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危惧! ちらりと見え始めた、私達の不安要素!

 私は画面上のクローイを見る。彼女は、他機を追いかける形でコーナーに差し掛かっていた。群青の飛行機は、鋭い旋回角でインに飛び込む。アウトに膨らんでしまうトレンド機は、まったく抵抗できない。


 クローイはまた一つ順位を上げた。


「しゃあ! 二位だ! これで! 二位だ」


 大きな声を散々出したからだろう。ガレージに反響したその声は、原形を留めないほどに枯れていた。おかげで私は、その声の主が誰であるのかを突き止められなかった。


「ねえ。カートライト工房との差はどれくらい?」


 私はベテランさんに問うた。


「一〇秒差。エルドレッドの背中が、チラチラと見え始める頃合いだ」


 豊富な経験を持っているからだろう。大喜びする若い工員たちとは違い、ベテランさんは澄んだ声をしていた。


 私とベテランさんのやりとりを盗み聞きしていたのだろう。クルーたちが、おお、とどよめいた。


「クローイはエルドレッドよりも速いよね?」

「ああ。今のところは、だが」

「前ラップタイムの差はどう?」


 ベテランさんの眉間に皺が刻まれた。


「クローイが一秒速い」

「一秒か……」


 声を嗄らして大喜びするクルーたちを尻目に、私は唇を山型に曲げた。


「このラップタイム差を維持できれば。単純計算で一〇周後に追いつくけれど……」

「エルドレッドがクルージングに入っている可能性は否めない」


 クルージングとは、エンジンを労りながら飛行することである。独走するパイロットが、一番嫌がるのはマシントラブルだ。つまらないリタイアを避けるために、首位を走るパイロットは、敢えて手を抜くことがある。


「もうクルージングしていたら面倒だな」

「クローイが、奴のバックミラーに映るようになれば。エルドレッドはタイムを上げてくるだろうからね。残り周回から考えると――」

「コンマ五秒なら許容範囲内。三で危険信号、二なら諦めってところだな」

「やっぱり。楽に勝たせてはくれないよね。さすがは優勝候補なだけある」


 私は大きなため息を吐いた。レースは残り三十五周。ベテランさんの言う通り、最低でもコンマ三秒ずつ差を詰めていきたいところだ。


「エルドレッドがクルージングをしていない可能性は?」

「正直望み薄。一秒差がついたのは、二周前からだ。奴は明らかにペースを落としている」

「ちなみに。そうなる前のラップタイム差は?」

「コンマ五」

「なあんだ」


 私は再度ため息を吐いた。安堵の吐息だった。


「ならあと二〇周で追いつけるじゃん。心配して損しちゃった」

「……そうは言うがな。ターラちゃん」


 楽観的な私を目して、ベテランさんは念押しするような声を絞り出した。


「レースはなにが起きるかわからん。追いつかれたエルドレッドが、実力以上のタイムをたたき出すかもしれん」

「その逆もありうるわけだよね? ただでさえ凄いクローイが、強敵を前にして伝説的なラップタイムを記録したり、とか」

「その通りだ」


 ベテランさんは意外にも、私の主張をあっさりと受け入れた。


「だが、奴とクローイとの間には、大きな違いもあるんだ」

「なに、それは?」

「マシンを労って飛んでいるか否かの違い」


 ベテランさんが、声のボリュームを落としてそう言った。クルーに聞かれたら、彼らの機嫌を損ねてしまうかもしれない、と判断したのだろう。


「オープニングラップから今に至るまで、クローイは全開で飛んでいる。クルージングしているカートライト工房とウチじゃあ、機体にかかっている負荷が段違いだ」

「それはつまり」


 彼が言わんとしていることを理解し、私はほんの少しだけ声を落とした。


「私たちの飛行機が。壊れるかもしれないってこと?」

「包み隠さずに言えば」

「……あり得ない。とは言えないね」


 私は辺りを見回しながら答えた。クルーたちは、なおも大盛り上がりだ。幸いにして彼らは、私たちの会話を聞いていないようだ。


「私たちは、テストを行わずに飛ばしている。あの飛行機の信頼性が高いのか否か。それがわからない」

「正直、時限爆弾に翼とエンジンを付けて飛ばしているようなものだよ。煙を噴く程度ならいいが……空中で木っ端微塵になる可能性も否定できない」


 ベテランさんは遠回しに、クローイが事故死してしまうかもしれない、と言った。


 実のところ信頼性は、私が見ないフリをし続けた問題であった。私は吐き気にも似た焦燥感を覚えた。気分はまるで、ずっと隠してきた悪いテスト結果が、親に見つかってしまったときのようだ。


「勝つためには、全開で飛び続けないといけないとはいえ……俺はクローイをハラハラした目で見ている」


 クローイは優れたパイロットだ。エルドレッドよりも上手だろう、という確信もある。でも、今の彼女にはハンデがある。マシンの信頼性というハンデだ。そしてそのハンデは、場合によってはクローイの勝ち目を奪うほどに大きいのだ。


 勝ち目がなくなるだけならいい。一番恐ろしいのは、彼女の生命が空に溶けてしまうことだ。


 そのときを考えると私は、どうしても思い出してしまう。クローイを信じ切れていなかった昨日までの私を。


「……さすがに。空中分解する可能性はないと思うよ。生前のお父さんが、散々チェックしたはずだし。その手の致命的な結果はないはず」

「たしかに。でも、致命的ではなくとも、リタイア必至なトラブルはありうる。エンジンブロー等々は、どんなに整備しても起きる」

「……それはエルドレッドも同じじゃなくて?」

「だから彼は今、クルージングしている。リスクを少しでも小さくするために」


 私たちが彼に追いつくためには、エンジントラブルを覚悟して突き進まねばならない。ペースとパイロットの技量は、私たちの方が上だ。だが、レースを支配しているのは、依然としてカートライト工房である。なんてもどかしい。


 あまりのままならなさに、私は親指の爪を噛んだ。オイルが、爪に染みこんでいるせいだろう。私の舌先は、ケミカルな刺激をぴりりと捉えていた。


「……飛行不能なトラブルでなければ」

「うん?」

「軽微なトラブルであれば、クローイがなんとかしてくれる。彼女は、それだけの技量を持っているはずだから」


 ベテランさんはなにも答えなかった。代わりとばかりに、彼はほんの少しだけ目を細めて私を見た。あまり好意的な目線ではなかった。


 ――その考え方は、ただの盲信ではないのか? 彼の視線を解析するならば、こんな感じだろう。極めてネガティブな視線だった。

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