暗雲
「ふぁ・・・」
大きなあくびをしたのはルシアンだ。
昨晩セシルと年少のシリル、ソラル、チアラは御馳走をお腹いっぱい食べた後用意してもらっていた部屋ですぐに寝てしまったのだがルシアンとアシルは遅い時間まで”戦っていた”ので少々寝不足気味だ。
今日ルシアンは大事な用を済ませなければならないので気を張っていたいのだが馬車の程よい揺れがそれを邪魔する。
祝勝会は年少組が床に就いてからが大変だった。調子に乗って皆でユーゴをからかっていたところまでは良かったが途中「こういう話はユーゴよりあんたが先口じゃない!早くメリッサをなんとかしなさい!」
というドロテの余計な一言が発端でカオスとなったのだ。
事情をしらないルシアンの母アリシア、メリッサの母マリオンと妹フローラは目を丸くし、アシルなんかは「兄さんはメリッサ様にも色目をつかっているのか」と激しく感情をぶつけてきた。
”にも”ってなんだ?ルシアンは誰にも色目など使ったことは一度もないと主張し、ドロテもルシアンとはなんでもないと声を張ったがドロテがルシアンに激しくツッコめばツッコむほどアシルの嫉妬心は燃え上がり逆効果となった。
その間レティシアからルシアンとメリッサについて説明を受けたアリシア、マリオンとフローラは驚きと喜び、不安が入り混じった表情で今後家を出て二人で生活するのかとかルシアンがメリッサ側に養子として入るのかとか爵位を賜るのは確実としても今はまだ平民という身分なので婚約はどうするとか質問攻めとなりとうとう日付が変わってしまったのだ。
そして一夜明けた今でもアシルは憮然とした顔をしている。
今までずっと真面目で大人しい出来た弟と思っていたのだがこんなに感情を表に出すとは思いもよらなかった。今朝母から話を聞いたセシルは「真面目過ぎるが故だと思うわ」と笑ったがルシアンには一番の驚きだった。
「兄さん昨晩は遅くまで大変だったみたいですから領主様の所へ出向くのは明日にしてはどう?」
「いや、今日行くと決めたんだ」
「・・・」
一度やると決めたら絶対に退かない兄の事をよくわ分かっているセシルはそれ以上は何も言わなかった。
途中三度の休憩をとりつつ三時程馬車に揺られブリュセイユ王国メリル領に入った。
収穫が終わってやたらと見通しの良くなった田舎道をごとごとと揺られて外を眺めていると見慣れた場所に出た。
田舎町に不釣り合いな豪華な馬車を見た子供たち数人に追いかけられたりしているうちに我が家に着いた。
真っ先に駆け出したチアラが歯を食いしばって扉に挑んだが古くて建付けの悪い引き戸は七歳の力ではびくともしない。後から来たセシルが背後から戸を開けると年少三人がわーっと言いながら雪崩れ込んだ。
外出先から帰った時の”お約束だ”。
慣れ親しんだ家に見慣れたいつもの光景。アリシアは僅かに高く上がり框のようになっている部分に腰を下ろすとほっと溜息をついた。
「貴族様のお屋敷は豪華で凄かったけどやっぱりうちが一番落ち着くわね」
隣にセシル腰を下ろす。
この四日間毎日美味しい食事とふかふかの寝具で夢心地だったが凋落したとはいえシュバリエ家は貴族の豪邸だ。アリシアもセシルも張っていた気がすとんと落ちた感じがした。
「それにしても兄さんホントに王国騎士になっちゃったわね!凄いけどヘンな感じよね母さん」
「ええ、そうね・・・」
アリシアは涙を浮かべて頷いた。平民のルシアンが王国騎士団入団が決まった事はモレル家にとっては奇跡的幸運だが彼女には無事に一緒に帰宅できたことが一番嬉しかった。
「もう、母さんたら一昨日からずっと泣きっぱなしじゃない。ふふ」
「だって・・・」
「・・・」
ルシアンは母とセシルの会話を黙って聞いていた。
「姉ちゃん!今度はいつセルジュ様のとこに行くんだ?」
「いつでも遊びにこいっていってたよなっ」
生れて時初めて家族全員での”旅”で王国の一大イベントの観戦。しかも出場した長男が優勝してしまったのだ。年少組は興奮が冷めないのも仕方がない。
双子の四男ソラルが「兄さん来年も戦わないかなぁ」など無茶な事を言い出す始末だ。
「はいっ!旅はおしまい!アシルは薪拾いお願い、チアラは私とお家のお掃除、シリルとソラルは馬車から荷物を運んでね!御者様をあまり引き留めてしまってはいけないわ」
長女セシルがルシアンの名前を飛ばしテキパキと指示を出して立ち上がった。
「えええ・・・俺達が一番たいへんじゃないかぁ・・・」と不満を口にしながら双子が馬車に向かった。家から持ち出した物はあまりなかったが、祝勝会初日で残った肉や野菜、パン等食材をセルジュが沢山持たせてくれたのだ。
「不満じゃなくてセルジュ様のご厚意に感謝して運びなさい」というセシルの声を聞きながらルシアンは黙って家を出た。手には金貨の入った革袋を大事そうに持っている。母が自分を騎士学校にやるために領主から借りた金だ。
