争奪戦のはじまり
時は一週間前に遡る。
その時は夕飯も終わり、きょうだい達全員がリビングに揃っていた。
入浴して、就寝それで一日が終わろうというところだった。
三太は浴槽に湯をはろうとしたところで気がついた。
入浴剤がない、と。
三太はすぐに買いに行くことにした。
それにより、リビングには三太以外の姉妹達という状況が出来ていた。
「鈍くさいわね。入浴剤の残りくらい把握しておきなさいよ」
四葉が毒づいたところで二穂がすぐに反応した。
「そ、そんな言い方ないと思う……」
「なによ、ちぃ姉ぇ」
「三太ちゃんはほとんど一人で家ことをしてるんだよ?これくらいのことは忘れるてもおかしくないし、手伝いもしない四葉ちゃんが言うことじゃない」
「あ、アタシは勉強で手一杯だから……手伝ってないのはちぃ姉ぇも他の皆もそうでしょう!?」
「うん、だから、そんなこと言っちゃ駄目。三太ちゃんには感謝しても不満をぶつけるようなことはしちゃ駄目」
「そんなこと、アタシだって……!」
その時、パンパンと大きく手拍子が響いた。
「はい、そこまでよ。これ以上は喧嘩になるわ」
長姉の言葉に二人はバツが悪くなり、互いに顔をそむけた。
「二穂は三太君のことになると周りが見れなくなるわね。でも、成人もしたんだから、もう少し理性的になさい」
「うっ……」
「四葉も四葉よ?貴女だって高校生になったんだから、子供みたいに三太君に甘えるのはやめなさい」
「なっ……あ、アタシは甘えてなんか……!」
そういう四葉の顔は一瞬で赤くなっていた。
「四ねぇ分かり易っ」
「な、なにを……」
「四お姉ちゃんもお兄ちゃんのこと好きなんだね~」
妹達からの追撃に四葉はたじろいだ。
だが、それでも最後の手段とばかりに気力を振り絞り、逆上しようと息を吸い込んだ。
「別に三太のことなんて――――!」
「じゃあ、きらいなんだね」
「――――大好きよっっっっっ!!」
瞬間、時が止まった。
「あ、あががががぐぐ……」
四葉の全ては崩壊し、今にも泡を吹いて倒れてしまいそうだった。
七花の言葉は天邪鬼な四葉の性質を利用し、まさに彼女を殺し得る誘導尋問となった。
「やっぱり、すきなんだね」
そして、行き場を失った逆上のエネルギーがまたもや七花の言葉により、開き直りへと放出された。
「そうよ!悪い!?」
「わるいよ?おにいちゃんにめいわくかけてるもん」
「うぐっ……」
幼稚園児に手玉に取られる四葉。
だが、彼女はとんでもない爆弾を投下してしまう。
「何よ、皆だってそうじゃない!家ことを全部三太に押し付けてるじゃない!皆の方こそどうなのよ!?三太のこと好きじゃないの!?」
四葉の叫びは一瞬にしてリビングが凍りつかせた。
だが、その空気はすぐに破られた。
七花が身体を震わせて泣いていたからだ。
「……四葉、幼稚園児相手にムキにならないで!七花こっちに……」
一菜が七花を抱き寄せようとした時、七花も叫んだ。
「ナナちゃんだって、おにいちゃんのことすきだもん!でも、でもナナちゃんじゃ、おにいちゃんてつだえないんだもん!」
「そんなの、言い訳!七花だってやろうと思えば何か……」
「四葉!」
「いまはできないだけだもん!おおきくなったら、おおきくなったらできるもん!」
「今やる気がないなら、ずっと出来ない!絶対なあなあになる!」
「四葉!いい加減になさい!」
「おおきくなったらやるもん、ぜったい!」
「大きくなったらって、何が出来るって言うのよ!」
「おおきくなったら……おおきくなったら、おにいちゃんとけっこんして、おにいちゃんをいっぱいたすけるもん!」
「!!……きょうだいじゃ結婚出来ないんだよっ!!」
「よつ……!」
七花を庇いながら、一菜は腕を振り上げた。
だが、そこでぴたりと腕は止まった。
四葉が泣いていたからだ。
「結婚……出来ないの……きょうだいじゃ」
四葉のその表情は今まで誰一人として見たことがない程に暗く沈んでいた。
「四葉……貴女……」
「だって、しょうがないじゃない!どんなに強く想ったって、三太とアタシは血の繋がったきょうだいだもの……どうしょうも出来ないでしょ……」
「ナナちゃんはおにいちゃんとけっこんするもん!」
