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超絶! 放浪の飛行機乗り、極小スペースに突貫す!

 ガレージはすっかり静まりかえった。私たちとは対照的に、お隣のカートライト工房はお祭り騒ぎであった。


 スタンドもしらけ気味になっていた。彼らは義務感で歓声を出しているようで、心がちっともこもっていなかった。


 チームクルーも、カートライト工房も、そして観客も、誰もクローイの勝利を信じていない。私はそれが腹立たしくてたまらなかった。私はいますぐ管制塔に乗り込んで、マイクを奪い取ってこう叫びたかった。


 見てろ、見てろ! 最終セクターで大逆転を見せてやる! 世紀の大逆転を見せてやる! あなたたちを目撃者にしてやる! と。


 時を追うごとに、私の苛立ちが増悪してゆく。私は、しょんぼりとしたみんなを一喝したくてたまらなかった。


 二機が衝立岩に差し掛かろうか、という頃合い、私はいよいよ我慢できなくなった。


「大丈夫! 抜ける! ここでなら抜ける! ここで抜けば! ストレートでも抜かれない!」


 クローイを激励する私の声は、怒鳴り声でしかなかった。私の声を受けて、俯き気味なクルーの肩が雷に打たれたように震えた。


「行け! 行け! 行け!」


 私は、腕を振るい、大声を張り上げ、クローイを励まし続けた。


「……ターラよう。気持ちはわかるけれど」

「全然、わかってない!」


 私はおじいちゃんの声をはね除けた。


「私は、おじいちゃんたちの気持ちがわからない! まだレースが終わってないのに! コーナーはまだあるのに! どうして諦めるのかがわからない!」

「でも……」

「諦めるのは! 衝立岩を過ぎてからだ!」


 おじいちゃんは、モゴモゴとなにかを言おうとした。どうせ弱気な言い訳だろう。私はそっぽを向いた。おじいちゃんを拒絶した。


 私がスクリーンに向き直った頃合い、二人はとうとう衝立岩に到達した。ここで彼女がオーバーテイクできなければ――。そのときは私も、お先真っ暗な明日と向き合わなければならないだろう。


 でも、その必要はない。クローイはエルドレッドを抜き去るはず! 自信家の私がそう断言した。


 だから私は、スクリーンを注視し続けた。私の自信が、現実となるそのときを待ちわびた。


 とうとう、いよいよ、衝立岩。エルドレッド、クローイの順でコーナーにエントリーする。ロール。エレベーター。旋回。クリア。さて、順位は――。画面の真ん中に移っているのは――。


「エルドレッド」


 おじいちゃんが力なく呟いた。暗く重たい空気が、どこからともなくガレージに流れ込んだ。


「まだ! はやい!」


 しかし、私はなおも抗った。


「ターラ。もう無理だよ。いい加減に諦め――」

「違う! そうじゃない! ほら、みんな! よく見て! クローイが居ない!」


 私は、スクリーンを人差し指で指した。おじいちゃんが、ベテランさんが、クルー全員がスクリーンと向き合った。


 ガレージの、いや、飛行場の音が消え去った。まるでこの場が、真空空間になってしまったかのように。


 二、三拍、経ったのち、空気がこの場に戻ってきた。ざわざわ、ざわざわ。寒さで震える子猫のような細やかさで、空気がざわめきはじめた。


「……どこだ? 一体? クローイはどこだ? まさか――」


 おじいちゃんが息を呑んだ。ネガティブな想像に囚われたとき、おじいちゃんはいつも歯切れが悪くなる。


「墜ちてないよ! クローイは墜ちてない!」


 私は、おじいちゃんの飲み込んだ台詞を代弁した。おじいちゃんの顔がくしゃりと歪んだ。


「じゃあ! どこに居るってんだ!」

「姿勢、姿勢! 今のエルドレッドの姿勢をよく見て! 翼を立てたまま飛んでいる!」


 スクリーン上の飛行機は、水平飛行をしていなかった。彼は機体を横倒しにしたまま、コックピットをカメラへと向けていた。


 これは不自然であった。あの姿勢では機首が下がってしまう。ラダーを踏み続けなければ、高度を失ってしまう。そしてラダーのせいで、機体は余計な空気抵抗を受ける。


 余計な空気抵抗があると速度を失う。速度を失うとレースで不利になるだけではなく、揚力を失う場合もある。言うまでもなく、それは墜落のリスクだ。


 にも拘わらず、エリートのエルドレッドはリスキーな操作をしている。なぜだろうか。その理由は、スクリーンをじいと眺めてみるとわかった。


「見て! エルドレッドの腹側! 岸壁側をよく見て!」


 私に促されたみんなは、スクリーンをじいっと注視した。エルドレッドと岸壁の間に、見慣れぬ影がある。


 影はエルドレッドの機影に比べると、二回りほど小さい。いや、重要なのは大きさよりも形状だろう。件の影は飛行機の形をしていた。機首が妙にスッキリとしている。ノーズにプロペラを備えていない証だ。推進式を示唆する情報。つまり、あの影は――


