続・荒野の軍事探偵 2
そんな場所にあってさえ、薄汚れたと言う表現がここまで当てはまる場所も珍しいだろう。粗末な雑貨屋の隣にある、その安酒場を呼ぶ場合。
元々は満洲風の建物だったのだろうが、清末から続く動乱期に漢民族の風俗を取り入れた外装に改造され、さらには西部劇映画にでも出てきそうな飲み屋が併設されている。最初はけばけばしく赤や黄色に塗られていたと思われる柱や梁も、今となっては風雨で色あせている。半ば崩れ落ち中に塗り込めてあるモノが覗いている元は黄色に塗られていたとおぼしき土壁の前には、馬をつなぐための西部劇に出てきそうな柵が設けられている。この店も、その手の店の例に漏れず二階は宿屋になっている。だが、この周囲で唯一の宿屋にも関わらず、飯炊き女と呼ばれる安娼婦すら居そうにない。
良く言えば多国籍風と言ったところだが、どこをどう考えてもそんな風に表現するのがためらわれる、雑多で寄せ集めな感じがある。そのためもあってか、ほとんど平屋なみすぼらしい家屋の中にあって、二階建てというぬきんでて高い建物にもかかわらず威風堂々とは真逆な印象を与えてくる。
そんな場所だけあって、ある意味当然だが、客層ははっきりと言えばかなり悪い。夕暮れまでまだだいぶ間があるというのに中華風の椅子に座って安酒を片手に雑談している連中は、善良なる地元住民というより、どこをどうひいき目に見てもせいぜい山賊か夜盗かといった風体だ。実際ほとんどの人間がこれ見よがしに腰に拳銃か武器を保持しており、例外といえば店員くらいのもの。もっともその店員たちにしても、脇の下や尻の上のあたりがかすかに膨らんでいるのが少し注意すれば見て取れる。しかし客の中に、何を勘違いしたのか船乗りの舶刀を腰に吊るした『カリブの海賊』の風体をした人間も混じっているのは、なんともご愛敬と言ったところか。
ともあれ、客層が悪いのも当然で、この店は、いやこの街自体が馬賊たちの根城であった。馬賊といっても単なる匪賊から一種の任侠集団まで千差万別である。そして、ここの連中は明らかに前者に属することを窺い知ることができる。
「ここの首領に会わせろ」
西部劇に出てきそうな、両開きの扉を押し開き入って来たその男は、いきなりそう告げた。
伊達男でも気取っているのか、このあたりでは見かけない小洒落た外套を身にまとっている。
「何のようだ」「よそ者に用はねぇ」と言った、壁際の椅子に腰掛けた荒くれ者からのお約束な罵声には全く耳を貸さず、男は流れるような所作でカウンターに近づいてくる。同時に、探るよう視線の荒くれ者たちが数名、男をゆっくりと取り囲みその輪を縮めていく。
さっきほどまでぶらぶらさせていた男の左手が、ゆっくりと懐に差し込まれると、一瞬にして周囲に緊張が走る。すでに右脇と左の腰に膨らみが無いことは確認済みといえ、取り囲む男たちだけで無く、腰掛けて酒を呷ってた男達も、いつでも銃が抜けるよう利手をゆっくりと動かしていく。
だが男は意に介することもなく、カウンターに懐から出したものを置いた。
「紹介だ」
カウンターに置かれたのは、東洋風の手紙だった。漢字で書かれている文章の横に、キリル文字の単語が添えられている。西洋風の横置き型{で無く、日本で良く用いられている長方形《和封筒》のものだった。
輪を作っていた男達の中から兄貴分らしき男が進み出てくると、カウンターに置かれた手紙を荒っぽい手つきで持ち上げ、中身を取り出す。
それは確かに故買屋の店主の文字で、もって回ったような文言や美辞麗句を取り除き要約すると『紹介して欲しいと言われたから、話くらいは聞いてやれ』と言う、実に身もふたもない内容だった。実のところ既に連絡も届いている。『身元は知らんが、とにかく金はきちんと払う』と言う、ある意味最上級の言葉とともに。
要するに、この手紙は一種の割り符なのだ。
あの吝嗇家で知られる店主がそう言うのだ。用件はわからないが、それなりの金になる話なのだろう。だがこういった商売で大切なことは、まずはなめられないことだ。主導権を奪われないようにする、とお上品に言い直しても良いが、結局は同じ事。
だから、目配せで合図するとともに、手紙ごといきなり殴りつける。別に躱さされてもかまわない。先ほどの動作を合図に、周囲の仲間も間髪入れず殴りかかっているはず。逃げたとしても、誰かの前に現れるだけで、そうなれば後はたやすい。とにかく一度捕まえれば、後はこちらのものだ。一番近い誰かが常に殴りつけ、いい加減参ったところで話を聞いてやる。
そのつもりだった。
だが一瞬遅れて足下に走る激痛。同時に、彼は自分が床に寝ていることに気がついた。何をされたのかすらわからない。
「野郎!!」
だが、周囲の男たちは『何が起きたか』は知らなかったが、『どうすべきか』は知っていた。
