危機! 動かぬエンジン!
稼働実験の結果は、エンジニアとしての私が喜ぶものであった。リビルドしたエンジンは、ピクリとも動かなかったのだ。
実験の場は、旧ハンガーであった。実験の主役であるエンジンは、ハンガーのど真ん中に位置していた。エンジンは、骨太なパイプで組まれた台座に搭載されており、さながら祭壇のようだ。
私たちは、機械仕掛けの祭壇を取り囲んでいた。みな一様に頭を抱えている。今の私たちは、きっと信仰対象に祈りを捧げる姿にも見えるはずだ。
しかし私たちが頭を抱えている理由は、祈りのためではない。祈りが通じなかったから、頭を抱えているのだ。私たちの祈りとは、言うまでもなくエンジンの復活であった。
「……なあ。これ。どうしよっか」
おじいちゃんの声が、ホコリとオイルとガソリンがブレンドされた空気を震わせた。その声に力はなかった。
おじいちゃんが放心しても仕方がない。工程表では、今日中にエンジンの蘇生に成功し、そのままマウントする予定であったのだ。
エンジンが機体に搭載されていなくても、明日以降の作業には影響しない。だがエンジンが、死んだままという事実が厄介だ。この事実は、工員たちのやる気を確実に殺ぐはずだ。
ただでさえギリギリなのに、作業員たちのモチベーションが下がってしまったら、間に合うものでも間に合わなくなるだろう。
「……どうするもこうするもありませんよ。分解するしかありません。エンジンが動かない原因を探すしかありません」
ベテランさんが声を震わせながら答えた。顔から血の気も失せている。彼もまた、エンジン不始動の現実に打ちひしがれていた。
「とは言うがよう。こいつはリビルドしたんだぜ? ターラがパーツの一つ一つをチェックしたんだぜ? 不具合が見つかる気がしねえよ」
「それはそうですが……」
ベテランさんが口をモゴモゴとさせた。彼にはエンジンの再々分解以外の解決策が出せないようだ。
「別にこのエンジンに拘泥しなくてもいいんじゃない?」
旧ハンガーに響いた新たな声は、それまでの二つと比べると声にハリがあった。クローイの声だ。こと飛行機造りにおいてはズブの素人である彼女は、事態の深刻さを理解していないようであった。
「エンジンを換装すればいいんじゃない? 私の飛行機のエンジンを使ってもいいよ」
「ありがたい申し出だけど……それができないの」
私は俯きながら答えた。自分の声ながら、あまりにも陰気な声だな、と私は思った。
「どうして?」
クローイが両眉尻を下げながら聞き返した。首も傾げる。彼女は、換装に手を出さない理由を理解できないらしい。
「クローイ。お父さんの飛行機を思い出して。あの機体、推進式でしょ?」
「うん」
「そこが問題なの。現代の飛行機用エンジンは空冷が主流なんだけど……あの飛行機は、水冷式のエンジンじゃないとマトモに飛ばないんだ」
「? ええっと? つまり?」
「あの機体に搭載できるエンジンは、ものすごくレアってこと」
「私の飛行機のエンジンでもダメ?」
「あれは空冷式だからダメ。オーバーヒートする。それに以前に、あなたの飛行機のは星形エンジンだから無理」
「……このエンジンは」
「見ての通りV型よ。エンジン形状がそもそも違う」
シリンダーを輪状に並べる星形エンジンに対し、V型エンジンは文字通りVの字状に並べる。従ってその両者は、似ても似つかぬ姿になってしまうのだ。
形状が根本的に違うが故に、クローイが持っているエンジンは、お父さんの飛行機に使えない。
「じゃあ、新しく見つければいいんじゃない? 水冷方式を採用したV型を」
「……それができないからこうして頭を悩ませてるの」
私は片眉を上げた。
「このエンジン、本当にラディカルすぎるのよ。見たことがないくらいにコンパクト。他のエンジンを無理くり搭載しようとすれば、飛行機の設計を見直す必要があるでしょうね」
「エンジンメーカーに問い合わせればいいんじゃない? もしかしたら同じ型のエンジンがあるかもよ?」
「私たちにそんなお金があるとお思いですかねえ」
「……ごめんなさい」
クローイはしょんぼりとしてしまった。
「もっとも。そんな金があっても、新しいエンジンにありつけねえと思うがな」
おじいちゃんが口を挟んだ。時間をおいたおかげだろうか。声の圧が少しばかり戻っていた。
「このエンジンを造ったメーカーは倒産しちまってなあ。問い合わせようにも問い合わせられねえんだ。だからこそ俺らがオーバーホールするハメになったんだ」
「……つまり現状は?」
おじいちゃんはうーんと呻くだけだった。仕方がなく、私が代弁することにした。
「どうにかしてこのエンジンを直さないと。レースに出られない」
「……それはマズいね」
事態の深刻さを認識したクローイは、本格的にしゅんとしてしまった。そのしなび方ときたら、夕暮れ時のネムノキに匹敵していた。
