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転落! クソッタレ債権者、まさかのラフプレイ!

 カウントダウンが始まった。数字が一つ減るごとに、スタンドのボルテージが上がってゆく。主催者が要求したわけではないのに、観客たちは、声を合わせて減りゆく数字を口にし始めた。


 その音圧たるや凄まじく、地響きにも似た航空エンジンのアンサンブルを吹き飛ばすほどだった。


 数字が減る。五を示す。コールの音量はますます大きくなる。幾人のパイロットは人間の声なんぞに負けてたまるか、と考えているだろうか。彼らは、スロットルを細かく操作し、潮騒によく似たリズムをエンジンで作りだした。


 さらに数字が減る。スタートまであと二秒。あと一回瞬きをすれば、お行儀良く並んだ飛行機たちが、我先にと滑走路を疾走するだろう。彼らの目的はたった一つだ。五〇周後、いの一番で飛行場に戻ってくることを、目指している。


 カウンターがゼロを刻んだ。

 直後、割れんばかりの歓声が上がった。しかしそれは本当に一瞬のこと。それ以上の騒音が、歓声を上書きしたからだ。


 その騒音は、とても暴力的であった。にも拘わらず、不思議と恐怖心を抱かせない音だった。むしろ、人類を興奮させる音だ。


 それはあまたの航空エンジンたちが、重力から逃げ切るために裂帛の気合いを込めた証であった。飛行機たちは、バネで弾き飛ばされたかのような勢いで前進する。


 はじめのうちは、飛行機たちは仲良しこよしであった。横一列のまま滑走路を突き進む。しかし、瞬きを一回、二回とする間に、その横陣は徐々に崩れていった。


 四機、二機、三機――。後れを取る飛行機が現れる。はやくも性能差があらわになった。その度にスタンドから、あるいは、各チームのクルーが雁首を並べているコンクリート壁から、落胆の声が上がった。


 遅れを見せる飛行機が現れる一方、優秀な加速性能を披露する飛行機が二機いた。エルドレッドとクローイだった。二人は、横列からいち早く抜け出し、先頭をひたすらにばく進する。


 はやくも生じた先頭争い。手に汗握る展開なのに、どういうことだろう。大きな歓声は生じなかった。滑走路を横断したのは、ぞわぞわとした戸惑いの声。それは先頭争いの組み合わせが、予想外だったから生じたどよめき。


 どよめきがさらに強くなる。観客たちにとっては、まさか、の事態が発生したからだ。


 置いて行かれた方は翡翠色の大型機。エルドレッドが操る飛行機だった。彼の飛行機は、高馬力にものを言わせ暴力な加速を続ける。


 そんなエルドレッドの前をゆく飛行機の色は――。空をそのまま転写したかのような、鮮やかな群青色をしていた。推進式の飛行機だった。


 ハナを切ったのは、クローイだった。軽さのおかげだろう。小さな飛行機は、気持ちよく加速し続けていた。


「っけえ! そのまま飛び上がって、逃げ切っちまえ!」


 私の隣に居るおじいちゃんが、口角から泡を飛ばしながら吠えた。すっかりと興奮している様子だ。


 血が熱くなったのは、おじいちゃんだけではない。エルドレッドを前に尻込み工員たちも、今ではお酒が入ったかのように顔を赤くして、喉を割らんばかりの大声を張り上げていた。


 ターナー工房ご一行は、思考をアドレナリンに支配されてしまった。対照的に茫然自失に追い込まれてたのは、お隣さんのカートライト工房だ。彼らは、私たちに先行されるとは考えていなかったらしい。


