終幕! 放浪の飛行機乗り、最後の最後でまさかの事実が発覚す!
勝利が確定したあとのことを、私はよく覚えていない。僅差の勝利に大興奮した自チームのクルーたちと、他チームの手荒い祝福を受けて、私は記憶をすっかりなくしてしまっていた。
私が次に記憶しているのは、チームに授けられるトロフィーを表彰台上で受け取ったことであった。
本来であれば、経営者であるおじいちゃんが、トロフィーを受け取るべきだった。が、クルーたちは、壇に上がるのは私であるべきだ、と譲らなかったという。
ベテランさん曰く――。
「最後の失速がなければ、クローイはもっと楽に勝てていた。天然オイル事件以外は、俺たちは完璧な仕事をしていた。つまりヘマをしたのは、アーサーさんだけってことになる。そんな人が壇に上がっちゃあ、クルーたちは黙っていられないだろうよ」
――とのこと。私はぼんやりと頷いたせいでわからなかったが、おじいちゃんはすでにその時、おしおきを受けていたらしい。
クルーたちの叱責は、おじいちゃんの身体をたいそう痛めつけた。おじいちゃんは、ベッドから三日間這い出てこなかった。なんでも、オーガニックの一部にさせられそうだった、とのことだ。
そんな理由があったもので、家族内で行われる密やかな祝勝会が行われたのは、レースから七日待たなければならなかった。その頃になると、借金は綺麗さっぱり清算され、私たちの前途はとても明るくなっていた。
「あー。ではでは。祝勝会、と言うには、ちいっとばかり遅くなっちまったが……まあまあ、今夜は食って遊んでくれ!」
おじいちゃんはそう言って、ビールがなみなみと注がれたジョッキを掲げ上げた。乾杯の音頭だ。が、彼とグラスを交わそうとする人間は誰も居ない。
おじいちゃんに人望がないから、誰も乾杯に応じなかったわけではない。単純にお酒を飲める人間が居なかっただけだ。
内々の祝勝会は作業場ではなく、私たちの住居スペースで行われた。参加者は全三人。おじいちゃんと、私と、そしてクローイだ。
ダイニングテーブルには、色とりどりのご馳走が並べられていた。
飴色に輝く七面鳥。表面の焼き色と、断面の薄桃色のコントラストが素敵なローストビーフ。パースニップのオーブン焼きに、薪をかたどった可愛らしいチョコレートケーキ――。
――と、ブッフェもかくやな豪華なラインナップである。これらは手作りではない。すべて、近所のダイナーやレストランに作ってもらった。ターナーの血筋は、機械いじりに長けた代償か、どういうわけか料理の腕がよろしくない傾向にあるのだ。
「ねえ。食べて良いの?」
クローイにしては珍しく、食い気味でそう問うた。彼女は、大きな目玉をキョロキョロとさせて、卓上の獲物たちをねめ回した。どれに手を付けるかを悩んでいるようだ。
「おうよ。遠慮するこたあねえ。と、いうか遠慮してもらっちゃ困る。なにせお前は、ターナー工房の救世主なんだからよ。ささ。いいから食べな」
お爺ちゃんに促されたクローイは、大胆にもケーキから手を付けた。プロが作っただけあって、焼き加減、そして味は完璧であるらしい。ふかふかなチョコレートスポンジを口に放り入れたクローイは、ほどなくして顔をほころばせた。
彼女の素直な反応は、私の食欲をくすぐった。祝勝会の主役も料理に手を付けたのだし、私もご馳走にありつくとしよう。私はパースニップに手を付けた。野菜の優しい甘みが嬉しかった。
「本当によう。クローイ様々だよ。つい最近まで、極貧にあえいでいたのが嘘みてえだ」
おじいちゃんの呂律はすでに怪しかった。この様子から察するに、彼はどうにも前祝いをしていたようだ。まったく。大きなヤマを片付けたとはいえ、昼間からお酒を飲むなんて。とはいえ、今はお祝いの場だ。お小言は、ご飯と一緒にお腹の底に飲み込むとしよう。
「ん。なら結構。私もこの工房の力となれたのならば、本当にうれしい」
「でも、よかったの? 賞金全部貰っちゃって?」
私は、食べ進める手を止めてクローイの顔をじっとみた。彼女は、手に入れた賞金をそっくりそのままターナー工房に手渡してくれた。おかげで私たちは借金はおろか、当座の生活にすら困らなくなった。
このように私たちは、今後の人生が変わるほどの恩恵を受けた。でも、クローイはどうだろう。あのレースに出たことで、彼女はなにか得しただろうか?
