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誕生! ホームレスパイロット!

 我がターナー工房の敷地には、三つの屋舎が建っている。今は使っていない旧ハンガー、仕事場である大ハンガー、そして今、私が飛び出した事務棟の三つだ。俯瞰してみるとその配置は、記号のクサイとよく似ていた。


 巨大なトレーラーは、大ハンガーと事務所の間にすっぽりと収まっていた。トラクター部と荷台部が分かれているタイプのトレーラーだ。その全長は、トラクター部を含めると六五フィート(約十二メートル)程度だろう。


 トレーラーは、この辺りではお目にかかれないサイズであった。そのせいだろう。通行人たちが足を止めて、大きな車をジロジロと見つめていた。


 かくいう私も、トレーラーを見つめていた。ただし私の焦点は、通行人たちのそれとは違っていた。私が、つぶさに観察しているのは荷台部であった。より正確に述べるのならば、その上でどかりと腰を下ろしている荷物。


「……本当だ。本当に飛行機を積んでいる」


 独り言めいた感想が、私の口からこぼれ出た。


 巨大なシートを被された一機の飛行機が、たくさんの革ベルトによって荷台に固定されていた。シートのせいで、飛行機の細かい仕様はわからない。けれども飛行機は、荷台に行儀良く収まっていた。それを鑑みると、この機体の主翼は折りたたみ式であるようだ。


「本当に居たんだ……放浪の飛行機乗りって」


 またしても私の口から、不随意めいた感想。理性が介入していないその言葉は、私の本心をそのまま転写したものであった。


 巨大トレーラーで飛行機を牽きながら各地を放浪し、その先々で飛行機を用いた仕事を行う便利屋――、放浪の飛行機乗り。私はその存在を噂で知っていた。


 私はその噂を眉唾物だと考えていた。飛行機ってやつは、とんでもなく高額なのだ。根無し草が飛行機を買えるとは、私には思えなかった。


 だが、彼らは実在していた。なによりの証拠が私の目の前に居座っている。


「信じてくれた? 私がパイロットである、ということを」

「……ええ。それはもう。疑ってしまってごめんなさい」

「ん。気にしてない。パイロットかどうかを疑われるのは、日常茶飯事だから」

「こうして機体があるってことは、新造の依頼じゃないってことでいいのよね?」

「うん。そう。修理をお願いしたい」


 少女はこくりと頷いた。


 私は、飛行機がどのような状態にあるのかを聞きたかった。が、今の短いやりとりで、彼女はあまり話すのが上手でないような気がした。


 できれば精度の高い情報を知りたい。だから私は、彼女の話を聞く前におじいちゃんの話を聞くことにした。


「どんな症状か、って話か?」

「うん、そう。それが知りたい」


 血縁ってのは、時に不思議な力が働くものだ。このケースもそうだ。まるでテレパシーが働いたかのように、おじいちゃんは私が聞きたい内容を察してくれた。


「簡単に言うと、真っ直ぐ飛ばねえみたいだな」

「トリムタブを使ってもダメ?」

「恐らくな。そうだろう?」


 おじいちゃんが少女に話を振った。


「うん。調整しても調整しても全然ダメ」


 彼女は再度首肯した。


「だろうなあ。あの飛び方はそんな感じだったなあ」

「おじいちゃんは、飛んでいるところを見てたの?」

「まあな。結構やばい感じだったぜ。なにせ下から見てわかるくらいだったからなあ」


 おじいちゃんは、厚ぼったいまぶたを閉ざした。彼はそうすることで、症状を思い出しているようだ。


「めちゃくちゃ危ない感じだったぜ。エルロンも、エレベーターも、ラダーも、ひっきりなしに大きく動いてた。それでようやく飛んでいる風だった」


 なるほど。彼女の飛行機は、彼女の意思を汲んでくれないようである。それは中々にキツい症状だ。


「で、とても優しい俺は、この娘に声をかけたわけだ。俺は飛行機工なんだが、よければ修理してやろうか、とな」

「うん。本当に助かった。感謝、感激、雨あられ」


 そう言って少女は、おじいちゃんを拝むポーズを取った。無表情で拝んでいるせいで、なんだかとてもシュールな光景だった。


 拝まれるおじいちゃんを見るのは、私としても気分がよかった。おじいちゃんが自称する通り、彼は本当に心優しい人間なのだ。困った人に手を差し伸べるのは、なにもこれがはじめてではない。


