休暇をいただきましたが早くも雲行きが怪しいです
昨晩、急激に降った通り雨が連日上昇していた気温を急降下させる。少し湿った風が白樺の葉を通り抜け爽やかな草の香りがツンと鼻を抜ける。
二頭の真っ黒馬が率いる馬車はお屋敷からスオウ王子の宮殿へとゆっくりと進み、心優は馬車の中で、準備された衣装を見て胸に不信感を抱いていた。
「クロウ伯爵一体これはどういうことでしょう……?」
「……なにか?」
ゆっくりと空を流れる真っ白い雲を眺めていた伯爵は名前を呼ばれて不機嫌そうに目線を向ける。視線の先には見たこともない衣装に震え上がる、いつもとは違った彼女が座っていた。
膝下まで隠れる黒のロングドレス。大きく肩は空き、胸元はきつく締められリボンで結ばれている。シンプルだが夏使用の薄手の生地に肩と膝下が大胆に透け花の刺繍が施された衣装は妙に女性の色気を感じる。肌を隠すように手首から総レースの黒い手袋を嵌め、靴は細く折れそうなくらい高いヒールを履いていた。そして持たされたのは黒い日傘だった。持ち手は木で出来ていて、絵柄の花柄が二重貼りで透かされており、とてもお洒落で豪華な物である。
「あちらはとても暑いから」と長い髪もくるくると巻かれ、緩くお団子にされてしまった。
「馬子にも衣装とは良く言った言葉だが……お前の場合、お子ちゃまにも衣装だな……」
褒めているのか、嘲ているのか、その言葉の意味はわからない。妖しくほほ笑む伯爵に心優は「おうちに帰りたい」と嘆く。「もう大分遠くまで来てしまったので無駄だ」と目を反らされたのだが、口元を隠す伯爵は必死に笑いを堪えている。
一方、伯爵はと言うと……いつもと変わらぬ全身黒っぽい衣装。だがしかし、ネクタイは着けていない。「今日はネクタイを着けておられないのですね」と然り気無く聞いたところ「クール・ビズだ」と言い放った。クール・ビズと言う言葉は2005年以降に出来た言葉である。伯爵の口からこの言葉が出ることに対して、違和感と時代設定が曖昧な部分に資料不足、設定の甘さを感じたがそこは「ふーん」と聞かなかったふりをしたら伯爵はムスッとした顔をした。どこからか取り出した蝶ネクタイで首元を整えた。……今の発言はどうやら長旅をまぎらわせるための伯爵なりの気遣いだったらしい。
そんなこんななやり取りが続き、旅の途中、商店街に立ち寄り食事をしたり、日が暮れれば仮眠を取ったり、湖で体を清めたり道草をしながらも馬車は順調に進んで行った。
スオウ王子の住む国の国境に侵入した時、長く大きな橋の近くの野原に咲く黄色い向日葵畑を見つけた。太陽の光を浴びてぐんぐんと背を伸ばした向日葵は心優の身長くらい成長している。クロウ伯爵に尋ねたところ、街の住民が交代で世話をしている物だと言う。
市民に支えられ、今年も無事にすくすく順調に成長し、明るい希望の種を付ける向日葵畑を眺めていると、街の平和を表しているようだった。
馬車は目的地の場所に止まり、礼装に身を包んだ三人は、馬車を止める。ただ座っていただけだと言うのに長旅で気遣れをして心優の疲労はピークだった。
目の前に広がるのは南の楽園『琉球の天国』と言われ、この地を築きあげたのがスオウ王子の歴代の国王である。
周囲を湖に囲まれた宮殿には多くの参拝者が訪れる。出歩く人たちは直射日光を避け、一枚の布を被ったり頭に巻き付けていた。身寄りもない大人子供が宮殿で働き、住む場所とご飯をいただく。この場所で心優は紛れもなく目立つ格好なのだが、ビクビクと周囲の視線を気にしているとクロウ伯爵が声を上げて一喝した。
「スオウ! 俺たちは長旅で喉が渇いた! 影から見ていないで早く来い! 何か呑むものを用意しろ!」
後ろからついてきた執事のエメさえもが、クロウ伯爵の堂々とした発言に驚いて顔を真っ赤にする。
「……いつも、あんな感じなんですか?」
「……いつも通りでございます」
眩しい太陽の陽射し、気温の温度差だけではない。クロウ伯爵の発言にこれから起きる『何か』を想像してしまって目眩がする。
すると宮殿から一人の女の子が目にも止まらぬ早さでこちらに走ってきて手に持っていた鋭く磨がれた槍を伯爵に向ける。
「妖しい不審者だな、名を名乗れ!」
「クロウ・ブラックジェイドだが、なにか」
槍の矛先が伯爵に向けられ、不審な動きをすれば斬りつけられるという状況ですらも、彼は微動だにしない。彼の分厚い壁に守られ残された二人。そしてまわりにいた人たちは怯む。
「クロウだと? そんな名前聞いたことがないな。 見た目からして怪しい奴、われわれの敵だと判断する!」
それもそのはず、目の前に立っているのは恐ろしい形相の真っ黒い悪魔のような男だ。見知らぬ女の子に槍を向けられ、呼び捨てで名前を呼ばれ、しまいには勝手に敵だと判断された伯爵は堪忍袋の尾がプツリと切れて、ただの『陰キャラ』から『悪役モード』へと変化した。
「……おまえ、そんなに死にたいのか」
見事な悪役っぷりだ。心優は慌てて伯爵の怒りを押さえようと止めに入る。
だが女の子は勢いよく槍を振り回しクロウ伯爵に戦いを挑んで来た。
「てえええええーー!! いやあーー!!」
「こ、こ、こらっ、やめなさーーいっ!!!」
火花を飛ばす二人に慌てて止めに入ったのは燃えるような茜色の髪の男性。
「な、な、な……スオウ様! どうしてですか!?」
「来るのが遅いぞ」
「「スオウ王子……!!!」」




