火葬化 黒曜
「大丈夫、そうですね……安心しました」
「ごめんなさい、迷惑を掛けて」
地下の扉が閉まる音を聞いたリンが、扉の前で気を失っていたローズを発見し治療薬を使ったおかげでローズは事無きを得ていた。
「いつもであれば、どうにか回復魔法を使う程度に魔力を残していたのだけれど、今回は少し出て来るタイミングを計り間違えたみたい」
「タイミングって…………毎回、さき程のようなボロボロになるまであの部屋を使っているのですか?」
「まぁ、そうね。だいたいほぼズタボロよ。これまで何度死にそうになった事かしら」
「だったら出て来る時間に余裕を持つとか……そうしないと、いつか本当に死んでしまいますよ……?」
「大丈夫よ。私は死なないもの」
「不死身……では無いんですよね?」
「ええ。ちゃんと死ぬような身体だもの」
「であれば、そんな根拠のない事を言うのはどうかと思います…………」
「確かな根拠が無くても、私はセリカを復活させるまでは、絶対死なないから」
「……そうは言いますけど、短絡過ぎるんじゃないでしょうか。万が一……亡くなってしまったら、ローズさんが成し遂げようとしているセリカ様の復活だって出来無くなるんですよ?」
「ん…………痛い所を突いてくるわね」
リンの言葉へ、眉間に皺を寄せながらローズは逡巡した。
「返す言葉が見付からなかったわ。今後は出来るだけ気を付けるようにして、あの部屋を使うから安心なさい」
「……いまいち信じられないのですけど」
「信じるかどうかは今後の私の態度で決めてくれたらいいわ」
「……分かりました、その時に見定めます。ローズさん、正直私、もうあんなに驚く場面に遭遇したくは無いです」
「そんなに……酷かったわよね」
「はい、生きているのが不思議なくらい」
ローズが火葬化で身に纏う鎧は、全身を覆うモノでは無く、部分的に装着する型の鎧。
その鎧の覆われていない部分に負ったいくつもの傷は相当深い物が多く、倒れているローズを発見したリンは『生きているはずが無い』と思った程だった。
「でも、初めの頃なんてもっと酷かったわよ? 腕だったり、足だったり切断されていたから」
「……涼しい顔で言わないでください」
「案外、死なないって事を伝えたかったのよ」
「それにしたって、もっと言いようがあると思います……」
ジトリとした視線をローズへ送るリン。
「そう睨まなくてもいいでしょう?」
「誰だってきっと睨みますよ。はぁ……あの、ローズさん。ローズさんは、魔王の血を引き継いでいるわけでは無いのですよね?」
「ええ、ただの代理、ですもの。意思を継いでいると言うだけで、魔王の血筋とは何にも関係が無いわ」
「あの部屋、魔王様が鍛錬を積む為の部屋で、魔王様以外は絶対禁止の場所なんですよ?」
「らしいわね。でも、転生者達の強さを考えれば、あの部屋を使って鍛えないと追い越す事なんて出来ないと思った。だから、あの部屋を使っていると言うわけ」
「もっと安全な方法は考えられなかったんですか?」
「あの部屋を使っても、今の能力に到達するまで三年も費やしたのよ? もう少し無茶をすべきだったかしら」
「ローズさんっ、私、怒りますよっ?」
「ごめんなさい、悪かった。私の心配をしてくれて言っているんですものね」
ローズは内心思う。
リンには言い合いをしても、勝てる気がしない、と。
「ふぅ、ご馳走様。料理、とても美味しかった。得意なの?」
「いえ、これは……捕まってからあの城で、料理の当番をさせられて身に着いたものなので。得意、と言うわけでは無いんです」
「ねぇ、リン」
「はい」
「どうして今まで逃げ出そうとしなかったの?」
