黒と白のダンスパーティ
演奏が始まりイーグレット王子は婚約者の女性の手をとる。演奏に合わせてくるりくるりと回るとふわふわと花が咲くように揺れるドレス。硝子の靴ならぬ蓮の花が細工してある銀の靴はまるで優雅な白鳥のよう。
ドレスの下は素足の心優を踊らせるわけにはいかないと彼女の手を強引に引っ張り立ち去ろうとしていた。
するとそこへ一人の兵士が歩いてくる。
「先ほどクロウ・ブラックジェイド伯爵の執事を名乗る男性から婚約者様に渡して欲しいと頼まれまして……」
兵士が持っていたのは、小さな赤い靴だった。
心優はおとなしく赤い靴を履き足首で大きなリボンを作る。
「ミーユ、無理するな」
だが、観客も王子もそこにいる誰もが二人のダンスに期待していた。演奏は二人を誘うように軽やかに流れる。
「少しだけなら……」
「了解した」
伯爵は自分の大きな手で小さな心優の手をぎゅっと握りしめる。背の低くダンスに不馴れな彼女をサポートするように、ゆっくりと踊った。
注目されたのはパーティーの主催者イーグレット王子とその婚約者かと思われたが、意外にも皆の視線は黒と赤のドレスに身を包んだ二人に注目される。
なんと美しい二人なんだろうーー……。
大人の色気溢れる伯爵は彼女を守り、間違えても余裕の表情でほほ笑みかける。
そこにいる誰もがほほ笑ましく二人のダンスを見守っていたーー……。
すると周りの人たちも二人に感化されお互いの手を取り踊り始める。その姿はまさに色とりどりの花園、風に吹かれて揺れるドレス。二人は周りに流され繋いだ手と手が一瞬離れてしまう。
《チリンーー……》
倒れそうになった心優を支えたのはイーグレット王子だった。それを見たクロウ伯爵は側に行こうとするがイーグレット王子の使いの者に行く手をふさがれ側に行くことができない。
「イーグレット王子……」
「ミーユちゃん? 君はクロウの婚約者だったんだね」
人混みに紛れ二人は隅の方へと追いやられる。あまり目立つことのない隠れた場所まで行くとイーグレット王子は胸ポケットから『鴉の紋章が入った懐中時計』を取り出した。
ミーユは『やはり』と思い懐中時計を取ろうとする。たが、イーグレット王子は手から離さずさらには心優の腰を抱き寄せて彼女にいたずらをする。
「それで、いくらで雇われているんだい?」
イーグレット王子は全てお見通しという目で心優に攻めよった。彼は手出しが出来ないクロウ伯爵の様子をチラリと伺う。
「僕はクロウの幼馴染みを10年続けている。10年もの間、彼には浮いた話は一つもなかった。そんな彼の屋敷に近頃若い使用人がいるといううわさを聞いてね」
イーグレット王子は長い指先で心優のゆるく巻かれた髪に触れ、柔らかな頬を撫でる。
「それは君だよね? ミーユちゃん?」
『清き乙女は王子様に寵愛される』の攻略対象の一人、イーグレット・ウォルターオパール王子。彼の攻略は他の三人の王子に比べると簡単だと言われている。それは、イーグレット王子が『寂しがり屋』だから。
イーグレット王子はリーフ国で魅力的な女性を見つけては甘いセリフを吐きお城へと誘うーー……。
『表』の顔は正義感溢れる純粋な王子。しかし『裏』の顔は誰よりも人一倍寂しがり屋で他人欲求、承認欲求が強い方なのである。
誰からも愛されたいと願い、目立っている価値のある者がいたら手に入れずにはいられない。そんな彼の性格上、彼の行動範囲内に入ればすぐに声をかけられ、どんな選択肢を選んでも、愛されるヒロインの設定なら彼と恋に落ちる。
しかし、今、イーグレット王子に唆されているのはかわいくも美人でもない愛され設定でもない一般人以下だと思っている心優。自己肯定感の低さから彼の攻略も諦めていた。彼女はクロウ伯爵の使用人に選ばれてしまったことを酷く後悔する。
「僕ならその五倍は出してあげられるよ?」
「そんなこと恐れ多いです。私は身寄りのない所を伯爵に拾われ使用人として伯爵に住居を提供させていただいているだけで……こんな私には多額のお金を支払っていただけるほどの優秀な働きは方はできません……」
『優秀だから伯爵の使用人になった』と誤解している王子に『自分は特別とは無縁』と説明し、なんとか説得させ懐中時計を返してもらえるように頼んだが王子は退かない。
「なら三日間だけでいい。その後どちらが良いかは、君が決めたらいい。その間のお給料は出してあげるから」
「そんな勝手は困ります!」
『邪魔だ……!!!』
心優に攻め寄った王子との間を引き裂くように、無理やり入り込んだのはクロウ伯爵だった。演奏はいつの間にか終わり、観客は豪華な食事を口にしたり、グラスを片手に雑談したりと、思い思いの時間を過ごしている。
「クロウちょうど良い所に来た。今彼女と話し合いが終わった所だよ」
「ミーユ、アイツと何を話した!?」
「クロウ、婚約破棄だ。彼女と今すぐ別れてくれ。僕は彼女のことが気に入った。彼女のことをもっと知りたいので三日間だけ僕の城に招き入れたい」
「こここ、婚約破棄……!?」
話が全く違うことに驚く。イーグレット王子には素敵な『婚約者』もいる。ーーそう、『寂しがり屋』の王子のお城にはすてきな『女性』が複数住んでいるのだ。
そんな女の園、女の牢獄のお城に容姿がかわいくも美人でも無く、人一倍不器用な心優が住むことになったら、伯爵よりも広いお城をヨボヨボのおばあちゃんになるまで掃除する運命になると思うと悪寒がしたーー……。
伯爵と王子は火花を散らしながら言い争いをしている。
王子のお城に住むくらいなら伯爵のお屋敷で身を潜めていた方が良い。彼女はそう願ったーー……。
「了解した」
伯爵の口から思いもよらない言葉が出る。
「ミーユ、婚約はいったんなかったことにしよう。婚約は破棄だ。自分でどちらの環境が過ごしやすいか見極めるといい」
その後、話がまとまった伯爵と王子は二人で談笑していたが、あまりの衝撃で全く頭に入らずぼうっと立っていた所を婚約者の女性に腕を捕まれる。
「安心して、王子はいつもああなの。一人が不安なら私が一緒にいてあげるわ。
私の名前はシャルローズ。
……ねぇ、私とお友だちになってくださらない?」
波乱の幕開けだったーー……。