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拉致! 放浪の飛行機乗り、エンジニアを連れ去った挙げ句、強行着陸を決行す!

 私は閉所恐怖症ではない。狭いところは、むしろ好きであった。子供の頃の話だ。叱られたとき、機嫌が悪いとき、私は決まって納屋に閉じこもったものだ。


 私は、納屋の狭さが好きだった。狭い場所に身を置いていると、世界に存在する人間が、自分一人になったような錯覚に陥るのが、好きだった。さみしさで胸がきゅうと締め付けられるあの寂寥感は、なんとも言えない心地よさを私に与えてくれた。


 その心地よさは、たった今も抱いていた。今の私が、金属製のカプセルに押し込まれているからである。


 ガタガタとしたエンジンの鼓動が、クッションを欠いたシートから伝わってくる。私は首を右に回して、風防ガラスの外をのぞき込む。青空が私の網膜を焼いた。肩と同じくらいの高さに、フワフワとした綿雲が浮いていた。


 エンジンの振動と、一面の青色。私は、飛行機の後座席に乗って空を飛んでいた。飛行機を操っているのは、いわずもがなクローイであった。


「ターラ。聞こえる?」


 クローイのくぐもった声が、アルミの壁から突き出ている伝声管から聞こえた。


 私はアサガオ型の伝声管に手を伸ばす。ベージュ色の手袋に包まれた私の手が、伝声管を掴み、私の口元まで引っ張り上げた。


「聞こえるよ」


 伝声管に接続された黒いチューブが、私の声を前座席へと伝えた。


「ターラ、寒くない?」

「寒い」


 私は即答した。なにせ私の格好は軽装だ。手袋以外は作業着そのままであった。とてもではないが、低温環境に適した形姿、とは言い難かった。


「それにしても不思議だね」

「なにが?」


 私の独り言めいた発言に、クローイは敏感に反応した。


「空は地上よりも太陽に近いじゃない。でも、どういうわけか高度が上がるにつれて、気温はどんどん低くなってゆく。これがなんとも不思議だなあ、と」

「たしかに。言えてる」


 クローイが鼻で笑った。なんだか楽しそうだった。


「もうすぐ着陸する。一応ベルト等々のチェックをお願い」

「わかった。でも」

「でも?」

「一体全体、どこに着くの?」


 クローイは目的地を私に伝えてくれなかった。彼女は、私を大ハンガーから連れ出すや否や、有無を言わさず私を飛行機に押し込んだのだ。


 私を後座席に放り込んだクローイは、さらに驚くべき行動に出た。なんと彼女は、工房前の道路を使って離陸したのである。


 対向車が来るのではないか。道路のちょっとした凹凸にタイヤを取られ、道路沿いの屋舎に突っ込んでしまうのではないか。燃料は十分なのか。いや、そもそも道路を無許可で使用するのは、法律に触れるのではないか。


 パニックになった私は、飛行機の目的地がどこであるのかを、聞きそびれてしまったのだ。


 クローイはしばらくの間、私の質問に答えてくれなかった。プロペラと機体そのものが空気を切る、ひゅうひゅうとした音だけが、私の鼓膜を震わせた。


 ゴムチューブの張力が減衰したのか。それとも私の声が、エンジン音と風切り音に負けたから、クローイに伝わらなかったのか。


 もう一度問うてみようかな、と思った頃合い、手にした伝声管が微妙な振動を伝えた。


「目的地はね。レース場だよ」

「ううん? レース場?」

「そう」


 伝声管から聞こえたのは、なにを当たり前のことを聞き返しているのか、と言いたげな声だった。対する私は、いまだ要領を得ていない。


 レース場。レース場だって?

 はて、それは妙だ。


 私は、身体をほんの少しだけ乗り出し、風防ガラスの下をのぞき込んだ。青々としたトウモロコシ畑が、私たちの目下に広がっていた。風が吹くたびに、地面を覆い尽くすトウモロコシが、さわさわと波打つ。凪の海のようにきれいな景観だ。しかしそれは、私の知らない光景でもあった。


「飛ぶルート間違ってるよ。そもそもエアレースをやる飛行場は、飛行機で行くには近すぎる」

「ん? ああ、ごめん。レース場、って言い方が悪かったね」


 この飛行機に備え付けられた伝声管は、思いのほか声を拾うらしい。反省、反省、というクローイの独り言も、私の耳に入った。


「これから目指す場所はね。スピードウェイだよ、スピードウェイ。異国風に呼ぶならば、サーキットってやつ」

「ああ、なるほど。自動車の。レースは空だけじゃないしね」


 なるほど。これで行き先が判明した。ただ、その事実によって謎が解明されたかと言われれば、答えはノーだ。むしろ謎は増えた。なぜクローイは、スピードウェイに私を連れて行こうとしているのか。それが謎であった。曰く、気晴らしらしいが――


