仕立屋でパーティーに着るドレスを選んでいるのですが早くも帰りたい
クロウ伯爵は一人で悠々と椅子に腰掛け、出された紅茶を優雅に飲んでいる。ティーカップの紅茶をゆっくりと飲むふりをして鋭い目で心優を観察しているのだ。
「一級品を頼む」
伯爵の要望通り、店主は衣装部屋から豪華な衣装を出して来た。だが、どれも胸もなく背の小さな庶民顔の心優には似合わないのだ。
「次」
伯爵は椅子に座りながら店主に指示を出す。
一枚、二枚、三枚……二十四枚目を取り出してきた時にはさすがに店主も持ち駒を全て出しきってしまったらしく、隣に置かれた山盛りのドレスを見て「この中から一番良かった物にしませんか?」と交渉してきた。痺れを切らした伯爵は、自ら衣装部屋に出向き一枚のドレスを選び出した。
「こういうのを選ぶんだ」
さすがクロウ伯爵。そして馬子にも衣装という一品を選び、さっさと支払いを済ませようとする。
「クロウ伯爵も一緒にいかがですか?」
「俺は手持ちで十分だ」
「そうおっしゃらずに」
伯爵は店主の誘惑にキッと睨み付けたが、対になるペアのドレスコードを見るとなぜが二着分の代金を払って店を後にした。
「……本来ならば、誕生日パーティーには俺とエメが招待されていたのだが、エメが遠慮してきたのだよ」
「エメさんが?」
「自分は馬車の中で待っていると言って聞かないんだ。それなら俺も参加しないと言うと、古くからの友人の縁は大切に繋いでいくべきと静かに淡々と説教し出してきて、全く理不尽なおじいちゃんだろう?」
「は、はぁ……。……あのう、クロウ伯爵? 一つ心配事があるのですが……私はダンスとか一度も踊ったことないです……」
「それは心配いらない。馬車ではエメが待っているし、俺もあまり長居はしたくないのでな。友人の顔を見たらすぐに帰るつもりだ」
だったら、こんなに豪華なドレスは必要なかったのではないか、お屋敷にある手持ちのドレスで十分だったのではと心の中で思ったがせっかく自分のために選び抜いてドレスを買ってもらったので口には出せなかった。
「他に行きたい所はあるか?」
「ええと……」
「そうだな、俺には内緒で欲しいものもあるだろう。お互い今から一時間別行動にしよう。待ち合わせは午後3時。噴水のある広場で待ってる」
そう言って伯爵は札束を取り出し、心優に渡す。現金がぽんと出るのはさすが資産家である。差し出された札束はいくらあるかわからないけれど、欲しい物は全て買えそうなお小遣いだ。
「この4分の1で十分です」
心優は札束から少しだけ手に取ると大切そうにポシェットにしまう。馬に股がった彼のひんやりとした冷たい視線を感じるが気にしないで手を振った。
一人になった心優は街の地図を頭の中で思い出す。噴水のある広場は街の中心にあって、すぐ側にはパン屋さんがあった。小腹の空いた心優は出来立てのパンを買うとお札を一枚払う。するとさらにお札が九枚と硬貨が返ってきた。どうやらお駄賃と渡されたお札は日本円で五万円相当の金額だったらしい。落としたり無くしたり盗人に盗られないように大切にしなくてはーー……。
《リンーー……》
ふらふらと街を歩いていると、急にどこからか鈴の音が聞こえて、思わず足を止めてしまう。
《チリンーー……》
この音どこかで聞いたことがあるような……と思っていると、いきなり背後から背の高い男性がぶつかってきた。
《ドサッ……》
心優は突き飛ばされ固い地面に思いっきりお尻を強打する。
「いたっ……!」
「ごめん……! 目の前に人がいたとは思わなかった。あまりにも小さかったから……」
一言余計じゃないかと思ったが顔を上げると、真っ白いフードを被った男性がこちらを心配そうにじっと見つめている。フードの隙間から見えるのは銀髪に淡い水色の瞳。色素が薄いその顔には見覚えがあった。
「イーグレット・ウォルターオパール王子……」
思わず口から声が漏れてしまい、慌てて両手で口をふさぐ。
何でもないふりをしてその場を立ち去ろうとした瞬間、行く手をふさがれる。
王子は人気の少ない場所に匿うと全身を隠したフードを脱いだーー……。
《リンーー……》
そうだこの鈴の音は、イーグレット王子の片耳につけている蓮の花の装飾品の音だーー……。
「ーーしっ」
イーグレット王子は自分の唇に人差し指をあて、壁に心優を覆い隠す。すぐ側を三人の兵士が通り過ぎて行くと二人は距離をとった。
「なぜ僕の名を?」
それは「イーグレット・ウォルターオパール王子が登場するシーンでは必ず鈴の音が聞こえますから」など言えない。
「君の名前は?」
「ミ……ミユウです……」
「ミユウちゃん……? 君は真っ直ぐな強い瞳をしているね……誰かにそっくりだ」
イーグレット王子は心優の手の甲に口先を触れるとその場から消えてしまった。
「イーグレット王子に出会ってしまった……」
ポカーンと口を開けている場合ではない、広場では悪魔のように怖い怖いクロウ伯爵が待っている。慌てて時計の針を確認しようとしたが首にぶら下がっているはずの懐中時計が見つからない。ドレスの上から探ってみてもない。
先程ぶつかった拍子に落としてしまったのかと思って辺りを探してみたがどこにも見当たらない。
(イーグレット王子……まさか……いや、証拠もないのに彼を疑うことは出来ないわ……とりあえずクロウ伯爵の元へ戻りましょう)
*
「遅い、遅すぎる」
噴水の広場では頭に角の生えたクロウ伯爵が待ちわびていた。遠くから歩いてくる心優を見つけるやいなや注意しようとしたが、肩を落としてポシェットを握りしめていたのでそれどころではなくなった。
「どうした?」
「すみません、クロウ伯爵。あの、せっかくいただいた懐中時計なのですが……どこかで無くしてしまいました……」
伯爵の目の色が変わるのを見て『バッドエンド確実』だと思った。怒鳴られ、ののしられ、血祭りにされるとーー……。そう思ったら、人生短かったなぁと思い泣けてきた。もっと青春を謳歌すれば良かった、せめて一度くらい人を好きになってみたかったーー……。後悔が全てを支配し、人生を諦め、首と両手を差し出し、目を瞑る。
「何をやっている、早く帰るぞ」
伯爵は颯爽と馬に乗り、手を差し出した。
(あ、あれ? 血祭りにされないのですか?)
彼の手を握ると大分冷えきっていた。
「しっかりつかまれ」
背中に伯爵の鋭いまなざしを感じ、恐怖で怯えながら帰宅するが、手綱をぎゅっと握りしめた手をクロウ伯爵が包み込むように握る。それがなんだかくすぐったいやら、妙に照れくさくて、お屋敷に着いて馬から降りるまで心臓の鼓動が鳴りやまなかったーー……。




