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不穏! 放浪の飛行機乗り、セオリーを破ろうとする!

 さすがに失格にはなりたくなかったのだろう。おじいちゃんたちは工具を取り下げ、ガレージへと戻った。


 ガレージ内のコンクリート壁の一面には、大きなスクリーンが垂れ下がっていた。スクリーンにはモノクロの動画が映写されていた。戻ってきたクルーたちは、スクリーンの前で立ち止まり熱視線を送っている。


 エアレースの映像だった。多くの飛行機たちが、狭い峡谷を一列になって突き進んでいる。その様は、ねぐらに帰る鳥の群れみたいだった。


 スクリーンの映像は録画ではない。リアルタイムの映像であった。テレビジョンとかいう技術らしい。特許権利者は、このレースを最高のプロモーション場所と考えたようだ。スクリーンは、全チームのガレージとスタンド各所に取り付けられていた。


 最新技術は、このレースの趨勢を私たちに遅滞なく伝えてくれた。この映像のおかげで、管制塔に順位を問い合わせる手間が省けそうだ。なるほど、これは便利な技術であった。


「クローイはどう? 誰か抜いた?」


 私はターナー工房の紅一点だ。男の人が私の前に立つと、前がちっとも見えなくなってしまう。今がまさにそうだった。スクリーンが全然見えない。


「……ほら、ターラ。こっちこっち」


 人だかりの前の方からおじいちゃんの声がした。すると、人垣が真っ二つに割れた。私とスクリーンを遮るものは、おじいちゃんの背中だけとなった。私は、おじいちゃんの右隣まで歩み、スクリーンを見つめた。


 気球か、飛行船から撮影しているのだろう。映像は俯瞰で撮られていた。カメラから隊列までの距離はそれなりにある。そのせいでスクリーン上の飛行機のフォルムは、どことなくぼんやりとしていた。とはいえ、クローイは唯一の推進式だ。判別に苦労しなかった。


 クローイはまだしんがりであった。クルーたちも彼女の位置を把握したらしい。嘆息がそこかしこから、ぽつぽつと生まれた。


「でも。まあ、予測出来なかったわけじゃないよね」

「まあ、たしかに。前半セクションでのオーバーテイクは難しいだろう」


 私は、映像を注視しながら頷いた。スクリーン上の飛行機たちは、狭い峡谷の間をなおも飛行していた。その谷は、大きく曲がりくねっていない。緩いカーブが、右に左にまた右に――と、いった具合で連続していた。


 ここの突破に要求される操縦技量は、決して高くない。左右のラダーペダルをタイミング良く踏めば、あっさりと突破できるし、セッティングさえ決まればフルスロットルでいけるだろう。


 ただしそれは、私たちの飛行機には厳しい条件であった。あの飛行機は、運動性と低中速の加速性に優れているが、最高速は伸びないのだ。高速コーナーが苦手なのである。そして前半セクションのコーナーは、すべて高速だ。従って――。


「わかっていたけれど。実際に見ると悔しいなあ」

「そうだね。挙動を見る限り、私たちのセッティングは完璧だった。悔しさはひとしおだよ」


 ――セッティングに失敗した飛行機が相手でなければ、私たちは距離を詰められない。それが現状であった。


「こればっかりは仕方がないよ。あの飛行機は、エンジンの気筒数も、馬力も一番小さいんだから」

「そりゃそうだが……ああ、くそっ。またイライラしてきた」


 おじいちゃんはそう言って、額を苛立ちげに叩いた。


「エルドレッドのガキが余計なことしなけりゃ、もうちっと楽なレースになっていたのによ」

「イライラしないの。もう、過ぎたことなんだから」


 私は、おじいちゃんをなだめているけれど、本音を言えば彼と同意見であった。


 当たり前だけれども、レースは先頭で進む方が有利だ。追い抜くよりも、追い抜きを阻止する方が圧倒的に楽であるからだ。後続の飛行機と同じラインで飛べば、追う側はちょっとやそっとでは抜けなくなる。


「高速セクションの前半をなんとか耐えて、テクニカルコーナーが続く後半でギャップを作る。これが理想の展開だったんだがなあ」

「言わない、言わない。ポジティブに考えようよ、ポジティブに」

「むう」


 忌々しげにうめいたのちに、おじいちゃんはスクリーンを注視した。私もまた、おじいちゃんに倣う。


 レースは順調に進んでいた。ロールする必要のないカーブが連続しているためか、接触をはじめとするアクシデントは起きなかった。


 ふと、画面と画角が切り替わった。カメラは、通過する飛行機の真横を捉えていた。峡谷を抜けたようで、飛行機の背後には空が広がっていた。


 変化が生じたのは、撮影アングルだけではない。映し出されている飛行機の姿勢もまた、大きく変わっていた。左右のエルロンが大きく動き、飛行機は風車みたいにロール。背面飛行をしはじめた。


