怪異! キッドナップジジイ現る!
おじいちゃんが犯罪者になってしまった。
それが明らかになったのは、私と祖父が住まう工房の西側に、夕日が沈む頃の話であった。
祖父が犯した罪は誘拐だ。彼の傍らには、女の子がぼんやりとした様子で立っていた。
彼女の年頃は、一五、六、といった具合だろうか。私と同じくらいだ。青春まっただ中なお年頃である。短い黒髪と、サイズがあっていない男物ジャケットとパンツが印象的であった。
祖父はあろうことか、お年頃な女の子をかっ攫ってしまったのだ。希望に満ち満ちた彼女の人生をぶち壊してしまった。個人的には極刑に処して欲しいところだ。
ああ、畜生。まったくもって畜生だ。身内からこんな重罪人を出してしまうとは。
私は、事務所の片隅にある応接椅子に腰掛けた。体の力がみるみる抜けていく。とうとう私は、上体を起こすことすら難儀となった。ガラステーブルに両肘を預けてしまった。
「……あの。おじいちゃん?」
「なにさ」
「その娘は。だあれ?」
私は誰何をしつつも、深呼吸をして自らを落ちつかせた。心が落ちついた頃合い、私は気力を振り絞り、えいやと上体を起こした。
身体を起こすと、真っ白なヒゲを生やした祖父と、ぼんやりとしたままの女の子が目に入った。山賊と人質といった風体だ。この二人の組み合わせは、犯罪のにおいしかしない。
たしかに、私たちが営む飛行機工房の財務状態は最悪だ。決算をする度に書類上には赤文字が躍り、先月なんて正規雇用工がとうとうゼロ人になってしまった。
借金だって嵩む一方だ。つい先ほどだって、支払いの催促をしに来た債権者に対して、私は頭を下げ続けていた。首が回らない、という言い回しそのものな状況であった。
お金。お金。お金。私たちはお金を欲している。にも拘わらず、飛行機制作の依頼がちっとも入ってこない。必然、お金も入ってこない。借金を返せない。
生活に窮した人間が、二進も三進もいかなくて犯罪に手を染めてしまう、なんてのは良く聞く話だ。そして私たちは、とても危ない状況に追い込まれている。
多額の身代金をせしめれば、この借金地獄から解放される。それは認めざるを得ない事実であった。だから祖父は――。
いや。悪い想像は切り上げよう。私を育ててくれたおじいちゃんを信じるんだ。身代金で大金を手に入れ、借金を返そうだなんて考えを、おじいちゃんは抱いていないはずだ。
「喜べ! ターラ!」
おじいちゃんが元気な声で私を呼んだ。彼はにんまりと笑んでいた。日に焼けた顔に、とても爽やかな皺が刻まれる。
爽やかなこの笑み、そしてハキハキとしたこの声。これらは、犯罪者が作り上げられるものではない。犯罪者ってやつは、自分の犯罪がいつバレるか、あるいはいずれ来る逮捕の時を怯える生き物であるからだ。
どんなに努力したところで、犯罪者は今のおじいちゃんのように、胸を張って他人と話せない。そのはずなんだ。従って、おじいちゃんは誘拐犯じゃない。そのはずなんだ。私は必死になっておじいちゃんを信じようとした。
おじいちゃんはガハハ、と、大げさに笑い飛ばしたのちに――。
「この娘はな! 金の種だ! 金を生んでくれる金の雌鶏だ! 借金を返せるかもだぞ!」
女の子の肩をポンポンと叩きながら、祖父はこう抜かしやがった。彼女は金になる、と。
祖父の仕草を見て、私はハンマーで頭を打っ叩かれたようなショックを覚えた。
金の種だの、金の雌鶏だの、借金を返せるだの――。ああ、なんてことだ。これらの言動は、誘拐犯説を補強するものではないか。
「ファック! ファーック! なんてこった!」
天国のおばあちゃん、お父さん、お母さん、ごめんなさい。私はエフワードを解禁しました。怒りの勢いそのままに、私はガラステーブルに両手を突いて立ち上がった。
テーブルの脚が、チェッカー柄の床をがたんと叩く。私が、大きな音を立てるとは思わなかったのだろう。祖父は、そのガッチリとした両肩をビクリと震わせた。
次いで私は、目をまん丸にした祖父にツカツカと歩み寄って――。そして右手、左手。この順番で祖父の両肩を引っつかんだ。
「おじいちゃん! 自首しよう! 自首!」
「は?」
「バレてからじゃ遅い! 出頭になっちゃう! 出頭だと減刑されない場合がある!」
口角泡を飛ばすとはまさにこのこと。私は最大ボリュームでネゴシエーションを開始した。
「自首? ターラ、お前なにを言っておるんだ?」
けれども私の説得は、おじいちゃんの心に響かなかったみたいだ。彼は骨太な首をはてな、と右に傾げた。このままトボケ通すらしい。
その往生際の悪さに、私はますます怒りを覚えた。
なぜかここに居る見知らぬ女の子、金になるという発言、そして借金に苦しむ我が家――。
もはや言い逃れができない状況なのだ。なのに、きょとんとした面持ちを拵えるなんて。この男はなんと邪悪なのだろうか!
