勝負! ビビったら負けなチキンレース!
最終コーナーはヘアピンであった。大きく減速しなければ曲がりきれない。エアブレーキの展開が必須なコーナーだ。
最終コーナーはブレーキの目測を誤り、オーバースピードになるパイロットもまま現れる。ここもまた、オーバーテイクポイントであった。
二機はそんなホットスポットに、突入せんとしていた。二人は意地を張り合っているようだ。両機ともに、エアブレーキを展開していなかった。
「ね、ねえ。ターラちゃん?」
クレーンの若者が、控えめな声をかけてきた。言葉尻の音階がわずかに上がっている。質問を意図する声色だ。
「なに?」
「あのさ。クローイとエルドレッド。ライン的にはどっちが有利なんだ?」
「実を言うとエルドレッドの方が有利」
「え?」
クレーンの彼は目を大きく剥いた。
「うん? うーん? あの。よくわからないんだけれども」
「クローイはインを陣取っているけれど。最終コーナーを曲がるためには、エルドレッドよりもはやくブレーキしなくちゃいけない。だからエルドレッドのポジションの方が正解」
「……やばくないか?」
「でも、よく見て。エルドレッドの姿勢を。彼はコーナー側にお腹を向けているよね? ここで、あなたに質問」
私はちらと彼を見た。彼はなおも訝しげであった。
「あの姿勢のまま曲がろうとすると、マイナスGがかかるわけなんだけれども……あの機体を整備する立場だったら、あなた、許せる?」
「……不機嫌になるかな」
「でしょ?」
飛行機は腹側へのGに弱いのだ。下手をすればオーバーホールが必要になる。だからメカニックという人種は、マイナスGを極端に嫌がるものだ。
「そしてエルドレッドも嫌がるはず」
もちろん、下方向へのGを怖がるのはパイロットも同じだ。そうである以上――。
「奴はあの姿勢のままで旋回することはないでしょう。ロールして、クローイと同じ姿勢を取らなければならない。彼はすぐさまロールしたいでしょうね」
「でも、できない。クローイが居るから」
「その通り」
私はにっこりと笑んで頷いた。
「でもさ。マイナスGを覚悟で曲がってくる、とは考えられない? 故障覚悟で曲がってきたら……」
「……お前、馬鹿か」
ベテランさんがため息を伴いながら間に入ってきた。
「あの姿勢で強引に曲がったとしても、問題にはならんさ。飛行機はマイナスGでの急旋回を想定していない。のっそりとした旋回になるだろうよ」
「ああ、なるほど。だから、ベテランさんはブレーキング勝負が肝だ、と言ったんですね」
ああ、とベテランさんが頷いた。クローイが早目にブレーキすれば、エルドレッドはその隙を突いてロールし、理想的なラインで旋回するだろう。その場合、彼はクローイに先行する。
逆にエルドレッドが先にブレーキすれば、今度はクローイが動く。彼女は、エルドレッドをブロックするだろう。そうなれば、彼はクローイを抜けなくなる。
いずれにせよ、先にブレーキをかけた方が負けるのだ。現在最終ラップ。そしてところは最終コーナー直前。ここまで見応えがあるブレーキ合戦は、そうはあるまい。
実際、飛行場は嫌に静かだった。歓声はいつの間にか止んでおり、みな瞬きすら忘れて二人の意地の張り合いを見つめていた。刮目、とはまさにこのことだろう。
「……いよいよだ」
声の主はおじいちゃんだろう。その声は明らかに緊張で震えていた。
私の心臓が大きく波打った。多分、この拍動は正常なリズムではないだろう。私はふらりと立ちくらみを覚えた。
この鼓動の、めまいの原因はなにだろうか?
不安?
期待?
どちらであるのかわからない。クローイを信じている私は、とりあえず期待によるものだと解釈した。
さあ、そのときがやってきた。
勝負の分水嶺。
さきにエアブレーキを広げた方が負けだ。
二人は減速しない。
高速のままコーナーへと接近する。
二人はまだ減速しない。
ブレーキはおろか、エレベーターもエルロンも大きく動かさない。
カメラが捉えている動きといったら、プロペラの回転だけ。
二人はなおも減速を拒む。
スタンドがざわめいた。
もうブレーキすべきだ。
ここでブレーキしなければ、スムースにコーナーをクリアできない。
観客たちは気が気でなくなったようだ。
しかしそれはどうにも素人判断であったようだ。
ここで減速しては負けてしまう。
二人はそう言いたげに減速を拒んだ。
「おいおい……いくらなんでもマズくないか?」
次にクルーがざわついた。
強い緊張感に耐えられなくなったのか。
彼らは口々にもういい、もうブレーキしてくれ、と哀願しはじめた。
けれども、二人はブレーキを我慢した。
スタンドの、そしてガレージのざわざわが大きくなる。
「……姿勢がよくないからなんだ」
私は独りごちた。姿勢が水平ではないから、二機の速度は伸びていない。だから、ブレーキングポイントが通常のそれよりも奥に移動したのだ。
一体二人はどこでブレーキをかけるのだろう。
それはわからない。
どちらが先に観念するのだろう。
それもわからない。
しかし私は信じている。
さきに減速するのはエルドレッドの方であろう、と。
いつブレーキをかけるのだろう。
二人はいつ、いつ減速を――
――そのとき、会場が。そしてガレージがおお、とどよめいた。とうとう両機のどちらかが減速したのだ。この我慢比べで白旗を上げたのは――
「カートライトだ! エルドレッドだ! やったぞ!」
おじいちゃんが声帯を潰さんとする勢いで叫んだ。彼の大声に追従して、クルーたちが歓声を上げる。
私の心臓がもう一度大きく高鳴った。今度の不整脈の要因はハッキリとしていた。
やった!
ブレーキ合戦に勝利した!
クローイがエルドレッドの前に躍り出る。
エルドレッドが逆ロールし姿勢を整える。
その間、彼女はわずかに機体を外に振る。
エルドレッドの真っ正面に立ち塞がる。
数拍遅れてクローイもブレーキを展開。
減速。
エルドレッドが抜き返そうとする気配は見られない。
彼は悔しそうにクローイに追従するだけ。
完全にエルドレッドを追い抜いた!
よし、よし! よし!!
これならば彼女は、最終コーナーを先頭でクリア――
「あっ! これはマズい!」
その声は、浮ついた私たちにとって、なによりの冷や水であった。顔を青く染めたベテランさんの声だ。
「オーバースピードだ! この勢いだとエイペックスにつけない! クロスラインで食われるぞ!」
クローイがブレーキ合戦に勝利したはいい。だが、彼女は我慢しすぎた。明らかに速すぎる。
これでは外に膨らむ! しっかりと減速をした真後ろのエルドレッドに差されてしまう!




