共感! 親亡き子らのシンパシー!
私はお化けラチェットを血に染めずに済んだ。
サビがたっぷりと浮いた旧ハンガーの扉は、たしかに大きく開け放たれていた。誰かが、中に居たのもたしかだった。が、その侵入者は泥棒ではなかった。古いハンガーに潜り込んだお騒がせ者は、現場にやってこない風変わりな依頼人、クローイであった。
旧ハンガーの内部は、空き巣現場さながらであった。古い工具、壊れた工作機械、部品取りのために塩蔵しているスクラップが、ひび割れたコンクリート床のそこかしこに落ちている。陽光に照らされチラチラと輝いて舞い散るホコリと、ガラクタどものデュエットのせいで、旧ハンガーの空気は退廃的であった。
旧ハンガーに収納されているすべてが、無価値なガラクタではない。たった一つだけ、価値のある収蔵物があった。クローイは、その唯一の例外をしげしげと眺めていた。
私は、たくさんのスクラップを跨いでクローイへと歩み寄った。
「クローイ。久しぶりだね」
クローイは私に目を寄越さなかった。体をぴくりともさせずに、眼前のそれをずっと眺めていた。
少女が熱視線を送っているモノ。それは一機の飛行機であった。
コンパクトな飛行機だった。その全長は、二十三フィートほど。かなりの小型機だ。
私はクローイと肩を並べ、彼女の表情を盗み見た。私は思わず息を呑んだ。彼女の真っ黒い瞳が、黒真珠さながらにキラキラと輝いていたからだ。
私は、この輝き方に見覚えがあった。これは強い好奇心を由来とする光だ。子供たちが、生まれて初めて飛行機を見たときに浮かべる純粋な眼光。それとまったく同じものを、今のクローイは浮かべていた。
「ターラ」
「うん?」
「この飛行機。綺麗だね」
ストレートな賞賛を受けて、私は答えに窮した。答えがそこに転がっているわけでもないのに、私は飛行機を見た。
飛行機は、いつも被さっているシートが剥がされていた。十中八九、クローイが捲ったのだろう。シートのおかげで飛行機は、ホコリの堆積を免れていた。
ホコリが付着していない飛行機は、とても鮮やかな群青色をしていた。空の色素を抽出して、そのまま塗料にしたのでは、と思うくらいだ。
見事な色使いの次に目に飛び込んでくるのが、飛行機そのもののフォルムである。かなり特異な形状をしていた。ノーズが槍の穂先のように鋭くて細い。本来あるはずのプロペラが、ノーズの何処にも見当たらなかった。
この機のプロペラは、主翼より後方にあった。推進式と呼ばれる構造である。推進式は、この飛行機のように機体をコンパクトにできる、という利点がある。
群青色に、馴染みが薄い形状。この飛行機には、見る者の目を奪う要素が、これでもかというくらいに詰まっていた。
「……本当に。ラディカルな飛行機よね」
私の感想は、本心そのものである。機体色といい、推進式を採用している点といい、まったくもってラディカルな飛行機だった。
「この飛行機は。誰が造ったの? ターラ?」
「まさか」
私は自嘲めいた鼻息を漏らした。
「私は未熟なメカニックだからね。もし設計する機会に恵まれたら、きっとコンサバでつまらない飛行機になると思う」
「じゃあ、誰が? あなたのおじいちゃん?」
「ううん。違う。お父さんだよ。私の」
「へえ」
感嘆の声を漏らしたのちに、クローイは機体表面をそっと撫でた。彼女の手は、白くてすべすべしていた。オイル汚れで黒ずんでいる私の手とは大違いだ。私は恥ずかしくなって、汚れた両手をツナギのポケットに突っ込んだ。
「いいお父さんだね」
「それは……どうなんだろう」
私の返事は照れ隠し半分、本心半分であった。
私のお父さんは、優しい人間であったし、メカニックとしても尊敬している。が、経営者としての素質は、ほとんどゼロであった。お父さんは、とにかく商売っ気のない飛行機を量産していたのだ。一家の大黒柱としては力量不足であった、と言わざるを得ない。
「ううん。わかるよ。あなたのお父さんはとても素晴らしい人間だったって。私にはわかる」
私の歯切れの悪い返事を、クローイはかぶりを振って否定した。彼女は、私の父はいい父であった、と力強く断定した。
私はますます照れてしまった。こういうとき、私はなかなか素直になれない。
「どうしてそう思うの?」
「私のお母さんも、放浪の飛行機乗りだったの。お母さんには、飛行機乗りとしてのあり方を教えて貰ったんだ」
「その教えによれば。私のお父さんはいい人だと?」
「そう」
クローイは、飛行機に手を添えたまま、首をくるりと回して私を見た。どこまでも真っ直ぐな視線だった。その眼光には奇妙な魔力があって、私の視線は彼女の瞳に釘付けとなった。
「飛行機は造り手の性格が出るものなの。適当な性格をした人が造った飛行機は、離陸すら満足にできない代物になったりね」
「じゃあ、私のお父さんの性格は?」
「とても静か。でも、こと飛行機造りにおいては情熱的」
私は言葉を失った。今、彼女が語った人物像は、私の目から見たお父さんのそれと合致していたからだ。
私のお父さんは、お喋りなおじいちゃんの息子とは思えないくらいに寡黙な人だった。