名声はたしかに得た。地方紙はおろか全国紙の記者が、彼女を取材すべくターナー工房に訪れるようになったのだから、それは間違いない。
でも、彼女が手に入れたのはそれだけだ。墜落のリスクを冒しながら戦ったのに、彼女は賞賛しか手に入れていない。
これではリスクとベネフィットが釣り合っていない。だからこそ、私は罪悪感を覚えていた。
「もちろん。あれだけのお金。私が持っても仕方がないよ。私は毎日食べられて、かつ飛行機を飛ばせればいい」
「うーん。無欲というか、なんというか」
こういうとき、どういう顔をすればいいのだろう。私はわからなかった。笑ったらダメな気がする。守銭奴的な印象を与えてしまうだろうから。とりあえず唇を斜めにすることにした。
「それに。利益なら受け取っているよ。飛行機乗りの拠点として、この工房を使ってもいいって言ってくれてるんだから」
「まあ。あなたは、飛行機を直すためにトレーラーを売っちゃっているんだから。この申し出は、人道上当たり前だと思うんだけど……」
「利益は利益。それに私は飛行機を直してもらった恩がある。拠点の提供が人道上の当たり前ならば、報恩は道義上の当たり前だよ」
「うーん。そういうもの?」
「そういうもの」
本人がそれでいい、と言っている以上、これ以上の質問は無意味だろう。私はこの話題を早々に切り上げ、ローストターキーに手を伸ばした。ターキーの中に詰め込まれたハーブの香りが、私の鼻孔を素敵に揺さぶった。
「まあ。たしかにターラの言うとおりではある。クローイを搾取しているような気がしなくもない」
「だから。私はそれいいんだって」
クローイは、ふた切れ目のケーキを頬張りながらそう言った。唇の両端が、わずかに下を向いている。もううんざり、といった面持ちだ。
「いいや。これはちょっと放ってはおけない問題だぜ」
おじいちゃんは、赤ら顔を左右に振った。
「さっきクローイは言ったよな? 賞金を渡すのは道義上の当たり前だって。が、俺たちは借金返済の恩を返せていない。拠点提供だけじゃあ、ちょっと、なあ?」
「私としては十分すぎる返礼なのだけれども」
「まあ。聞けって」
おじいちゃんは、右の手のひらを突き出してクローイを制した。その手は、アルコールの作用で細やかに震えていた。
「この七日間。俺は考えたんだよ。どうやって恩返ししようか、ってな」
「そのうちの三日間はベッドで寝込んでたくせに」
「アホ。俺は寝ながら考えたんだよ」
おじいちゃんは、私の茶々に噛みついたあと、わざとらしく咳払いをした。この反応から見るに、おじいちゃんは素晴らしい恩返しを思いついたようだ。
なら、私にもひと言伝えてくれればよかったのに。上目遣いにおじいちゃんを眺めていると、おじいちゃんは私をちらと見た。そしてニタリ。彼はイタズラっぽく破顔した。
(あー。なるほど。つまりサプライズがしたかったのね)
私がそんな意図を込めた視線を送ると――。
(その通り)
――と、言わんばかりにおじいちゃんが頷いた。
まったく。おじいちゃんは、変なところで子供っぽい。私は好きにしなさい、とばかりにヒラヒラと手のひらを振った。
おじいちゃんが、またしても演技がましい咳払いをした。
「で、だ。どういう恩返しをしたらいいのだろう、と、知恵を絞っていたある日のことだ。郵便受けにこんなもんが入っていてな」
おじいちゃんは、一通の封筒をズボンのポケットから取り出した。
「なに? その封筒? 我が家の郵便受けには、あまりにも似つかわしくない風体だけれど」
私は素直な感想を口にした。おじいちゃんの手中にある封筒は、とてもつややかだった。一目で上質な紙だとわかる。
おまけに封筒には、深紅の封蝋が施されていた。まるで大昔のお貴族様が使うような封筒だ。オイルと燃料で薄汚れている私たちには、あまりにも不釣り合いな封筒だった。