「それが出来ないって……!!」
割って入るように二穂が四葉の前に出てきた。
そして腕を上げたところで四葉は咄嗟に目を閉じた。
「っ!」
「……」
二穂は四葉の涙を拭うとそのまま四葉を抱きしめた。
「ち、ちぃ姉ぇ?」
「四葉ちゃんは健気で……可愛いね」
「え?」
「お姉ちゃんは、四葉ちゃんみたいには出来なかったから……想っていても、駄目だって、自分で折り合いつけた気にして……四葉ちゃんみたいに、そうやってストレートに言えなかったから」
「ちぃ姉ぇも……?」
「あんなにいい男の子、他いなかったもの。自分でも……弟に抱く感情じゃないって分かっていたけどね。でも、家にいない間、気がつけば三太ちゃんのことばかり考えてた。これって恋でしょ?」
「……恋」
「家族愛ではなかったもの、お姉ちゃんの一方的な想い……だからこれは恋なの」
「…………」
四葉も七花も泣き止んでいた。
だが、皆が皆、口を開けずにいた。
そんな中で静寂を破ったのはやはり長姉の一菜だった。
「あー、もう!揃いも揃って、きょうだいに恋心なんて抱いちゃって……悩んでたのは私だけだけかって思ってたの、馬鹿みたいじゃない!」
「え?」
「姉さん、も?」
「そうよ!私が悪い男に騙されかけた時、助けてくれた時からずっと、あの子……三太くんのことを考えてると胸が苦しくなるのよ!」
一菜の告白を聞いて、四葉ははっと顔を上げた。
「……ねぇ、一つ思ったんだけど、五芽あんたももしかして」
「おにぃのことは好きだよ。普通に」
「そ、そう、そうよね……」
「普通に好きだよ。お嫁さんにして欲しいくらいにね」
「っ!」
「あー!ずるいよ、お兄ちゃんのお嫁さんなら、わたしだってなりたい!」
「ちがうよ、おにいちゃんとけっこんするのはナナちゃんだよ?」
一菜は額を抑えた。
「そう、そう言うこと、ね……」
「下の二人はともかく……五芽は意味分かってるわよね?」
「勿論。法律が変わらない限り、ちゃんとは出来ないけどね」
「……下の二人も時間の問題だと思うわ。でも……かえってこれでよかったかも知れないわ」
「どうして?」
「私達はお母さんの子供だもの……仮に他に好きな人が出来たとしても、きっとまともな人じゃないわ。でも……三太君なら別、まともじゃないことは確か、でもそれは血縁者だってことが分かってるから……ねぇ、もう一度聞くから手を挙げて。皆、三太君のことが好きなの?異性として」
その場に居た全員が迷うことなく手を挙げていた。
「全員、ね……だったら、この場で提案させてもらうわ……争奪戦を!」
「争奪戦!?」
「姉さん、何を言ってんの!?」
戸惑う妹達の様子を見て、一菜はふふんと胸を張った。
ちなみに一菜の胸は四葉より小さいので全く揺れていない、五芽と同じくらいだ。
尚、それ以外の姉妹は年齢と大きさが比例している。
「よく考えなさい。確かにきょうだいでは結婚出来ないわ。書類上はね」
「書類上は……って、まさか!?」
「別にきょうだいで夫婦の様に過ごそうが、罪に問われる訳じゃない。壁になるのは論理感と世間の目よ!」
「ま、まぁ……そうかも知れないけど……」
一菜の勢いに五芽さえ引いてしまっているが一菜は一向に構わない。
「論理感はむしろ私達の気持ちの問題だから問題ないわ。そして、この争奪戦――要は誰かが三太君を陥落出来るか……それに決着が着いた時点で三太君の側もクリアすることになる!」
「そう……なの?」
二穂は首をかしげたが一菜は一向に構わない。
「真に問題と言えるのは世間体だけど、それも構わないわ。要は実体を悟られなければいいと言うことよ。皆でカバーし合えばいい…………敗者が勝者を……三太君に選ばれなかった子はフォローに徹する、それがこの争奪戦の決まりにするわ!」
「……」
七花は言葉の意味が分かっているのかいないのか黙っている。
それでも、一菜は一向に構わない。
「そして、幸か不幸か私達には親戚らしい親戚はいない!父は亡くなった!義父は口出し出来ない!……となれば、母を丸め込めばいいだけ!」
と、びしっと人差し指を突き付けたところで、タイミングよくドアが開いた。
「話は聞かせて貰ったぁぁぁぁあああっ!!」
