表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/46

勝負! ビビったら負けなチキンレース!

 最終コーナーはヘアピンであった。大きく減速しなければ曲がりきれない。エアブレーキの展開が必須なコーナーだ。


 最終コーナーはブレーキの目測を誤り、オーバースピードになるパイロットもまま現れる。ここもまた、オーバーテイクポイントであった。


 二機はそんなホットスポットに、突入せんとしていた。二人は意地を張り合っているようだ。両機ともに、エアブレーキを展開していなかった。


「ね、ねえ。ターラちゃん?」


 クレーンの若者が、控えめな声をかけてきた。言葉尻の音階がわずかに上がっている。質問を意図する声色だ。


「なに?」

「あのさ。クローイとエルドレッド。ライン的にはどっちが有利なんだ?」

「実を言うとエルドレッドの方が有利」

「え?」


 クレーンの彼は目を大きく剥いた。


「うん? うーん? あの。よくわからないんだけれども」

「クローイはインを陣取っているけれど。最終コーナーを曲がるためには、エルドレッドよりもはやくブレーキしなくちゃいけない。だからエルドレッドのポジションの方が正解」

「……やばくないか?」

「でも、よく見て。エルドレッドの姿勢を。彼はコーナー側にお腹を向けているよね? ここで、あなたに質問」


 私はちらと彼を見た。彼はなおも訝しげであった。


「あの姿勢のまま曲がろうとすると、マイナスGがかかるわけなんだけれども……あの機体を整備する立場だったら、あなた、許せる?」

「……不機嫌になるかな」

「でしょ?」


 飛行機は腹側へのGに弱いのだ。下手をすればオーバーホールが必要になる。だからメカニックという人種は、マイナスGを極端に嫌がるものだ。


「そしてエルドレッドも嫌がるはず」


 もちろん、下方向へのGを怖がるのはパイロットも同じだ。そうである以上――。


「奴はあの姿勢のままで旋回することはないでしょう。ロールして、クローイと同じ姿勢を取らなければならない。彼はすぐさまロールしたいでしょうね」

「でも、できない。クローイが居るから」

「その通り」


 私はにっこりと笑んで頷いた。


「でもさ。マイナスGを覚悟で曲がってくる、とは考えられない? 故障覚悟で曲がってきたら……」

「……お前、馬鹿か」


 ベテランさんがため息を伴いながら間に入ってきた。


「あの姿勢で強引に曲がったとしても、問題にはならんさ。飛行機はマイナスGでの急旋回を想定していない。のっそりとした旋回になるだろうよ」

「ああ、なるほど。だから、ベテランさんはブレーキング勝負が肝だ、と言ったんですね」


 ああ、とベテランさんが頷いた。クローイが早目にブレーキすれば、エルドレッドはその隙を突いてロールし、理想的なラインで旋回するだろう。その場合、彼はクローイに先行する。


 逆にエルドレッドが先にブレーキすれば、今度はクローイが動く。彼女は、エルドレッドをブロックするだろう。そうなれば、彼はクローイを抜けなくなる。


 いずれにせよ、先にブレーキをかけた方が負けるのだ。現在最終ラップ。そしてところは最終コーナー直前。ここまで見応えがあるブレーキ合戦は、そうはあるまい。


 実際、飛行場は嫌に静かだった。歓声はいつの間にか止んでおり、みな瞬きすら忘れて二人の意地の張り合いを見つめていた。刮目、とはまさにこのことだろう。


「……いよいよだ」


 声の主はおじいちゃんだろう。その声は明らかに緊張で震えていた。


 私の心臓が大きく波打った。多分、この拍動は正常なリズムではないだろう。私はふらりと立ちくらみを覚えた。


 この鼓動の、めまいの原因はなにだろうか?

 不安?

 期待?

 どちらであるのかわからない。クローイを信じている私は、とりあえず期待によるものだと解釈した。


 さあ、そのときがやってきた。

 勝負の分水嶺。

 さきにエアブレーキを広げた方が負けだ。

 二人は減速しない。

 高速のままコーナーへと接近する。

 二人はまだ減速しない。

 ブレーキはおろか、エレベーターもエルロンも大きく動かさない。

 カメラが捉えている動きといったら、プロペラの回転だけ。

 二人はなおも減速を拒む。

 スタンドがざわめいた。

 もうブレーキすべきだ。

 ここでブレーキしなければ、スムースにコーナーをクリアできない。

 観客たちは気が気でなくなったようだ。


 しかしそれはどうにも素人判断であったようだ。

 ここで減速しては負けてしまう。

 二人はそう言いたげに減速を拒んだ。


「おいおい……いくらなんでもマズくないか?」


 次にクルーがざわついた。

 強い緊張感に耐えられなくなったのか。

 彼らは口々にもういい、もうブレーキしてくれ、と哀願しはじめた。

 けれども、二人はブレーキを我慢した。

 スタンドの、そしてガレージのざわざわが大きくなる。


「……姿勢がよくないからなんだ」


 私は独りごちた。姿勢が水平ではないから、二機の速度は伸びていない。だから、ブレーキングポイントが通常のそれよりも奥に移動したのだ。


 一体二人はどこでブレーキをかけるのだろう。

 それはわからない。

 どちらが先に観念するのだろう。

 それもわからない。

 しかし私は信じている。

 さきに減速するのはエルドレッドの方であろう、と。

 いつブレーキをかけるのだろう。

 二人はいつ、いつ減速を――


 ――そのとき、会場が。そしてガレージがおお、とどよめいた。とうとう両機のどちらかが減速したのだ。この我慢比べで白旗を上げたのは――


「カートライトだ! エルドレッドだ! やったぞ!」


 おじいちゃんが声帯を潰さんとする勢いで叫んだ。彼の大声に追従して、クルーたちが歓声を上げる。


 私の心臓がもう一度大きく高鳴った。今度の不整脈の要因はハッキリとしていた。


 やった!

 ブレーキ合戦に勝利した!

 クローイがエルドレッドの前に躍り出る。

 エルドレッドが逆ロールし姿勢を整える。

 その間、彼女はわずかに機体を外に振る。

 エルドレッドの真っ正面に立ち塞がる。

 数拍遅れてクローイもブレーキを展開。

 減速。

 エルドレッドが抜き返そうとする気配は見られない。

 彼は悔しそうにクローイに追従するだけ。

 完全にエルドレッドを追い抜いた!

 よし、よし! よし!!

 これならば彼女は、最終コーナーを先頭でクリア――


「あっ! これはマズい!」


 その声は、浮ついた私たちにとって、なによりの冷や水であった。顔を青く染めたベテランさんの声だ。


「オーバースピードだ! この勢いだとエイペックスにつけない! クロスラインで食われるぞ!」


 クローイがブレーキ合戦に勝利したはいい。だが、彼女は我慢しすぎた。明らかに速すぎる。


 これでは外に膨らむ! しっかりと減速をした真後ろのエルドレッドに差されてしまう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