知らず知らずのうちに、私の両手に力が加わる。私の両手は、プレス加工機みたいなじっくりとした圧力を、祖父の両肩に与え続けていた。
「タ、ターラ? その? 本当に、なにやっておるんだ? 痛いんだけど」
「身体的な痛みがどうだっていうんだ! 彼女を見てみなさい! 彼女を!」
私は右手で黒髪の娘を指した。
「さっきからひと言も喋ってないし、心ここにあらず、って感じじゃん! ショックで茫然自失じゃない!」
「茫然自失って……いや、この娘。出会ったときからこんな感じで、ふわふわなローテンション……」
「シャラップ! お黙りなさい! この誘拐魔!」
「ゆ、誘拐ぃ?」
祖父が片眉を上げてそう言った。私が、なにか頓珍漢なことを言っているかのような表情だ。
私はますますむかっ腹が立った。このクソジジィときたら、まだ罪を誤魔化せると信じているらしい。私は、ここが仕事場でないことを心底呪った。仕事場であったのならば、スパナなりレンチなりでこのジジィを成敗できたというのに。
「……なあ、ターラ。お前さん勘違いしておるぞ?」
「なにを! 女の子を連れ込んで、この娘は金の種だの、金を生む雌鶏だの、と言えば! 誰がどう考えたって誘拐じゃない!」
「あのな、ターラ」
今度は祖父が私の両肩に手を置いた。
「ターラ、冷静になれ。頭を冷やしてよく考えるんだ。俺たち飛行機工の下に金の種が来た、ってことはだ。そりゃお客を連れてきた、ってことじゃあないか?」
「そりゃそうだけど……」
私は目線を右方へとやった。ぼんやりとした様子な彼女を、私はじっくりと観察した。
やはり年の頃は私と同じだろう。ハリのある肌と、ダボダボの着衣の間から見える手足の細さが、なによりの証拠だ。私との年齢のギャップは、プラスマイナス二歳ってところだろう。
彼女の肌は、舶来の磁器よろしくに白くて素敵だ。短い髪の毛には癖も傷みもない。借金のストレスのせいで、髪がゴワゴワしてきた最近の私からすれば、うらやましいくらいだ。背も私より頭ひとつ分は低い。彼女は全体的に可憐なフォルムをしていた。
それなのに、である。彼女は、こんなにもお人形みたいに整った容姿をしているのに、である。私は可愛いとは思えなかった。それどころか私は、彼女に対して一種の不気味さすら抱いていた。
不気味さの元凶。それはあの赤い唇にあった。あの赤さこそが不気味さの原因であった。
あの赤は血肉が由来の赤だ。真っ白なシーツに付着した血液の染み。彼女の白い肌と赤い唇のコントラストは、どうしてもそれを想起させた。
不気味さはさておき、である。よれよれな衣服を着込んでいる点を鑑みると、彼女がお金を持っているようには見えなかった。そして、なによりも――。
「飛行機を持っているようには見えないし、欲しているようにも見えないけれど?」
とてもではないけれど、彼女が、私たちに仕事を与えてくれる存在には見えなかった。こんなお人形さんみたいな女の子が、飛行機のオーナーであるはずがない。私はそう判断した。
「ターラよう。人は見た目で判断しちゃいけねえぜ」
おじいちゃんが唇を歪めた。
「じゃあ、なに? この娘、とんでもなくお金を持った家のご令嬢ってわけ?」
たしかにその可能性はゼロではない。ただし、ゼロに限りなく近しい数字であろう。
彼女が本当にご令嬢だとしよう。なんらかの理由で飛行機を欲していると仮定しよう。その場合、工房にやってくるのは、彼女の両親だ。本人がここにやってくるはずがない。
でも、彼女はたった一人でここに居る。なぜだろうか。私は、はてな、と首を傾げた。
