歓迎! オンボロハンガー、飛行機を受け入れる!
クローイの行動は迅速極まった。
夜が明けるや否や、彼女は工房の電話を借り、自動車の買い取り業者を呼び寄せた。自らの足であり住居でもあるトレーラーを売るためだ。
工房にやってきた業者は、終始上機嫌であった。どうにもクローイは、トレーラーを丁寧に乗っていたらしい。かのトレーラーは、新古と偽造してもバレないくらいに上玉であったようだ。彼女に手渡された現金が、かなりの額に及んだのがなによりの証拠であった。
かような経緯を経て彼女のトレーラーは、どこかに走り去ってしまった。工房に置き去りにされたのは、彼女と彼女の身の回り品に愛機、そして多額の現金のみ。
私は一連の出来事を見て、ただ目を丸くするしかできなかった。
対するクローイはマイペースだった。彼女は、手に入れたばっかりの札束を私に突きつけたのちに――。
「ターラ。これだけあれば修理、できるかな?」
なんてことを言ってきたのだ。私は、黙って札束を受け取ることしかできなかった。
彼女の住居のなれの果てであるそのお金は重たくて、私は肩が凝る思いをしてしまった。
正直に申し上げるのならば、私はこの案件をお断りしたかった。たしかにお金は欲しい。犬の鳴き真似をすればコイン一枚くれてやる、と言われれば、私はワンワンと吠えるだろう。工房の台所事情はそれほどまでに危うい。
そんな私でも、受け取るのにためらうお金が存在する。今回のパターンがまさにそれであった。
家を売ってまで作ったお金を受け取っても、ちっとも嬉しくないのだ。相手を追い込んでしまった罪悪感で胸が一杯だ。
だが、お金を受け取ってしまった以上、仕事を引き受けるしかない。
私は、モスグリーンのシートで包まれた彼女の愛機をハンガーへと引き入れた。
作るものが作るものだけに、ハンガーはその辺の大学が持つ講堂よりも大きい。テニスコートを六×六の配列で並べられるほどであった。
ただし立派なのは床面積だけである。
屋根と壁に使われている波形のトタンは、ところどころ錆びていた。まるで誰かが、紅茶の出し殻をなすりつけたみたいな装いだ。雨漏りや隙間風はないものの、見てくれはかなり悪い。金欠故に、このあたりのメンテナンスが滞っているのだ。
体育館よりもずっと高い位置に備え付けられた水銀灯の多くには、クモの巣が張られていた。仕事が長い間回ってこなかったせいで、ハンガーはクモの楽園になっていたらしい。
サビだらけの屋根と外壁、そしてクモの集合住宅と化した内部――。廃屋と呼んで差し支えないハンガーに、飛行機を迎え入れるのは正直気が引けた。私は、なんとも言い難い申し訳なさを抱きつつ、シートを剥ぎ取った。
スルスルと音を立てながら、シートがコンクリート床に滑り落ちた。黒の単葉機が露わとなった。
「……んー。古い飛行機だね」
私は素直な感想を口にした。
「設計されてから十五年……作られてから十年以上、ってところかな?」
「正解。十三年前の飛行機。よくわかったね」
クローイの声は、驚きでちょっぴりうわずっていた。
「まあね。これでもそれなりに勉強しているんでね。おおよそ見当がつくよ」
この飛行機のもっとも古くさいところは、降着ギアにあった。クローイの飛行機のギアは固定式だった。ギアを支える足の太さは、ちょっとした掘っ立て小屋の柱くらいはあるだろう。当然、それなりの重量がある。
「でも……面白いね。今でこそコンサバな印象を受けるけれど、新造当時はとてもラディカルな機体だったんだろうね」
これもまた、私の素直な感想であった。現代のトレンドから見るとこの飛行機のギアは、コンサバを通り越してアナクロと言うべき代物である。
だが、クローイの飛行機の全体を見たとき、当時としてはかなり攻めた設計なのもよくわかった。
その急進性が良く現れているのは、主翼だろう。翼端に進むにつれ翼が窄まり、そのどん詰まりでは緩やかなカーブを描いていた。楕円翼だ。最近のトレンドとなっている翼の形である。
つまりこの飛行機の設計者は、十五年も先を行く思想を主翼に採用していたのである。
そしてもう一つ、私には気になる点があった。ボディのつややかな光沢はもしかして――。
私は飛行機の胴体に手のひらを当てた。針で刺されたかのような鋭い刺激が、手に走った。
「冷たっ」
冷感だ。私は思わず手を引っ込めそうになった。
「クローイ。この飛行機に木材は使われている?」
私は飛行機に手を押しつけながら、クローイに問うた。彼女はノータイムで口を開く。
「木が使われているのは、コックピットのパネル周りくらいかな。ボディと翼は完全に金属製だよ」
「……すごい。やっぱりこの飛行機。すごくラディカルだ」
今では珍しくない金属ボディの飛行機であるけれど、十五年を遡るとなるとかなり希少な存在であったはずだ。ボディもまた、十五年先を行く攻めた設計だ、と言ってもいい。
「すごい。どんな思考回路をしたら、こんな未来予知染みた機体が作れるのだろう」
私は、この飛行機にすっかり魅了されてしまった。彼女の飛行機をハンガーに引き入れたときの私は、修理に乗り気ではなかった。なのに今の私は、この飛行機がどのような構造をしているのか、それを知りたくなってしまった。
早く、いち早く、この漆黒のカウルを外して構造を覗いてみたい。その欲求が一秒ごとに増してゆく。私たちメカニックにとって、メカニズムというのは一種の言語だ。構造を視た上で理解すれば、設計者の意図が、あるいは思想が自ずと読み取れる。
この機体が、どのような思想でもって生み出されたのか。私は、機体をバラしてその隅々を知りたかった。メカニズムがどのように集合して、一つの機械を構成するのか。私はその物語を知りたかった。
ああ、この仕事を受けて良かった。私は心の底からそう思った。