天運! 問題児エンジン、ソーラーパワーでホッカホカになる!
レース開催まであと数日。しかし飛行機は、いまだにテスト飛行すらできていない。問題のエンジンが、依然として沈黙しているせいだ。クランクハンドルをいくら回そうとも、空気を読む気がないエンジンは、ウンともスンとも言わなかった。
ただし、暗い話題だけではない。機体そのもののメンテナンスは完了した。エンジンを搭載すれば、飛行機は今すぐにでも飛び立てるはずだ。
ここ最近の私は、開き直っていた。あの博物館でのアドバイスが大きい。今はなにもやってもダメなのだから、焦っても仕方がないだろう、と思うようにしたのだ。
この居直りムードは、私に限った話ではない。工房全体がこうなのだ。
レースまであと幾日もないのに、私たちは大ハンガーを掃除していた。私たちは、お父さんの飛行機を、そして動かないままでいるエンジンをハンガーの外に出し、小さなゴミを掃き集めた。
この奇妙なタイミングでの大掃除は、おじいちゃんの思いつきであった。おじいちゃんは、こういった突拍子もないアイディアを他人にぶつける悪癖があった。
こういったとき、工員たちは呆れて相手をしない。けれど今回は様子が違った。やるべき仕事がなくなって、最近の工員たちは暇なのだ。彼らは、暇つぶしとばかりに、大ハンガーをきれいにし始めたのだ。
工員たちは手先が器用だ。その器用さを遠慮なしに活用したものだから、ハンガーはあっという間にピカピカになった。今、私たちは後片付けをしているところだった。
私はというと、手持ち無沙汰だった。私は掃除が得意な人間ではないのだ。とてもではないけれど戦力になれなかった。だから私は、ハンガーの外にあるベンチに横たわり、ぼんやりと空を眺めていた。
本日は晴天だった。陽光を遮るものはなにもない。ピクニックでもしたい気分だ。夏に向かいつつあるからだろう。太陽光線は強力だった。なにもせずとも汗ばむくらいには。
太陽に炙られている私を尻目に、片付けは進んでゆく。工員たちの手際はとても良かった。棚だとか、製図板だとかの移動しやすい什器は、すでに大ハンガーに収められていた。外に残っているのは、旋盤だとか、グラインダーだとかの大物のみ。大物のなかにはエンジンと、飛行機が含まれていた。
大物たちも、工員たちの手を患わせるだけの手強さは持っていなかった。旋盤、グラインダーは彼らの手によって運ばれた。残るは超大物二つだけ。
私は、ベンチに掛け直したのちに、工員たちの作業を見守った。工員たちは、キャンプファイヤーを囲むかのような朗らかさを見せながら、エンジンの周りに集まった。次はエンジンを戻すらしい。
「さあて、ボスを片付けるとするか。しかし、さすがにこれは……手で運べねえよなあ」
「そりゃそうだ。人の手で動かしたけりゃ、街中の暇人を集めなきゃならねえよ。荷台に載せて運ばねえと。そのためには……おい。クレーンだクレーン! こっちに来てくれ!」
体格のいい工員が、ハンガーに向かって大声を張り上げた。今、雇っている人たちのなかで、クレーンをオペレートできるのはたった一人だけだ。大声は、貴重な一人を呼びだすものであった。
オペレーターは即応した。彼はハンガーから飛び出した。クレーンの資格を持つ彼は、工員たちの中では一番の年下なのだ。現場職は、とにかく年功序列の気風が強い。まごまごしてたらスパナがすっ飛んでくるものだから、若い彼は、駆け足でエンジンまで向かわなければならなかった。
「はい! お呼びでしょうか!」
「おう。今からよ、このエンジンを荷台に積むから、クレーンで……って、うわっ!」
クレーンの彼を呼んだ工員の身体が、文字通り跳ねた。彼はエンジンをぽんと触ったのだけれども、どうにも触り方がまずかったらしい。苦痛の皺を顔に刻んでいた。
もしかしたら彼は、怪我をしたのでは? 緊張感が、エンジンを中心にした車座に、ひやりと走った。