 ただ、その優しさが仇となることもあった。助けた人間が悪意を持っていたせいで、おじいちゃんが思いも寄らぬ損を被ることもままあった。


 だからこそ私は心配になる。今回も損を被るのではあるまいか、と。私はおじいちゃんを手招きした。


「おじいちゃん、おじいちゃん、ちょっといい?」

「なにさ」


 おじいちゃんは首を傾げて、私のヒソヒソ声を訝しんでいた。


「あのさ。もしかして見積もり。もう出した?」

「いんや。まだだ」

「そう。ならよかった」


 私は胸をなで下ろした。肩の力も自然と抜ける。


「おじいちゃん。一応聞いておくけれど。どれくらいの額で修理を引き受けるつもりだったの?」

「んー? そうさなあ。本当に困っているようだったし。なによりもあの娘、若いつーより、幼いと言うべき年齢だし……相場の四割、かつ分割でやってやろうかと……」

「はい。おじいちゃん。ストップ」


 私は、おじいちゃんの顔面に向けて右手を突き出した。反射、と言うべきだろう。私の手のひらを見た瞬間、おじいちゃんは言葉をはくりと噛みつぶした。


「……あのさ。おじいちゃん」

「なにさ」

「……儲けのこと。考えてる?」

「いんや。全然」


 ああ、やっぱり。頭が急に痛くなった。脳みその質量が、うんと増したような気がする。


 まったく、もう! おじいちゃんのお人好しさときたら、呆れてしまう!


「ダメでしょ、おじいちゃん……! 私たちが儲けられないと意味がないよ……!」

「いや、だってターラよう。こいつあ人助けだぜ? 見返りを求めるのは間違っているじゃねえか」

「いーや。間違っているのは、おじいちゃんの認識だね。それにこれは人助けじゃない。ビジネスよ、ビジネス。私たちが儲かってナンボ。オーケイ?」

「いやいやいや。冗談はよせ、ターラ。だって見てみろよ。あの娘をよう」


 おじいちゃんが、あの娘を顎でしゃくった。彼女は、モスグリーンのシートが被さった愛機を見つめていた。


「ほれ、見ろあの横顔。お前と同じくらいの年頃だろ。それなのによう。高い金を払わせるのは、いくらなんでも……」

「あら。私はもう働いているわよ。それに彼女だって働いてる」

「とは言ってもよう……」


 私も、おじいちゃんの気持ちはわかる。彼女は、どう見ても私と同年代だ。大金を持っているとは思えない。そんな人間に小さくない額を払え、と宣告するのは、さぞ嫌な気分になるであろう。


 放浪の飛行機乗りの多くは、きっと無理をして飛行機を手に入れているはずだ。借金まみれになりながらも飛行機に投資し、得た利益のほとんどを返済に充て、残ったわずかなお金で生活している――。彼女の身なりからは、そんな彼らの懐事情が透けて見えた。