「…………脅されていました。逃げたら私の仲間を殺す、と。けど、それからしばらくして、たまたま聞いたんです。もう私の種族は全滅していると言う事を。それであの日、逃げる決心をしました」
リンは唇を噛み締めて俯いた。
「辛かった事が悔しいんじゃないのよね。あなたの仲間が、転生者達によって討伐されたのが悔しいのでしょう?」
「は、い……みんな、セリカ様が倒されてからは、人間を襲わなかったのに……」
「それなのに、リンは、私が転生者達を殺める事を許容出来ないのよね?」
「だって、それじゃあ……転生者達が私の仲間にした事と、同じじゃないですか……」
「全く……リンと言い、ラビィと言い、本当にモンスターの統制者なのか疑わしくなって来てしまう、優し過ぎて」
「すいません……」
それでも、ローズの気持ちに変わりは無い。
転生者達を殺し、この世の理を取り戻して、セリカを復活させる。
手を汚すのは自分だけで、充分だと。
「あの、ラビィさんと言う方は?」
先程の出来事を、要点だけ絞りローズはリンへ説明をした。
リンは、まだ自分のように生き永らえていたモンスターの統制者がいた事に喜びはしたが、置かれている状況を聞いて、表情を曇らせる。
「連れ出したいとは思うのだけれど……何だか、難しいのよね……」
「人間もモンスターも、仲良く共存出来ないんでしょうか……」
「無理でしょうね。セリカがいた時だって、仲睦まじくしていたわけでは無いでしょう?」
「そう、ですね」
「相容れなくても、共存が出来る事をセリカは証明していた。だからこそ、私はセリカを復活させるのよ。私にはそんな事出来ないから、セリカが復活する時までは我慢なさい。あなたが理想とする世界になるのかどうかは、セリカに委ねる事になるけれど、ね。さて、と」
ローズはリンが用意してくれた食事を食べ、席を立つ。
「何処かへ出掛けるのですか?」
「ええ。ラビィの様子を見に行って来る」
「外、真っ暗ですよ?」
「魔の者にはうってつけの時間じゃないの。私達はどうやら闇属性だと思われているみたいだし、それなら闇属性らしく夜闇に紛れて行動してやろうかなってね」
冗談を含めて伝えてはいるが、ローズの内心は多少不安に駆られていた。
どうしても、ラビィがいた林から出て来た人間が気になって仕方が無い。
自分自身の思い過ごしあれば、様子を見に行くだけなんて容易い事。
それなら思い立った今、行動をすべきだろう、と考えてローズは行動を起こす。
「ローズさん、傷は治りましたが無茶はしないでください」
「ええ、分かってる。ありがとう、それじゃあ、行って来るわ」
セリカの城を後にして、それ程時間を掛ける事無く、ラビィのいる水車小屋へと辿り着く。
「周囲に人の気配は無し……あら? これって、マナさんの店の紙袋じゃない」
見覚えのある紙袋が水車小屋の扉の前に置かれてあった。
「ここへ来たけど、ラビィが出なかった、のかしら? となると、今日は会えそうにもなさそうね」
それでも念の為だと思いローズが取った行動は、ノックをして声を掛けると言った、至って普通の行動。
もしこれで出て来なければ、ラビィなりに警戒をしていると認識出来るし、出て来るようであれば、注意をしておく必要がある。
夜も遅いし眠っている可能性も無くは無いけど、今日は出て来ないだろうと思っていたところ。
「ローズさん、どうしたの? こんな時間に」
「はぁ……ラビィ。あなたね……まぁ、いいわ。ちょっと部屋の中へ入れてくれる?」
「はい、どうぞ」
すっかりと定位置になった絨毯の上に腰を下ろしから、ゆっくりとラビィへ伝え始める。
「あのね。警戒するように、と私は伝えたはずよ?」
「うん、それは、分かってるよ? ちゃんと覚えているもん」
「なら、どうして出て来るの?」
「声がローズさんだったから」
「似ているだけ、かもしれないでしょう?」
