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勝負! 運命のファイナルラップ!

 泣いても笑っても、これがファイナルラップ。クローイがこの周回でエルドレッドを抜けば、私たちの勝ち。優勝賞金で借金を返せる。抜けなければ負け。工房をカートライト工房に譲り渡して、私たちは根なし草となる。とてもシンプルな構図であった。


 ホームストレートを駆け抜けた二機は、前半セクターへと突入する。緩いコーナーが左右に連続する、私たちがもっとも苦手とするセクションであった。


 いくら燃料がなくなり、機体が軽くなったとはいえ、カートライト工房との馬力差は如何ともしがたい。衝突寸前にまで詰めたエルドレッドの差が、みるみると離れていった。


 けれど落胆の声は上がらなかった。ガレージのみんなは、息を呑んでスクリーンを見つめる。各々の眼窩には、なにかを希うギラギラとした輝きがはめ込まれていた。


 彼らもまたクローイの勝利を願っている。自分たちが夜なべして仕上げたマシンが、トップチェッカーを受ける瞬間を心待ちにしているのだ。


 しかし、ポジティブなターナー工房とは裏腹に、カメラは落胆すべきシーンを捉え続ける。エルドレッドとクローイの差が、どんどんと広がり続けていた。


 ぱっ、と、画面が変わった。私たちはスクリーンを通して、高低差が激しい崖を眺めていた。


 画面が変わってから数拍遅れて、エルドレッドとクローイがやってきた。二機は、躊躇うそぶりを一切見せずに一八〇度ロール。背面飛行に移るや否や、二人は崖の下目がけて急降下した。


 エンジン馬力、重力。二つの力が同じベクトルを向き、飛行機に破壊的な加速をもたらした。空中分解しかねない危険な勢いであったけれど、画面に映る二機は伊達に一位争いをしていない。機体崩壊を示唆する挙動は、観測されなかった。


 加速そのものは、カートライト工房の方が優れていた。前半セクターの続きとばかりに、かの飛行機はクローイを引き離し続けた。


「大丈夫、大丈夫。ここでつけられた差は、すぐに取り戻せる」


 私は小さく囁いた。祈りの言葉ではない。これはかなり精度の高い未来予測であった。


 予測の答え合わせが、間をおかずにやってきた。名物コーナーの像がスクリーン上に結ばれた。人食い橋だ。


 二機は橋をくぐるべく、機首上げを行った。


 十分に降下しきったあとに機首上げしたのは、エルドレッドだ。このラインは王道だ。タイムを稼げない代わりに、確実かつ安全に橋をくぐれる。


 対してクローイが選んだのは、過激なラインだ。彼女は、エルドレッドよりもずっとはやいタイミングで機首を上げた。このラインは速度とタイムを稼げる。が、インチ単位のミスが生じれば、機体が橋桁に衝突する危うさを含んでいた。


 だが、クローイの技量は並ではない。彼女は危険性なんて、なかったかのような鮮やかさでもって、橋くぐりを成功させた。万雷の拍手がスタンドから湧き上がる。


 過激なラインの効果は絶大だった。エルドレッドが築いたリードを、彼女は瞬く間にチャラにしてしまった。今や二機は、追突の恐れがある距離感で飛んでいた。


「よし、よし、よし! この差ならいける! ここが勝負所! がんばれ、クローイ!」


 クルーの誰かが叫んだ。声の同定はできない。いや、今の私には、声の同定をする余裕がなかった。


 橋をくぐったあとの飛行機を出迎えるのは、中盤セクターだ。ブレーキ、そして旋回を幾度も繰り返すテクニカルゾーン。低中速の加速性、ロール性及び旋回性に長けたクローイが、もっとも得意とするセクションだ。


 事実、クローイの挙動一つ一つに鋭い切れ味が加わった。


 対して前をゆくエルドレッドは、その勢いに陰りが見えた。あの機体は、遅いセクションが得意ではないのだ。


 攻守が入れ替わる。バトルの主導権はクローイが掌握していた。


 コーナーが迫る。コーナーの形状は、いわゆるヘアピンカーブだ。エアブレーキを展開し、しっかりと減速しなければ、岸壁に激突してしまうだろう。


 エルドレッド機がセオリー通り急減速した。彼はしっかりと速度を殺し、機首をコーナー出口へと転回させた。


 だが、彼のマシンは低速旋回性が優れていない。インが空いた。


 これはクローイにとって突くべき隙だった。インコースにスペースがあると見るや否や、彼女は機首をインへと向ける。そしてギリギリまでブレーキを我慢し、岸壁スレスレの空域に突っ込んでゆく。


 クローイとエルドレッドが肩を並べた。


「脱出! 脱出! 脱出! パワーオン、パワーオン、パワーオン!」


 誰かが大声を上げた。誰かが甲走った。抜け、抜くんだ! と。


 そうだ! 立ち上がりだ!

 ここを丁寧に立ち上がればエルドレッドを抜ける!

 ここでオーバーテイクできれば、理想的だ!

 十分なギャップを築ける!

 クローイの技量ならばそれができる!


