王子様の婚約者といじわるな執事
小さな丸い窓のから太陽の光が射し、眩しい光で目が覚める。
両手はロープで縛られ口は小花柄のハンカチで塞がれている。チラリと目線だけ動かして自分の体をくくりつけた物を見ると、重みのある樽に体ごとくくりつけられている。真っ暗な部屋で身動き一つ取れず近づいてくる足音に耳をすませていた。
(ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろうーー……)
少しずつ扉が開き大きな帽子を被った女性のシルエットが見えた。開けられた扉の後ろで海猫が鳴く声が聞こえる。女性は近づいてくると口を塞いでいたハンカチを取り払い心優に問い掛ける。
「あなたの名前は?」
名前はと聞かれ一瞬頭の中が真っ白になる。確か伯爵に『ミーユ』と呼ばれていたことを思い出すとその名前を呟いた。
「ミーユ」
「カナリア王子が黒翡翠の悪魔に連れ去られたという情報を聞いて追いかけてきたのだけれど、あなた見たことない顔ね? どこの方かしら?」
「すみません。私は今あなたに説明できるほど自分のことを把握できていなくて。簡単に説明すると記憶喪失なんです。気づいたら伯爵に拾われ、長く伯爵のお屋敷でメイドとして働かせていただいておりました」
「まあ! それじゃあ、あなたもうわさの『異国人』だと言うの!? もう、異国人たちには振り回されてばかりだわ!」
あやしい女はため息をつく。
「貴族令嬢たちのうわさでは突如現れた『異国人』がこの半年の間に各国の王子の心を奪い去り大変なことになっていますの。
私たちは幼い頃から彼らに選ばれることだけを望んでレッスンを受けていたのですわよ? それが、突然現れた異国人に簡単に横取りされてたまったものじゃありませんわ……!!」
『異国人』。それはイーグリット王子の前に現れたシャルローズ。スオウ王子の前に現れたカレンのことだとすぐに想像がついた。
そんなことを言われても全く見に覚えのない心優は「私は何も知らない」と首を左右に振る。
「まあ、いいわ! あなたには悪いけど伯爵を呼び出させる餌になってもらうわ。あなたを解放する変わりに王子を返していただきたいの」
「そんなわざわざ悪いことをたくらまなくても、あの場で一言声をかけてくださればすぐに王子を呼んで来ましたのに。うわさでは悪魔のような方と言われていますが、あれは真っ赤なうそですわ。
きっと王子は今ごろお屋敷のふかふかのベッドで、すやすやと眠っております。……いや、もしかしたら、朝食に用意してきたジャムをパンに塗って二人で優雅なひとときを楽しんでいる時間かも」
予想外の言葉にあやしい女は手に持っていた扇子を折り畳み心優の喉に突きつける。
「黒翡翠の悪魔はそんなことはしない!」
どうやらだいぶ伯爵の悪いうわさに惑わされているようだった。そして、彼のうわさは隣の国にまで広がっていることに驚く。
手が痺れてきた心優はかわいらしく頭をかしげると「ねぇ、逃げないからこの縄から解放してくれないかしら」と呟いた。
「そんなことをしたらせっかく捕まえたのに逃げられたら困る!」と女は叫ぶ。
彼女はあまりに慌てて大きな声で叫んだので深く被っていた帽子が落ちてしまった。
「お嬢様、いかがなされました?」
声を聞きつけて気品ある紳士が扉を開けて入ってきた。
「ギンレイ! 入ってきてはだめよ……! 何でもないわ! 何でもないのーー!!」
隙間から太陽の光が入り、彼女の正体が露になる。長いスカートのすそで転び随分とヒールの高い靴は脱げてしまう。慌てて紳士が駆け寄り彼女を抱き抱え「お怪我はないですか?」と尋ねる。
淡い紫がかかる銀色の髪色。絹のように細い髪は腰まで長く。振り返り親友の方を見つめると、ラベンダー色の瞳だった。淡い水色のドレスに真っ白なお帽子。彼女は予想していたよりも遥かに幼いーー……。
「ああ! もう! ギンレイのせいで私が子供だとばれちゃったじゃあない!! この不始末、どうするつもりよ! ばかばかばかばか! ギンレイのばか!!」
小さな両手で胸をたたかれても紳士はまるで赤子にでもたたかれているような気分でニッコリと笑い気にもとめない。
「これは、これは、お嬢様。大変失礼しました。でも、ことの発端はリナリアお嬢様が高すぎる危険なお靴を履き、自分の背丈に合わない長いドレスを来て、そしてなによりも、自分一人では倒せない危険な相手に手を出してしまったせいではありませんか?」
クロウ伯爵もなかなかの悪魔だと思っていたけれども、それを超える毒舌家が現れたと心優は心の中で思った。
ギンレイと呼ばれる紳士はリナリアの手を広げてふうっと吐息を吹きかけたあと「痛いのは全部全部クロウに飛んでいけえ」と魔法の呪文を唱えた。
『どこに飛んでいけだと!!??』
蹴り飛ばされた木の扉は止め金が外れ勢いよく破壊される。
瞬時にギンレイはリナリアを安全な場所に避難させ、内ポケットから取り出した銀の鋏で心優の首に突き立てる。
「執事服の胸に付いた銀雉の紋章、やはり、おまえか。話は全部王子から聞いた。リナリア嬢の執事、ギンレイ!」
「ああ、怖い……。だから、私はリナリアお嬢様の浅はかな作戦には猛反対でしたのに。あれほど、やめましょうと何度も止めましたのに。
でも、しょうがありませんね。私の雇い主はお嬢様ただ一人。ひ弱な私などがお嬢様に逆らうことはできかねますゆえ、執事の面目において立ちはだかる邪魔な敵は兄弟であろうとも皆殺しでございます」
ギンレイは銀色の鋏の二枚の刃開くと、刃の方向を変え、心優の首を挟み「それ以上こちらに近づいたら、賢い兄ならどうなるかわかりますよね?」と脅迫したーー……。