「あ、そうか」
半ば呆れたのが、ローズの正直な気持ち。
「次からは気を付けなさい。いや、もう一層の事、マナさんとの合図が成立した時だけ、出るようになさい」
「うん、分かった」
本当に分かっているのだろうか、と多少の不安を抱きながらラビィとの会話を続ける。
「あぁ、そうだわ。これ、外の扉の前に置いてあったわよ?」
「あれ? マナさんのお店の袋だ。いつ来たんだろう?」
「眠っていたんじゃないの?」
「ううん、起きていたよ。ボク、あまりここから出られないから、睡眠してる時間が多くなちゃって寝ようとしても眠れないんだ。おかしいなぁ、全然気付かなかった。もしかして、これだけ置いて行ってくれたのかな? 次に会ったら、ちゃんとお礼しておかなくちゃ」
「そうしなさいな。それにしても、この中で過ごしていると暇でしょう? 何か本でも持って来て上げましょうか? セリカの城の中にたくさん置いてあったから」
「じゃあ、楽しそうなお話がいいな。誰も不幸にならない物語」
「分かった、次来る時に持って来てあげる」
「うん、ありがとうローズさん」
「けれど、誰も不幸にならないストーリーで盛り上がったりするのかしら?」
「いいの。別に盛り上がらなくても、毎日が平和で、他愛の無い世界の中生きて行く、そんな事で充分だから」
「今、セリカの城にいるリンって子もそうだけれど、あなたも大概変わってるわよね」
「ん? どの辺が?」
「魔の者らしく無いじゃない」
ローズは不思議でならなかった。
こんな平和思想のモンスターが魔王セリカの配下であった事に。
「そう、なのかなぁ? セリカ様の下にいた子はみんな似たようなモノだったよ? その代わりに、ボク達モンスターの統制者じゃない子達が頑張っていたんだけどね。セリカ様は、その事でだいぶ悩んでいたみたい」
「どんなふうに?」
「転生者が増えてしまって、これではただ死にに行かせてるものだ、って」
「…………そう」
セリカと過ごした短い期間の間、セリカは何度も、ラビィが言ったような事を口にしていた。
『統率者の私が何もせず城に籠って、自分よりも遥かに強い相手へ向かっていけと命令しているだけ。世界の理を守る為とは言え、私はあの子達からしてみれば、冷酷な統率者の何者でも無いでしょうね』
そしてその後、必ずと言っていい程、次のような事を言うのが決まり文句。
『人間もエルフも他の種族も、そして私達魔の者も、全てが助け合い補い合って生きていける世界。そんな夢物語の世界があったら、本当にどれだけ救われるのかしら』
統制者であるリンやラビィ。
そしてその統率者であるセリカ。
人々から忌み嫌われモンスターと呼ばれる側の者だって、たくさん悩み苦しんでいる。
それを知らずに”敵”であり”悪”だと決め付ける人間達。
果たして、どちらの言っている事が、この世界に取って必要な事なのだろうか。
ローズはセリカの意思を継いだ今でも、たまに思い返し、悩む事がある。
「……いつか、答えが出るのかしら、ね」
「ん? 答え?」
「あぁ、こっちの話しよ。ラビィはもし、種族関係無く平和な世界になったら何がしたいの?」
「えっとねー」
ローズの問いに、ラビィはしばらく考えた。
腕を組んだり、唸ってみたり、色々な感情が浮かび、そこからまた別の感情が生まれ、そしてようやく自分なりの考えに辿り着く。
「したい事、とは違うけれど、大した事は望まない、かなぁ。毎日平凡で穏やかに過ごせればそれでいいかも。道端とか街ですれ違う時に、おはよーとか、こんにちはー、とか。一言だけでもお互いに気兼ねなく言葉を交わし合える世界でいいよ。今のボク達はすれ違うだけで…………殺し合いになっちゃうから、ね」
確かに大した事は望んでいない。