あと二、三日待っていれば王国騎士団入団にあたっての支度金を貰えるのだがルシアンはどうしても待てなくてセルジュに頼み込んだのだ。
一日でも一時でも早くニヤケ顔の領主と縁を切りたかった。母や家族の心の傷を塞ぎたかった。
セルジュは地面に頭を押し付けるルシアンの肩を掴んで起こし「私に何かしてほしい事があるときでも おっちゃん と言えば良い」と直ぐに用立ててくれた。
セルジュには感謝しかない。
一年前泣きながら走った道を早足で歩いた。怒りと悲しみと情けなさで記憶すら曖昧だが今は違う。
――借りた物をきっちり返して二度と母や家族に近づくなと言ってやる。
畑の仕事は取り上げられてしまうだろうが自分が稼げば良い。
革袋を握りしめたルシアンはいつの間にか早足から駆け足になっていた。
「止まれ!ステファン様の屋敷に何用だ?今日は面会の予定は一つも入っていない。貴様何者だ?」
領主ステファン・メリルの屋敷の前には一年前と同じく二人の守衛が立っていてルシアンの行く手を遮った。
「ルシアン・モレルが借りた物を返しに来たと伝えろ」
「な、何?!ルシアン?!ま、待っていろ」
田舎町は人口は少ないが噂が広まるのは早い。守衛がルシアンの顔を覚えているはずは無いが名前は知っているようだ。
ルシアンが革袋を目の前に掲げると二人の守衛は一瞬驚いた顔をして一人が慌てて屋敷に向かって走っていった。
暫くして、見るからに粗雑な造りのライトメイルを着込んだ兵士二人が守衛と一緒に駆け足でやってきた。
ルシアンは兵士二人の先導で屋敷へと向かった。
ステファンの屋敷はセルジュの屋敷の2/3程の大きさで壁や天井の装飾もそれほど豪華なものではなく、築年数も古いせいかジュータンやタペストリの色落ち等劣化が目立つ。
メイドが居間の扉を開けると丸くでこぼこした感じの赤ら顔の男が長椅子から立ち上がった。
「お前がルシアンか。アリシアの息子だな?噂は聞き及んでおるぞ。平民の身で活躍だったそうではないか」
通常なら跪くところだがルシアンは真っ直ぐにステファンを見つめたまま「有難うございます」とだけ言った。
「ふん・・・いきなり訪ねてきてその態度か。無礼な奴だ・・・なんの用だ?」
ステファンは王国の規定よりも税を多く取り従わない者には力づくという絵に描いたような悪人だ。母はこんな男に金を借り蹂躙されたのだ。その金が自分の血肉になったと思うと怒りのやり場が無く無性に自分に腹が立つ。
ルシアンの態度ににやけ顔が一瞬にして悪人顔に変わった。
「借りた物を返しに来た」
ルシアンは金貨の入った革袋を差し出した。
ステファンは革袋を乱暴に引っ手繰ると口ひもを解きジャラジャラと机上に落とした。
「足らんな」
「!?そんなはずはない!母さんが借りた金はそれで全部のはずだ!」
「ふん、ガキめ。金は借りたら利息というものが発生するのが常識だ。一年分の利息を持ってもう一度出直して来い。これだから平民は!」
「な、なんだと!?じゃあ何故母さんを弄んだんだ!」
「はん?あれはワシが頼みを聞いてやる報酬として抱いてやったのだ。貸した金の利息とはなんの関係もない」
「そ、そんなばかな話があるか!」
「ではアリシアを連れてこい、そうしたら利息分を考えてやらんでもない。アレは良い女だ。肌の張り艶はとても六人も子を産んだとは思えん。そのうえ初めて旦那以外の男を前にして緊張していたのか未通女の様に良い反応だったぞ」
ステファンは三白眼でルシアンを見下ろし脂ぎった顔を上気させ舌なめずりをした。
「こ、このやろう・・・!」
金を借りた負い目があったので一発ぶん殴ってやりたい気持ちを懸命に押さえていた。借りた物を返したらそのまま帰るつもりでいたがステファンのあまりの言い草にルシアンの我慢が限界を超えた。
「借りた物は返した、お前も母さんから奪ったものを返せ!」
ルシアンは怒りの形相でステファンに詰め寄った。
「て、貞操を返せだと?そんな事ができるか!何をばかな事を!騎士学校を出たぐらいでいい気になるな!どうせ他の者が強かっただけだろう!」
ステファンの叫び声が合図となり両脇に控えていた兵士二人が柄に手をかけた。
ルシアンは左の男が剣を抜くより早く間合いを詰め右腕を掴み顔面に右拳を見舞った。
力なく天井を見上げ腰がオチた相手に更に続けて二発打ち込むと男はがっくりと体をルシアンに預けた。
「!」
それを見た右側のやや背の高い男が驚いた顔で慌てて斬りかかってきたが最初の男を盾にして防ぎ、奪った剣で袈裟切りを放った。
「があ!」
盾替わりにされた男は味方に斬られ、背の高い男はルシアンに袈裟に斬られて血を流して倒れた。
――初めて人を斬った・・・!
