後日談*ヒョウガ王子からの手紙
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のちにお屋敷のドアをたたいたのはイーグリット王子本人だった。彼は手紙を受けとると早々に実行に移し、お屋敷を訪ねてくれた。代筆した本人であるエメが彼を部屋に招き入れ心を込めた一杯のお礼の紅茶をお出ししたあと、満足した彼はお城に戻られた。
イーグリット王子は「これで物事は約束通りです。この手紙を伯爵に渡していただきたい」と言い残し、一通の手紙をエメに託す。王子が帰られてからエメは丁寧に手紙の封を開けると、その内容にゆっくりと目を通した。
「ご招待いただきありがとうございます。パーティーにはぜひ参加させていただきます」
伯爵と心優から話を聞いた時、エメが一番気にかけていたのはヒョウガ王子のことだった。
北の大地は郵便物が届かない。ヒョウガ王子に送られた手紙はイーグリット王子に預けられ、王子が直々に届けてくれたようだった。
北の氷小狼。冷たいまなざしと冷えきった心。愛情に飢え、人の暖かみに飢え、それでも故郷でほそぼそと一人で生きる。
エメは自分に何か彼の手助けができることはないかと遠くから見守っていた。それも彼の方からこちらに少しでも興味を持ってもらわないことには何もできないのだけれども。
長い間頑固として変わらなかった彼が、『故郷を離れてこちらへ出向く』と言うのだから、セナや伯爵、心優と出会い心境の変化があったのだろう。
以前の寡黙な彼だったら国から出ることは考えなかった。地底に眠る大蛇に喰われるのを待つか、風雪に揉まれ、雪が城を埋め尽くすのを待つか。その時はそれが国の運命として、自身の命でさえ国とともに滅びるものだと、彼はそう心に決心していたーー……。
「彼が少しでも変わってくれたならそれは良かった。王の意思は国の存続に直結しますからーー……」
事実セナがこの世界から消えた後、北の国は消滅するとうわさされていた。
食糧が尽きようとしているのに、誰一人として狩りにもいかず、他の国に助けも出さない。自身の愛護する二頭の狼を使えば下の街に出向くこともできるはず。
なのに王子は椅子に座ったまま窓から空ばかりを見ていると。
見かねたイーグリット王子は兵士を引き連れて北の城へ出向いた。
辺りが分厚い氷に覆われた国の入り口で狩りをしている狼の群れに鉢合わせする。まずいと思い引き下がろうとしたが、背後から無邪気に走り回る二頭の狼が現れ、「遊んで、遊んで」とじゃれついて来た。
二頭は良く人になついて、手に持っていたパンくずを食べさせると、周りの狼を引き連れ道案内をしてくれた。ソリは一つだけ置いてあったがそれには乗らず、大量の食材と木炭を乗せて運んだ。
日が暮れると氷が薄い場所から肉食の大蛇が現れたりしたが、すぐさま狼たちは気配に気づき兵士が噛まれる前に蛇を仕留めてくれた。
狼たちはイーグリット王子、それに兵士たちを守るように警戒しながらソリを引っ張ってくれる。二匹の狼は先頭で遊んでいるようだったが、周りを良く見ていて実に頼もしい存在だった。
休憩しながらも歩いたのち雪に埋もれたヒョウガ王子の城が見えてきた。気温はより低くなり寒さに慣れない兵士は体調を崩した者もいたが、狼がモフモフの毛で暖めてくれたり、背中に乗せて運んでくれたので大事には至らなかった。
ヒョウガ王子のお城には門番などおらず、城内に勝手に侵入しても誰かが止めるわけでもない。常に鍵は空いていて、誰もが勝手に出入りできる。荒れた城内、朽ちた食料。無法地帯となっていた。
部屋に入ってもシンとしていて、声を上げて名前を呼んでも物音一つ聞こえない。思った以上に深刻な事態に心配になったイーグリット王子は、奥の広間で椅子に座って外を眺めるヒョウガ王子のことを見つけるとすぐさま駆け寄り声をかけた。
「おい、ヒョウガ、大丈夫か!?」
ヒョウガ王子はぼんやりと虚ろな目でイーグリット王子のことを見つめていた。
体が冷えきっている彼に暖かな毛布をかけて、持参していた熱が覚めない特注の瓶に特性のスープが入ったものを飲ませ布に包まれたパンを渡す。
ヒョウガ王子は最初は拒んでいたが、グイグイと無理矢やり口に押し付けられると渋々かじりついた。
次にイーグリット王子は兵士に指示を出して厨房で持ち寄った体を暖める食材を使って食事を作るように伝える。