 けれども相手は、一流のパイロットだった。エルドレッドはコーナーの脱出で、ほんのわずかに機体をインに傾けた。飛行機は重苦しい動きでだけれども、彼の操作に反応した。ブロッキングだ。クローイは、彼を避けなければならない。


 おかげでクローイは、立ち上がりでモタついた。その間、ややもっさりとした加速を見せたエルドレッドが、クローイの前を行った。


「ああっ! 畜生!」


 落胆の声と同時に、歓喜の合唱がお隣から聞こえた。多分、中盤セクターが終わるまで似たようなシーンが、何度も再演されるであろう。


「まだ! まだだ! まだ抜けるチャンスは十分にある!」


 クローイはオーバーテイクの機を逃したけれど、ブロックをしたエルドレッドも代償を払った。彼はレコードラインから外れてしまったのだ。


 対するクローイは、理想的なラインに復帰しつつあった。適正なライン取りをした恩恵は、すぐさま現れた。差が、ストレートで縮まりはじめたのだ。


 中速の加速性は互角なはず。にも拘わらず、こうして明暗が分かれたということは――。それは私たちにとってのチャンスが、なおも続いていることを意味していた。


「次! 次のコーナー! クローイ! イン! イン! イン! インを突け!」


 次のコーナーはかぎ爪状だ。ヘアピン同様に、急減速したあと低速旋回しなければならない。今度は速度差がある。先ほど同様、インを突ければ旋回中に抜ける。今度こそ一位になれる。


 私たちの期待は最高潮になった。各々が今日一番の大声を張り上げる。私たちを囲む灰色のコンクリートが、そのやかましさを受けて、ぴしりと軋んだような気がした。


 クローイは私たちの期待に応えようとした。叫び声通りに動いてくれた。ロールして体勢を整える寸前、クローイはラダーを踏んでエルドレッドの内側に飛び込もうとした。


 されど、エルドレッドはクローイの目論見を許さなかった。クローイがヨーしたのと同時に、彼もまたラダーを踏んでラインを潰したのだ。


 彼のブロックは、まったく絶妙なタイミングであった。エアブレーキを展開するか、ラインを元に戻すか――。あのブロックは、クローイにその二択を強要させた。


 クローイは減速を選んだ。エアブレーキを展開した。結果、速度を失う。いまだ逆転には至らず。


「ああ、もうっ! なんて嫌らしい飛び方! ペースはこっちが上なんだから! いい加減! トップの座を譲れえ!」


 私の怒鳴り声に、クルーのみんなが、そうだそうだ、と頷いた。私たちの抗議をよそに、エルドレッドはコーナーを立ち上がってゆく。憎らしいほどにスムースな加速だ。舌打ちが自然とこぼれ出る。


 中盤セクターはまだ続く。次は複合コーナーだ。中速のままエルロンターンを決めたあと、ブレーキング。そののちに、より角度を増して旋回する難所である。


 このコーナーでのクローイは、攻め口をやや変えた。難所であればミスを誘発できるやも、と考えたのだろう。彼女は相手のバックミラーに見える位置で飛び続けた。


 クローイが直接バトルを仕掛けなかった理由は、このコーナーの前半部が中速であるからだろう。中速域での旋回性は五分五分なのだ。直接抜きにかかるのは、たしかに困難と言えた。


 さて、クローイのプレッシャー作戦は功を奏したか否か。結論から述べるなら否である。エルドレッドはちっとも動揺しなかった。このコーナーに限れば、隙はどこにも見当たらなかった。


 私はこの結果にがっかりしなかった。この程度の脅しで挙動が乱れるのなら、クローイはとっくに彼を抜いているはずだからだ。


 ガレージに充満するにおいが、徐々に変質する。顔をのぞかせ始めたのは、焦りのにおいだ。中盤セクターが終わりに差し掛かっている。コーナー数で言えば、残り二つ。終盤セクターは中速がメインだ。逆転が困難になってしまう。


 二機が短い直線を飛行する。この速度域での加速力は互角。クローイは、いまだエルドレッドを射程に収めている。


 コーナーが近付く。形状はクランク状だ。ここはとてもいやらしいコーナーだ。駆け抜けるのは一瞬だというのに、ここでは減速、ロール、旋回、逆方向にロール、旋回――と、忙しない操作を要求されるのだ。


 その忙しなさはパイロットのミスを惹起させる。このコーナーは、オーバーテイクが多く発生する勝負所であった。


 そんな難所で勝負所を、エルドレッドはミスすることなく、とても滑らかな挙動でクリアしていった。


 焦りのにおいがより強くなった。残りコーナーはあと一つ。そこで抜けなければ――。ああ、考えたくもない。私もまた、焦りのにおいに支配されつつあった。


 二人は、中盤セクターの最終コーナーにたどり着いた。待ち受けるのは、ヘアピンコーナーだ。私たちが得意な超低速コーナー。


「抜け! 行け! そこが一番有利なコーナーだ! プッシュ、プッシュ、プッシュ!」


 大丈夫。

 抜ける。

 ここなら行ける。

 逆転できる!

 だから――。


「行け! 行って! 突っ込んで! クローイ!」


 クローイに届くはずもないというのに、私は喉を嗄らさんとする勢いで叫んでいた。

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