ディネ・アン・ブラン
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最近はぐっと気温が下がり暖炉がかかせない日々が続いている。心優は朝の日課が終わると冬用のケープを頭からすっぽりと被り馬小屋に蓄えていた大量の薪をお屋敷に運び暖炉の中へ並べる。
伯爵はまだ起きてこない。
昨日、たくさんの依頼の中から「いつでもいい」といわれていた依頼を思い出して深夜遅くまで仕事をしていたからだ。仕事が無事終わり机に置かれた封書に目を通す。すると彼女は慌てて伯爵を起こした。
「クロウ伯爵、これ期限が過ぎております!」
ベッドで眠っている伯爵を何度起こしても目を固く瞑っていて開けようとしない。それどころか暖かいベッドに彼女さえも引き釣り込もうとする。それがわざとだと彼女はわかっていたので、ありとあらゆる誘惑を断り、彼の頬をペチペチと軽く叩く。すると、やっと諦めがついたのか伯爵はゆっくりと瞳を開いた。
「その依頼は隣人の年寄りからだ、いつでもいいといっていたからにはいつでもよかろう……」
伯爵は適当なことを言い出したので心優は依頼主の住所を見ると鞄に封筒を入れて部屋から出た。
ウサギの毛でできた手袋をはめて、革靴を履いて外に出る。入り口のドアを開けると辺り一面銀世界だったーー……。
「わあーー……」
空から降り注ぐ小さな雪の結晶。
雪はふわふわとゆっくり落ちて、片手で受け止めるとすぐに溶けてしまった。心優はケープを深く被りお屋敷から出る。
依頼主の住む家は伯爵のお屋敷からすぐそばにあった。
古くからある歴代の煉瓦のおうち。見たところ誰も出てくる気配はなかったので会釈をしてから敷地に入る。
鉄のドアノブを軽くノックする。
すると中から声が聞こえゆっくりとドアが開いた。
「朝早くからすみません。クロウ伯爵から依頼を受けていた物ができ上がりましてお渡しに参りました」
住人は大声で依頼主の名前を呼ぶ。
「おじいさま、おじいさま! クロウ伯爵の可愛らしいお嬢さんがわざわざ届けに来てくれましたよ」
心優は頭を隠していたケープを脱ぎ、肩やスカートについた雪を手で払いのける。家の中からお手製の木で出来た車イスに乗せられ、真っ白い髭の生えた老人と目線があう。心優は会釈するとニッコリとほほ笑んだ。
「……遅い、遅すぎる」
「すみません。私から伯爵に伝えておきます」
老人は長い髭を触り、心優から封書を預かる。
「あいつのことだから、こんな老いぼれに頼まれた依頼など忘れていたのだろう。それにしても遅い。封書が届く前に私が先にこの世を去るかと思っていた」
心優はさらに深々と頭を下げる。
だが、丁寧に一枚一枚かかれた書類に目を通すと鼻で笑いヘドを吐いた。
「黒翡翠の悪魔はこんな可愛らしい使用人がいて、命拾いしたな。今回はアンタに免じて許してやろう」
「期限は過ぎたが、パーティーはまだ先のことだろう。黙ってでき上がるのを待ってればいいのに、全く気の早いせっかちな老いぼれじじいは扱いに困る」
その声に反応し後ろを振り向くと、寝癖がついた頭で眠たそうにあくびをする伯爵が立っていた。
「ちょうど昨日仕上がったので、今朝には持っていこうと思った所だ。それに心優は使用人ではない、俺の婚約者だ。今後そこのところを宜しく頼む」
髭の生えた老人は面白くなさそうな顔をしていた。
「まさか、俺が生きているうちに小僧に『花嫁』が現れるとはな。それならそうだ、ついでにこのでき上がった書類を一枚一枚近所に配っておくれ。可愛らしい婚約者の紹介もかねてな」
伯爵は「ふん」と鼻で笑っていたが、心優が書類を受けとり「ありがとう」と頭を下げた。
雪は深々と降り積もり。伯爵は手に持っていた黒い傘を広げる。心優は遠慮がちに離れていたが肩を捕まれ抱き寄せられる。
「本降りになる前に早く終わらせて帰ろう」と伯爵が呟くが、そそくさとポストに入れる手を「だめです」と妨げる。
一件一件挨拶をしながらも頼まれものを届ける。ぶっきらぼうな伯爵一人ではなく、心優も連れていったのは正解だった。行く場所場所で「メイドさん?」と、言われたが『婚約者』だということを説明するとみんな優しくもてなしてくれた。
心優のお陰で伯爵の好感度が上がったと同時にこっそりと「こんな可愛らしい方がそばにいるなら仕事が頼みやすくなる」と耳打ちされた。
焼きたてのバケットやチーズ、ジャガイモと玉葱のキッシュ、蔵にしまってある赤ワインをお土産にいただいた。
「お礼はいいの。それよりも足が悪いおじいさんの変わりに招待状を届けてくれてありがとう。
毎年、パーティーを楽しみにしているんだけれど、長年一緒に住んでいた若夫婦は出て行ってしまったし、今年はもうしないのかと思ってた所なの」
「パーティー?」
「『ディネ・アン・ブラン』一晩限りのシークレット・ディナー・パーティーのことだ。まあ、知っているのは名前だけで俺は一度も参加したことがないけどな」
「そうそう、開催場所は当日まで絶対に明かされることがないのーー……。夏は海の見える見晴らしの良い港の前で、秋は紅葉満開の満月の月明かりの下でバイオリンの演奏を聞きながら、ありがたいことにイーグレット王子と共にお城の園庭の花園でという年もあったわ」
「髭面の老いぼれじじいだが、ここら一帯の土地の領主である。彼はやたらと顔が広い。彼の血縁者を辿っていくと有名な貴族の名前がちらほら出てくる」
『ディネ・アン・ブラン』の話を詳しく聞きながら全部の家を回ったのだが招待状が少しばかり余ってしまった。
心優は物欲しそうな目で見ている。
「なんだ? おまえも行きたいのか? ……ふん、近場だったら連れてってやってもいい。近場だったらだがな」
『ディネ・アン・ブラン』。今年はどこでするのかは、開催日当日までのお楽しみだった。