「固い椅子に座っていては体が休まりません。疲れを取るには、栄養満点の食事をとって、体を暖め、暖かいベッドで休むのが一番です」
イーグリット王子は手を差し出すがヒョウガ王子はその手を取ろうとはしない。腹の奥から深く息を吐くとゆっくりと話始めた。
「俺の愛は間違っていたのかもしれない。
彼女に会ったときから彼女には他の人とは違う何かを感じ彼女の内側から引き出される魅力に魅了されていた。
彼女は素直で正直者だ。それでいて強い信念も持っている。
俺は彼女に『帰りたい』と言われても最後まで手離す事ができなかった。どこかいつかは自分の事を好きになってくれると信じて、彼女が俺の側にずっといてくれることを望んでいたんだ」
「ヒョウガ……」
「彼女がいなくなってしまって、俺の世界も時間が止まったように凍ってしまった。
……正直苦しいよ。苦しくて、寂しくて、毎日彼女にもう一度だけ会いたいと願っている」
そんなはかなげなヒョウガ王子の姿を見てイーグリット王子は目を細める。
「この僕があなたに同情するとお思いですか?」
いきなりイーグリットの声色が変わり、目を丸くしたヒョウガ王子は、目の前で静かに怒りを押さえている彼に威圧感を感じた。
強く握りしめられた拳が勢いよく、ヒョウガ王子の座る椅子の背後の壁に叩きつけられる。
「同じ一国の主の立場として、弱々しい氷小狼の姿を見るとは、全く恥ずかしい限りです」
少女漫画で言うところの壁ドンというヤツなのだろうか。
姿勢を低くして若干上から彼に近付く。
青春真っ只中な純粋な少女であれば整った顔立ちの彼が近距離で話しかけてくるだけでも胸の鼓動が高鳴るだろう。逃げられぬ状況で耳元で静かに囁く彼の虜になりそうになるのだけれども、今回だけは話が別だった。
「あなたがそれでは国民はどうなるのですか? 事実、あなたが傷心してぼーっとしていた期間、飢餓に堪えきれずこの国から抜け出した者も多数いると聞いています。
あなたはいつもそうです。国王でありながらも、精神的に幼く、弱々しくて見るに耐えない部分があります。
この国を繁栄させるのも、人が去っていくのも、あなた次第でありましょう。
この地を選ぶなら僕はそれなりの環境を整える。
それが先代の国王に託された僕のやるべきことだからです」
イーグリット王子はこれでもかというくらい彼を罵る。
半分は同じ立場でありながらも、自分に甘えている彼に渇を入れたかった。もう半分は自分には傷心の時間などなかったという八つ当たりも含まれていたのかもしれない。
「まあまあイーグリット王子、今日のお説教はこのぐらいにして先に昼食にしませんか?」
兵士は手に何やら蓋のついた器を抱えていた。
二人はおいしそうな匂いにピタリと争いを止めてその正体を確認した。
「それは?」
「これはカレーでございます」
「カレー?」
兵士はテーブルに二つの器を置き蓋をとる。
「赤唐辛子にウコン、香菜、馬芹ニンニク、生姜、鶏肉……こちらの気候では育てにくい食材もあろうかと思い、細かく粉末状にしたものをお持ちいたしました。肉は鶏肉、シカ、イノシシ、その他でも代用は可能かと」
ぶつぶつと話しているとイーグリット王子はその話を遮り「他の者は食べましたか?」と聞いてきた。兵士は大きく頷くと遠くの扉を開ける。扉の向こうでは城を飛び出したはずの人たちが集まりがむしゃらにカレーを食べている姿が目に写った。
それを見てヒョウガ王子のおなかが鳴る。
イーグリット王子は椅子に座り味見をする。「おいしいから食べてください」と彼にスプーンを差し出し、二人は目の前のカレーの味に夢中になった。
北の国では取れない食材。はじめて口にしたカレーの味は若干辛かったがその辛みが体を芯の底から暖める。
額からは汗が流れ、胃が熱く、幸福で満たされた気分になる。
今まで卑屈になっていた考えから解き放たれ、スプーンを握る手が震える。
「涙が出るほどおいしいでしょう」
知らぬうちに彼の瞳からは大量の涙が溢れていた。
悲しい、辛い……それでも、自分が一人ではないことにやっと気づき彼は泣いていた。
あの時クロウ伯爵や心優が言ってくれた言葉が頭に浮かぶ。
「それで、今回僕が来た理由はもう一つあるのですがーー……」
イーグリットは然り気無くかばんから一通の手紙を取り出すと、中に入っていた二枚の招待状のうち、一枚を彼に渡したーー……。