ただただ何もせず、挨拶を交わし合えるだけの関係。
こんなにも簡単な事であるはずなのに、この世界ではそれがとても難しいばかりか、歩み寄る事すら不可能になっている。
『夢物語の世界』
セリカが発した言葉は、正にその通りであり、きっと叶わない事だ、と。
「ローズさんって、結構世話焼き?」
「どうして?」
「だって、ボクの様子を見に来たんだよね?」
「それなら様子を見に来る必要が無くなるように、城へ戻ってくれると嬉しいのだけれど?」
「それは言いっこ無しだよー。んー、お姉ちゃんが出来るとこんな感じなのかな?」
「口うるさいって事? 何処か不安なのよ、ラビィは。抜けていると言うのか、放っておけないと言うのか」
「うー、マナさんにも似たような事言われてるのにー。ボク、そんなに頼り無い?」
「ええ」
「ローズさん、意地悪だよー」
「そう感じるのなら、もう少し私を心配させないような行動を取ってくれる事を祈っているわ」
「ぜ、善処はしてみます……」
期待は薄そうだ、とローズは思いながら、立ち上がる。
「それじゃあ、私はこれで帰るから」
「えー、もう帰るの?」
「また明日来てあげるわよ。魔王の城へ勧誘にね」
「それは困るけど、絶対来てね。ボク、だいたい暇だから」
「それならば、明日はリンも連れて来てあげる。お互い、会った事はあるの?」
「ううん、無いよ。だから楽しみ」
そう言ったラビィの笑顔を見てから、ローズは外に人の気配が無い事を探り、水車小屋を後にする。
そして、そのままマナの住む街へと足を運んだ。
これもまた様子見。
行って何か分かるものでも無いとは思いながらも、念の為だと思い。
「何、あれ」
街を囲む大きな壁から、夜空に向かって灰色の煙が昇っている。
「…………火事、かしら」
街の入り口に近付くと、人間達の騒々しい声が聞こえて来た。
「どこの家?」
「あそこだよ、パン屋のマナさんのとこっ」
「マナさんは?」
「さ、さぁ……分からないけど……」
「でもどうして誰も火を消さないのよっ。転生者の人、たくさんいるはずよね?」
転生者がいれば、氷属性の魔法なり、水属性の魔法なりで火事くらいの火であれば、すぐに鎮静化出来る。
それが今もなお、燃え上がっている事に、ローズは嫌な予感がしてならなかった。
「……まずいわね」
急いでマナの店へと向かうと、想像以上に火が激しく燃え上がり、マナの店一軒を確実に飲み込み、更には隣の家へと燃え移ろうとしていた。
「お、おいっ、誰か魔法使って消せないのかっ!」
「あんた、転生者だろっ? このままじゃ、被害が大きくなってしまうっ! どうにかしてくれっ!」
その声に耳を貸す転生者は一人もいない。
「マナさんはっ?! ねぇ、マナさんは何処にいるの?」
「……いや、俺は見て無いぞ」
「私も……」
「まさか…………まだ中にいるってのかっ?!」
「あんた魔法職だろっ! 早く火をっ! マナさんが中にいるかもしれないんだよっ!」
「…………悪いが、今、魔力が尽きていて。力になれなくて申し訳ない」
掴みかかって来た男から、視線を外して魔法職の者はそれだけ伝えて、その場を去って行く。
「他、他の魔法職の人はっ?! 誰でもいいから!」
周囲を見ただけでも、数人の魔法職がその場にいるのにも関わらず、誰一人として動きを見せる者は見当たらない。
(…………転生者のくせに魔力が尽きる? 寝惚けた事を。どう考えたって、口裏合わせて使おうとしていないだけじゃない。水属性魔法では時間が掛かってしまう、それならば)
ローズは周囲の人間に気付かれる事無く、マナの家ごと氷属性の魔法で覆い尽くした。
瞬時にして燃え上がっていた火が鎮静化する。
(さすがに誰にも見られず入るのは無理そうね。仕方ない)
