自分の物に手を出され「待て」ができない伯爵
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心優は厨房の片付けが終わると自室に戻りエプロンを脱ぐ。
「イーグリット王子、元気そうで良かったな……」
彼女が消えた日のことは今も忘れられない。けど、カレンやスオウ王子と出会って自分自身ができることを実感し闇雲に自分を責めることもなくなった。
「悔やんでもしょうがない。悔やむくらいならもう二度とあんな思いはさせない」
あのとき強く心に決めた。そして、それは今もーー……。
花もススキも夕焼け空に包まれ真っ黒いシルエットに姿を隠す。空にはムクドリの大群が羽ばたき巣へと帰った。
「灯りもつけないでどうしたの?」
ドアの前に立っていたのはカナリア王子だった。
灯りをつけようとしている王子の名前を呼んで引き留める。薄手のキャミソール一枚だったからだ。慌てて心優は肌を隠すようにローブを羽織る。
「おねえちゃん、僕ね……」
彼は背後から近づいて丸みをおびた女性らしい背中を抱き締める。ふんわりとした甘い香り。柔らかな髪の毛。抱き締められた心優はびっくりして、思わずチェストに置いた蜂蜜が入った瓶に指先が触れ床に落としてしまう。
《カラン……》
「もう、おうちには戻りたくないんだ」
瓶は割れることなく床を転がって壁にあたる。
彼の名はカナリア・ルーツネフライト王子。
『清き乙女は王子様に寵愛される』の家出騒動のイベントはゲームの物語の終盤に当たる。王子が一人でクロウ伯爵のお屋敷にやって来た時、彼のお城では王子の捜索願いが出されていた。
彼は婚約者との『婚姻の儀式』を堂々とすっぽかしたのだ。逃げて逃げて隠れた後、リーフ国までたどり着き、偶然にも伯爵を見つける。
本編ではその時お城は大混乱していたのだが、一人の『使者』のおかげで幸いなことに『王子の家出騒動』は幕を閉じる。
「どうして家出なんかして来たの?」
心優は彼のなれそめを知っていたが、知らないふりをして、彼の本心を聞いた。
王子はポケットからロケットを取り出すと。中に閉まってある写真を見てため息を着く。
「僕は今、婚約者との結婚を迫られている。まわりからは僕の婚約者は評判が高く、家柄も十分過ぎるほど、博識が高く、真面目な努力家で良き妻になると言われていた。……でも、僕には合わない。僕には家柄や血の繋がりなんてものもどうでも良くて、もっともっと……優しい人がいいんだ」
彼の婚約者に選ばれたのは街でも有名な資産家の公爵令嬢。礼儀作法は幼い頃から厳しく育てられ誰も文句のつけようがない。しかし、自分にも他人にも厳しすぎるのだ。人に厳しいく、相手にもそれを求めてしまう。王子以外の皆は「しっかり者」だとか「影ながら王子のことをサポートしておる」とか噂されているが、自由人な彼は彼女が隣に立つと視線を気にして周知息が詰まりそうになった。
カナリア王子は見た目は大分幼く見えるがこれでも一応結婚できる年である。年齢層とうに見えない背丈に体格、変声期はとうに過ぎているのに変わらぬ女性みたいな高い声。『金糸雀』。その名だけあってカナリア王子は綺麗で澄んだ声をしていた。全てがコンプレックスの固まりだった。
「特に彼女の背後に仕えているやつが気にくわない……」
「やつとは?」
心優はこの騒動の終わりを知っていた。
一晩屋敷で過ごした後、朝早くに『使者』が迎えに来るのだ。
まぁ、本編にはクロウ伯爵と王子のやり取り、もとい王子がお屋敷の雇われメイドといちゃいちゃする話など一切なく、故意に切り落とされたように不自然なほどバッサリとカットされている。
だから、この先の王子の行動は全く読めないーー……。
「もう、あそこには帰りたくないーー……。僕をあそこから解放してよ。助けて、おねえちゃん……」
暗闇で目元に溜まる水晶のような一粒の涙。解放してと言われても心優は何もできない。せめて彼を安心させてあげたいと震える体をそっと抱き締めて「大丈夫よ」と声をかけた。
せめて『使者』が迎えに来るまで彼を安心させてあげようと考えていると、部屋の明かりが灯される。床に転がった瓶を拾い上げ、抱き合ってる二人を見つけるとずかずかと部屋に入り、乱暴に引き離した。
「物音がして来てみれば、こいつは俺のものだと忠告したはずだろう!?」
普段物言わぬ伯爵が顔色を変えて怒鳴っている。その珍しい光景に心優は開いた口がふさがらない。……まぁ、彼の言う『俺のもの』というのは『愛情表現』などではなく『所有物』を示していると思い、彼女は妙に冷静を保っていた。
彼は「おまえのものは俺のもの、俺のものは俺のもの、俺のものには触れることすら許さん」と某有名キャラクターの名言をも超える自己中心的考えを突き通す。
「あーあ、ムキになっちゃって。この僕が伯爵の物に手を出すわけはないよ。
ねぇ、伯爵? 僕は正直あなたがうらやましいです。あなたは人目から避けたお屋敷でだれにも囚われることなく自由に働き、自由に恋愛ができる。……それに比べ僕は『自分の運命』には逆らえない」
「俺がうらやましいと……本当にそう思うか?」
「ええ、変わっていただきたいほど。そしたら、僕は本当に好きな人と結婚できるのに……」
心優は何度かカナリア王子のシナリオを思い出して見たが『婚約者』の他に王子様が寵愛した人物が思い出せない。
(思い出せない……!? 思い出せないなんておかしい)
心優は深刻な顔つきで必死に全ての記憶を思い出していた。
(だめだ……。カナリア王子の家出騒動の後、誰が迎えに来て、どうやって決着をつけたのか記憶がぼんやりとしていて全然思い出せない)
「顔色が悪いぞ、具合が悪いのか? 心優?」
クロウ伯爵は心配そうに様子をうかがっている。
(クロウ伯爵……私の……ご主人様……でもどうして私はここで雇われているんだっけ? ああ、そうだ、私は森で雨に濡れているところを伯爵に拾われてここに……)
急に目の前が暗くなりその場に倒れ込む。
『ミーユ!!?』
強くがっしりとした腕に抱かれて心優は夢を見ていた。
遠くで名前を呼ぶ声。
『心優』
彼と声の主が混ざりあい、どちらがどちらなのか区別がつかなくなる。
『諦めては……だめだ』
彼女はしだいにこの世界に染まっていったーー……。




