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続・荒野の軍事探偵 1

たとえですが……

同一の拳銃の描写で

『撃鉄を上げると同時に、弾倉が回転し、いつでも撃てる状態となった』

『弾丸がつきた事に気づき、慌てて弾倉を横に開き装填した』

『男は、しっかりと拳銃を握りしめ、安全装置を外した』

と言う表現があったとします。


・特に何も感じない:是非、このまま楽しんで頂ければ幸いです

・リボルバーで安全装置? 何それ(草:たぶん、ブラウザバックされるのが、お互いのためだと……

・ん、マグナムじゃあ無いみたいだし、M40?:少し濃いめかもしれませんが、期待に応える様に眼張ります

・安全装置を外したって、ハーフコックを解除したって事?:適度に突っ込み、適度になるほどと思える可能性があるので、感想を頂ければ幸いです

・わざわざ外したと表現してるって事は? でもそれだと……:すみません、勘弁してつかぁさい。逆に、是非とも、ご教授頂きたく。


……ネタの濃度を理解して頂けましたでしょうか?



 満鉄の略称で知られる満州鉄道は、大連を玄関とし、奉天から長春を経て哈爾浜(ハルピン)に至る南満洲鉄道(満鉄本線)およびソ連より購入し満州里(マンチューリ)でシベリヤ鉄道に連絡する北満鉄道(東清鉄道)と、そこから網の目のように広がる幹線および支線によって形成されている。

満州に入るにはいくつかの道程ルートがあるが、欧州ヨーロッパから直接であればシベリヤ鉄道から満州里での乗り換え、中華民国側からだと天津から万里の長城を超え奉山線を使うのが一番簡単な方法だ。日本(本土)から満蒙(外地)に向かう場合だと、大連以外にも九州から一度任那総督府(釜山)に渡るもしくは仁川から京城ソウルに入り、平壌を経て朝鮮鉄道から東満州鉄道へ乗り継ぐ朝鮮半島(韓王国)ルートも存在はしている。ただ、朝鮮独立運動と称して国境を越えて侵入してくる東北抗日聯軍(金日成一派)による略奪行為の所為で、ソ連との国境付近(咸鏡道)では国境警備隊が同行していない場合の安全が確保しきれていない。そのため、朝鮮北部への移動に対し自粛勧告が出されいる現状では、大連は名実ともに大陸(満州)の玄関口として機能している。

 大連で皇国が世界に誇る『あじあ号』で長春、そこから支線に乗り換え急行で今度は東に向かい、さらに各駅停車(鈍行)の汽車に乗り換え30分。

 駅におりると、そこには草原と呼ぶにはあまりに土塊(つちくれ)石塊(いしくれ)があらわで、まばらな灌木も相まって、いかにもみすぼらしい風景が飛び込んで来る。船から降り立った際に見た、石畳と土瀝青舗装(アスファルト)で整備され、日本以上に近代的な高層建築(ビルディング)が立ち並ぶ大連とは全く異なっている。そこには、まさしく荒野と呼ぶべき世界が広がっていた。

 唐突に吹いてきた風に飛ばされないように、慌てて被っていた帽子を軽く抑える。木枯らしというわけでもあるまいに、やけに乾いた風により砂埃が舞い上がり、先ほどまで澄んでいた周囲がいきなり緞帳が下ろされたかのごとく土気色に変わってしまう。

 帝国陸軍の旧式軍装(昭五制)を小粋に着こなした士官は、チェッコ式(小粋)に仕立てられた軍帽のつばをいじりながら周囲をゆっくりと何度か見回すと、力なくため息をつく。

 いや、わかってはいる。大連や旅順、哈爾浜と言った都市部とこのような僻地を、そもそも比較すること自体がおこがましいのは当然としても、東京都と日本の田舎町に落差程度を期待するのは酷かもしれない、と言うことを。だが、目的地に対する期待が大きかっただけに、落胆も一段と大きいのも事実だ。

 港に着き大連の街並みを目にしたときは、自分の車を持ってこなかった所為でこんなすばらしい道を走る折角の機会を棒に振ってしまった事を後悔した。だが、この駅に降り立った今、全く負け惜しみではなく本心から、あの時に後悔する事になって本当に良かったと感じていた。北米でも、いったん都市部を離れると荒涼たる大地に変わってしまうとは言え、土瀝青舗装(アスファルト)でこそ無いにしろ、少なくとも幹線道路は車が走行可能に整備されている。だが、今いるところには、駅前の一角を除くと、幹線道路以前に車が通行している痕跡すら見当たらない。