出来る限りマナの家に入る場面を見られたくは無かったが、これだけの人間がいる中ではどうしようも無いを思い、ローズは気にも留めずマナの家の中へと入って行く。
「ちょっとアンタ! 危険だから止めておいた方がいいっ!」
その忠告を聞く事も無く店の中へと入ると、確かに崩れるのも時間の問題だと言うのが、よく分かった。
それでも一つ一つ部屋を確認して行くと、一階の奥の部屋で倒れているマナを発見する。
「マナさんっ」
駆け寄りマナの名前を数階呼ぶと、マナが薄っすらと目を開けて、ローズを見た。
「あぁ、ローズ、さん…………」
「今、回復するから」
治癒魔法をマナに掛けてはみるものの。
(ダメ、回復しない……マナさんはもう…………)
この世界、スタープラムの世界にも回復魔法は存在する。
ただ、その回復魔法の効果範囲は生存出来る事が前提にあり、魔法の効果が無い場合、その対象は”もう助からない”事が確実のものとなっていた。
「お願い、します……あの子を、ラビィ……を、助け、て……上げて……」
「ラビィがどうかしたの?」
「転生者の人が、来て…………あの子を、呼び出すように……言って来たんです。それを、断ったら……店の中の商品を、いくつか持って行きました」
「店の商品……?」
水車小屋へ入る時に置いてあった紙袋、その紙袋を渡した時にラビィが言っていた事を思い出す。
『あれ? マナさんのお店の袋だ。いつ来たんだろう?』
『ううん、起きていたよ』
「マナさん、ラビィの水車小屋の所に、紙袋を置きませんでしたか?」
「私は……はぁ、くっ……置いて、いません。いつも……手渡し、をしていました、から」
(しまった!)
「はぁ、はぁ……ローズ、さん……ラビィに、会ったら……ごめんなさい、と伝えて、くだ……さい。私が、関わったせいだ、と…………」
「しっかりしてっ!」
「でも……ふぅ、ふぅ…………ラビィのおかげで、私は……幸せ、でした。あの子の……笑顔は、私を何度も、何度も……救ってくれたんです。はぁ、ふぅ……けど、ラビィに取っては、迷惑だった……のかもしれない、です、ね……」
「そんな事無いわっ! あの子だって、マナさんと会えて生きる理由が出来たと言っていましたんですっ! 助け合いだと……あなたが自分の母親だったら嬉しい、そう言っていましたっ」
「そう……そんな事を。ローズ、さん……お願い、しま、す……はぁ、ラビィを……ふぅ、娘のコンテのように……不幸にしないで上げて、くだ、さい……救って、あげ、て……くだ、さい。コンテも、ラビィ、も…………不幸になる理由、なんて……無い、から……。お願い、しま、すね……」
「……ええ、分かったわ。あなたの言葉、ちゃんと届けますから」
「はい……ありがとう、ございま、す。ラビィ……私は、天国で……コンテと一緒に待っている、から…………私、とコンテの分まで、たくさん生きて、たくさん楽しい事をして……それから、天国で会いましょう、ね」
「…………」
マナは静かに息を引き取った。
その感傷に浸っている場合では無いと言い聞かせ、ローズはマナの店からローズの亡骸を背負い、外にいる人間に託した。
「マナさんっ!」
「亡くなったわ。どうか優しく弔って上げてください」
持ち合わせていた金貨を全て渡し、急いでラビィの水車小屋へと戻ると。
「静かね……でも」
何かすら起こっているのでは無いか、と内心思っていた読みは外れ、その静けさがむしろ不ローズの安を煽る。
「人間の気配が……三人」
小屋に近付いてノックをしながらラビィの名前を呼ぶが、扉は開かない。
警戒しているから、とは思えない。
マナが残した言葉と扉の前に置かれていた、マナの店の紙袋。
何が入っているのかは分からなくても、決して良い事では無い事だけは充分に理解出来た。
