他人の頭の中
人が何考えてるのか見えたらいいのに。見てみたい。と
小学校の同級生が言っていた。なんでそんなのみたいの?
みたいからみたいの!そんな感じ。
見なくていい。見なくていいものが見えそう。と返事する。
私たちはお互いに表の顔と裏の顔が有ると知っていたのだろう。
あるいは自分には裏が無くても他人には有る、と。
近頃一年生の娘が言いたがる言葉がある。
わたし、こころのなかのこえやばいんだよねぇ〜
どうやら人に聞かせたら怒られそうなことを思ってしまうらしく、私の前で吐き出しにくる。怒らない?怒らない?と伺いながら。
意地悪をされた後、咄嗟に言い返せない娘と似させてしまったかも知れない私の性格。それで家で紙に書いてみようと提案した。ひらがなの練習にもなる。頑張って書いていた。
はっきりと言い返せなくて自分が言われた言葉よりもきつい意地悪な言葉が膨らんでしまった様に見える。
小学一年生が人に伝えていい言葉とそうでない言葉を意識し始めている。
思っても全部言わなくてもいい、とか。
正直だからいいってもんでもない、とか。
思ったけど言わないで流してあげる‥、とか。
他人の頭の中見てみたい。それは見えないから。
そんなもの見えたら気持ち悪い見たくない。
仕方ないじゃない、思うんだもの。
頭の中エロいことばっかりの日があってもいいでしょ。
意外と残酷な想像がすきだったり。
ところで、前述の女の子と私はとても微妙な間柄だった。彼女の方から先に私にちょっかいを出して来て、そんなの初めてだったので多少どぎまぎしながら喜んでいた。
‥だけど本当は嫌いだった。それを私は気づいてなかった。
気づかないふりなのかも知れない。この曖昧さが不思議だ。
ある日クラスメイトの男子が言う。
おまえ、こいつのこと嫌いだろ?
積極的な彼女のジョークで何かその場は有耶無耶にされたけど。子猫の様に抱きすくめられた記憶が少しある。
正直な自分など生きる時に役に立たなかった。愛されるポーズで親元を生き延びようとしていた。
これは思春期の滑稽な私の話です。
読んで頂けて嬉しく思っています。
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