熱狂! 予想外のオーバーテイククイーン!
ガレージの興奮が高まってゆく。クローイがコーナーに突入するたびに、歓喜の声が上がる。前に進めば進むほど、チームの熱が上がってゆく。
お父さんの飛行機とクローイの相性は抜群であった。中盤セクターに入ってからというものの、彼女はコーナーに進入するたびに順位を上げていった。
盛り上がっているのは、私たちだけではない。観客たちもまた、クローイがオーバーテイクを決めるごとに、熱い声援を送っていた。
クローイの順位はまだまだ低位だ。下から数えた方がずっと早い。優勝争いなんかしていない。本来ならば端役だ。にも拘わらず、彼女はこのレースの主役に昇格していた。
これは身内のひいき目ではない。カメラがクローイを追っていないと、会場のボルテージが露骨に下がるのだ。彼女が見せる追い抜きは、思わず応援してしまうなにかが含まれていた。
会場がわっと沸き立った。カメラがクローイを捉えたのだ。彼女は中型の牽引式を追っていた。コーナーまであと少し。
画面の二機がコーナーに突入した。今度のコーナーはヘアピンだ。中型機はトレンドを採用している。低速旋回性が弱い。かの機は外へ外へと膨らんでゆく。
対するクローイは、イン側の岸壁ギリギリを攻めた。旋回角は本当に鋭く、ちっとも外へ流れてゆかない。しかも彼女の飛行機は、前を往く機体よりも減速していなかった。
速度差、そしてラインの優劣。この二つがクローイに傾いている以上、彼女がオーバーテイクを失敗する理由はどこにもない。クローイはまたしても順位を上げた。会場の熱気がますます高まる。
追う側となった中型機は、エンジンパワーに物を言わせて、なんとか抜き返そうと試みた。けれど、追いつけない。低中速域の加速ならば、彼女はトレンド機に後れを取らないのだ。
中型機が得意な速度帯に達したころになると、次のコーナーは目前に迫っていた。中型機は減速せざるを得ない。
対するクローイは、次のコーナーでも鋭い旋回を見せた。また一つ順位を上げる。彼女は、オープニングラップ特有の団子状態を、とても上手に利用していた。
「ああ、畜生。やっぱり悔しいな」
おじいちゃんが親指の爪を噛みながら呻いた。
「なにが?」
「スタートだよ、スタート。あの出遅れがなければ、ラップリーダーは俺たちだった」
「だからこそ、なんでしょ? それを予測できたからエルドレッドは、強引な手段に出たんでしょ」
「俺らさえどうにかできれば、奴の勝利は揺るがない――。奴はそう考えたわけか」
「勝てる希望が持てた?」
「少しはな」
「少しだけ?」
私はおじいちゃんの消極さに眉をひそめた。
「だってスタート時最下位だぜ? そんな大逆転劇、起きたためしがない」
「じゃあ、クローイがはじめてってわけだ」
「とことんポジティブだなあ」
おじいちゃんが呆れたように笑った。
「だって。そのお初を奪えるだけの勢いはあるよ」
「まあな」
私とおじいちゃんは、そろって映像を見つめた。レースは終盤セクターに差し掛かっていた。
このセクターは前半と後半で性格が異なる。中盤セクターと同じくテクニカルな低速コーナーが主な前半と、やや長いストレートとヘアピンで構成される後半である。私たちは最高速が伸びないマシンだから、前半部までに多くの飛行機を抜いておきたいところだ。
クローイは理想を現実にしてみせた。彼女は、最後の低速コーナーでも見事な追い抜きを披露して、会場を沸かせた。
さて、問題は後半部だ。この飛行場を支える巨岩、通称衝立岩を右手に見ながら駆け抜けるストレートはどうだろうか。抜き返されるのならばここだけれども、果たして。
やはりクローイは、衝立岩のストレートでじわじわと追いつかれた。が、彼女は、追い抜かれる寸前でヘアピンにたどり着いた。低速コーナーなら抜かれる心配はない。クローイはポジションを守った。
見物客がにわかに盛り上がった。派手なオーバーテイクが発生したからではない。マシンたちが、飛行場の、いや、スタンドの直上に帰ってきたのだ。エキゾーストノートが、夕立みたいな勢いで私たちに降り注ぐ。
レースは第一周を終えた。ラップリーダーは、スタート時と変わらずエルドレッドである。次いで二位集団が戻ってきた。道中、激しいバトルを演じていたのだろう。二位集団の順位は、滅茶苦茶に入れ替わっていた。
もし、今年のレースが例年通りの展開だったのならば、観客たちは、二位集団を大歓声でもって迎えただろう。
しかし今年は、例年と異なるレース展開を見せているのだ。一度は最下位に落ちたクローイが、猛烈な勢いで追い上げている。そのせいで見物人は、二位集団に拍手を送るのを忘れていた。
「なあ。ピットウォールに行きましょう。一周目のナイスフライトを讃えるべく、クローイを出迎えてやるんです」
クレーンの彼の提案に、異論を唱える者は居なかった。私たちはガレージを飛び出した。上空を通過する飛行機のノイズが、私たちを出迎える。鼓膜がビリビリと痛むほどの騒音に顔をしかめつつ、私たちはウォールへと駆け寄った。
けたたましいエキゾーストノートとは対照的に、スタンドは妙に静かであった。観客たちの視線は、最終コーナーの方角を向いている。彼らは、クローイがホームストレートに帰ってくるのを待っているのだろう。
その光景を見た私は、とても誇らしくなった。鼻息も自然と荒くなる。
「きた――!」
クレーンの彼が口を開いた。しかし、私が聞けたのは、その言葉の頭の部分だけであった。観客の大歓声に塗りつぶされ、彼の声がまったく聞こえなくなった。
私も最終コーナーの方を見つめた。ごま粒みたいな黒点が、私の網膜に像を結ぶようになった頃合い、ハチの羽音のようなノイズも同方角からやってきた。
あれは飛行機だ。数は一つ。呼吸をするごとに、瞬きをするごとに、ごま粒とエキゾーストノートは、みるみる大きくなってゆく。
飛行機の特徴が視認できるようになった。ノーズにプロペラがない。推進式だ。クローイだ。
私と観客たちの視力は、どうにも同じくらいらしい。私がクローイの飛行機を認めたのと、歓声が地響きを起こしたのは同時であった。
飛行機が駆ける。
空気を切り裂く。
私たちに接近する。
私たちは思い思いに彼女に手を振った。
直後、クローイは私たちの頭上を通過する。
一瞬のできごと。
数拍遅れて、彼女が押しのけた空気が、私たちの髪の毛を揺らした。
クローイがコントロールラインを通過する。
十四番目で通過する。
彼女はたった一周で十機も追い抜いたのだ。
凄まじいフライト。
鬼気迫るとはまさにこのことだろう。
彼女が見せたファイトに私たちはもちろん、スタンドも沸き立った。




