犬を飼う、少年を飼う、文章を。
訪れていただきありがとうございます。
P氏は一匹の犬を飼っていた。顔が良いわけでも愛想が良いわけでもない。そこら辺で拾った雑種ではあるものの、何故かP氏はその犬に愛着があった。今日も一人と一匹で公園を散歩していたが、P氏の頭には一つの悩みがあった。
彼は趣味で短編小説を書いていた。前までは自分の好きなタイミングで好きな内容のものを書いていたが、最近はどうも上手くいかない。小説書きというのはどうしても読み手の存在が気になるものである。しかしそれは犬の頭を撫でたり、こうして散歩をしていれば消えていく程度の悩みであった。
P氏はアイデアだけで作品を作る人間であったが為に、ふとした時に文章が書きたくなる。大抵の場合は内容すら定まっていない。それでも神から頂いた一筋の光を頼りに文章を書き始めるのだった。今日も考えが纏まる前に書き始める。果たしてどんな作品になるのか、それはP氏にもわからなかった。
ある小さな島に一人の賢い少年がいました。小さな部屋の中で紙とペンを使い、遠くにある大陸で学者を何十年も悩ませる難題を説いていました。ときには数学、ときには経済学、そして哲学。少年は空に式を並べていきました。
島はとある悪い王様に支配されていました。王様も決して頭が悪いわけではありませんでした。少年が構築していく理論体系は、いつかこの政治体制を崩壊させる、それが理解できるくらいには。王様は国家の転覆を、そしてその少年自体を恐れ地下の牢獄に閉じ込めておくことにしました。
少年は牢獄の中に入ると、毎日毎日汚い壁を眺め続けました。王様はその報告を最初は聞き流していたものの、数日経つと少年のことが気になって仕方なくなってしまいました。ある日、我慢ができなくなった王様は少年に会いに行くことにしました。
王様が牢獄に入ったとき、やっぱり少年は壁を眺めていました。何をしているのか王様が少年に尋ねると、
「ときには数学、ときには経済学、そして哲学。」
と答えました。
その後、王様は度々少年を尋ねるようになりました。その度に少年は壁を眺めながら考えている理論について話をしてくれました。王様にとってこれ程危険且つ崇高な人間はいなかったため、監視という名目で、牢獄の前で長い時間を過ごすようになっていきました。王様は少年の思想の1割も理解が出来ませんでしたが、うんうんと頷きながら彼の話を聞きました。家来の一人がその場面を目にしとき、
「これでは王様はペットをお飼いになられたみたいだ。」
と言いました。
王様以外は馬鹿ばかりであったこの島は、王様の指揮をなくしたことで滅亡の一途を辿っていきました。家来は何度も王様に椅子に戻るように言いましたが、王様はそれらの声を全て聞き流してしまいました。
ある時、馬鹿の中でも比較的まともな島民を頭に、クーデターが起こりました。家来たちも王様には愛想を尽かしていたため、早々と城を明け渡し、王様の居所を教えてしまいました。
銃を持った島民たちを目の前にした王様は、あまりの恐怖に震え上がってしまいました。王様は少年に縋り付き助けを請いましたが、少年は目を瞑ったまま何も言いません。
少年は紙とペンから空、牢獄の壁へと思考場所を移し、最終的には自らの理性に閉じこもっていました。少年はそこが牢獄の外より広く自由であることを知っていました。しかし、少年も人間、王様がせっせと運ぶ飯は食べなければいけないし、一定時間を睡眠に捧げなければなりませんでした。少年は肉体というものが理性にとって牢獄よりも厳しい拘束を与えるものだと考えるようになりました。
銃を目の前に、王様は頭を地面に擦り付け命乞いをしました。島民はそれを無視しました。少年に目を向けると、少年はそれでも目を瞑っていました。島民はその姿に恐れを抱き、急いで引き金を引きました。
傍から見れば少年は王様のペットだったのでしょう。しかし、少年は広く自由な世界で生きていたのに対し、王様はただただ汚い牢獄の前で人生を無駄にしてしまいました。振り向けばその出口は理性ほどではないにしろ、今の部屋よりは広い世界が広がっていたのに。
飼い主を支配する側、ペットをされる側だと考えたとしましょう。あなたはどちらが本当のペットだったと思いますか。
P氏はこの帰結に正直戸惑ってしまった。隣で犬がスンスンと鳴いている。彼はただ思いついた文字を適当に書き並べていただけである。この文章に自分がいるとは到底思えなかった。しかしP氏は散歩や糞尿の処理に時間と労力が奪われていると強く感じた。こいつがいるから旅行にもいけない、稼いでこないくせに飯は食わせなければいけない。これは自らの人生における機会損失に他ならないと思った。
次の日には犬は冷たい、愛着が湧くわけもないただの物質になっていた。穴を掘りながらP氏は、貴重な時間をその物質に費やしていた事を悔いると同時に、今後は有意義な生活が送れるだろうと胸を踊らせた。
今日もP氏はパソコンの前に座り、カタカタとキーを叩いている。食事や睡眠をもう何日もとっていない。しかし適当に言葉を並べていればあのときのように人生を変えてくれる論理に出会えるはずだった。どこからか風が吹き、彼の後ろにあるドアがばたりと閉まった。
お読みいただきありがとうございました。感想などお待ちしています。
慣れない形式ではあるものの執筆にかかる時間は普段とあまり変わりませんでした。今回はシンプルに。