「影? まさか」


 おじいちゃんがあんぐりと口を開けた。信じられない――。その面持ちからは、おじいちゃんの内なる声が聞こえてきそうであった。


 おじいちゃんの反応はレアではない。私に促された面々は、みんな似た表情をしていた。


「そう! クローイ! あの娘が! ヤツと岸壁の間に滑り込んだんだ!」


 私たちから数拍遅れて、スタンドもクローイの居場所に気がついた。大波のような歓呼が、ガレージに押し寄せた。


「これは上手い」


 ベテランさんが唸った。


「クローイは、エルドレッドの腹側にぴったりと付いている。あれじゃ奴は水平飛行に移れない。ロールするためには、速度を落とすか外に逃げるしかない」

「で、でも。俺は心配ですよ」


 クレーンの彼がうろたえながら言った。


「エルドレッドが、あのまま内側に寄せたらマズくないですか? 接触を避けるために、クローイはブレーキする必要があるんじゃ?」

「その可能性は多分ない」


 多分、と予防線を作ったものの、ベテランさんの口振りには迷いが見られなかった。クレーンの彼は納得できないのだろう。彼は首を傾げていた。


「そもそもエルドレッドはクローイに近づけない。あの姿勢だと、奴はクローイとの距離を正確に把握できていないはずだ」

「大きな事故になるから。幅寄せできない、と」


 ベテランさんが頷いた。


「かといって姿勢を水平に戻せない。途端に抜かれてしまうからだ。このまま翼を立てて飛ぶしかない」

「それはクローイも同じでは?」

「ああ、そうだ。だが、彼女はイン側を死守している。次のコーナーでは、楽々インに突っ込める。有利だ」

「うーん。でも」


 若者はなおも食い下がった。


「クローイもエルドレッドも。結局ロールし直す必要があるんじゃ? エルドレッドを見て下さいよ」


 そう言って、クレーンの彼はスクリーンを指差した。


「岸壁に腹を向けている。最終コーナーは岸壁方向にターンする。なら、一八〇度ロールする必要がありますよね?」

「ああ。エルドレッドは、な。だが……ほら。クローイをよく見てみな」


 今度はベテランさんが画面を顎でしゃくった。


「クローイはエルドレッドに腹を向けて飛んでいるだろう?」

「あっ」


 クローイはキャノピーを岸壁に向けて飛んでいた。この姿勢を維持している限り、彼女はロールし直す必要がない。彼女は今の姿勢のまま、コーナーにエントリーできる。


「それに機体重量のこともある。こっちが軽くなったおかげで、このストレートでの加速性能はトントンだ」

「じ、じゃあ」

「ああ、そうだ。このまま行けば、最終コーナーで抜ける」


 中身こそポジティブであれど、ベテランさんの声色は、スコールがやってくる直前の空みたいにどんよりとしていた。


「このまま行けば、の話だがな」


 彼には、なにやら懸念材料があるらしい。ベテランさんの眉間には、ごわごわとした皺が刻まれていた。


「なに? 思うところがあるなら、教えて?」


 この期に及んで、どうしてなよなよする必要があるのか。私は苛立った声をベテランさんに浴びせてしまった。ベテランさんは苦笑いを作った。


「いや。最終コーナーをクリアするためには。ブレーキングが必要だろう?」

「ええ。そうだね」

「なら、ちょっとしたチキンレースが発生するかもな、って思っただけだ」

「チキンレース?」


 クレーンの彼が、不思議そうな声を上げた。


「……二人は。ブレーキの我慢しあいっこをするだろう、ということ?」


 私は、ベテランさんが想定しているであろう答えを述べた。


「その通り」


 ベテランさんが首肯した。


「エルドレッドだって優勝したいだろう。奴が勝つためには、クローイより後に減速しなければならない」

「ってことは」


 私は一度息継ぎをした。


「クローイもまた。ブレーキをギリギリまで我慢しないと勝てない?」

「ああ」

「見た目以上に。クローイは絶対的優位ではない、と?」

「ああ。俺の目にはそう見える」


 ベテランさんは低い声で頷いた。彼は生来マイナス思考をする人間なのだろう。声から察するに彼は、クローイがブレーキング合戦で負けるかもしれない、と考えているようだ。


「なら。丁度いいかもね」

「なにが?」


 ベテランさんは、私の思考をうまくトレースできないのだろう。唇を山型にひん曲げながらそう問うた。


「だってさ。最後の最後で熱いブレーキング合戦が見られるってことはさ。インパクトがさらに増すってことだよね。このレースの伝説が一つ増えるわけだ」

「は?」

「その伝説によってクローイが、そしてターナー工房が、いつまでも記憶されるんだよ? それってとても素敵なことじゃない?」


 結局、私はベテランさんの同意を得られなかった。彼はぷいっと、私から視線を外して、スクリーンを眺めた。


 私もまた、彼の同意が欲しかったわけではない。私は、ベテランさんと同じように、スクリーン上のクローイをじいと見つめた。


 最終コーナーはすぐそばであった。

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