それに、周囲に息を潜めて隠れている人間達。
「見られているだろうけど、急がないと……」
ローゼンギルティで扉を切り中へと入る。
「あ、ローズさんだ。ダメだよー、扉、壊しちゃったら……」
「ラビィ、何があったのっ?」
うつ伏せに倒れているラビィを抱き起こす。
「マナさんの……パン、を……食べたら、ね……。身体、おかしくなっちゃったんだ。マナさん、作り間違えた、のか、な?」
「パン……? まさか」
紙袋から取り出したマナの家のパンへ向かい、解毒魔法を掛ける。
「…………魔法の効果が発動、した。ラビィ、待ってなさい、今すぐ解毒して上げるから」
「う、ん……」
「どお? 楽になった?」
「ん、う…………ダメ、みた、い……。頭がぐらぐらするし、身体が、熱い……よ」
(……解毒魔法は効果があったけれど、治癒魔法の効果が……出ない。致死量の毒をこのパンに仕込んでいたって事になる。じゃあ、ラビィはもう)
「ローズ、さん……。ボク、マナさんに……嫌われた、のかな? だから、美味しく無いパンを……置いていった、のかな?」
「違うっ、それは違うわっ! マナさんはあなたの事を嫌いになってなっていない。それだけは確かよ」
「そう、なの……かな? じゃあ、どうして……」
「それは、マナさんが置いていったわけじゃないの。他の人間が……マナさんを利用して、あなたを…………殺害しようとした、の」
苦しそうに呼吸をしながら、驚いた表情を見せた後、ラビィは笑顔になる。
「そ、っか……マナさん、じゃなかった、んだ、ね。良かったぁ、ボク、嫌われたのかなって思って、心配、だった…んだ」
「ラビィがいてくれて、幸せだったと言っていた。だから、頑張りなさい。今直ぐセリカの城へ連れて行くから、そこへ行けば何か方法が」
方法なんて事を、ローズは思い付いていない。
スタープラムの世界では、致死量のダメージを負えばそれは死を意味する。
でも、ローズは何度も死にかけながら、今だって生きている。
だからたぶん、他に方法はあるはずだ、根拠は無いがローズはそう思っていた、思う他、無かった。
「ローズさん、ボク……生まれ変わったら、争いの無い世界に……生まれ変わりたい。誰も……傷、付け合う事が無くて…………みんなが、手を取って助け合って、幸せで。そ、んな……世界に生まれ、変わりたい、な」
「それは今の自分の人生をしっかりと生きてからになさいっ! もう少しだけ辛抱して」
ラビィの身体を抱えて水車小屋から外へ出ると。
「…………転生者」
「お前、見ない顔だな? まぁ、それはいいとして、それは俺達の獲物だ。今直ぐ置いて行け」
大剣を持った戦士職の者。
「今、あなた達に構っている暇は無いのよ。邪魔をしないでくれるかしら?」
「そのモンスターさえこちらに渡せば、あんたの事を邪魔するつもりは無いと言っているんだ」
そして、魔法職の者。
「場合に寄っては、あんたも……倒さざるを得ないが、どうする?」
それから、暗殺者であるアサシン。
眼の前に二人と、背後にしている水車小屋の屋根に一人。
ラビィを庇いながら三人同時の相手をするには、多少無茶がある。
(ラビィを一度下ろせば、三人くらい、どうにか行けそうね)
「ラビィ、もう少しだけ、頑張って」
そっとラビィを下ろすと、ラビィが弱々しい声でローズに話し掛けて来た。
「ローズさん……ボクの事は、いい、から……逃げ、て。分かるん、だ……ボクは、もう助からないって……」
「そんな事無いから、気をしっかり持ちなさいっ」
「もっと、ローズさんとお話し、したかったな。リン、さんにも……会いたかったし、マナさんには……ちゃんとお礼言えて無かったし……いっぱい、いっぱいやり残した事が、ある、のに……」
「大丈夫よ。すぐに終わるから」
