決着! 勝者は静かにしたり顔を作る!
みんな考えることは同じなのだろう。各チームのメカニックとパイロットたちが、マーシャルの周りにぞろぞろと集まってきた。今やマーシャルの周囲は、証券取引所もかくやな盛況を見せていた。
マーシャルの近くに行けば行くほど、押し合いへし合いの傾向が強くなる。手を繋いでいなければ、私たちはあっという間にはぐれていただろう。
この場に集まった者たちは、ロール紙を持ったマーシャルをじいっと見つめていた。彼らの視線は不言に語っていた。結果発表はまだか、その胸に抱える大きな紙を広げよ、と。
さて、その注目の人だけれど、どうにも肝が据わっているらしい。彼は競技者を、二回、三回――、ゆったりと見回した。
レース結果を待ち望んでいるのは、私たち競技者側だけではない。スタンドで熱戦を見守った観客たちもそうだ。彼らも私たちと同じく、ロール紙を持つマーシャルを、息を呑んで見つめていた。
飛行場の全神経が、同じところに注がれる。
「ん。んん」
わざとらしい咳払い。マーシャルのものである。その声は、マイクを使っていないのによく響いた。飛行場で音を生み出すのは、彼だけとなった。
「お待たせしました。それでは。結果を発表します。が、その前に」
彼は言葉を一度区切り、引き連れたマーシャルと視線を交錯させた。彼らは間を置かず頷き合う。
「今回から導入された写真判定。その写真を皆さんにお見せします」
そう言った彼は、胸に抱えたロール紙を二度、三度揺らした。あの巨大な紙は順位表ではなくて、拡大写真であるらしい。
もうすぐ結果がわかる。わかってしまう。クローイが勝ったのか、負けたのか。私たちは家を追われてしまうのか、そうでないのか。すべてが判明する。
この事実は、私に緊張感をもたらした。私は知らずのうちに、クローイの手を強く握り返していた。
もちろん、クローイが私の緊張に気がつかないはずがない。彼女は、横目で私を見ながら――。
「大丈夫。嫌な結果じゃないから」
にっこりと微笑みながら、私の手を握り返した。
「では、まず。一位二位の写真をごらんください」
彼はよく通る声でそう言った。次いで彼は、他のマーシャルと二人ががりでロール紙を広げて、高々と掲げ上げた。
写真を拡大したせいか、それとも大急ぎで現像した影響か。どちらかはわからないけれども、問題の写真は粒子が粗かった。だが、被写体がなにであるか。それがわからなくなるほどではない。
写真は横に長い。アングルは上空からだった。多分、飛行場上空に待機させた飛行機から撮ったのであろう。従って、滑走路の浅黒いアスファルトが、画面の大半を占有していた。
現像後に引いたのであろう。画面には縦に走る白線が一本、まっすぐに走っていた。きっとあれがコントロールラインであろう。
さて写真の主役は、言うまでもなくカートライト工房と、私たちの飛行機だ。やはり、二機は並列していた。
全員が全員、写真を吟味していたのだろう。飛行場はなおも静かであった。
だがしばらくすると、その密やかさが破られた。ざわめきがこの場を再び支配した。
「……同着? 同着か?」
パルクフェルメのざわざわを解析すると、大半がこの手の言葉であった。
たしかに同着であるように見えた。
ざわめきはスタンドにも波及していた。気がつけばマーシャルのすぐそばに、カメラを担いだ男が立っていた。彼は今まさに、観客らに写真を伝えているのだろう。
私の心臓は、不安のビートを刻んだ。写真が公開されれば、不安から解放されると思っていた。だが、ご開帳された写真はどうだろう。どちらが勝ったのか。一目見ただけではわからなかった。
「……どっち? 本当に? 同着?」
不安にたまりかねて、私もざわめきに同調した。
「うーん。あれじゃあ。いまいちわかりづらいね」
クローイが唇を突き出してそう言った。彼女は、写真の粗さがご不満なようだ。
「……うん。そうだね。よくわからない」
「じゃ。もうちょっと、近くに行ってみよっか」
彼女は、私の手をぐいっと引いて、写真を掲げるマーシャルへと歩んでいった。
途中、私たちとカメラの画角が重なった。カメラマンから抗議の声が飛んできたけれど、彼女はお構いなしだった。
一歩、また一歩。私たちは件の写真へと接近する。私の心臓は滅茶苦茶に暴れ回った。まるでマラソンをしているかのようだ。自然と、呼吸も、荒れてゆく。
カメラマンの抗議は止んでいた。カメラの前に躍り出たのが、一位二位を争っていた当事者であると気がついたか。彼は、これはいい画だ、と判断したようで、レンズを私たちに向けていた。
嫌な緊張を抱いていること。そしてカメラそのものに慣れていないこと。この二つが合わさり、私はついついクローイの陰に隠れてしまった。おかげで私は、写真を見られなくなった。
ふと、クローイが動いた。なにかを指差すような気配。直後、パルクフェルメとスタンドが盛り上がった。
「ね。ターラ。見て見て」
クローイは、細い身体には似合わない力を発揮した。彼女は、握られたままの私の手を、またしても引っ張り上げた。私は、写真の前に引き釣り出されてしまった。
視界の端に、例の浅黒い画面が映った。もし負けていたら――。不安な私は、反射的に俯いてしまった。私と写真を隔てるものは、もうなにもない。
「顔。上げて」
クローイが耳元で囁いた。彼女は空いた手で、私の顎先をゆったりと撫でた。これ以上拒んだのなら、クローイは、私の顎を力尽くで引っ張り上げるだろう。
覚悟を決めねばならないようだ。私がいくら足踏みをしても、時間ってやつはちっとも待ってくれない。悪い結果にせよ、良い結果にせよ、私は前に進まなければならないのだ。
前に進まなくちゃいけないのならば、誰かの力に頼るより、自分の脚で歩んだ方がいい。
私は息を大きく吸って。
止めて。
吐いて。
恐る恐る顔を上げた。
「ほら。ここ。ここをよく見て」
私が顔を上げたのを認めると、クローイは私の顎に触れていた手で、写真の一点を指差した。彼女の人差し指は、推進式のノーズを捉えていた。
いや。彼女が指示したのは、ノーズだけではない。よくよく観察してみると、推進式のノーズは、手書きのラインと交わっていた。それはつまり、クローイがゴールに飛び込んでいたことを意味している。
「それでね。次はこっちをみて」
彼女の人差し指は、牽引式の立派なノーズの上にスライドした。
エルドレッドのノーズは、手書きのラインと重なっていなかった。何度見ても、何度目を擦ってみても、彼の機体はコントロールラインと交わっていない。
ならば。この写真が意味することは――。私は目をぱちくりと瞬かせた。
「……ってことは?」
私は答えをクローイに求めた。彼女は、なおも微笑みを湛えていた。しかし、笑みの質がひっそりと変わっていた。ついさっきまでの彼女の笑顔は、慈愛に満ちていた。しかし、どうだろう。今の彼女は、してやったり、と言わんばかりのしたり顔だ。
「だから言ったでしょ?」
誇らしげな鼻息を伴って、クローイが言った。
「私。勝ったって」
その勝利宣言を聞いていたのかとしか思えないタイミングで、スタンドは私の鼓膜を麻痺させるくらいの大歓声をあげた。
それは、勝者を讃える歓声であった。