なんとも言えない嫌な感触が手に残り一瞬眉間にシワを寄せたが直ぐにステファンに向かっていった。
「な!・・・なんだと?!ま、まさか?!」
護衛騎士二人があっさりと倒され驚愕の声を上げた。
騎士学校を出たばかりの小僧等大したことは無いと思っていたのだ。
「だ、だれかー!誰かおらぬかー!?」
ステファンは大声で助けを呼びながら壁に掛けてあった剣を取ってルシアンに斬りかかる。
「ええいクソ!とあっ!」
が、動きがあまりに遅い。
ルシアンは持っていた剣を放り投げ軽く左に躱して脇腹に拳をめり込ませるとステファンは目を見開き胃の中に溜まっていたものをすべてぶちまけた。
「ぐはぁ・・・ぅぁ・・・き、貴様こんな事をしてタダで済むとおもっているのか・・・!」
ルシアンもタダで済むとは思ってはいないが散々母を言葉で凌辱され理性はほぼ蒸発してしまっていた。
「先に柄に手をかけたのはお前等だ!」
柄に手をかけた時点で敵と認識しろ。立ち遅れは即死につながる。騎士学校での教えだ。
ルシアンは怒りに震えながらステファンに迫った。
「ま、待て!待ってくれ!利息は無しだ!こ、これでどうだ?!」
「母さんや家族に今後近づかないと約束するなら考えてやる」
「や、約束する!」
「そうかっ!」
ルシアンは右拳を振り抜いた。
「がは・・・・!や、約束が・・・!」
「利息が無しというのは”考えてやる”報酬だ」
ステファンの論法そそのまま返した。
騎士学校の入学金程度領主貴族にとっては大した金額ではないしルシアンが金を返せなかったらアリシアにいう事を聞かせるだけだ。踏み倒そうものなら即首が飛ぶので返さなければ生きて行く道を失う平民相手に借用書という面倒なものを作ったりもしないので利息の話など最初からあるはずがない。
「ま、待て!やめろ!」
ステファンは口から血と胃液をだらだらと流しながら尻もちをついた。
「今のは・・・母さんの分だ。これは父さんの一発だ!」
ゴッ!!
ルシアンの縦拳がステファンの顔の中心にめり込んだ。
ステファンはひゅっと小さく息を飲み込んで自身がまき散らした汚物の中に倒れて動かなくなった。
「なんだ?!どうした?」
「旦那様か?」
「居間のほうだ!」
使用人らしき者たちの声やばたばたと走る足音が壁越しに響いてきた。
「!」
ルシアンは咄嗟に窓を開け身を翻した。
「ステファン様!ステファン様!」
「うあ・・・」
使用人やかかえられている地方騎士達にヒールを施されていたステファンは意識を取り戻すと同時に激痛でうめき声を上げた。
「大丈夫ですか?!何があったのです?!」
「小僧!あの小僧はどうした?!」
「こ、小僧とは誰です?」
「ルシアンという小僧だ!」
「我々がここに来たときは既に誰もおりませんでした・・・」
「ぐぬぬ・・・このままで済むと思うなよ・・・殺してやる、殺してやる!」
ステファンは折られた鼻に震える手を当て白目を剥いて叫んだ。




