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審議! 僅差の勝負故、借金工房、放置プレイを受ける!

 不幸中の幸い、というべきか。私たちの飛行機の火災は、すぐに消し止められた。黒く焦げているけれど、飛行機は原形をとどめていた。フレームが無事ならば、多分直せるだろう。


 さて、火事は収まった。残る問題は、レースの勝敗である。全機がチェッカーを受けて、もうかれこれ二〇分経過したけれど、結果がいまだに確定していなかった。これは前例のないケースだった。


 そのせいで、全飛行機が集結したパルクフェルメには、とても奇妙なざわめきが居座っていた。


 チーム間の交流はなかった。どのチームも各々のマシンのそばに集い、チームメイト、あるいはパイロットと話をするだけだ。みんなボソボソ声で話すものだから、会話の中身まではわからない。


 ただ、推測はできる。私たちとカートライト工房をチラチラと見るあたり、彼らはレースの勝ち負けを語っているはずだ。


 前例のない事態故に、どのチームも浮き腰となっていた。勝ち負けがかかっている私たちとカートライト工房は、その傾向がひとしおだった。ガレージから持ってきたコーヒーに口をしきりにつけたり、わざとらしい笑声をあげたり――。みんな、内心のそわそわを鎮めようと必死であった。


「割れたのかな? 審査委員の意見が」


 そう言った私も、そわそわしていた。落ち着かなくて視線が右往左往する。


 今回のように僅差でチェッカーを受けた場合、審査委員の合議によって順位が決まる。クローイとエルドレッドの差は、肉眼で判断し辛いほどに肉薄していた。喧々囂々の合議になっているのかもしれない。


「いや。今回は合議しないそうだぜ」


 おじいちゃんは貧乏揺すりしながら答えた。


「じゃあ、なんでこんなに時間かかってるの? てか、そもそも合議しないなら、どうやって着順を決めるの?」

「今年からな。僅差の判定には写真を使うらしい。人の目で見るよりも後腐れがないから、だってさ」

「へえ。それは知らなかった」


 その写真を撮影する者は、とても腕がいいのだな、と私はぼんやりと思った。なにせ飛行機は、コントロールラインを一瞬で通過するのだ。シャッターチャンスもまた刹那であろう。


「ってことは。順位確定に時間がかかっているのは」

「十中八九。ただいま現像中ってやつだろうよ」


 おじいちゃんの貧乏揺すりが、余計にひどくなった。はやく結果を知りたくて仕方がないようだ。


「しかし……待ち時間は地獄だな」

「同感だよ。悪い未来ばかりが頭をよぎっちゃう」


 私は、不安に押しつぶされそうだった。クローイが、そばに居るときはそうではなかった。彼女は自らの勝利を疑わなかった。その自信は、私にも波及していたのだ。


 でも今、私の隣にクローイは居ない。彼女は煤を落とすべく、顔を洗いに行ったのだ。私は自信の作り方を忘れてしまったみたいだ。彼女と離ればなれになると、不安で仕方がなくなる。


 まったく。私はなんて気弱なのだろうか。私は笑ってしまった。自嘲の笑いだった。


「……本当に。私って、気弱。まったく、笑える」

「あん? ターラ、なんか言ったか?」

「ううん。なんでもない。ただ、私って肝が細いなあって思っただけ」


 私はかぶりを振った。まったく。私はまだまだ子供だ。誰かにすがらなければ、不安との折り合いがつかないなんて、なんとみっともないのだろうか。


「ターラ。結果、出た?」


 しばらくすると、私の自信の源が帰ってきた。クローイだ。私は声の方へと振り返る。前髪をうっすらと濡らした彼女が居た。


「ううん。まだ」

「うーん。時間がかかるなあ。ねえ、ターラ。コントロールラインを通過したとき、そんなに僅差だったの?」

「うん。本当に僅差。目で見た限りじゃわからないくらいに」

「ふうん」


 クローイは納得していないようだ。何度も何度も首を傾げていた。


「あのさ。クローイ」

「なに?」

「疑って悪いんだけれども。本当に勝ったの?」


 クローイと離れたのは、数字にすればわずかな時間だろう。だが、そのわずかな空白は、私の自信を奪い去るのに十分すぎる時間だった。今の私は、クローイがそばに居ても、彼女の勝利を信じられなくなっていた。


