制裁! オーガニック信者の末路!
まさか罵られるとは考えていなかったのだろう。おじいちゃんは、頬をヒクつかせながらたじろいだ。
「な、なんだ! お前たち! なんでキレてるんだ!? なんで怒っているんだ!?」
「おじいちゃんが! 余計なことをしたからでしょ!」
「余計なことってなにさ! 俺、なんにも悪いことしてないじゃん!」
「天然オイルを混ぜたことだよ! ああ、もう! おじいちゃんってば! なんだってそんなことしたの!」
クルーたちは、そうだそうだ、と相づちを打った。
「天然モノは! 不純物が多く含まれているから! エンジンの負担になるだけでしょう!? 安いだけが取り柄のオイルなの! なあんでそんなやつを、レースマシンに入れちゃったの!?」
「だ、だって……自然治癒力大事だし……」
「機械に! 自然治癒力もなにもあるもんですか!」
治癒力のある機械があったら、是非ともリバースエンジニアリングしてみたいものだ。そんなのがあったら、機械の故障はぐっと少なくなり、より快適な社会を築けるだろう。
残念ながら、現代の技術力では治癒能力を有した機械を造れないのだ。SF小説の題材になるような夢物語に過ぎないのだ。
現役のエンジニアならば、それがわかっているはずだろうに。それなのに。なにかに影響されやすいおじいちゃんときたら!
「ああ、もう! なんて余計なことをしてくれたの!」
「そ、そんなに怒ることないじゃないか……俺だって善かれと思ってやったのに……」
「結果が伴わない善行ほど厄介なモノはないの!」
そうだそうだ、の大合唱がアンコールされた。クルーたちは爆発寸前であった。
「なあ! ターラちゃん! やっちゃっていいか!? おやっさんに! ヤキ入れてもいいか!?」
怒りが真っ先に爆発したのは、クルー最年少のクレーンの彼であった。彼は、こめかみをぴくぴくとさせながら気色ばんでいた。
青年の青い怒りが呼び水となったようだ。そこかしこから、やっちまえ、のコールが響く。スタート時にはカートライト工房に向けられていた暴力性が、今やおじいちゃんに向けられていた。
「お、お前らっ……! 俺、まがりなりにも経営者だぞ! 経営者にヤキ入れるって……お前らっ!」
「うるせー! 俺たちの苦労を台無しにしやがって!」
「余計なことしやがるから、いつまで経っても赤字経営なんですよ!」
「あーっ!? 誰だ!? 万年赤字経営とか言いやがったのは!? 俺が一番気にしていることを!」
「純然たる事実じゃないですか!」
おじいちゃんも気炎を吐いて反論するけれど、しかし多数に無勢。口喧嘩にすらならなかった。四方八方から飛んでくる罵声に負けて、おじいちゃんはとうとうなにも言えなくなった。
「ターラちゃん! いいよなやっちまって! いいよな!」
「タ、ターラ……! お前は……冷静でいてくれるよな! 頼む! プリーズ、ヘルプミー!」
二種類のお願いが私に飛んできた。ヤキ入れの許可と、救助要請の二つだ。
「……レギュレーション上、喧嘩は御法度だよ。失格になる」
私はぼそりと答えた。
「だろう!? ほら! お前ら! 我慢せい! 失格になりたくなけれ――」
「でも、同時にレギュレーションはこうも言っています。チーム間の喧嘩を禁ずるって」
「えっ」
おじいちゃんは、目をまん丸にして私を見つめた。その瞳には、動揺が色濃く映っていた。
「……つまり?」
クレーンの彼が、期待に輝く瞳でそう問うた。
「チーム内ならグレーゾーン。よほどのことじゃない限り、スチュワートも見逃してくれるでしょう」
「ってことは?」
「まあ、でも。アレでも私の祖父です。ターナー工房の経営者です。だから――」
私は息継ぎをした。この場に集う全員が、私の一挙手一投足を見逃すまい、と注視した。
注目が集まったのを確認した私は、言葉をゆったりと発した。
「――だから。やるのならば。後遺症がない程度に、ね?」
「タ、ターラ!? お前ぇ!? 俺を売りや――」
「みんな、許可が下りたぞ! それ! やっちまえー!」
おじいちゃんの恨み節は最後まで続かなかった。クルーたちの喊声によって、かき消されてしまったからだ。
