前置きというにはそこそこ壮絶なプロローグ
この世界は愛に満ちあふれていた。
人は愛によって生まれ、愛によって育まれ、愛によって求め、愛によって出会い、愛によって結ばれ、愛によって紡がれ、やがて愛に囲まれて逝く。
それが、それこそが遺伝子に刻まれた呪いとも言える人の幸福。
それ以外の幸福は所詮付加価値に過ぎない。
それが、種の存続を望む本能。
だが、ほぼ全ての種がそうであるように人間もまた競争社会にある。
愛を求めるが故にそこには格差が生まれる。
こぼれ落ちるものもいるが故に、その格差の中で必死に愛を求め、集まる。
それはさながら綺羅星のようだった。
僕はその綺羅星に満ちた満天の星空を眺めていたのだ。
子は生まれてくる場所を選べない。
親が生まれてくる子供を選べる訳でもないが、これは真理であって、人間生まれた時から一生を左右し得るくじ引きを行うことになる。
その点で言うなら、僕はハズレだったと言えるだろう。
僕の父親は一言で表すなら『酒乱のDV野郎』だった。
母はそんな父に怯えながらも、依存していて女・女・男・女の四人の子供を作った。
その時点でそれなりの大家族だと言えるが、父が家に金を入れることは滅多になく、家計は母のパートで賄っていた。
だが、そのパート代でさえも父の交遊費に消えることも多く、僕らきょうだいは育ち盛りを栄養失調一歩手前の状態で過ごさざるを得なかった。
そして、父という“害悪”は金だけにとどまらず、日常的な暴力として僕らきょうだいを追い込んでいった。
僕らを追い込むだけ追い込んで、好き勝手に生きた父だったが、その好き勝手に生きた報いか、身体を悪くしてあっさりと逝ってしまった。
そんな父だったから、僕らは解放されたと喜んだが、母は悲しんだ。
そんな父でも、母は依存し愛していたのだ。
僕は子供ながらに、そんな母を冷めた目で見ていた。
幸いにも、と言うべきか父が死んだことで金の問題はなんとかなった。
好き勝手に金を使うが、借金をするようなことはなく、たまたま母が友人に頼まれて入った生命保険のお蔭で生活は随分と楽になった。
そんな中、母は父がいなくなった寂しさを埋めるように新しい父親を連れてきた。
その義父は前の父とは違い、優しく誠実そうに見えたため、僕らは祝福した。
再婚後の生活は三人も妹が生まれ、いよいよ大家族の様相を呈していったが、比較的穏やかに日々は過ぎて行った。
表面上は。
末の妹が生まれた頃から違和感を覚えた。
父も母も働いていて、僕らの学費は遺産で賄えるはずだった。
なのに、生活が回らなくなり、受験が近いというのに当時高校生の姉達がバイトに出ることになった。
家ことは母も働いているので、上の姉達二人で行っていたがその姉二人に時間がなくなったことで次に年長である僕ら三人で回すことになった。
負担が増えたこともそうだが、おかしなことに気付いた。
まず、姉達の下着が知らぬ間に減っていたということ。
下着も消耗品なので、処分することはあるが、比較的最近買ったはずの物までいつの間にかなくなっていることがあった。
加えて、家の中で時々違和感を覚えることが増えてきた。
その違和感とは物の配置が微妙に変わっていることと、誰かに見られているような視線を感じるようになったことだ。
家ことをやる上で、家の中にある殆どの物の場所を把握していた。
なのに直した覚えのない場所に物が直されていたり、滅多に動かさないものの配置が変わっていたりしていた。
単にそれだけなら、家族の誰かが物を動かしただけだと思ったが、場所が問題だった。
脱衣所、風呂場、トイレ、姉の部屋……僕はある想像が働いた。
父がいない時に父の書斎に掃除の名目で入り、PCを起動した。
ログイン画面でパスワードのロックがかかっていたが、事前に自称PCオタクだという友人から借りたロックを解除出来るというCDを挿入するとすんなりとロックは解除出来た。