 訝しげな私の態度が嫌なのだろう。クローイはその大きな瞳を、うっすら細めていた。


「勝ったよ。間違いなく。多分、エルドレッドも、自分が負けたってわかっているんじゃないのかな」


 クローイは、カートライト工房の円陣を顎でしゃくった。その一団のどこを見ても、パイロットであるエルドレッドの姿はなかった。


「きっと悔しくて悔しくて仕方がないんだよ。だから、彼はここに居ない。ガレージで落ち込んでいるんじゃないのかな?」


 クローイが素っ気なくそう言った。彼女の見識は、あながち間違いではないように思えた。


 思い返してみれば、パルクフェルメに飛行機をつけたあとのエルドレッドは、少し奇妙であった。メカニックとの会話をそこそこに、足早にガレージへと帰っていったのである。


 私は、もう一度パルクフェルメを見回した。各チームの中心にはパイロットがいた。ここは、スチュワートが機体検査をする場であるのと同時に、チームがフィードバックを行う場でもあるのだ。


 にも拘わらずエルドレッドは、さっさとガレージに引き上げてしまったのだ。不自然といえば不自然であった。


「ガレージでフィードバックしているんじゃない? 彼、神経質そうだし。騒がしい場所が苦手とか?」

「まっさかあ」


 クローイは私の推測を鼻で笑った。


「騒がしいのが苦手な人が、囲み取材。受けると思う?」

「まあ……たしかにそうなんだけれども」

「歯切れが悪いね。やっぱり、不安?」


 私は俯きながら頷いた。彼女の気持ちを考えれば、嘘でもいいからかぶりを振るべきだったかもしれない。が、今の私ときたら、他人を慮る余裕をなくしていた。素直な反応しか、できない。


「ふうん」


 クローイが呻いた。彼女を不快にしてしまっただろうか。私は恐る恐る面を上げて、クローイの表情を盗み見た。


 顔を上げた私はぎょっとした。クローイが、私の顔をのぞき込んでいたからだ。その白面には、不快そうな表情が刻まれていなかった。


「なにが不安なの?」

「……最後。火、噴いたじゃない?」

「うん」

「それと同じように。最後の最後で厄介なことが起きるかも、って考えちゃうんだ」


 レース中、ひたすらポジティブでいた反動だろうか。私は、嫌な考えが振り切れなくなっていた。


「エルドレッドが悔しがっている姿を見ても信じられない?」

「うん。むしろ、悔しがっているようには見えなかった」

「私が大丈夫だよ、って言ってもダメ? 負けちゃったことを考えちゃう?」

「……ごめん。やっぱ、無理」


 私は再び俯いて、自分のつま先を見た。エンジニアブーツには、オイルの染みが根を下ろしていた。


「謝ることじゃないよ」


 クローイの口振りには、私を責めるにおいがちっとも嗅ぎ取れなかった。


「ターラ」

「うん」

「こっち見て」


 促された私は、顔を上げた。クローイの面持ちは穏やかであった。それは懐かしさを覚える顔であった。不意に、お母さんがまだ生きていた頃の記憶が蘇る。


 記憶の中のお母さんは、雷に怯えてぐずぐず泣いていた私を慰めていた。お母さんは、私の手を優しく握って微笑んでくれていた。今のクローイは、記憶の中のお母さんと同じ顔をしていた。


 クローイが動いた。彼女の腕が、手が動いた。ついさきほどまで操縦桿を握っていたクローイの手。その手が、オイルで汚れた私の手をそっと取った。冷たい感触だった。多分、彼女は冷水で顔を洗っていたのだろう。


 手の取り方も、お母さんのそれと重なった。私はどきりとした。


 私は声が出てこなかった。できたことといったら、ぽかんと口を半開きにするだけ。私の顔は、とても間が抜けたものになっているだろう。


 私のマヌケ面が可笑しかったのか。クローイは、鼻笑いを静かに漏らした。


「大丈夫だよ」


 クローイが私に囁いた。


「大丈夫。私は勝ったから」


 私はなおも答えられない。だがクローイは、端から私の答えなんて求めていないようだ。彼女は、私の手をゆったりとなで回し始めた。


 しっとりとした彼女の手のひらは、とても心地よかった。その手が動くたび、私の不安が心地よさに置換されてゆく。心が楽になってゆく。もしかしたらクローイは、私の不安を吸い取っているのだろうか。


 しかし、クローイが本当に不安を吸収しているのならば、今度は彼女が精神的に参ってしまうかもしれない。なら私は、さっさと手を離した方がいいのではなかろうか。


 私に他人を思いやる余裕が生まれたころ、パルクフェルメに停滞するどよめきに変化が生じた。好奇の音色が目立つようになったのだ。


 その理由はすぐにわかった。人の丈ほどのあるロール紙を抱えた二人のマーシャルが、パルクフェルメにやってきたのだ。


「あの紙に。順位が記されている?」


 クローイの問いかけに、私は頷いた。


「じゃあ、見に行こうよ。近くに行ってさ」


 クローイはそう言うや否や、私の手を引いた。私が頷く前に歩き出したものだから、私は彼女の手を振りほどくタイミングを逸してしまった。

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