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無謀! 生意気債務者、債権者に啖呵を切る!

 レース会場となる飛行場の滑走路は、特異な形状をしている。幅が極端に広いのだ。二一八ヤード(約二〇〇メートル)は優にある。飛行機を離着陸させるためだけならば、この広さは不必要であった。


 では、無意味であるかと問われれば、答えはノーだ。その理由は――。


 ――いや、ここは論より証拠だ。私は五感でもって、この滑走路が幅広な理由を感じることにした。


 私はいま、件の滑走路に立っている。首をぐるりと回すと、たくさんの飛行機が横一列になって並んでいた。このレースは、マラソンのように横一線になってスタートするのだ。このスタート方式を採用する以上、滑走路は幅広にならざるを得ない。


 滑走路上は騒がしかった。カチャカチャとした作業音、作業員たちの相談する声、そして壁のように聳えるスタンドから降り注ぐ歓声――。滑走路は、お祭りそのものな活気に満ちていた。


 しかし会場の興奮は、最高潮に達したわけではない。観客たちは、まだまだ理性的だ。彼らを熱狂させるには、とある音が欠落していた。


 欠けている音とはなにか。それはエンジン音だ。飛行機がこれだけ集結しているというのに、エンジン音がちっとも聞こえない。画竜点睛を欠いている気がした。


 全チームがエンジンを動かしていないのは、レギュレーションのせいである。スタート五分前にならないと、エンジンを点火してはいけないのだ。


 私は懐中時計を見た。スタートまであと九分。飛行機のメンテナンスに費やせる時間も、残り四分。


 私たちは、メンテナンスをすでに終えていた。パイロットのクローイは、コックピットにもう収まっている。彼女はすぐにでも飛びたいようだ。スタートラインに並んで以降、クローイは飛行機から降りようとしなかった。


 最終メンテナンスを早々に終えた私たちは、正直手持ち無沙汰だった。みんな飛行機の周りで佇んで、所在なくキョロキョロとしている。おじいちゃんに至っては、クランクハンドルで肩を叩く始末だ。


 端から見れば私たちは、緊張感のないチームに見えるだろう。間を置かずにして、その推測を証明するときがやってきた。


「……なんとも、まあ。ずいぶんと余裕じゃないか? ターナー工房は?」


 とても皮肉っぽい男の声。私を含め、暇を持て余していたチームのみんなは、示し合わせたかのように声の方を向いた。


 エルドレッド・カートライト。私たちに皮肉を飛ばしてきたのは、かの御曹司であった。エルドレッドは、新聞記者の囲み取材を受けていたのだろう。エルドレッドの背後には幾人もの記者が居て、彼らは興味深そうに私たちを見つめていた。


 突然現れた債権者に、工房のみんなは萎縮した。誰しもが、よく漬かったピクルスみたいに、しわしわになって元気がなくなってしまった。


 場の空気はすっかり凍り付いた。私たちの意気消沈っぷりが、よほど哀れなのだろう。エルドレッドはふんと鼻笑いを漏らした。


「それほどまでに勝算があると見込んでか、それとも諦めの境地にあるのか。一体全体、どちらなんだ?」

「……前者、ですかね」


 みんながしょんぼりとしているなか、私は勇気を振り絞って挑発的な台詞を紡いだ。


 私の態度は、生意気のそしりを受けても仕方がない。彼と私の関係といったら、債権者の息子と債務者の孫娘なのだ。私は、彼にへつらわなければならない身分なはずだ。


 私は内心怖れつつも、胸を張り、彼の皮肉を真っ向から受け止めた。向こう見ずな私の行いに、工員たちは慌てふためいた。おじいちゃんは特に顕著だ。彼は目を見開きながら、酸欠の魚みたいに口をパクパクさせていた。