このCD違法じゃないのか?と思いつつもデスクトップを開くとすぐに横に繋いでいたHDDの中身を見た。
そちらにロックはかかっておらず中身は簡単に確認出来た。
想像の通り、中身は姉達の盗撮映像。
映像の角度から小型カメラも発見出来た。
僕はそこで父が帰ってくるまでどう立ち回るべきか考えた。
母は父を信頼しきっていて、信用出来ないと思った。
アルバイトから帰ってきた姉達に話を通し、父が帰ってきたところで父のPCを用いて、父を追及した。
逆上して襲いかかってくることも考慮し対策を立てていたが、父は真っ青になるだけで抵抗はしなかった。
下着のことを追及するとそれも認め、書斎の鍵付きの引き出しからは“使用済”の下着が出てきた。
父には始めから姉達が目的だったのかと、聞くとそれは否定した。
本当のところは分からなかったがせめてそれくらいは信用したいと思った。
だが、だからと言って僕も姉達も半分とはいえ血の繋がった妹達も許せる訳がなく、母は抵抗したが、別居の運びとなった。
婚姻関係は本人同士の問題である以上、子供の立場から強制的に別れさせる訳にはいかなかったが、結果として母と父の婚姻関係はそれで事実上の破綻となった。
父は妹達が成人するまで、養育費を振込む変わりに警察には届けないことになった。
現実的な問題として、大家族であるうちから父が抜ければ困窮するのは目に見えていたし、妹達は父に着いていくのを拒否した以上、それが最大限の落としどころだった。
とは言え、父は二度とうちの敷居は跨げず、実子ではない上のきょうだい達は接触禁止、下のきょうだい達も本人が拒否すれば面会はなし、と父は完全に養育費生産マシーンになってしまった。
だが、その事態を招いたのは父自身だったし、その契約を飲んだのもまた父だった。
とは言え、この契約が破られれば、警察にも父の会社にでも今回の件を垂れ込むことになっている。父は何もかも放り出さない限りは飲む以外になかっただろう。
だが、問題はここで終わらない。
前述の遺産の件だ。
父のことが明るみになったことで金のことも追及してみたが、この件については父ではなかった。
母が使い込みをしていたのだ。
以前の父親が亡くなってから父に会うまで、そして父の関心が姉達に向いてから、母は寂しさを紛らわせるためにホストクラブ通いをしていた。
母の給与では賄えず、遺産にも手を付けたということだ。
それを聞いて僕は(あ、駄目だ、こいつ)と思った。
父との関係が良好な頃から薄々感じていたが、母も中々の駄目な親だった。
そこで僕は吹っ切れた。
親が頼りにならないなら、自分達でどうにかするしかない。
元々、家を守っていたのは自分だという自負があった。
それに金の管理が加わるだけだと自分に言い聞かせた。
母の給与の振込先である銀行の通帳とカードを回収し、母は小遣い制にし、その小遣いの一部を微々たる額だが、遺産――学費貯金への返済に当てた。
消費者ローンに駆け込まない様、身分証は自宅管理にしたが、闇金に手を出されることは防げないし、別問題として職質を受けた際、身分証がないのは問題だ。
職場以外への外出を制限することを考えたが、子供の立場で母に強いるのは難しいと考えた。
そこで考えたのが家を母にとって居心地のいい場所にすることだった。
思うに、母は優しさを求めていたのだと思う。
以前の父と共依存のような関係になり、母は伴侶の優しさを渇望し、伴侶が死んだ後、一緒になった父は本質的には穏やかな人間だった。ホストクラブも優しさを求めた結果だと思う。
なら、ホストの真似事をすれば母は家に居着くのではないかと考えた。
問題点は親子関係にあるということだが、大丈夫だという確信はあった。
何も恋愛感情を抱かせる訳ではない、むしろ息子だからこそ母が求めるものがあると確信していた。
