99%攻略不可能な世界に異世界転移したから、モブキャラとしてほそぼそ生きます2
お風呂から上がった心優はクロウ伯爵がいる暖炉のある広間へと戻った。
『クロウ伯爵の攻略は一般人以下の自分には99パーセント不可能』だと思い、『モブキャラとしてほそぼそと生きる道』を選んだので、伯爵に『明日の朝にはお屋敷を出る』ということを伝えなくては。
「だって約束は一晩だもの。途方にくれる前に自分で道を選ばなくちゃ」
そう、それはこの『乙女ゲーム』を知り尽くした『自信』と『オトメ女子のプライド』のせいもあったのだろう。
ではなぜそんな『プライド』があるのにも関わらず『手っ取り早く王子を攻略して現実世界に戻ろうと思わないのか』と思う人がいるかもしれないので補足をしておくーー……。
最初に何度も伝えた通りこの心優が『異世界転移』した乙女ゲームの世界『清き乙女は王子様に寵愛される』はdream・worker『一の駄作』なのだ。
かわいらしいヒロインがどんなに頑張って王子様を攻略した所で最終的には『クロウ・ブラックジェイド伯爵』がやって来てバッドエンドにしてしまうーー……。
何度思い出してもトラウマだったーー……。確かに『クロウ・ブラックジェイド伯爵』に邪魔されることなく無事に主人公は王子様と結ばれて、見事元の現実世界に戻ったこともあったーー……。
それは『オトメ女子』の間では正式なルートではなく闇ルートとされバッドエンドよりも非常に後味の悪いものだったーー……。
《キィーー……》
「あ、あの、クロウ伯爵、私あなたに言わなきゃいけないことがありまして……」
すると先程の暖炉の広間に置かれたテーブルの上にはパンや新鮮な野菜がたっぷり入ったサラダ、シーフードスープ、一口大の大きさの若鳥のチキンソテーが置かれていた。
「夕食が冷める、早く席に座れ」
心優はおいしそうな料理の数々に思わずおなかが鳴る。
《ぐきゅるるるる……》
心優はクロウ伯爵にテーブルの椅子を引かれ腰を掛ける。向かいの席に座った伯爵がナイフとフォークを手に取ると、小皿に取り分けられた料理をパクパクと口に運んでいた。
伯爵は悪魔の料理を好むと『オトメ女子』の間ではうわさされていた。悪魔の料理とは、『蝙蝠の生き血』、『豚や七面鳥の丸焼き』、『しんせんな心臓』などの身の毛もよだつような恐ろしい料理を伯爵は好んで食べているとーー……。
「それでなんだ話とは……?」
うわさとは全く違う真実に頭の処理が追い付かず、目の前のおいしそうな料理を前に呆然としてしまう。やっとのことでフォークを握ると、緊張で手が震えトマトを取ろうとしたが、どうにもお皿の上でコロコロと転がって逃げられてしまう。
見かねたクロウ伯爵は使っていない予備の皿にサラダとチキンをサッと取り分けて心優の側に置いてくれた。
「ここには俺しかいないのだから上手くやろうとしなくて良い。嫌いなものがあれば残しても構わないし、自分の好きに食べろ」
その優しい言葉に今度は開いた口が塞がらない。
「この料理はクロウ伯爵が作られたのですか……?」
「まさか」
クロウ伯爵はふふっと軽く鼻で笑う。
「エメが出掛ける前に用意してくれたんだ。きっちり二人分。俺とおまえの分をな」
心優は心の中でエメさんに感謝をした。
「ところでさっきの話だが……」
「あの、私、ずっとお世話になる訳にも行かないので、こちらには一晩泊めてもらった後、明日の早朝にはお屋敷を出ようと思っています」
心優の決断に伯爵は驚いた表情で彼女を見つめる。
「クロウ伯爵、見知らぬ私を助けてくださりありがとうございました」
心優は両手を膝の上に乗せてペコリと頭を下げる。
「……行く宛はあるのか……?」
クロウ伯爵はしばらくの沈黙の後、声を低くして心優に尋ねた。
「はい、近くの街で仕事を探そうと思っています。はじまりの街……いや、あそこなら情報源も豊富で仕事もすぐに見つかると思いますし、そこで一生懸命働いてほそぼそと暮らそうと考えております」
「……そうか」
クロウ伯爵は窓から遠くの庭先を見つめる。
すっかり日は暮れ辺りは暗くなり、窓には水滴が滴りポツリポツリと流れ落ちる。雨音は大分静かになり遠くの空に浮かぶ雲と雲の間から、微かに月が顔を出したことから明日は晴れることが予想されるーー……。
「……わかった。話はそれだけだな?」
「はい……!」
クロウ伯爵は深いため息をつくとおもむろに席を立ち、暖炉の前のソファーに横になった。
「俺はここで寝る。おまえは適当に二階の好きな部屋を使ったらいい」
「へ……? 本当にどれでも好きな部屋を使っていいのですか……? ご両親の部屋とか間違って使ってしまったら……」
クロウ伯爵のお屋敷は攻略外で全くもって誰が住んでいるかとか把握していなかったのでどれでもいいと言われると困ってしまった。
「……この屋敷には俺しか住んでいない」
「……!?」
意外な真実を聞いて驚く。
「俺を育ててくれた母親は小さい頃に死んだ。俺は数十年前にこの屋敷の持ち主である祖父に引き取られたのだが、その祖父も三年前に他界してしまった。祖父が雇っていた使用人はその時に全て解雇したし、特別料理人も置いていない。俺の執事はエメ一人で事足りている」
「……伯爵……」
心優はそんなこと全く知らなかった。
どうやら情報のうわさには大きな間違いやデマが多く含まれていてクロウ伯爵のうわさのほとんどかうそのように感じられたーー……。
そして暖炉の前で毛布にくるまり横になる伯爵の背中はどこか寂しく、彼を見ていると胸がぎゅっと締め付けられた。
「……なにも知らずにごめんなさい……」
「おまえは別に悪くない。早く休むと……」
《ポタッ……ポタッ……》
「……!?!?」
《ポタッ…》
会話が途切れたので伯爵は振り返って心優の顔を見る。すると血相を変えて、ソファーから起き上がり彼女の座る椅子の元へ駆け寄った。
「……うっ……うっ……」
心優の瞳から溢れる大量の水滴を指で拭う。
「あなたのことなにも知らなくて勝手に悪い人と聞いてしまったの……ごめんなさい……」
古傷を抉るような言葉を投げ掛けたのは彼女の方なのに、彼の心情を思うと自然と悲しさが込み上げてきて、感情的になってしまい、涙が止まらなかった。
「俺たちは出会ったばかりなんだから、お互いの事情なんて知らなくて当然だろ」
伯爵は自分の袖で心優の頬に流れる涙をグイグイと強く拭いてくれたが、彼女は頭を何度も何度も横に振ったーー……。