ちなみに肝心要のクローイは、封筒に興味がないみたいだ。彼女は三切れ目のケーキを口に運んでいた。
「聞いて驚くなよ」
おじいちゃんは荒い鼻息を吐いた。
「なんとな。こいつはな。国立工科大学からのお手紙だ」
「なんですと?」
クローイではなくて、私がおじいちゃんの言に食いついてしまった。
「しかも航空技術科からだ」
「……なんですと?」
私は食べる手を止めた。
「なに? 有名なの。そこ?」
クローイは、凍り付いた私を見て、訝しげに首を傾げていた。
「うん、超有名。特に航空技術科は国内トップだよ。飛行機造りと操縦教練においてはね」
「へえ。はじめて知った。それで? その名門校がなんだって?」
クローイは、なおも興味がないらしい。おじいちゃんに続きを促す声には、感情がこもっていなかった。
さて、本題はここからのようだ。おじいちゃんは、クローイの促しにそれよ、と、彼女を指差しながら答えた。
「なんとな。お誘いのお手紙だ」
「お誘いって……まさか。おいおいおい」
私は、手に取っていたお皿をテーブルに置いた。
話の流れから、おじいちゃんが言うところの”お誘い”がなにであるのか。それに気がつかぬほど、私は鈍くはなかった。
「そうだ。推薦……つまりスカウトのお話だ。お二人とも、工科大学生になってみませんか、だってさ」
「……はい?」
私の心臓は一瞬停止した。思いも寄らぬ言葉を受けたからだ。
今、おじいちゃんはなんて言った?
お二人とも、工科大学生に――と言っていなかった?
「……えっと? おじいちゃん? 私の聞き間違いかな? 今、おふたりとも、と言っていなかった?」
私の戦慄は、おじいちゃんの歓心をくすぐるものだったらしい。彼は笑顔を拵え、何度も頷いていた。
「おう。言ったぜ。なんとな、ターラ、クローイ。お前らは、工科大学のお眼鏡に適ったってわけだ。しかも!」
「しかも?」
「しかもなんと特待生! 学費タダ! 見る人は見ているんだなあ。クローイの操縦技術と、お前の整備能力がどうしても欲しいんだってよ」
「タ、タダ……特待生待遇……」
身体の力が一気に抜けた。着座の姿勢すら保てなくなった。おかげで私は、椅子の上で腰を抜かす羽目となった。背中がズルズルと滑ってしまい、気がつけば私の頭は、背もたれと天板の間あたりにまで下がっていた。
今の私の姿は、一種病的なのだろう。クローイがぎょっとしていた。
「タ、ターラ? どうしたの?」
「……や」
「や?」
気がつけば私は、クローイと向き合うや否や、彼女に抱きついていた。むろん、うれしさのあまりに。
「やった! やった! やった! 国立工科だよ! クローイ! 私たち、飛行機産業の最先端で! 知識と技術を磨けるんだ! やった! やった! やった!」
「は、はあ」
私はクローイを抱きしめたまま、ワルツのステップを踏んだ。テーブルやら、椅子やら、食器棚やらに身体をぶつけたが、それでも私は構わなかった。
だって、だって! あの名門校から声がかかるなんて! 落ちついていられるか! 冷静でいるなんて、とてもではないけれど無理だ!
私はクローイを見下ろした。彼女もさぞ喜んでいるだろう。
「あれ? クローイ?」
しかし私の当ては外れていた。栄えあるスカウトを受けたというのに、どういうことだろうか。クローイは渋い顔をしていた。まるで、砂糖が足りていないチョコを頬張ったときのように。
「どうしたの、クローイ? なんだか浮かない顔をしているけれど」
「……あのさ? ターラ?」
「なに?」
「……学校って。一体どういうことをするところなの?」
「……は?」
「実は私。行ったことがないから、よくわからないんだ。学校」
「……は?」
クローイはさらりと爆弾発言を吐き出した。この爆弾が、私たちの入学に思わぬ支障をきたすことになるのだけれども、それはまた別のお話――。




