに岩場まで行くことになったからだ。
「ごめんね、ラーナ。やっぱりぼく、理解するのに、食べたほうが早そう」
「あ゛ーッ! 岩がァ!!」
本能は正しかった。
無敵の岩さえ、私達スライムには「食える」のだ。コーゼは生粋の海スライム、捕食して擬態するのが正しい…。くすん。
本体はあんなにも最弱なのに…じゃんけん的な関係性なのかしら。いえ、それともこの暴食性ゆえに、天は我らを敢えて脆弱な身体にお創りに…。
何にせよ海スライムとは、まだまだ奥が深い生き物のようだ。
皆の脳裏にパワーワードとして焼き付きたい。
「なんで私、イクラなの…。」