荒くれ者たちの動きは、見た目の華麗さこそ一切ないものの連携がとれたものだった。訓練だけでも実戦だけでも出来ない、|修練の行き届いた古強者だけが出せる動きで、互いに射線の邪魔にならない位置へと動きながら腰の拳銃に手をかけた。
だが、ぴたりと動きが止まる。
いつの間にか、男の手には一丁の真新しいエルマ社製短機関銃が存在し、それが周囲を威圧していた。金属製の銃床こそ折りたたまれたままだが、このような狭い場所では、かえって銃身が暴れるために弾丸がばらけ、凶悪なまでの効果を発揮する。
それを見て、テーブルの一つから、スラブ系とわかる面立ちの2メートル近い巨漢がのそりと立ち上がった。
「物騒なもんはしまいな」
周囲の男たちは腰へと伸ばした腕をだらんと下げる。
それに合わせて、男も短機関銃の銃口を下に向け、短機関銃に安全装置をかける。
軽くうなずくと、巨漢は、ゆっくり近づいていく。覆い被さるような威圧感をまき散らしながら。一歩、二歩。
突然、その大柄な体とは裏腹に、予備動作なしで繰り出される素早いジャブ。切返の効いた一撃は、筋力と相まってそれこそ一撃で吹き飛ばされかねない激しいものだ。
だが、その動きはいつの間にか繰り出されていた左足に遮られる。そして、返す刀で繰り出された右足が男の鳩尾に埋まると、大男は崩れ落ちるようにして膝をつき、そして前のめりに倒れた。カウンター気味に入ったけりで、大男は一発でのびてしまったようだ。
やや斜め後ろから土煙を上げ近づいてくる2台の側車付きを認めると、不知火は舌打ちをする。
その理由は一瞬でわかった。側車に乗った連中は、手に銃を持ってる。
「すみません、まさか早速お出ましとは」
サイドカーは悪路にかかわらずぐんぐん近づいてくる。どうやら97式側車付き自動二輪を鹵獲して使っているらしい。
ハンドルをきりながら一瞬で2段目に三段目から入れ直すと、荒れ地にもかかわらず、一気に車両が加速していく。欧米の車両と比べ変速機が固めなのにも関わらず、変速の前後に合わせ右足で加速板と制動機を実に巧みに操り、滑らかに変速段切り替えをして、ぐんぐん加速していく。
軍用貨車の代わりの牽引用として使用される事もあるだけに、同調機構無し変速機構にも関わらず、実になめらかな変速に、西は思わず舌を巻く。
突然、サイドカーの男が、銃を構えると同時に発砲してくる。取り回しから察するに、どうやら国民党軍で採用され使用されていることから大量に存在するモーゼル小銃では無く、同一の弾薬を使用するのモーゼル騎兵銃らしい。
何発かが車のそばを掠め飛ぶが、揺れる側車からでは銃架でも無ければ安定して射撃できず、馬賊の腕ではまぐれ当たりを期待するしかないようだ。
「日本軍と気付いて居なかったのかな」
後ろを振り向き、振り切ったのを確認した西は、さすがに正規軍に喧嘩を売るとはと思いながら、そうたずねた。
「どうでしょう。ただ、この車は案外有名で、馬賊どもから目の敵にされているので」
「仏式格闘技か」
先ほどの男よりは小柄だが、十分すぎる巨躯とそれを上回る威圧感を放つ男が、いつの間にか背後から声をかける。
と同時に、襟首をつかみそのまま技を放つ。
講道館の型とはやや異なる動きで放たれた投げ技。それは見事に男を短機関銃ごと投げ飛ばした。
だが、投げられた瞬間に短機関銃を手放すと、柔道ともレスリングとも異なる受け身でくるりと回転し、懐から抜いたワルサー社製自動拳銃を片手に立ち上がる。撃鉄内蔵式なために、発射可能かは見ただけでは不明だが、ワルサー社の最新機構がついているなら当然のようにダブルアクション式のはずなので或る意味関係ないといえる。
「柔道と思ったが、どうやらサンボのようだな」
ビクトル・スピリドノフにより編み出された武器を持たない自己防衛と柔道が合わさってできあがったソ連護身術には、国民護身術の他に軍隊護身術があるが、特に後者はより実戦的な要素を残しており、危険な技も多くある。先ほどの投げもその一つだ。多少手を抜いていたとはいえ、格闘技を少しかじった程度ではとうていかわせるようなヤワなモノではない。
「……そちらこそ、巴里式組討術を使いこなすとは恐れいる」
巨漢は、投げると同時に腰から取り出したモーゼル軍用拳銃を、油断無く構えていた。
サバットと言う名でも知られるフランス格闘技は、本来拳や蹴りによる打撃だけで無く、投げや関節と言った危険とされる技術に加え技紳士の武器としての杖術をも含む総合格闘技だ。しかし最近では仏式拳闘が主流となり、それ以外はやや廃れている。
対峙する二人。それを見守る周囲の馬賊たち。
「よかろう、何を飲む」
巨漢が、隙を見せること無く、だがまるで酒場の店主のごとき砕けた調子で話しかける。
「話を先にしたいがな」
「まずは酒だ。それが満州流だ」
男は、落ちた中折れ帽を拾い上げると肩をすくめ、薯焼酎とだけ静かに告げた。
今回出てきた、武器・車両・格闘技は、史実に準拠しています。