 機体の躍動は留まるところを知らない。姿勢が背面になるや否や、水平尾翼のエレベータがにわかに動いた。


 機首の向きも変わる。地面と向き合う。地面は、機首の一六〇〇フィート(約五〇〇メートル)以上先――、つまり峡谷を抜けた先は崖だった。スクリーン上の飛行機は、今、崖に沿って垂直降下している。


 この崖はレース屈指の難所であった。エンジンパワーと重力、この二つが徒党を組んで、機体をいじめるからだ。過去には、機体が加速に耐えられず、降下中に分解した例もある。


 同時に、この降下はパイロットにも多大な負担をかける。水平飛行では出し得ぬ速度のせいで、身体中の血液が背中側へと偏ってしまうのだ。心機能が弱い人だと、意識が遠のくこともあるらしい。


 口さがない人が、人食い崖、と呼んでいるレースの難所を、飛行機が次々と降下してゆく。さすがに一周目ということもあってか。オイルスモークを吐いたり、マフラーから火を噴いたりする不調機は、いまのところ現れなかった。


 クローイは、最後尾で崖を駆け下りていった。その機動はうっとりするほど滑らかだ。彼女は、あの飛行機を完全に手なずけていた。


「よかった。機体の調子は悪くなさそうだね。ロールもループもキビキビとしてる」


 順位は上がっていないけれど、降下してゆくクローイの姿を見て、私は安堵の息を吐いた。映像を見る限り、空中分解の恐れはなさそうだ。


「しっかし……すげえなあ、クローイは」


 おじいちゃんが感嘆の声を漏らした。


「ぶっつけ本番でああも乗りこなすとは。アイツが生きてたときは、誰一人としてマトモに飛ばせなかったのに」

「ヘボだったのかもね。お父さんが試乗を頼んだパイロットは」

「そうかもしれねえな。ああ、畜生。この光景をアイツに見せてやりたかったなあ」

「その感想を言うのは、まだ早いと思うよ、おじいちゃん」

「あん?」


 おじいちゃんが、不思議そうに小首を傾げて私を見た。


「お父さんが見たかったのは、あの飛行機がトップチェッカーを受ける姿だった――。違う?」

「……違えねえ」


 おじいちゃんはふと笑みを浮かべた。アンニュイな笑顔であった。


 おじいちゃんの物憂げの正体は、一体なにであろうか。お父さんへの追憶? それとも、群青の飛行機が優勝する未来は、夢想にすぎない、と思い込んでいるから?


 後者であったのならば、少しばかりお説教しなければならない。私は問いただそうとした。


「おい! あれ! ヤバくないか!?」


 が、質問する機会は奪われてしまった。私とおじいちゃんの背中で衝立を作るクルーたちが、なにやらざわめきだしたのだ。


 私は横目で後方を確認した。ツナギ姿の男たちが、人差し指をスクリーンに向けていた。


 それは考えるまでもなく、レースになにか動きがあったのを示唆するジェスチャーだ。私は、焦点を彼らと同じくにする。


 すると――。


「……クローイ?」


 私の表情筋から力が抜け去った。今の私は、熱々のフライパンに落とされたバターみたいに、ゆるゆるな顔をしているはずだ。


 私の表情を溶かした熱源は、クローイであった。今はまだ、地面に向かってほとんど垂直に降りていなければならない頃合いだ。それが安全なライン取り。他機は、そのラインで飛行している。先頭のエルドレッドであってもだ。


 しかしクローイときたら、そのセオリーを破ろうとしていた。彼女の飛行機のエレベーターが、様子を窺うように動いた。エレベーターの動作に、機首はすぐさま反応。姿勢が水平に近付いた。


「おいおいおい。危ねえぞ。ありゃあ。下手すりゃあ――」


 おじいちゃんの声は、最後の方がモゴモゴとしていて聞き取れなかった。血色を失いかけた顔から察するに、おじいちゃんは、その続きを言ってしまえば、懸念が現実になる、と信じているようであった。


「クラッシュ。する」


 我を失ったせいで、私はロクでもなしな真似をしてしまった。おじいちゃんが口ごもって言えなかったその続きを、私は紡いでしまったのだ。


 飛行機のプロペラもかくやな勢いで、おじいちゃんの首がぐるりと回った。彼は私を見据える。当然、咎めの視線でもって。

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