「ほう?」


 だがエルドレッドは、私の生意気さを不愉快と捉えなかったようだ。その目には苛立ちの輝きは見当たらず、むしろ好奇の彩りがあるように見えた。


「あの推進式の飛行機が、それほどまで素晴らしい機体だというのか? それともあのパイロットの少女が超凄腕なのか? あるいは――」

「両方です」

「それはつまり」


 エルドレッドが軽く両手を広げた。自分の服装を見てみろ、という無言の要求であった。


 彼は今、おろしたてなカーキーの飛行服に身を包んでいた。つまり彼もパイロットとしてこのレースに参加する、ということだ。


「この私に。そして我がカートライト工房に勝てる、と考えているのだな?」


 彼は、カートライト工房の次期経営者にして、飛行機のパイロットでもあった。その上操縦技術は、金持ち息子の道楽、と片付けられないほどに優れている。ブッキーにこのレースのオッズを尋ねてみれば、彼らは一番人気はエルドレッドである、と言って憚らないだろう。


 大工房の財力と技術力に、優秀なパイロット。この組み合わせが、優勝候補でなければ、どこが候補なのだろうか。巨大なスタンドで肩を寄せ合う観客たちだって、エルドレッドの勝利を疑っていないだろう。


 この共通認識は、知らずの内にターナー工房の心を蝕んでいたようだ。優勝候補は我ぞ、とエルドレッドが誇示した途端、工員たちはますます萎縮して、今や塩をかけられたナメクジと化してしまった。


 工員たちの気持ちは、私だって痛いほどに理解できる。借金にあえぎ、このレースに勝たなければお取り潰しとなる貧乏工房が、今をときめく工房に勝てる可能性はあるのだろうか。答えはノーである。私の理性でさえも、マジョリティの意見を採用したがっている。


 でも。でも!

 弱気になってたまるか!

 つい先ほどを思い出せ!

 クローイの言葉を思い出せ!


 あの娘は、私たちの仕事を信じてくれている。私たちも、彼女を盲目的に信じなければならないのだ!


「その通りです」


 私はへっぴり腰になりそうな下半身を叱咤し、胸を張ってエルドレッドを睥睨した。背中側がざわざわとし始めた。


「それは素敵な宣戦布告だな? ミス・ターナー。誰も彼もが、私に萎縮する小物ばかりと思っていたが……」


 言葉を一度区切ったエルドレッドは、ふっ、と吐息を漏らした。彼は笑んでいた。皮肉でも、嘲笑でもない。それは、見ているこちらの背筋が粟立つほどに、野性的な笑みであった。


「意外なところで気骨のあるライバルが見つかったものだ。よろしい。私も全力であなた方を潰しにかかるとしよう」


 見つけた。自分が襲うべき最高な獲物を、ようやく見つけた――。


 その言には、彼の肉食獣じみた本心が透けて見えた。野性的な笑顔、と表現したのは、私が思っている以上に的確かもしれなかった。


「レースでいかなることがあっても、言い合いっこはなしだ。いいね?」

「……勝負なのだから。それは当たり前でしょう?」

「申し訳ない。つまらないことを確認した。では、私はこれにて失礼するよ。そろそろ、飛行機に乗らないといけないからね」


 それでは健闘を祈るよ――。そう言い残して、彼は自分のチームに戻っていった。


 エルドレッドの静かな気炎に当てられたせいで、みんな肝を潰してしまったのか。しばらくの間、誰しもがなにも言えなかった。歓声と他チームの奏でる作業音が、嫌に大きく聞こえた。


「……ターラよう。もしかしたらお前、虎の尾を踏んじまったかもしれねえなあ」


 年の功と言うべきか。一番はじめに我を取り戻したのは、おじいちゃんであった。私は振り向きもせずに頷いた。私の態度が、眠れる獅子を起こしたのは間違いない。


 けれども私は後悔していなかった。


「……大丈夫。それでもなお、クローイは負けないから」


 私は、彼女を信じるしかないのだ。弱気になってはならない、と私は自らを励まし続けた。

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