と勢いよく飛び出してきたのは黒須百佳。つまり――
「お、お母さん!?」
母・百佳は何故か、Vサインで返した。
「中々、面白い話ね。でも、この母をまるめ込む、だって?」
「まぁ、まるめ込むって言うか……」
「お母さんもその争奪戦に参加させなさい!」
「……そう言うと思ったから」
百佳もまた、三太に優しく(前述)されてから、すっかり息子ラブな母親になってしまっていた。
一菜は眼鏡をあげる仕草をした、ちなみに一菜は眼鏡をかけていない。
「ええ、勿論お母さんの参戦を歓迎するわ」
「随分、余裕ね?」
「……そんなことはないわよ」
一菜の見解では、色んな要素を考えて百佳が勝利する可能性はないと考えていた。
これまでのことを考えれば、妥当だろう。
それに、世の中マザコンが多いと言っても、母・姉・妹のいずれかを恋愛対象と見ろとなった時、母を選ぶ者は少ない。三太にもそれは該当すると思えた。
「で、他の皆はどうするの?降りるのは勝手だけど、その時は三太君を諦めてね」
「そんな勝手な提案を決定こと項で進めないでよ!」
四葉が噛みついた。
だが、一菜は大袈裟にため息を吐いた。
「じゃあ、逆にどうするの?家族のフォローなしできょうだいで、夫婦になれると思う?まぁ、何もかも捨てて、やるって言うならできるでしょうけど、どちらにしろ三太君を振り向かせることが出来ないなら意味はないわよ。結局、やることは同じよ?三太君を諦めるんじゃなきゃ」
「うっ……」
「……よつばおねえちゃんは、かてないとおもってるんだね」
「七花!?」
「でも、それはまちがってないよ。おにいちゃんのおよめさんになるのはナナちゃんだもん」
「七花、挑発してるの?」
「ちょうはつってなあに?ナナちゃんわかんなぁい」
「アンタ、アタシに自信がないから引っ込めって言ってるんでしょ!」
「…………さあね」
そう言った七花の表情は幼稚園児だと言うのに妖艶な色を帯びていた。
「上等よ!アタシを本気にさせたこと、後悔させてやる!三太は誰にも渡さないんだから!」
「それは聞き捨てならないね」
二穂の声には強い感情がこもっていた。
「三太ちゃんを思い続けた期間も想いの強さも愛の深さもわたしが一番なんだから!ここ最近になって三太ちゃんに助けられたからとか言ってる人達に渡せないよ!」
「そんなのわからないよ!あたしだっておにぃのことが好きだもん!」
またも、パンパンと手拍子が鳴る。
今回も一菜だった。
「ヒートアップし過ぎよ。そういうことはこの場じゃなくて、結果で示しなさい」
その言葉に全員、口をつぐんだ。
「全員の言葉を聞いた訳じゃないけど、反対がないってことは皆賛成ってことでいいのよね?」
その場に居た全員が頷くなどして、肯定の意を示した。
「なら、たった今から争奪戦の始まりよ!」
その瞬間、家族間の空気は変わってしまった。
互いに助けあって生きてきた親姉妹から、たった一つの椅子――三太を狙う好敵手になってしまったのだ。
とは言いつつも、年長者達にはある程度余裕があった。
母親である百佳は前述の通りであり、下は精々五芽がぎりぎり食い込んでくるかくらいで、小学生、幼稚園児である六実、七花は敵ではない。敵になる以前に決まる、と思っていた。
そんな時に玄関の方でドアが開く音が聞こえた。
「ふぅ、ただいま」
帰ってきたのは言うまでもなく三太だった。
この場に他の家族はいない。
そして、あんな宣言ががあったことで互いが互いを牽制しあう空気になっていた。
そして、その一瞬の空白――そこを突いて動き出したのは七花だった。
「おかえり、おにいちゃん!」
七花が三太に飛びつくと三太は七花を抱き上げた。
「おっと、七花。急に甘えん坊さんになって、どうした?」
「おにいちゃんのこと待ってたんだよ!ねえ、ただいまのチューして」
「「「「!?」」」」
何人かが過敏に反応する中、三太はああ、と肯定し、七花の前髪をかき上げ、そのおでこにキスをした。
「えへへ、じゃあ、ナナちゃんはお帰りのチューね」
と、末妹は間髪入れず、三太の唇を奪った。
そう、奪ったのだ。他の姉妹達の前から。
「「「「「「「!?」」」」」」」
「な、七花?」