私の仕草は端から見ていると、とても滑稽なのだろう。私をつぶさに見つめていたおじいちゃんが、例によって豪快に笑い飛ばした。
「いんや。ご令嬢ってわけでもない」
「はい? ってことは」
私はしぱしぱと目を瞬かせる。令嬢でないとなると、残る可能性は一つだ。即ち、このお人形さんが飛行機のパイロットである、ということ。
私は二度、三度と、女の子のつま先から頭頂まで見回して、見回して。
「まっさかあ」
私は笑声交じりにそう言った。ハハッ。ナイスジョーク。嘲笑であった。
「……私。パイロット」
私の嘲笑を受けて、彼女はむすっとした声を漏らした。見ると彼女の唇は、ほんのりと下向きの弧を描いていた。
見込み客のご機嫌を損ねてしまうなんて、なんという失態だろう。営業職だったらクビが飛びかねないやらかしだ。
「あ。失礼。ごめんなさい。気を悪くしないで。その……あなたがあまりにも可愛らしいから。パイロットだとは信じられなくて」
失敗から学んだ私は、彼女のご機嫌をとるために弁明した。
「でも、うん。おじいちゃんの言うとおりだ。そうだよね。今の時代、飛行機クラブに所属する女の子が居てもおかしくはないよね。うん。本当にごめんなさい」
「違うよ」
「ん?」
「違う」
女の子が眉根を寄せた。
違う。違う? はて?
私は再び首を傾げた。彼女の言い分は主語が欠落しているせいで、彼女がなにが言いたいのか、私はちっともわからなかった。
「えっと。なにが違うの?」
「飛行機クラブってところ。私はそんなところに所属していない」
「ううん? じゃあ、あなたはどうやって飛行機に?」
今度は私の眉根が寄った。私と同じ年頃の子が飛行機を操ろうとなると、飛ばし方を学ぶ飛行機クラブ以外に道はない。
ああ、いや。訂正。飛行機に乗る手段は、もう一つだけあった。もっともこっちの線は、ほとんどないと言ってもいいけれど。
「じゃあ、なに? あなたが放浪の飛行機乗りだと言うの?」
それこそまさかの可能性であった。
だが、現実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。
「うん。そう」
彼女はこっくりと頷きながらそう言った。まさかの可能性が的中してしまって、私はあんぐりとするしかなかった。
放浪の飛行機乗り――。それは飛行機を用いた何でも屋を指す言葉であった。農薬散布、郵便、そして測量。飛行機が役に立つ仕事なら彼らは本当になんでもやる。
放浪、とあるように、彼らは定住しない。彼らは飛行機を運ぶ大型トレーラーを住処にして、仕事を求め全国津々浦々を遊行するのだ。
放浪の飛行機乗りのイメージは、いいものではない。社会不適合者と見なす向きすらある。実際、彼らは荒くれ者が多い。定住者との間に要らないトラブルを引き起こし、街を追われる者も少なくはなかった。
さて、ここで彼女の姿を見てみよう。彼女はとても小柄である。面立ちにも厳ついところは一つもなく、人形さながらに可愛らしい容姿である。
こんな人間が時代劇の酒場で出てくるような、盗賊だか用心棒だかがわからない荒くれ者に見えるだろうか。答えはノーだ。寄宿制の女学校で勉強する姿の方が、ずっとしっくりとくる。
そうだというのに、だ。彼女は自分が飛行機乗りだと言う。自分は遊行の民だと言う。
そう言われて、はいそうですか、とあっさり認められる人間が、この国にどれだけ居るだろうか。少なくとも私は、そんなマイノリティには含まれていなかった。
「……嘘でしょう?」
「ううん。本当。なんなら私の家、見る?」
彼女はドアを指した。トレーラーを見たければ外に出ろ、のジェスチャーだろう。私は彼女のジェスチャーに従った。