続・荒野の軍事探偵 4
施設に向かう日本人がよく使っているというそのホテルから、理研の高度振動力学及新素材研究所までは、おおよそだが一時間はかかるまいとのことだった。
なにも無い場所だと思っていたが、それでも宿泊客が思った以上に多くいる。日本から来たとおぼしき実業家ばかりかと思ったが、小金を持っていそうな現地の人間や、ちらほらとスラブ系では無い西洋人も見受けられる。今でこそ仁多研の周囲はなにも無いところらしいが、同時に関連企業の進出計画が噂される事から周辺の整備がはじまっているという。完成すれば日本でもまだ珍しい工業団地とでも呼ぶべきものになるのを見越し、先遣隊として派遣された人間が宿泊しているのだろうと想像する。
そういえば、昨晩軽く挨拶した英国海軍少尉も、親戚の事業家からの依頼で休暇を利用して調査に来ていると言っていたな、と思い出す。
「朝ご飯はどうなさいますか」と到着し、晩飯を終えるとすぐにホテルの従業員に問われたので、ほかの皆はどうしているのかと問い返す。すると女中は片手をほほに当てながら「そうですね、ほとんどの方は朝早いのもあって、お弁当を持っていかれますね」と答え、朝飯を食べていると気持ち悪くなる人もいるみたいだからという忠告をしてくれる。
あえて逆らう必要も全く無いので、皆と同じようにホテルでにぎりめしを作って貰うことにした。日本人が西洋人向けのサンドイッチを頼んでも大丈夫とのことだが、やはり大半以上はおにぎりにすると言う。
その所為もあって、朝は比較的のんびりとしている。表向きは最新研究所の警備状態を陸軍の立場から視察という名目の休暇仕事となっているのだから、いくらせっかちで知られる陸軍将校といえど、日本人以外も宿泊する海外の宿泊施設ではある程度のんびりとした態度も見せる必要があるだろうと考え、飯を握ってもらう間は、無料提供の珈琲をすすりながらラウンジの肘掛け長椅子に腰掛けて待つことにする。どうやらサイフォンで淹れているらしく、ミルクを入れるのがもったいないと感じるほど素晴らしくよい香りが漂ってくる。一口飲むと、浅煎り豆を使っているらしく、酸味の方が苦みよりも感じられる。
手に取った現地出版らしい日本語の新聞は、地元の話題はさておき日本の話題となると少し古い情報が主となっている。先だって不逞外地人が起こした政府高官に対する暗殺未遂事件も、一面トップとはいえ内容は数日前に日本で見た内容と大差ない。無罪で無いなら死刑にしてくれと言う無様な発言をあえて掲載することで事件を矮小化している事はわかる。矮小化することで大韓民国臨時政府《自称亡命政権》の政治宣伝を封じる狙いがあるのだけはわかったが、どうにも全容が見えてこない。
そんなことを思いながらしばらくすると、新聞紙で無く奇麗な紙箱に入れられたにぎりめしが渡される。さすがに笹で包んだにぎりめしは無理だったかと思っていると、「お番茶ですが、麦湯の方が良かったですか」と無骨な軍用とは異なる小洒落た意匠の水筒も渡される。生水は飲めない外地のため、一旦煮沸し、番茶を入れてくれたのだとわかった。礼とともに受け取り表に出と、すでに表には車が待っていた。
昨日彼が言った言葉を裏付けするかのように、車は乗用車に変えられるということは無く、小型乗用車のままだった。
乗り込む際にふとエンジンの覆いを見ると、何か改造をしているのか通常のくろがね四軌には見られない膨らみが認められる。荷を置いた後部の荷室は、オート三輪代わりのちょっとした貨車としても使えるように拡大された陸軍仕様ではなく、折りたたまれた幌の後ろには予備タイア《スペア》がむき出しで取り付けてある初期型だったことからすると、エンジン改良型と言うわけでもなさそうだ。もっともかってと異なり現在は勝手現地改造は黙認どころか暗に推奨されている節すらあるだけに、興味を引かれるところだ。
雑多な物品であふれている後部座席も、拡大される前の一人乗りの小型なものだが、よく見ると機関銃用とおぼしき銃架がもうけられている。
それにしても、と西は思う。
昨日も思ったが、この男の腕は、なかなかの物だ。日本製車両の宿命と言うべきか、どうしても精度が要求される部分で工業力《地力》の差のが現れてしまう。パッカードのような高級車と比較出来ないのは当然だとは言え、トラックの様なノンシンクロでは腕の差が顕著になる。慣れないと、変速の度に衝撃が襲ってくるが、彼の運転では全くそれが感じられなかった。むろん、変速だけですべてが語れる訳では無いが、少なくとも運転に慣れている。
唐突に先ほどまでの悪路と全く異なる、日本本土でもまだ都市部位出しか普及していない土瀝青舗装で整備された道が現れる。舗装道に入ると同時に、一度変速機を落とし、一気に加速する。舗装され整備された道ではさすがに乗用車とは比べるの自体失礼だが、それでも中実タイヤとは思えないほどなめらかだ。さすがに快適とまで言ってしまうと言い過ぎだろうが。
それにしても対面とはいえ四車線の道は、ドイツのアウトバーン計画を模範とし現在計画中の『高速道路』に匹敵する横幅がかなり広い設定で、内地でもほとんど存在しない素晴らしいものだ。アウトバーン建設の裏の目的という噂があるが、この道路も同様に滑走路としての機能を求められているのかも知れない。