黒須家は家族間ではキスが普通――という家庭ではない。
「えへへ」
笑いながら七花は他の姉妹達をちらりと見たかと思うと、違う笑みを浮かべた。
「「「「「「「!」」」」」」」
「あの、な?七花、きょうだい同士とは言っても、口同士のキスは……」
「いいんだよ」
「え?」
「ナナちゃんはおにいちゃんとけっこんするからいいんだよ」
上の姉妹達は理解した。
既成事実という物は、本人達の意思に関係ない、最大の切り札なのだ。
七花は本質的にそれを理解し、実行している。
幼稚園児という立場を理解し、それを隠れ蓑に、大胆な行動をとれる。
そう、他の姉妹にとって七花こそが最大の脅威になり得る存在なのだ。
「いや、結婚って」
「おにいちゃんはナナちゃんとけっこんしてくれないの?」
「……えっと」
姉妹達が気付いた時には既に土俵際だった。
無理なことを無理というのは正しい。
だが、時としてその正しさが分別によって反転することもある。
サンタクロースを信じる子供にその存在を否定するが如く――
或いは憧れている職業の実情を教えるが如く――
子供の“夢”には大人の道理を捻じ曲げる力がある。
「おにいちゃんのおよめさんにしてくれないの?」
「あー……と、う――」
言質を取られれば拙い。
七花のことだ、毎日の様に連呼することでその一時の嘘を引き延ばす。
そして、同じようにスキンシップも繰り返しながらも、徐々に過激なものへとシフトするだろう。
そして、やがてはなし崩し的に嘘を真実へと作り変えてしまう。
そのことを理解していながらも、姉達はどうすることも出来なかった。
この土壇場、どうすればひっくり返せるか、方法が思いつかなかったのだ。
「あ、ずるいよー、ナナちゃん」
姉妹達の視線が声の主に一瞬で注がれた。
七花に至っては白目の部分が大きく見開かれた。
「六実だって、お兄ちゃんのお嫁さんになりたいよ」
それはぎりぎりの綱渡りだったのかも知れない。
小学生であっても、幼稚園児と張り合うのは、中々難しい。
だが、まだ低学年であることと六実のキャラクター、そして、吐いた唾は飲み込めないの精神がこの大ファインプレーを呼んだ。
「……えー?おにいちゃんのお嫁さんになるのはナナちゃんだよ?」
「そんなの決まってないよ?六実かも知れないもん」
六実と七花が互いを見つめあう。
笑顔の六実に無表情な七花、二人の間に流れている空気を感じとっていなかったのは三太だけだった。
「こらこら、喧嘩になるぞ?」
既に喧嘩以上の問題になっている。
「そ、そうよ。これ以上は喧嘩になるから、お風呂入りましょ」
そう言って百佳は七花の手を掴んだ。
「さぁ、七花ちゃん、お母さんとお風呂入りましょうね~」
「ナナちゃんはおにいちゃんと……」
七花が言い終わるより前に百佳は抱き上げた。
「あらあら、甘えん坊さんね~」
そう言って、百佳は七花の口を塞いだ……口で。
「可愛い子ね。ちゅー」
「!?」
そしてそのまま風呂場へと歩いていった。
「あ……入浴剤」
母を呼び止めようとした三太の袖を六実が掴んだ。
「ねぇ、お兄ちゃん、ナナちゃんがいなくなったから答えられるよね?六実と――」
「なに~?六実もお母さんとお風呂入りたいの~?」
間髪入れずに四葉がそれを阻止した。
「えっ?」
「うちの妹達は甘えん坊でしょうがないわね!アタシが後で着替え持って行ってあげるから行ってきなさい!」
と、無理矢理、六実を引きずって行った。
六実も抵抗を試みるが、小学生の力で高校生に敵うはずもなかった。
「あ、入浴剤持っていくわよ」
いつの間にか四葉の手には買ってきた入浴剤があった。
「……なんなんだ?」
ここで五芽が流れに乗る様にアクションを起こそうとした。
だが、一菜と二穂の目による牽制により、それは叶わなかった。
姉妹達はこの時確信した。
他の姉妹達がいる前でアプローチするのは極めて困難であることを。
そして、膠着状態のまま一週間が経った。
その間に姉妹達が起こせたアクションは七花が一緒にお風呂やお休みをした程度。
以前から三太が末妹の面倒を見るため行っていたことでもあるし、何回かは他の姉妹によって阻止されていた。




