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黒翡翠の悪魔の過去

「ギンレイ、母親の病気は治せなかった。あの当時の俺には不可能だったと言えば良いのだろうか、どうしょうもなかったんだ」


「どうしょうもない?」


 伯爵は静かに揺れる海を眺めて口を開いた。


 クロウ・ブラックジェイド。ジェイド家の長男として生まれたクロウは幼少期は母親と本当の父親に育てられた。しかし、父親は出掛け先で船が荒波に巻き込まれ帰らぬ人となってしまう。

 母親はそのあと幼いクロウを連れて縁談をする。最初は気ののらなかった母親だが「クロウ」の為にもということで、今の父親と出会い、二度目の恋をしてジェイド家に弟の「ギンレイ」が生まれた。

 幼い時はその違いが分からなかったが、彼らは体の変化、兄弟なのに色違いの瞳や髪の色に疑いを持ち、見かねた母親から『父親が違う』ことを説明される。


 二人の兄弟のうち、特に成績が優秀だったのは弟の『ギンレイ』の方だった。ギンレイは母親の愛を独り占めしたかった。いつも夜遅くまで勉学に励み、成績は学年で一番だった。それでも、5つ違う兄にはいつまでも追い越すことができない。それは彼にとってコンプレックスの塊だった。

 そして、絶対に越えられない壁にぶち当たる。


 (クロウ)は『長男』でギンレイは『次男』だと言うことーー……。

 つまり、後々代々続く『ジェイド家』を継ぐのは最初から『クロウ』で、ギンレイは負け犬だということをーー……。


 それに気づいてからは、ギンレイはクロウのことを『兄』と呼ぶのを辞めた。『後継者』だと認めたくなかったからだ。

 もちろん、父親はギンレイを可愛がってくれた。のちに世界で一番の名門学園に入学し、住み込みの寮でギンレイは一人暮らしをすることになる。遠く離れた地で唯一のライバルと離れ忘れて彼は学園生活を謳歌していた。


 その時、寮に一通の手紙が送られてきて『母親』が死んだことを知る。


 母親の死後、クロウは祖父のお屋敷に引き取られ正式な後継者とされた。父親は現役だったが普段から仕事でその場所に留まる人ではなかったので辞退したそうだ。


 暗いお屋敷に籠り、祖父の財産で何不自由なく悠々と暮らしている兄が許せなかった。

 ならばせめてこの優秀な成績と知能を使い、上流階級の公爵令嬢の執事として自力で稼ごうと決意したのである。


「あなたがいなければ、(わたくし)はこんなに歪んだ性格にはならなかった。人としてもう少しマシな人生を歩んでいたはずなんだ」


「ギンレイ、俺が憎いか?」


 伯爵は弟の弱々しい瞳を見つめる。


「母の死は防ぎようがなかった。()()()()()()()()と伝えてもおまえには言いわけにしか聞こえないだろうけどな。

 母親の病気は特別な病でな、治療するにも多額のお金が必要だったんだよ。

 俺は当時学生だったが、学校も辞めた。住んでいた家も追い払い、祖父の家に住ませて貰った。

 ……だがな、ジェイド家は決して資産家では()()。代々続く遺産などほとんど残っておらず母親の治療代には少ししかあてられなかった。母親は天命だからと言い、最後は思い出のお屋敷のベッドで息を引き取ったーー……。

 他に聞きたいことはあるかーー……?」


「金が尽きただと……? そんなはずは……だって()()()は一度も滞りなく届いていたんだ……」


「母さんが自分の命と息子の未来どっちが大切か選んだんだよ」


 するとずっと二人の背後で黙って話を聞いていた心優が困惑するギンレイにそっと語りかける。


「ねえ、ギンレイさん? クロウ伯爵は決して怠け者じゃありませんことよ?

 私がお屋敷でメイドとして雇われてから彼の仕事の様子を伺っていましたけども、毎日毎日お屋敷に引きこもり大量の仕事をこなしておりますわ。

 大量の書類にも一つ一つ組まなく目を遠し、無数の相手に返事を書いたり、夜遅くまで熱心に図面を書き起こしている日もありましたわ。

 私にはそのお仕事を見守ることしか出来ませんが、きっと伯爵は()()()()所から一人で仕事を捜し始めたのだと思いますの。

 隣人には意味嫌われ悪いうわさを立てられながらも、決してめげずに黙々とお仕事をこなしておりますわ。


 ……何を言いたいかと言いますと、心の奥には深い根を折れない強い意思があると思いますが、どうかここは、この悪役令嬢の私に免じて()()()()()()()()()くださいまし」