「見えてきた。あそこ。あそこのスピードウェイに行こうってわけ」


 クローイがほら、前を見て、と促した。私の座っている後部座席は、生憎と前方の視界が著しく悪かった。私は、ベルトを外して腰を浮かした。こうでもしないと、進行方向が見えないのである。


 私は背筋をピンと伸ばした。そこまでの苦労をして、ようやく目的の構造体を確認できた。遠目から見るとそれは、巨大ダムみたいなコンクリートの塊であった。


「あ、オーバルコースなんだ」

「そう」


 目的地の形は、陸上競技場か競馬場によく似ていた。舗装路は楕円形に結ばれていて、とても立派なスタンドが、舗装路をぐるりと囲むように根を下ろしていた。これは、オーバルコース特有の造り方であった。


「あそこのコースでもね。実は近くレースがあるの。五百マイルを半日かけて周回するというレースがね」

「五百マイルを? オーバルで?」

「すごいよね」


 私は感嘆するほかになかった。オーバルコースはとにかくスピードが出る。コーナーが四つしかないからだ。しかもそのコーナーにしたって、減速せずとも曲がれる工夫がなされている。バンクがコーナーについているのだ。必然、平均速度はべらぼうに高い。


 そんな超高速コースで、五百マイルも走るというのだ。どれだけの集中力と根気が要るのだろうか。私には見当もつかなかった。


「ターラ。ベルト締めて。これから着陸するから」

「あ、うん。待って」


 彼女は私がベルトを外したのを知っていた。おそらく彼女は、私がバックルを外した音を聞いていたのだろう。やはり伝声管の造りは良いようだ。


 私は急いでシートに座り直し、居住まいを整えたあと、ベルトに手をかけた。


「あれ?」


 私が、バックルに金具をはめ込んだその時であった。私の脳裏に、疑問がふと浮かび上がった。



「ねえ。スピードウェイの近くにさ。飛行場あった?」


 眼下にあるものといえば、トウモロコシ畑だけだ。他は巨大なスピードウェイと、それに接続する片側一車線の道路だけ。離着陸できそうな施設は、どこにも見当たらなかった。


「ううん。ないよ。最寄りの飛行場は十五マイルくらい先かな」

「え。じゃあ、どうするの? トウモロコシをバサバサなぎ倒しながら着陸するの?」


 その場合、トウモロコシの組織片がプロペラに絡みついてしまうだろう。飛行機は、それらを除去するまで、飛び立てなくなる。多分、私一人では一日できれいにできないはずだ。


「それは勘弁して欲しいな」


 私は口を尖らせて抗議した。ただでさえ時間がないのに、外泊なんてご免であった。


「さすがに不時着はしないよ。農家さんに怒られちゃう」

「それを聞いて安心したよ。でも……じゃあ、どうやって着陸するの?」

「飛行場じゃなくても離着陸できる」

「はい?」


 クローイがとんでもない台詞を、こともなげに言い放った。


「要は平らで、それなりの直線があればいいんだよ。そしてその条件を満たす施設は、私たちの目の前にあるじゃない。とても立派なやつが」

「……まさか」


 私は血の気が引いた。もしやクローイは、スピードウェイのストレートに着陸しようとしているのではあるまいか。


 いやいや。それはないはずだ。遠目で見た限り、あのコースの舗装はレンガ敷きであった。どんなに丁寧な仕事をしても、レンガ舗装ってやつは凹凸が生じるものだ。


 飛行機の離着陸は神経を使うのだ。滑走路にちょっとした凹凸があるだけで、大事故を引き起こすこともある。レンガ舗装に着陸するなんて正気ではない。


「そのまさかだよ」


 まことに遺憾ながら、クローイは正気を失っていたらしい。


「無理無理! 無理だって! ほら! この降下率だと! スタンドに当たる! 墜落する!」

「安心して。このラインなら当たらないよ。スタンド最上段とランディングギアとの距離が、五インチも離れるから。ほら、安全でしょ?」

「五インチのマージンは安全と言わない! 着陸中止! 着陸中止!」

ネガティブ(いやだね)


 彼女は私の訴えを無視しやがった。機首が下がる。


「た、助けて――!」


 その後しばらくの間、私の絶叫が機内に響き渡ったのは、今更言及する必要はないだろう。

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