 想像すれば想像するほど、彼らの境遇は、今の私たちにそっくりであった。親近感すら覚えるほどだ。


 だが私たちは、人情に負けてはならなかった。私たちだって火の車なのだ。生き残るためには、心を鬼にする必要がある。


 まごまごするおじいちゃんを尻目に、私は彼女に向けて一歩を踏み出した。


「ターラ?」

「私が見積もり交渉する。おじいちゃんじゃダメだ」

「……頼む」


 経営者としての理性が生きていたのだろう。おじいちゃんは、見積もり交渉の全権を私に任せてくれた。


 さて。全権譲渡された以上、私も覚悟を決めなければならない。たとえ銭ゲバと言われようと、取れるものはキッチリ取らないといけない。


 私は心中で腕まくりをしながら、一歩、また一歩と、彼女へと歩み寄った。彼女は、愛機を依然として眺めていた。


「ちょっと、いいかな?」

「なに?」

「ええっと……? まず、あなたのお名前は?」

「クローイ。クローイ・クロウ」

「オーケイ、クローイね。私はターラ。それでね、クローイ。とても言いづらいことなんだけれども……その。修理代金なんだけれども」

「うん」

「はじめに聞いておきたいんだけど。あなた、蓄え。どれくらいある?」

「ないよ。そんなの」

「……やっぱりねえ」


 蓄えがまったくない人間と契約を交わすわけにはいかない。論外だ。これは論外。きっぱり、さっぱり、修理をお断りせねば。


 クローイは小首を傾げ、上目遣いに私を見つめてきた。修理の雲行きが怪しくなったのを敏感に察知したようだ。


 顔がいい女の子にこれをやられると、かなりキツイ。可愛さにやられて翻意したくなる。


 しかも彼女のそれには、計算の気配が見られないのだ。天然の仕草なのだ。養殖物よりも天然物の方が良質であるケースが多い。今回もまた然りであった。心が、揺らぐ。


「ダメかな?」

「ダメよ。私たちだって生活がかかってるの。だからキチンと払うものは払ってもらえないと直せないよ。残念だけどね」


 時間が経つほどに私の罪悪感は増悪してゆく。私もおじいちゃんと同じく、値引きしたい欲求に駆られる。


 私はひたすらに祈った。値引き交渉はやめて、と祈った。お断りの挨拶をしただけでも、私の心は張り裂けそうになったのだ。今の心境で交渉をしてしまえば、私も情に負けてしまいそうだった。


「そっか。ダメか」

「うん。ダメ」

「どうしても?」

「どうしても」

「じゃあ、仕方ないね。お金を作らないと」

「お金を作るって……どうやって?」


 私の祈りが通じたのかはわからない。幸いにもクローイは、価格交渉を行わなかった。その代わりとばかりに、彼女は気になる台詞を吐き出した。


 彼女はお金を作ると言った。しかし、どうやって? 彼女の商売道具である飛行機は、とても調子が悪いのに? 墜落のリスクが無視できない体たらくなのに? ちっともわからなかった。


 私は振り返っておじいちゃんを見た。彼も、彼女が言うところのお金の作り方が、わからないらしい。二度三度、ふるふるとかぶりを振っていた。


 おじいちゃんも彼女の意図が読めないとなると――、これは放言の類いだろうか? もしそうならば、誠実さに欠ける行いだ。遠慮なく彼女を追い返せるから、それはそれでありがたいけれど。さて?


「でも安心して欲しい」


 少女が短く切り出した。


「明日までにはお金を作ってみせる」

「明日までって……どうやって?」


 私がそう聞くと、彼女はくるりとターン。そののちにクローイは、トレーラーのキャビンに手を伸ばす。こまめにワックス掛けしているのだろう。彼女は、漆器さながらのつやつやとした黒いボディを、二度、三度と撫でて――。


「こいつを売る」


 彼女は短くそう言い放った。あまりにもあっさりと言うものだから、私ははじめ、彼女がなにを言っているのかをつかみ損ねてしまった。


「……はい?」


 あなた、今、なにを言ったの? 私の音とも声とも取れない台詞には、そのような意味が込められていた。幸い、私の意図は彼女に通じたようだ。


「だから。トレーラーを。売る」


 短く、それでいてハッキリとした口振りで、彼女は言い直した。


 その言い直しを受けて、私は肝を潰してしまった。トレーラーを売る? 本当に? だって、放浪の飛行機乗りは一種の遊牧民族だ。彼らにとってトレーラーは、馬でもあり家でもあるのだ。


「つまり、あなたは。旅を。やめると?」

「うん。しばらくの間はね。飛行機のためなら、仕方がない」

「……家を売ってしまおう、と?」

「仕方がないよね」


 少女の声にためらいはなかった。


 飛行機を直すためには、ルンペンになっても構わない。クローイの強い覚悟を前にした私は、ただただ圧倒されるしかなかった。

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