出会いはどしゃ降りの雨2
《ポタ……ポタ……》
雨に打たれてずぶ濡れになった外套を玄関に置いてあるコート掛けハンガーに吊るして乾かす。クロウ伯爵は玄関に敷かれた絨毯の上に心優を下ろすと先に一人で部屋に入って行った。
二階へと繋がる左右の対照的の螺旋階段の中心には大きな大きなシャンデリアが吊るされている。シャンデリアは広い玄関先を照らすのに十分過ぎる程大きく豪華である。すると、伯爵は中央の扉から出てきた。
「濡れたままだと風邪をひくだろう。すぐに風呂の用意をするから奥の部屋で待っててくれ」
伯爵は大きなバスタオル一枚とフェイスタオル一枚を持って来てくれた。来客用にと差し出されたのはウサギの毛でできた履き心地の良い柔らかなスリッパ。心優は雨に濡れた体をフェイスタオルで拭くと風邪をひかぬようにバスタオルにくるまった。
クロウ伯爵のお屋敷。乙女ゲームの世界では固くなに客人をも拒み、手紙や小包は玄関先でお屋敷の使用人が受取る。幾度となく時間帯や曜日を見計らって彼のお屋敷を訪ねても彼自身が姿を見せることはなかったーー……。
心優の想像では部屋の中にある物は枯れた観葉植物だとか鹿の頭部の剥製だとか仁王立ちで相手を威嚇する熊の剥製、全身を金属板て覆った板金鎧のオブジェが置かれているのだと思っていたが予想は外れる。メインキャラの四人の王子様にも引け目を取らぬほどの大豪邸だったーー……。
心優は豪奢なシャンデリアの灯りに照らされ心を踊らせながら中央の扉を開ける。
《キィーー……》
お庭を見渡せる大きな窓に大理石の床。テーブルを囲むように配置されたソファー。家具やカーテンは黒で統一されていて、シンプルだが気品がある。暖炉の近くのソファーには黒い絨毯が敷かれていて金の刺繍が施してある。
後から部屋に入ってきたクロウ伯爵は暖炉の薪に火を灯すと部屋はだんだんと暖かくなる。
遠くの部屋で蛇口から水が溢れ出る音がする。
「適当に好きなところに座れ」
クロウ伯爵は暖炉の前でフェイスタオルでずぶ濡れになった頭をごしごしと拭く。濡れたベストを脱ぎ、ワイシャツの袖を捲る。心優は暖炉近くのソファーに腰を掛けるとパチパチと燃える薪の炎をぼんやりと見つめていた。
雨雲が遠退き、どしゃ降りだった雨は次第に小雨になる。お庭に咲く水木の葉に雨粒が当たり跳ね返り地面に落ちる音がなんとも心地く響く。
そうしているうちに玄関の扉が開く音が聞こえ、エメが帰ってきたことが分かった。
「そろそろ浴槽のお湯が温まった頃だろう。おまえ、先に入るか? それともやはり女性は後がいいのか?」
「エメさんを先に入れてあげて」
「エメは自室に専用の風呂があるからいいんだ」
『自分専用の風呂』という言葉が嫌味たらしなくポロリと口から出るのは伯爵は間違いなく『資産家』なのだろう。前髪を上げ肩にフェイスタオルを巻いた伯爵は不機嫌そうに目を細めてきっぱりと断る。
「クロウ伯爵……お先にどうぞ」
その冷たいまなざしが怖くて思わず遠慮してしまった。伯爵が部屋から出たのを確認すると、体の力がどっと抜けて、緊張していた糸がほどけたのか、深くため息をついた。
お屋敷は想像以上にすてきな物だったけれども、まだ油断はできない。彼が周りの住人に『黒翡翠の悪魔』と恐れられていることからも、きっと何か『理由』があるのだからーー……。
そして、冷静と落ち着きを取り戻し必死に『元の世界に変える方法』を探っていた。
確かdream・workerの『清き乙女は王子様に寵愛される』のヒロインも心優と同じく『別の世界』から『見たこともない異世界』に異世界転移していた。そして、王子様と出会い胸がときめくような恋愛をして、さまざまな困難を乗り越え、王子様と結ばれると王子様の愛の力で『元の世界に戻った』ことを思い出す。
「え……? 私、今なんて思った? 王子様と結ばれて……元の世界に戻った……?」
まさか、まさかーー……。
「元の世界に戻れる方法ってーー……」
有り得ないわ、そんなこと絶対に、いや、99パーセント有り得ない。
「何か思い出したのかー…?」
目の前に立っていたのは黒いシルクローブ姿のクロウ・ブラックジェイド伯爵。肩まで伸びた長い髪は片方だけ耳に掛けられていて、湯上がりの大人の男性は妖しい色気があった。
『元の世界に戻れる方法』が何度繰り返しても決して結ばれることがなかった『陰キャラ』、そして別の王子様に求婚しても絶対に邪魔してくる『憎き相手』。99パーセント攻略不可能と呼ばれた『黒翡翠の悪魔』と恋に落ち、愛の力で元の世界に戻るだなんてーー……。
「絶対不可能、99パーセントバッドエンド確実だわーー……」