「ローズ、さん…………ボク、頼りなくて……危なっかしいコだけど、それでも、やっぱり……お姉ちゃんはローズさん、が……いいなぁ。えへへ」
「私なんて選ぶのは止めておきなさい。あなたにももっと相応しい人が絶対にいるから」
ラビィの笑顔を見ているローズの視界が涙で揺れた。
分かっていた事なのに。
ラビィはもう助からないと理解出来ていたのに、心が悲しみで満たされて行く。
「泣かない、で。カッコいいローズさんが、台無しに……なっちゃう。はぁ、はぁ……ローズさん、本当に短い間だったけど…………楽しかった。ボクに出会ってくれて、ありがとう……お姉、ちゃん…………大好、き」
ラビィの身体から力が抜け、抱えていたローズの腕に重く伝わって来る。
「バカね……最期の言葉が私へ向けたものだなんて。マナさんへ向けるべきじゃないのよ」
まだ温かいラビィの身体を抱き締めて、ローズは涙を流した。
「……少しだけ、待っていて。セリカの所へ連れて行ってあげるから」
ラビィの身体をゆっくりと横たえ、魔法障壁を展開する。
これから始まる戦いに備え、ラビィの身体が傷付かないように、と。
「もういいだろ? それは渡して貰うぞ」
「これで三千万の儲け」
「生死関係無く報酬を貰えるのだから、楽な依頼だったな」
「……たった、三千万? たったそれだけの報酬で、ラビィを殺したと言うの?」
「モンスターの統制者一匹で三千だぞ? 楽なもんじゃねぇか。さぁ、そいつを寄越せ」
「断るわ」
「あんたも、あの店の女と同じ、モンスターの味方をするのか?」
「それなら…………その女店主と同じように、殺してでも奪うのみだな」
「……ラビィだけでなく、マナさんも?」
「まぁ、仕方ねぇだろ。モンスターの味方して、そいつを渡そうとしなかったんだからな」
ローズがゆっくりと立ち上がり、目の前の二人へ鋭い視線を送る。
「戦うと言うのか? 大人しく渡せば苦しまずに済むものを」
「俺達の力だったら、どっちにしても苦しむ暇なんて無いだろ?」
「違いねぇな」
転生者の三人、それぞれが各々の武器を持ち直し、応戦の意思を示す。
「苦しまずに殺すなんて事、私だって簡単に出来るわ」
「抜かせ。たった一人で歯向かう事を後悔するんだなっ」
「…………一人、だからこそ、動き易いのよ?」
一呼吸置いてから、ローズは転生者達へ向けて言い放つ。
「反則者共、楽に死ねると思うなっ! 生きている事、存在している事を後悔させてあげるわっ! 火葬華っ、黒曜!」
解放したローズの強大な魔力により、地面が揺れる。
「な、んて魔力だっ!」
「コイツ……まさか、転生者なのかっ?!」
「転生者であっても、これ程強力な魔力を持ってるヤツは存在しないぞ」
「じゃあ、なんなんだよっ!」
ローズの解放した余りにも強大な魔力を目の当たりにし、戦う前であるのに、その力の差を思い知らされ動揺する転生者達。
解放された魔力に覆われ、その中からローズの声だけが林の中へ静かに響く。
「良い事を教えてあげるわ。このフォームはね、魔法が放てない代わりに、魔法力を身体能力の増加に使用するのよ? それが何を意味するのか、理解出来るかしら?」
今もなお上がり続けるローズの魔法力に圧倒され、誰一人として口を動かせずにいた。
「武器を使うよりもずっと……残虐な殺し方が可能になるって事」
ローズを中心に取り巻く、黒い炎の魔力が徐々に収束を始め、やがて、ローズの姿が目に見えるようになり、その姿を見た転生者達は言葉を失った。
黒曜と呼ばれる火葬化のスタイルは、篭手と鉄靴の部分が特徴的で、短い鈎爪となっている。
「私は魔王セリカの意思を継ぐ者、ブラッディ・ローズ。その身に絶望と恐怖を刻み込んで、苦しみ抜いて逝かせて上げるわっ!」