「見えてきましたよ」
速度をさほど落とさず、それでいて横への加速をほとんど感じさせずに、四車線の道路から、横に曲がると、正面に三角柱を横にしたような形状の建物が目に飛び込んでくる。
手前に巨大な浄水設備を備えたそこが、目的地に違いない。
資源科学研究所の多田研究員の協力の下発見した大慶油田によって内外で有名となったため誤解されがちだが、本来仁科博士は国内有数の原子物理学の権威で有り、この地に研究所を設立したのも内地では困難な超大型サイクロトロンを建設するためである。
すでに理研本部にも設置されているサイクロトロンだが、その構造上素粒子の加速度をあげるためには、どうしても設備を大型化する必要があった。それはむろん加速器自体の大型化もあるが、同時に大電力を安定して供給するための設備を併設する必要があるという、日本のインフラ自体が脆弱と言う問題があった。そのため、当初は国内に建造を予定されていた計画を大幅に変更。広大な土地を有する満州の地に世界でも類を見ない大型の設備を設置することが決定し、建設された。
建物に近づくにつれて、道がますの目状になっている為であろうか規則的に十字路が現れ、横を見ると、トタンと鉄条網で中が見えないようにされている。それにしても富士山を模したという、研究所と呼ぶにはあまりに雄美かつ近代的な建造物に圧倒される。
近づくにつれて、その大きさが実感できる。東京駅の玄関口よりも大きいのではないだろうか、小さな都市なら市庁の建物がすっぽりと入りそうだ、そう思えるガラス張りの巨大な玄関の前に、車はゆっくりと止まる。数人の民間警備員が車の周囲にさっと近づき、慇懃に陸軍式の挙手礼《敬礼》をする。
最新鋭最先端の研究所として国内外で知られているこの建物は、下田にある海洋資源研究所と並び、皇国の誇る研究所として少年向け雑誌の天然色口絵にも何度か掲載されたことがある。
だが、西は知っている。同時に研究所では出資協力者である軍務省安田中将の依頼で、満州のみならず、想定されるあらゆる陸戦に関する武器の開発を行っていることを。そこでは単なる武器だけでなく、概念すら覆すような研究すらされていると言う噂とともに。
首領が連れてきたのは、掘っ建て小屋というには立派だが、倉庫と言うには見窄らしい建物だった。
「見てくれこそ悪いが、中身はなかなかのもんだぜ」
そう言いながら、鉄製の大きな扉に設けられた人が通行するための扉を開ける。
「ほう、これは確かに」
ピエールの感嘆混じりの言葉に、首領は軽く胸を張る。
「確かに、軍隊とやり合うにはちと力不足だが、警官相手なら一蹴できる」
倉庫の中には、日本軍の三〇式小銃系統や国民革命軍《国民党》がもっぱら使用するドイツ製九八式騎兵銃、それに満州のユダヤ人自治区で共同警備にいそしむ米軍が大量に警備用として持ち込んでいるトンプソン短機関銃や開発されたばかりのM1カービンなどよりどりみどりだ。さらに小火器のみならず、どこから鹵獲《盗んで》来たのか、重火砲すら馬賊のものとは思えないほど良好な状態で保存されていた。
「装備はそれなりな状態だが、いかんせん弾薬《中身》が弱い」
そこには、言葉とは裏腹に、自信が見えていた。むろん、首領とて弾薬の補給が低いというのが戦闘の継続能力に直結する問題点と言うことは理解している。だが、同時に俺たちは軍隊で無い、馬賊らしく神出鬼没かつ一撃離脱に徹すれば問題無いと言う割り切りと、長期戦にはさせないという実力に裏打ちされた能力判定が彼に自信を与えている。
「南でなら、軍隊とでも十分やり合えるのでは無いかね」
ピエールの言葉ももっともだった。そこには、数台のフォードらしきトラックに装甲板を貼り付けた簡易式装甲車両に混じって、最新鋭の英国製装輪装甲車二両とともに見たことも無い大型戦車があった。
「だから言ったろう、軍隊とやり合うにはって」
「なるほど」
理研の研究所
超大型サイクロトロンの建設のため、満州に建設された大型研究施設。
史実では日本国内に最新鋭設備として建設されているが、当時流行していた超兵器の開発を目的とした陸軍の協力と同時に、いわゆる学研都市を建設し経済振興を図る事を目的にする満州政府の後押しで、満州の荒野に設立された。
三〇式小銃系統
有坂大佐が原型となる三〇式歩兵銃を開発した事から、欧米ではアリサカで知られる、ボルトアクションライフル。
史実では、威力増加のために口径を7.7ミリに大型化した九九式が開発されているが、満州での米軍の弾薬製造権獲得によって30-06弾が採用されたことから見送られている。
トンプソン短機関銃
トミーガンととして有名なサブマシンガン。
満州における米国利権保護の必然性から、史実よりも早く正式に大量採用されており、日本軍もト式機関短銃として採用している。
M1カービン
警備目的で開発されたが、満州での短機関銃の実績からより高威力の軽便火器が求められ、史実よりも早い段階で実用化された。
日本軍も早い段階で少数を導入、国民党との小競り合いに投入しそれなりの評価を得るとともに、鹵獲された銃がドイツの軍事顧問により持ち帰られて、ドイツ軍の小銃開発に少なからぬ影響を当たれる事となった。
また此の銃の採用が、日本軍が小銃の口径増大にあまり熱心で無くなった最大の理由とされている。