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99%攻略不可能な世界に異世界転移したから、モブキャラとしてほそぼそ生きます3

 《コトンーー……》


 テーブルに置かれた一杯のホットミルク。

 それは紛れもなくクロウ伯爵が用意してくれたもので、お鍋に乳牛のミルクを入れて温めただけのシンプルな物なのだがカップに注ぐまでに何回か温め過ぎて吹き(こぼ)したり、カップに注ぐ瞬間に(あふ)れてしまったりと四苦八苦して入れてくれた物だった。


 伯爵は彼女のじめっとした視線をわざと外し、何もなかったふりをして窓の外の夜空に浮かぶ月を眺める。


「……料理や掃除は全部エメに任せてある」


 伯爵は腕を組み自慢気に答える。


「エメさんがいない土日や祝日はどうしているのですか?」


 彼女の鋭い質問にクロウ伯爵は体を動かさずにチラッと横目で心優の顔色を見ると口元を(ゆが)め気まずそうに答えた。


「……()()()


「は……!?」


 予想以上の答えに思わず大声を出してしまい両手で口を押さえる。伯爵の口元がピクリピクリとわずかに動いた。


「エメは家に帰る前の日に二三日食べられる食事を用意して帰宅するので問題ない。そして、エメがいない日は部屋を散らかさないように行動は必要最低限に抑え、なるべく寝てる」


「いきなり客人が来たらどうするのですか……?」


()()()を使う」


「ーー!!??」


 心優は危なく口に含んだホットミルクを吹き出しそうになった。『お屋敷を何回訪ねても一向に出会うことがなかった理由』がすんなりと分かってしまったからだ。今、全国の『オトメ女子』に大声で訴えかけたい。クロウ伯爵のルートを攻略しようと何回お屋敷を訪ねようとも、その時間は無駄だと。『伯爵は()()()を使っている』とーー……。


「エメさんにお屋敷に住んでもらえばいいのに」


「それはだめだ。エメは今年で68歳になる。そのような方に土日も働けだなんて言えない。エメの執事としての仕事は平日は朝の10時から始まり夕方の5時で終わると決まっている。俺の仕事がない日くらいは自宅で家族とゆっくり過ごして欲しいのだ」


「案外ホワイト企業なのね……」


 伯爵は聞きなれない異国の言葉に眉と眉を潜めて「今なんと言った?」と聞き返す。心優は両手を広げてなんでもないと誤魔化す。


「この前エメは一生俺に仕えると遠回しに伝えてきた。それが執事の誇りだと。俺の全ての好みを把握し、仕事が万全に進むようにサポートし、成長を最後まで見守りたいと……でも、俺はエメにそこまで望んでいない」


「……執事の鏡のような方ね」


「そこで現れたのがおまえだーー!!」


「えっ、わ、私……!?」


「おまえさっき街に仕事を探しに行くと言ったな!?」


「ええ、まぁ、言いましたけど」


 まさかーー……。


「あいにく使用人(メイド)を一人雇いたいと考えていた所だったんだ」


 まさかーー…。


「俺の使用人(メイド)として、このお屋敷で働かないかーー……?」


(私は確かに仕事を探しているとは言ったけれど、それは私にもできそうな普通の仕事よ! 元の世界に戻ることが困難だと思いこの世界のモブキャラとしてほそぼそと生きていこうと決めたのに、クロウ伯爵の使用人(メイド)になんかなったら何が起きるかわからないじゃない……!?!?)


「正直おまえにとっても好条件だと思うんだ。おまえが迷い込んだ場所の地主は俺で、もし、探している人がいたら真っ先にこの屋敷に来るだろう。その時は屋敷の使用人(メイド)を辞めてもらっても構わない。エメがいない土日、祝日に働いてもらいたいから祝日は月曜日と火曜日。就業時間はエメと同じ10時から夕方の5時まで。……街に行って仕事を探すよりはまともな求人だと思うんだが、最終的に選ぶのはおまえだ。……どうだ? やるか? ……やらないか?」


 心優の前には乙女ゲームでもお馴染みの選択肢が突如現れた。でも、彼女はそんなこと望んでいない。案件を出したのになかなか(うなず)かない心優にクロウ伯爵は意地悪をした。


「では悩んでいるおまえに現実を教えてやろう。この街の平均賃金を知っているか?」


「え、ええと……」


 心優は『清き乙女は王子様に寵愛(ちゅうあい)される』で異世界に迷い込んだヒロインは生きていくために自分と同じように仕事を探していたことを思い出す。

 宿屋の掲示板に貼られた求人票の三つの選択肢。一つめは『お城の皿洗い、時給640円』。二つ目は『宿屋の掃除係、時給650円』。三つ目は『パン屋のお店番、時給630円』と、どれもかなりの薄給なのである。


「誰にでもできる簡単な仕事は豊富にあるが地域賃金が安いので最低賃金も低い。息ごんでいるのは大変結構だがこの給与では1日の宿代までは補えないだろう」


「つまり…」


「住み込みで働ける下宿先が見つからなければ一生()宿()だ」


「ひぃ……っ」


 心優は求人の詳細を必死に思い出していた。乙女ゲームのヒロインは無一文でこの世界に放り出された後、どうやって暮らしていたんだっけ? 下宿先をも提供してくれる求人はなかった。うーん、うーんと頭を抱えていると、頭の隅で思い出す。


 そう、ヒロインも途方に暮れている時に偶然『王子様』が現れてヒロインがなんの努力もせずに『住み込み先』を提供してくれるのだ。主人公の困難にそっと優しい手を差し伸べるのが『王子様の存在』。乙女ゲームの鉄板である。


 心優はコップに残った最後の一口を飲み干すと伯爵と視線を合わせる。


 漆黒の髪に鋭い眼光、美形ではあるが『王子様』とうよりは『()()』がやはり似合う。心優は頭の中で『クロウ伯爵の使用人(メイド)』と『一生野宿』と言う選択肢が思い浮かぶ。


「わかりました、クロウ伯爵。私は今日から伯爵の使用人(メイド)としてお屋敷で誠心誠意働きますーー……」


 こうして心優は元の世界に戻ることが困難ならせめてこの世界のモブキャラとしてほそぼそと生きるべく働き先を見つけたーー……。


 クロウ伯爵の使用人(メイド)になったからには平穏で無難な日々を過ごすことは難しいと思うけれどもーー……。


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