「このエンジンはおかしいですよ。いくらほったらかしにしていたとはいえ、たった三年でウンともスンとも言わなくなるのは妙です。なにかしらの欠陥があるとしか思えません」
ベテランさんの主張はもっともであった。私は何度も頷いた。
おじいちゃんが見せた反応は、私と好対照を成していた。彼は何度もかぶりを振った。
「いや、それはない。三年前はちゃんと飛んでいたからな。もし欠陥があったら倅が気がついていたハズだ。あいつぁ俺よりも優秀なエンジニアだ」
「じゃあ、たった三年でガタが来た、って言うんですか?」
ベテランさんが上目遣いでそう聞いた。
「……ターラ?」
おじいちゃんが私に視線を寄越した。その目はエンジンの状態はどうだったのか? と問うていた。
「新品同然だったよ。問題はちっとも認められなかった」
「むう」
本当にお手上げであった。エンジンが動かない理由が、まったくもってわからない。理由がわからないから、修理しようにもできない。まさに八方塞がりであった。
「……エンジンの始動方が。独特だったとか? 普通のやり方じゃ始動できないとか?」
クローイが控えめな声で意見した。問題はエンジンにあるのではなくて、動かし方にあるのではないか――。彼女はいわば発想の転換を提案したのだ。
その提案は一考する価値があるように思えた。
冷却方式を見てわかるとおり、このエンジンは独特な造りをしているのだ。エンジンの火の入れ方も、これまた変わった方法を採っている可能性は否めない。
「おじいちゃん? どうだったの? あの飛行機が飛んでたとき、どんな動かし方をしてたか。それを憶えてる?」
私、ベテランさん、そしてクローイ。三者の視線が、俯きながら腕組みをしているおじいちゃんに注がれた。
私たちの視線は、質量を伴っていたのかもしれない。おじいちゃんの肩が、まるでおもりでも吊されたかのようにがっくりと落ち始めた。
「それがよ。知らねえんだ」
おじいちゃんが申し訳なさそうにボソボソと答えた。
「知らない? どうして?」
「俺はあの飛行機に一切関わってねえんだ。と、いうか触らせてもらえなかった。アレは文字通り、お前の父さんがたった一人で拵えた飛行機なんだ」
「……設計図はどうなんです? 特殊な方法を要するのならば、欄外に記されていてもおかしくはないでしょう?」
ベテランさんが静かな声で問うた。おじいちゃんは口元を斜めにした。
「俺が知っているのは簡単なスペックだけだ。細かい仕様諸元は一切不明。倅の遺品を漁っても、エンジンの仕様書は見当たらなかった」
「……もしかしたら。エンジンは個人制作かもしれませんね。メーカーはあくまで制作者に出資しただけで、一切関わっていないという」
「そんなことがあの?」
私は首を傾げてベテランさんに聞いた。彼は短くああ、と答えた。
「新しい技術者と得意先が開拓できるから、体力のない中小メーカーがちょくちょくやる」
「……もし、そうならば」
私は唇に指を当てて考える。
「制作者の連絡先が記された書類があるかもね。お父さんの遺品の中にさ」
「……うーん。そんなのなかったような気がするが……だが、藁にもすがる思いだ。探してみよう。なにかしらのメモ書きが発掘できるかもしれん」
「うん。おじいちゃん、お願い」
「期待はすんなよ? 出てこねえ線が濃厚なんだからよ」
可能性としては限りなく低いだろうけれども、大当たりを引いたら一発逆転だ。私たちは、やれることをやってみることにした。
「ですが、それだけにすべてを賭けるのも危険でしょう。もう一度、エンジンを解体しましょう。見逃したなにかが見つかるかも」
いいね、ターラちゃん? ベテランさんが目で語りかけた。
私はこくりと頷いた。彼の言う通り、私が不具合を見逃した可能性はゼロではないのだ。
「よし。とりあえずやることは決まったな。悪いがターラは、もう一度エンジンを解体してくれ。俺は遺品を探ってみる」
ぱん、と乾いた音が旧ハンガーに響き渡った。おじいちゃんが手を叩いた音であった。
「工員たちはどうしましょう?」
ベテランが静かに手を上げてそう言った。
「マウント以外は工程表どおりだ。そのまま仕事を進めてくれ」
「わかりました。エンジンの件は工員に伝えますか? 隠しますか?」
「あー……」
「もしかしたら士気に関わるかもしれません。都合が悪い情報をシャットアウトするのも、一つの手です」
「うん、うん」
おじいちゃんは右手の手のひらを監督役に見せた。ちょっとタンマ、のボディランゲージであった。
「隠したところで無意味だな。マウントしねえ時点でバレちまう。それだったら端っから伝えた方がいい。それに、だ」
「それに?」
「隠し事してちゃ、工員たちは俺らを信用してくれねえだろう。不信感を抱かれるのはマズい」
「なるほど。では、伝えておきます」
頭を悩ませる事態は何一つとて解決していない。しかし私たちに立ち止まる余裕はない。
私たちは、とりあえず問題を先送りにして、作業を進めるほかなかった。




