甘い夢の続き
『心優……』
「誰……誰なの?」
霧がかかった真っ白な世界で、心優は真っ白なワンピースを着て素足で立っている。凍てつく氷を踏みつけているような冷たく硬い地面。
勢いよく下から風が吹き抜け、周囲を囲んでいた霧が一気に晴れると、世界が見えた。
真っ白なキャンバスに水を含めた水色の絵の具で大胆に色を塗る。水色でも青でもなく。かといって、白でも、灰色でもなく。世界の端から端まで、複数の色が混沌し合って空を表現している。
……ぐらっと目眩がしてその場に屈む。両手に装着された鉄の手枷。
街全体が視える。燃えた樹木、焼かれた商店街、船場、黒く濁った海。街に倒れている人たち、煙、火の粉ーー……。
焼けた地面から自分が立っている空間まで長い螺旋階段で繋がっていて、その中心はぽっかりと穴があいている。その空いた遥か彼方上空の中心に大きな硝子の卵が浮いていて、その中に拘束されていたのだ。
(このままでは卵が地面に落ちて、私も死んでしまうかもしれないーー……)
心優はどうにかして手から鉄の鎖を外そうともがいた。手のひらを握ったり開いたりして、鉄の輪から手を外そうとする。鎖と鎖を合わせて壊そうとする。鍵穴はないか、鍵はないか探る。だが、どれもうまくいかなかった。鎖に印された過去最大の狂獣の紋章。自分の小物入れ鞄。中に入った小瓶の回復瓶。ハートの時計型ブレスレット。……武器はなし。
心優は目の前が真っ暗になったーー……。それでも、願うように残りの回復瓶を飲んで、ゆっくりとその場に立つ。
耳を塞ぎたくなる不快な警報。警告を意味する『WARNING』の文字。彼女は後ろを振り向いた。
小さな彼女を覆う大きな影。
幾重にも連なる鎖。背中から生えた複数の翼。
頭上を照らす光の輪。敵はその救世主の名とは裏腹に手に持った杖をこちらに向ける。
すると、眩しい光が卵に当たりヒビが入ったーー……。卵が割れる……。
『心優……!!!』
空から伸ばされた大きな手、背中で受け取ってくれた黒龍。心優は落ちそうになったところを螺旋階段を潜り抜けてきた戦士に救われた。
『……心優、怪我はないか?』
心優は気を失っていたようで、気がついたら先程とは別の野原に二人は座っていた。
黒髪短髪に鋭い目付きの男性。漆黒のマントに鋼の鎧。腰に下げた鞘から銀の長剣がキラリと光る。
彼の背後では先程彼が操っていた一匹のドラゴンが羽を休ませていた。
「助けてくれてありがとう、カラスマくん」
「おまえが無事なら問題ない。討伐の途中で相棒に死なれては効率が下がるからな、おまえの準備が整いしだい、二人で再挑戦しよう!」
「うん……!」
受け取った白魔法師の杖。心優は深く深呼吸して杖の魔法石に願いを込めて呪文を唱える。魔法の詠唱と共に彼女の頭には黒猫の猫耳と背中には翼と尻尾が生え、二人は不思議な力に包まれ、それぞれの能力が急激に上昇する。
「さあ、行こう!」
二人は手をしっかりと握り、再び敵の元へ消えて行ったーー……。
討伐は見事成功し、世界には平和が訪れる。
見晴らしの良い丘で世界を救った一人の勇者と、諦めずに彼をサポートし続けた熟練の白魔法使いがお互いの手を握りしめて愛を誓うーー……。
「心優……長い間、共に戦ってくれてありがとう。おまえがいなかったら俺はここまでこれなかったよ。
それで……もし、おまえが嫌じゃなかったらでいいんだ。俺は本当のおまえと一度話をしてみたい。おまえが都合のいい時で良いんだ。俺と一度逢ってくれないか?」
「カラスマくん。あなたは世界で一番の勇者でそしてこの世界の秩序さえも破ってしまうのね。それを言ったら私たちはこの世界から追放されてしまうのに……」
「おまえがいればゲームの世界だろうと現実世界だろうと構いやしない。
俺たちはいつでも、どの世界でもーー……」
「カラスマくん、いや、セミネくん。きっちり夕方六時、西宮駅前で待っているわ。日にちは月曜日ならいつでもいい。私はいつもそこにいるからーー……」
そして、二人のメッセージはこのやり取りを最後に全て消去されてしまった。もちろん、世界最強と言われた二人のデーターも全て。
明くる日二人は西宮駅で再開する。
片方がスーツ姿で、もう片方が制服姿というまさかの形でーー……。
「瀬嶺一烏、dream・workerの社員? ていうか、瀬嶺と言えば創業者の瀬嶺良雄と同じ名字じゃない!?」
「ああ、瀬嶺良雄は俺の父親だ。ユーザーネームは一烏だと、会社から怪しまれるのでずっと隠していた。正直プレイヤーの中でも目立つ所にいたので会社にバレてクビにされないかとひやひやしていたよ」
「ばっかねえ……」
「ずっと、お前に会いたかった。まさか年が10こも離れているなんて思いもしなかったけど」
「それはこっちのセリフだわ」
二人はお互いの本当の姿を見て笑いあい、現実世界でお互いの手を取り、愛を育んだ。そして、二人は三年の遠距離恋愛の末、見事結ばれるーー……。
『心優、決して諦めてはだめだ。諦めたらそこで戦闘不能。プレイヤーが諦めてしまったら一体誰が世界を救えると言うんだ。世界を救う鍵は常に俺たちが握っているーー……』
《ザァーーーー……》
残酷にもあの日と同じ雨音が遠くで聞こえてくる。
「ミーユ?」
一瞬、彼に呼ばれたのかと思い目を覚ますが、期待は裏切られ、目の前にはクロウ伯爵が心配そうな目をして見つめていた。
『心優……』
(この声はーークロウ伯爵ではない。この世界に来たとき私が雨に打たれながらも錆びれたベンチで待っていたのは、一烏さん。私の旦那さまだわ)
意識が戻った心優を伯爵は優しく抱き寄せる。
さぁ、甘い夢の続きをしようと優しく声をかけた瞬間、彼女の瞳は潤み感情が揺さぶられる。
「どうした? ミーユ? 嫌な夢でも見たのか?」
心優は無言で頭を振り、瞳からは涙が溢れる。
伯爵が慌てる中「ごめんなさい」としか言わず、子供のように泣きじゃくる彼女に成す術がなかった。そして彼女はおなかを手で押さえると胸に詰まった言葉を少しずつ吐き出す。
「私は全てを思い出してしまったの。元の世界にはあの方が待っている。
私は元の世界に帰らないといけないのーー……
ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさいーー……」