父が死んだ時から、僕ら上のきょうだいは母には冷ややかな視線でいた。
ならば、むしろ息子からの優しさを求めているのではないかと僕は確信した。
そして、その確信は正解だった。
ある日、息子が母を唐突にもてなした。
母の好物を作り、お酒を開け、母が息子に言って欲しいだろう言葉を嘘でも囁いた。
母に尽くしに尽くしていた。
母は戸惑っていたが、日頃の感謝だというと嬉しそうに笑っていた。
そして、その日が終わると素に戻した。
母はしきりにあの日の『彼』を求めるようになった。
そうなれば、此方のものだった。
不定期に三回程開催した後、暫く期間を置いた。
母は痺れを切らし、次はいつかと聞いてきた。
そこで、『彼』は幾つかの条件を出した。
難しいことではない。
母は母として振る舞うこと。親の責務を全うすること。無駄遣いをしないこと。必要な時以外、夜出歩かないこと。
それを満たせば、月一でも開催すると言った。
母は目を輝かせ、条件を飲んだ。
僕は内心(あ、これは騙されますわ)と呆れていた。
そんな訳で家に平穏が戻ったと思ったのだが、また新たな問題が発生した。
一番上の姉が男と付き合いだした。
当時、大学生でそれくらいは普通だと思ったが、相手を聞いた時、耳を疑った。
自称フリーターの無職でギャンブル狂い。
血は争えないと思うと同時に母を反面教師に出来なかったのかと嘆いた。
僕は少し迷ったが、干渉することにした。
余談になるが、父のPCを見た時から僕は必要悪に手を染めることを受け入れた。
例えば、いじめの告発。或いは浮気の調査。
それに用いられる証拠の中には盗撮や盗聴だってあるように、僕は姉の携帯に転送設定と位置情報の転送アプリを入れて監視出来るようにした。
そして、それは見ことに当たり、姉の彼氏から姉に借金の返済のために身体を売ることを求める内容が送られてきた。
初め、姉は抵抗を示していたが、良いように言いくるめられ、承諾してしまった。
僕は思わず、天を仰いだ。
姉もまた母と同類なんだな、と。
でも、まだ間に合う。
上のきょうだいと結託し、手を打つことにした。
僕らは姉と話をすることにした。
世間話の様に彼氏のことを聞いてみた。
姉は目に見えて狼狽していた。
僕は続けて最近のことを聞いてみた。
姉は明らかに嘘をついている顔で他愛のないことを言っていた。
そして、僕は彼氏のどこが好きなのか、何故愛しているのかを聞いていた。
姉の答えは母と同じだった。
優しいところ。
だが、その優しさは誠実さのないものだった。
だから、僕は思ったことをそのまま言ってみた。
「母さんにそっくりだね」と。
姉はガツンと殴られたような顔をしていた。
僕は続けて、何か隠していることはないかと聞いてみた。
姉は戸惑いながらも、借金の肩代わりに身体を売ることを求められていることを漏らした。
僕は本当にそんな奴が優しいのかと聞いた。
姉は答えられなかった。
僕はたたみ掛けた。
「どうしても、そいつのところに行きたいって言うなら止めない。軽蔑するけど。でも、僕は何より、姉さんにそんなことを強要するなんて、そいつのこと*したいくらい憎いよ。ねぇ、それでもそいつのこと好きなの?愛してるの?家族を失ってもいいくらいに?」
姉の顔は血の気が引いていた。
やがて、真っ直ぐ僕を見ると、子供の様に泣きじゃくった。
僕は子供をあやすように、姉を抱きしめた。
姉は落ち着くと彼氏だった男に拒絶と別れの連絡を入れた。
男は発狂し、脅迫じみた言動で姉を脅したが、会話の内容は全て録音していた。
途中で僕が変わりに出て、録音している旨と警察に届けることを告げると男は沈黙した。
それ以降、男の消息はつかめていない。
というより、姉との関係が切れた以上、興味がないというのが正しいか。
以上が、比較的壮絶な僕らの半生だ。
だが、これは前置きだ。
ある意味では、この後の………現在の話の方が大変だと思う。