一人の犠牲でクルーたちの不満が解消されるのならば、安いものである。私は、もみくちゃにされるおじいちゃんを横目で眺めた。
「ターラちゃん。もう一つ、決断してもらってもいいかい?」
おじいちゃんを懲らしめる輪に加わらなかったベテランさんが、私にそっと近寄った。
「なにを?」
「リタイアするかどうかを決めて欲しい」
ベテランさんはぴしゃりと言い切った。私はとっさに返事ができなかった。できたことといえば、牛か鹿のように口をモゴモゴと動かすことのみ。
「今は落ちついたみたいだが、いつ症状が再発するかがわからない。安全を取るのであれば、今、ここでリタイアさせたほうがいい」
ベテランさんの言うとおりだ。万全を期すのであれば、すぐにでもクローイを降ろした方がいい。私たちは破産してしまうけれど、人命と工房の経営、どちらが大切かと問われれば、その答えは考えるまでもないだろう。
(……そうだ。降ろすべきだ。倫理的に考えるのであれば、リタイアすべきだ)
私の理性はそう訴えている。
(でも)
私の情緒は異論を唱えた。次いで私は、自分の両手を見た。オイル汚れが染み付き、ごわごわに荒れた両手だ。お世辞にも綺麗とは言えない。
でもクローイは、パイロットを安心させてくれるいい手だ、と褒めてくれた。
そうだ。クローイは、優勝候補のエルドレッドに匹敵するか、それ以上の技量を持っているのだ。私の両手は、私が積み上げてきた整備の日々は、そんなエースパイロットを安心させるだけの説得力があるのだ。
ならばここは――
「……いや」
――ならば、ここは。彼の提案をはね除けるのみだ。
「今はスモークが出ていない。破局的な症状が出ていないのならば。このまま飛ばす」
「……いいのかい? 危険だぜ? それは」
ベテランさんは、片眉を上げてそう言った。飛ばし続けるべきか、すぐさまリタイアさせるべきか。彼がどちらを支持しているのかは明白であった。
「大丈夫。くどいようだけれども、ちょっとやそっとのトラブルは、クローイがなんとかしてくれる。それに。ほら――」
私は、両手をベテランさんの鼻先に突き出した。ベテランさんの不意を突いたのだろう。彼は一歩、二歩、と後ろ足を刻んだ。
「――うら若き乙女にしちゃあ、汚い手でしょ?」
私はにっこりと微笑んでそう言った。
「でも、クローイは褒めてくれたんだ。信頼できる手だねって。だから私は、この手を恥ずかしく思わない。むしろ誇らしく思うんだ」
「誇らしく?」
「そう」
私は大げさに頷く。そして、だってさ、とつなげた。
「あの飛行機を飛ばすために、私はここまで手を汚したんだ。私だけじゃない。あなたもそうでしょ?」
ベテランさんは促されたように、自らの手を眺めた。やはり彼の手も、私と同じくオイル汚れが落ちきっていなくて、うっすらと黒ずんでいた。
「おじいちゃんだって、他のみんなだって、寝る間を惜しんであの飛行機を整備してきた。費やした時間は、たかだか天然オイルで揺らぐものなの?」
そうだ。私たちが今日までやってきた作業。今はこいつを信じてやるべきだ。私たちがスパナで積み上げてきた時間は、おじいちゃんのやらかしで崩れるほど脆くはないのだ。
私たちは、自分たちの技術に自信を持つべきなのだ。それは、そう。自分の技量をなによりも信頼しているクローイのように。
「……そうだな」
自らの黒ずんだ手を見つめていたベテランさんが、ぼそりと囁いた。
「たしかに危ないけれど。俺たちが費やした時間は、苦労は。天然オイルなんぞに負けやしない。それを信じるのも悪くはない、か」
ベテランさんはそう言って、二度三度、自らの両手を労るようにさすった。
「よし。わかった。だが、リタイアの選択肢は捨てないでくれよ? 火を噴いたらさすがに看過できない」
「それはもちろん。私だって悪魔じゃないんだから、そこまでいったらリタイアさせるよ」
「うん。なら。いい」
ベテランさんはそう言うと、踵をくるりと返した。彼は、おじいちゃんを囲む暴徒たちへと歩いてゆく。ベテランさんもまた、おじいちゃんに含むところがあったのだろう。彼はなにもせず、お仕置きを受けるおじいちゃんをニヤニヤと眺めていた。