「……ターラちゃん」

「なに?」


 ターナー工房には、興奮という熱病に罹っていない者もいた。私とベテラン工員さんの二人だった。


「このまま。クローイが先に離陸できると思うか?」


 彼は、私の耳元に口を寄せてこっそりと囁いた。


「ううん。そうはならないと思う」


 私はかぶりを振った。


「多分だけど。先に離陸するのは向こう」


 スタンドがまたしてもざわめいた。飛行機が一機、離陸したのだ。


「やっぱり」


 私は小さく舌を打った。クローイの方が滑走距離を稼げているというのに、だ。はじめに離陸したのは、カートライト工房の飛行機であった。


「ああ! 畜生! 先を越された!」


 おじいちゃんは、コンクリート壁を平手で叩いた。自分が思っている以上に力を込めてしまったのだろう。乾いた音がしたあと、おじいちゃんは手のひらを労るようにさすっていた。


 ここにきて、ターナー工房とカートライト工房の雰囲気が逆転した。お隣さんは、歓喜でわっと沸き立った。


 どうして?

 なんで?

 なぜ?

 クローイが先行していたというのに、なぜエルドレッドが先に離陸したのか?

 ターナー工房みんなは、その手の疑問を口にしていた。


「向こうは牽引式だからね。プロペラ後流が主翼に当たる設計にすれば、強引に揚力を生める。だから滑走距離が短くなる」


 私は、彼らの疑問の答えを口にした。これは、主翼の前にプロペラがある牽引式だからこそできる芸当だ。対して推進式は翼の後にプロペラがある。そのせいで、滑走距離が伸びてしまう。


 エルドレッドは、機首をなめらかに上げていた。その動きに、迷いも、躊躇いも、ましてや焦りもなかった。クローイが地上で先行したのは、エルドレッドの中では想定範囲内であったに違いない。


「でも。想定内なのはこっちもそう」


 滑走で得たアドバンテージを離陸で失うのは、私は想定していた。滑走距離が長くなるのは、推進式の宿命だから仕方がない。


 クローイは動揺していない。機首を引き起こそうとしない。彼女は、機体が離陸可能な速度に達していないことを、自覚しているようだ。


 クローイは、なおも滑走路を疾走する。対するエルドレッドは、アスファルトという極めて高い摩擦から解放されていた。二機の加速性能が逆転する。


 彼は空中でオーバーテイクを決めた。

 一位、エルドレッド。

 会場が湧き上がる。


 まだだ。まだまだ。レースはまだ始まったばかり。焦る必要はない。要は最後のそのときに、トップでチェッカーを受ければいいのだ。焦って機首を引き起こし、ストールしてリタイア、なんてのが一番ダメなのだ。まずはキチンと離陸して、全ラップをたっぷり使ってオーバーテイクする機を――


 だが事態は、私の悠長な考えを吹き飛ばした。


「あっ」


 私は思わず身を乗り出した。滑走路上に漂っていたオイルと燃料の濃厚なにおいが、私を歓迎した。


 前のめりの姿勢をとったのは、私だけではない。おじいちゃんも、ベテラン工員も、そして連れてきた工員たち全員が、同様の反応を見せていた。


「……あのボンボン。やりやがった!」


 舌打ちともに飛び出た悪態は、私の口から飛び出たものなのか、それともおじいちゃんか、あるいは他の誰かか。それがわからなくなるほどに、私は冷静でなくなってしまった。


 優勝候補である翡翠色の飛行機が、ラダーを右に切ったのだ。必然、機体は右に滑る。その右方の地べたには、まだクローイが滑走していた。エルドレッドが、クローイの進路を塞いだのだ。


 だが、事はとうせんぼだけに留まらない。むしろそれは、副次的な問題であった。


「まずいっ」


 私の喉から悲鳴がこぼれた。私の悲鳴と時を同じくして、クローイの前輪が浮き上がる。数拍遅れて後輪も地面から離れる。それは、考え得る限り、最悪のテイクオフだった。


 私は、次の瞬間に起こるであろう悲劇を、生々しいくらい鮮明に予測してしまった。両手が、目を覆うべく動く。


 しかし私の手は、間に合わなかった。私は見たくもない光景を見てしまった。群青の飛行機が、空中で姿勢を崩していた。まるで大地震に巻き込まれたかのように、ゆらゆらと。

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