天啓! 問題児とカイロは使いよう!
しまった、怒鳴ってしまった。私の理性は反省するも、もうどうしようもなかった。激情が溢れて止まらない。
「エンジンの動かし方がわかったのに! 希望をつかめたというのに! でも、すべてが水泡に帰そうとしているんだよ!? 私がこの問題を解決できなければ! 今日の成功が無駄になる! そんなのみんなに悪いじゃない! そんなの! 嫌だ!」
「大丈夫。ターラなら大丈夫。あの成功を無駄にさせないって、私は信じてる」
「なにを根拠に! 気休めなんていらない!」
「根拠なら、ある」
クローイは言い切った。
「あなたの! その盲目的なまでの! 私に対する信頼は! どこから来ているの!」
「あなたの手、だよ」
「……手?」
予想だにしなかった答えが飛んできて、私は呆気に取られた。ぐつぐつと煮えたぎっていた感情が、液化窒素をかけられたみたいに冷え切った。
「うん。そう。ね? 手を出して」
私は促された通り手を出した。
クローイは、私の手を躊躇いなく取った。飛行機を操縦するときは、分厚いグローブをしているためだろう。クローイの手は、白くて、すべすべとしていた。とてもきれいだった。
彼女はしばらく言葉を発しなかった。私の手をしげしげと見つめるだけ。彼女は、まるで宝石を観察するかのように、私の手の甲を、側面を、そして手のひらを、じっくりと見つめた。
クローイは無言、無言、ひたすら無言だった。彼女が、あんまりにもだんまりするものだから、私は気まずくなった。
クローイはたっぷり勿体ぶったあと――。
「手、汚れてるね」
――よりによって私の手を罵倒しやがった。
「は?」
「ガサガサに荒れてるし、とても綺麗とは言えない」
「は? は?」
……手が汚いだって? そんなの自分自身がよくわかっている! 私のこめかり辺りが、ぴくぴくと震えているのがわかった。
「でも、安心できる手だ。この汚れは、汚い手は、飛行機乗りにとって何よりも安心できる」
クローイはそう言って、私の手をさわさわとなで回した。その手つきはとても優しいものだった。なんだか妙な気分になってしまう。
「飛行機乗りはね。手が綺麗な整備士を信頼できないの」
「そうなの?」
「一生懸命整備していれば、手は荒れるからね」
クローイは頷いた。
「ターラの手は汚い。荒れてる。こうなるまで、私が乗る飛行機にあたっている。だから、私はあなたを信頼している」
「……褒められているのか。貶されているのか。それがちっともわからないんだけど」
「うん? いや、褒めてるよ? 汚い手をしているから、いい飛行機工だって」
「あのさ。私、これでも年頃の女の子なんだけど。手が汚いだの、荒れてるだの、と言われちゃ、さすがの私も傷つくんですけれど」
「へえ。世の女の子って、手の綺麗さを気にするんだ」
「いや。あなただって、女の子でしょう」
やはりクローイはちょっと浮世離れしている。彼女の感性はどう考えてもおかしい。私は辟易し、彼女をじろりと睨んだ。
「うーん。私は好きなんだけどなあ。この手」
「……へ?」
さわさわ、さわさわ。クローイの手つきが余計に柔らかくなる。なんだか官能的な触り方だった。
私はそのエロチックさに当てられた。頬が、かあっと紅潮したのがわかった。
「私が特に好きなのは……この爪の付け根の横らへん。このオイルの染み。なんとも言い難い茶色さが素敵で……」
「わー! わー! 詳しく言わないで! そんなに細かく言われちゃうと、恥ずかしくなるから!」
私はとうとう耐えかねて、手を振りほどこうとした。が、クローイは思いのほかパワフルだった。私は、彼女の小さな手を引き剥がせなかった。
しかもクローイは、燃費もいいらしい。私が肩を上下させているのに対し、彼女の呼吸はちっとも乱れていなかった。
いらない運動をしたせいで、私の身体はとても熱くなった。特にクローイとの接点が熱い。
運動による熱、羞恥による熱、そして彼女のカイロのように温かい体温。これらの熱源によって、私の身体はオーバーヒート寸前になってしまい――。
「……あれ?」
体温? 外部からの熱? カイロ?
デジャビュ。私は既視感を覚えた。様々な可能性が、頭の中でぐるぐると回った。それはそう、惑星を周回する衛星みたいに。
発想の転換が必要なのではないか。私は、あのカモノハシマシンのエンジン始動に囚われすぎていたのではないか。
なにも熱源を冷却系統に流し込む必要はないのだ。例えば、今の私の手がそうだ。私の手は、クローイの手に包まれたせいで熱くなっている。これと同じように、エンジンを熱源で包み込めば――。
蓋然性は低くないような気がした。日中の始動実験にしたって、熱源は太陽だ。外部からの熱によって、エンジン始動できるのは実証済みであった。
(それに。お父さんの遺品を漁ったおじいちゃんは、言っていたじゃないか。ベンジンカイロがやたらと出てきたって。もしかしたら。あのカイロの使い道って)
私は居ても立ってもいられなくなった。無意識下で発揮した力は、存外に強いらしい。これまでの苦労が嘘であったかのように、私はクローイの手を楽々と振りほどいていた。
「どうしたの? ターラ?」
クローイは、急に力持ちになった私にびっくりしたらしい。ただでさえ大きな目を、満月みたいにまんまるにしていた。
「思いついたの」
「なにを?」
「エンジンの温め方」
「ほんと?」
「それが正解かどうかはわからないけれど。でも、いますぐ試してみたいんだ」
「トライアンドエラー、だね」
「その通り」
私は頷いた。すぐさま行動に移す。私は、お父さんの遺品が眠っている彼の私室に向かうため、第一歩を刻んだ。