 ニッコリと微笑む彼女の両腕には痛々しいほどの縄の後がくっきりと残っている。先程まで自分の命が危険にさらされていたと言うのに、それでも彼女は彼を責めるわけでもなく仲裁に入ろうとしている。

 後ろではリナリアが悲しそうな目でギンレイを心配している。彼のそんな昔話など聞かせたことがなかったからだーー……。


 ギンレイはうつ向く。


「なあ、クロウ。(わたくし)は大きな勘違いをしていたようだ。長年私を責めていたのはおまえの存在ではなく、自分自身だ。

 自分自身で幼少期のトラウマに捕らわれ何度も思い出しては自ら胸に針を刺し苦しめていた。

 全てを他人のせいにして自分自身を正当化したかった。

 

 ……彼女のお陰で目が覚めたよ。悪戯をして悪かった」


 ギンレイが鋏をしまうと、周りの人たちはほっとして肩の力を落とす。

 全てが丸く収まった。……その時である。

 彼らを暖かい目で見守っていたカトレアはいきなり口から鮮やかな血を吐き出した。


「カ、カトレア!!!!」


 カナリア王子が片膝を着くカトレアに近づき、背中に手をあてる。真っ赤な血が流れる唇は青白く、体が小刻みに痙攣していた。

 すぐにギンレイが彼女の症状を確認する。微かに薫る花の匂いに気づくと、船に解毒剤がないか兵士に探させた。


「カトレア、ここに来る途中珍しい花を触らなかったか?」

 

 カトレアの眼帯をしている反対の目は朦朧(もうろう)としていて、ギンレイが側で問いかけても焦点があわない。


「ああ……野草に可愛らしい花が咲いててな、ふさぎこんでいる王子に見せようと思ったんだ……」


 カトレアはポシェットから可愛らしい花が入った小瓶を取り出す。


()()だよ」


 すぐに兵士は解読剤を持ち寄る。

 水と一緒に飲ませようとするがうまく飲み込めず吐いてしまう。


「大丈夫だ、私は不死身だと言っただろう。そんなに心配そうな顔で見つめないでくれ」


「いやだ、カトレア。

 僕が婚約の儀から逃げ出したのは単に彼女(リナリア)を拒んでいたわけではない。

 僕、本当は……ずっと……。君のことが……」


 カナリア王子はカトレアの眼帯にそっと触れる。

 その細い指を、長くスラッとしたカトレアの手が優しく包み込む。

 

「待て、悪いが私はその言葉を聞く資格はない。その先の言葉は隣にいる、未来の妻に言ってあげてくれ。

 私には不釣り合い過ぎる。私は()()()()()だ」


 カトレアは全身に毒が回り苦しそうにもがき苦しむ。

 カナリア王子は見てられないと目を瞑ろうとする。


「カトレア……僕を置いていかないでくれ……」


 カナリア王子は彼女の眼帯ティアラを外すと傷ついた片目に口づけをしたーー……。


 するとカトレアの体が七色に輝きだし体が半透明になる。


「王子。こんなおままごとは早く卒業しなければ将来の妻に笑われるぞ。泣きべそをかくのは止めてくれ。あなたは私が全力で仕えた誇らしき王なのだからな」


 彼女の姿の先に大きな海が透けて見える。


「カトレア! 元の世界に帰ってしまうのか!?」

 

 カトレアは大きな海を眺めている。


「そうだな。もう、この世界の野獣は狩り飽きたところだ」


 カトレアは振り返り王子にほほ笑みかけると、再び、彼の手の甲に誓ったーー……。


王冠ティアラをなくしても、私はーー……」

 

 指先から離れた口元が僅かに動く。

 その言葉の意味は永い時間を共有した、カナリア王子だけが理解した。

 そして、彼女の姿はこの世界から消えたーー……。


 王子は沈み行く太陽をぼんやりと眺めていた。

 燃える太陽に吸い込まれる海猫。大切な彼女の姿はがこの世界から消えても、いつもと変わらず穏やかに波打つ大きな海ーー……。

   

 リナリアはそっと彼のそばにより、手を握ろうとしたが「まだ早い」とギンレイに阻止された。ギンレイはリナリアお嬢様の小さな手を黙って握る。船の舳先へさきにしゃがみこみ、彼女が残した眼帯と銃を握りしめ、涙を堪える彼の姿を後ろから見守っていたーー……。


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