私とエンジンとの距離は、ホームベースとマウンドくらいはあった。そこまで離れているのにも関わらず、私の耳は、誰かが生唾を呑み込む音を捉えていた。
「だ、大丈夫ですか!? なにがあったのでしょうか!?」
クレーンの工員があたふたしながら、にわかにしゃがみ込んだ先輩に寄り添った。
「も、問題ねえ。エンジンが思ったより熱かっただけだ。ああ、よかった。赤くなってねえ。火傷しないですみそうだ」
「びっくりしましたよ……もう」
クレーンの彼は、安堵のため息をほっと吐き出した。
「しかし熱かったって……もしかして、エンジン。ようやく動いたんですか?」
「馬鹿やろー。動いてたらもっと忙しいわ。熱源はあれだよ、あれ」
しゃがみ込んだ工員はゆったりと立ち上がり、スロウな手つきで天空を指した。オペレーター、そして遠巻きに見守る私は、ほとんど同時に上空を見上げた。カンカン照りの太陽が、空にぶら下がっていた。
「直射日光にやられたんだ。おかげでエンジンは、バーベキューの鉄板よ」
「はあ。そう言えば今日、結構暑いですもんね。ってか、大丈夫ですかね?」
「なにがだよ」
「高温下なのにエンジンをほったらかしにして」
「アホ」
火傷をしかけた先輩工員が、クレーンオペレーターの頭をこつんと小突いた。
「稼働中のエンジンはもっと熱くなるんだ。触った瞬間に大やけどするくらいにな。直射日光でジリジリやられたくらいじゃあ、壊れはせん。むしろ、調子がよくなるくらいだ」
わかったら、さっさとクレーンの準備をしておけ――。そう指示されたオペレーターは、これまた急ぎ足でエンジンから立ち去った。
(……むしろ、エンジンの調子が良くなる温度?)
大柄な工員の発言に、私は雷に打たれたような衝撃を憶えた。エンジン始動の条件が、ちらりと見えた気がした。
私は博物館の一件を思い出した。クランクハンドル、ポンプ、循環させた熱湯、そしてエンジン始動――。様々な可能性が、私の頭の中で遊園地のメリーゴーランドのようにぐるぐる回る。
私は、若い(といっても、私より年上だが)彼を見送ったあと、やおら立ち上がり、かの車座へと歩み寄る。
「あの。ちょっと、いい?」
私が声をかけるまで、残った彼らは私に気がつかなかったようだ。
「おや。ターラちゃん。どうかしましたかね」
彼らは、いつの間にここに、と言いたげな喫驚を顔に貼り付けていた。
平静な私であったのならば、彼らを驚かせてしまったことに、罪悪感を抱くだろう。だが、今は罪悪感をこれっぽっちも抱かなかった。今の私は一種の興奮状態にある。
「あの! エンジンをハンガーの中にしまうの、もうちょっと待ってくれない!?」
私は鼻息荒く主張した。ずいと一歩を刻み、上目遣いで彼らを見る。
「えっと……と、言いますと?」
この場のまとめ役は、火傷をしかけた、あの工員らしい。彼は、一団の代表として、ご用事はなあに、と私に問うた。
「これから! エンジンの始動実験を行いたいんです!」
「は?」
彼らは、私を訝しげに眺めた。彼らの瞳は暗に語っていた。この娘は、一体全体、なにを言っているのだろう。このタイミングで始動実験をする意味はあるのだろうか? と。
もちろんこの場を俯瞰してみれば、彼らの方が正しい。興奮した頭でもそれはわかる。だがそうだとしても、私は、理性的な意見を採用する気にはなれなかった。
(館長さんが言ったじゃないか! トライアンドエラーが大切だって!)
私たちは、かなり追い込まれているのだ。レース開催まであと数日しかないのだ。頭でっかちになったせいで、可能性を取りこぼすのは嫌だった。
だから、だから――! 理性を取っ払おう! 感情をぶっ放そう!
「必要な機器を集めて! おじいちゃんを呼んできて!」
「し、しかし……」
「いいから! 急いで! はやくしないとエンジンが冷えてしまう! はやく!」
「り、了解!」
私の声は風のように吹き抜けた。工員たちは私の声に押され、タンポポの綿毛さながらに散り散りとなって敷地内を走り回った。