お父さんがハメを外している姿を、私は見たことがない。飛行機の落成を祝う打ち上げであっても、彼はテーブルの隅っこに座り、騒ぐおじいちゃんたちをニコニコと眺めているだけだった。
でも、飛行機造りとなると、彼は人が変わった。その顔から笑みが消え失せ、戦士さながらの険しい顔になるのだ。
「今、あなたのお父さんに会える? 会ってみたい」
「無理かな。この世に居ないから。事故でお母さんと一緒にね」
「そう」
クローイの反応は素っ気なかった。私は少し拍子抜けした。この話題となると、大体の人間は居心地悪そうにするからだ。まあ、こっちの方が気楽と言えば気楽なんだけど。
「じゃあ。私と同じだ」
「うん?」
「私の飛行機もね。お母さんの形見なんだ」
「……だから。トレーラーを売ってまで直そうとした?」
「そういうこと」
私の中にあった彼女への薄気味悪い印象が、気がつけば消えていた。それどころか私は、彼女ともっとお話ししたい、とすら思い始めていた。お互い親を亡くしている、という共通点のおかげだろう。彼女もお父さんに興味を持っているみたいだし、私はお父さんの身の上を話すことにした。
「お父さんにとって。飛行機造りっていうのは戦いだったのだと思う」
「戦い」
「そう。戦い。常識との戦い」
私は一歩、二歩と歩を刻んだのちに、飛行機に手を当てた。きいんと骨に響く鋭い冷感が、私を襲う。それは痛みにも似た冷たさだったけれど、私はこの感覚が嫌ではなかった。
「お父さんが造る飛行機はね。ラディカルだったんだ。攻めた造りをしているのは、なにもこの子だけじゃない」
「どんな飛行機を造っていたの? この飛行機みたいに、全部推進式?」
「全部、ではないかな。まあ、オーソドックスな牽引式でも極端な後退翼だとか、無尾翼機だとか、全翼複葉機だとか。とにかく尖った機体を造ってたかな」
「へえ、見てみたいな。今、この工房にある?」
「ないよ。全部お客さんのところに納入されている……されているんだけど……」
クローイは、私のハッキリとしない物言いを訝しんだのだろう、ほんの少し首を傾げて私を見た。
「えっと、その。尖っていたのは見た目だけじゃなくてさ。性能もカリッカリだったんだ。死亡事故こそは起きなかったんだけれども……その、事故で全機処分されてて……」
「ふうん。それは災難だね。上手なパイロットに出会わなくて」
「フォローしなくてもいいよ。お父さんが造る機体は、どれもこれもピーキーなのばかり。それは事実なんだから」
この真っ青な機体にしてもそうだ。この機体は、重量物がロール軸上に集められていた。慣性モーメントを少しでも小さくしようという努力の表れである。その甲斐もあり、この機体のロール性能は、信じられないくらいに高い。
ただしロール性の高さは、長所でもあるのと同時に短所でもあった。簡単にロールできるということは、空中で姿勢を崩しやすいということでもあるのだ。
「この飛行機に対するお父さんのこだわりはすごかったな。だって、パイロットと喧嘩しちゃうくらいなんだもん」
「喧嘩?」
「うん。あんまりにもクルクルロールするもんだから、パイロットが怒っちゃって。この飛行機の納入がキャンセルされちゃったんだ。この子がここにあるのはそのせい」
「とことんツイてなかったんだね。あなたのお父さん。下手くそなパイロットばかりに当たっちゃって」
「だから、フォローはいいって」
「フォローじゃないよ。私は本当にそう思ってる。この飛行機はいい飛行機。見ればわかる。上手に飛ばせないのは、パイロットの技量が優れていないだけ」
クローイは、私を見つめながらハッキリと言い切った。私は気恥ずかしさを覚えつつも、胸がすくような思いをした。
「……そう言ってくれると救われるな。お父さん、生前は散々な評価を受けていたから」
欠陥飛行機メイカーだとか、殺人飛行機技師だとか、兎角お父さんはありがたくない称号を賜ってきた。
そんなお父さんを、いい飛行機工だと言ってくれるなんて――。
ああ、どうしてこの娘は、お父さんが死んでしまったあとに、この工房にきたのだろうか。私は、それがたまらなく悔しかった。
「この飛行機は飛べないの?」
「うーん。整備すれば、かな。年単位でほったらかしだからねえ」
「そう。残念。乗せて貰おうと思ったのに」
「……あの。しつこいけれど、これ、とても難しい機体だよ? 安定性が皆無で、スティックをちょっと傾けただけでくるくる回っちゃう飛行機だよ? 怖い思い、するかも」
「ターラ。自信を持って」
クローイは、ボディに当てた手をそっと離したのち、一歩、二歩と私に近付いた。
「あなたのお父さんは、素晴らしい飛行機技師。危険な機体なんて一つも造っていない。謙遜する必要はない。それに、だよ」
クローイが頬をふっと緩めた。彼女の笑みは、どことなくイタズラっぽい印象を受けた。
「たとえ難しい飛行機であっても問題ない。私はいいパイロットなんだ。どんなにじゃじゃ馬であっても、乗りこなしてみせる」
クローイの態度は、傲岸と呼んで差し支えないものだった。しかし不思議なことに、私はちっとも不快には思わなかった。その理由がなにであるのか、いくら考えても、今の私にはわからなかった。