「むしろ、我が愛馬(ウラヌス)と来るべきだったか」

 確かに道は悪いが、ロスとベルリンの馬場(オリンピックコース)をともに駆け抜けた愛馬とならどうだろう。馬賊どもよりもよほど巧みに走り抜く自信がある。衰えたといえど、愛馬ともにまだまだ後進に負けない自信がある。さすがに海外では無理だが、東京ならば三度目の五輪参加を軍も認めたかもしれない。たらればとはいえ、そうと思うと返す返すも東京が五輪開催の立候補を取りやめたのは残念だ。ならばせめてこの地で、我が愛馬の実力を……

「やめておいた方が良いと思います。折角の名馬が骨折してはかわいそうですから」

 後ろから聞こえるやや甲高い声(アルトボイス)に振り向くと、いつの間にか敬礼をする軍服姿の青年がたっていた。

 最近になって海軍でも採用された米国で主流となっている略式作業戦闘服(第三種軍装)を身に纏って、陸軍式の肘をはる敬礼ではなく海軍で主流の脇を閉じる敬礼をしている。

 だがこんなところ(満州奥地)海軍軍人(海さん)がいるはずもないことから、近衛兵なのだろう。海軍では狭い軍艦で行うために肘を詰める形式になったと言われているが、近衛(儀仗兵)の場合は、様々な式典で使用される和式礼装(狩衣装束)でも行いやすいためと言われている。それに、もっさりとした仕立てから俗に検非違使とも呼ばれる作業戦闘服は、海軍でも第三種軍装として採用されているが、全軍で一番最初に採用したのが近衛だ。

 よく見ると作業戦闘服の襟には、近衛将曹補という名の、陸軍で言えば中尉(ルテナント)に相当する、桐が二つついた地味な階級章を軍服の襟につけている。

 最近でこそやや下火になったとはいえ青年将校文化(華やかな軍服)になじんだ彼にしてみれば、垢抜けない野暮ったさを随所に感じさせるその戦闘服に対し、他の陸軍士官と同様に、野暮ったさに対する嘲笑と同時にその機能性に対し一種の羨望を感じていた。折り襟(昭一三制)になり多少改善されたとはいえ、やはり勤務服と戦闘服が同じということから来る窮屈さはいかんともしがたい。ましてや青年将校文化華やかな時代に俸給を受けてきただけだけに、なおさらだ。

 どうやら、彼は駅舎の中で待っていたようだ。敬礼をとくと同時に、にこにこと人なつっこい笑みを浮かべ、民間人のように頭を下げる。

「待たせたようだね」

 答礼を返しながら、やはりと考える。幸か不幸か華族に属する彼には、出迎え()が単なる出迎えではないとわかってしまった。

 下士官や兵で無く、下級とはいえ将校が直接対応するのは、異例と言うほどではないが少し珍しい。もっとも、組織上は近衛に属してこそいるが、憲兵隊や各種施設の衛士(警備兵)であれば、陸軍将校であるとともに皇国の爵位を保持する彼に対しそれなりの階級のものが対応するのは自然だと考えるだろう。だがその場合でも、彼のように若い人間だと些細な事から粗相して(やらかして)しまう懸念が払拭できないため、曹長や准尉と言った最上位下士官もしくは特務士官の世慣れした人間をあてがうのがほとんどである。

 実際のところ、陸軍将兵の大半にとって、憲兵隊を除く近衛とは、たとえ海上保安隊であっても海軍ほど仲が悪い訳ではない。だがそれ以上に、単なる国境警備部隊で無く儀仗も兼ねる正真正銘の近衛兵(御親兵)の出迎えとあれば、唯我独尊で知られる帝国陸軍将校(青年将校)といえども、それなりの対応を取らざるを得ない。

「いえ、お気になさらずに。こちらです」

 手招きとともに、彼の脇に置かれた私物の小洒落た旅行鞄(ボストンバッグ)を軽々と下げる。

 家柄のよい、だが素封家というほどでもない田舎の旧家の出を思わせる鷹揚な対応を返してくる。しかし、それなりの重量がある彼の荷物を軽々と提げていることからも、見かけとは裏腹に相当鍛えられていることがわかる。必要以上に強権的な(強面の)憲兵隊や、陸軍以上に蛮勇揃いな(むさ苦しい)国境警備隊、海軍以上に見敵必戦な(好戦的な)ところがある海上保安隊に対し、中性的と言うよりもむしろ女性的(やさおとこ)にさえ見える起ち居振る舞い(見た目)とあわせると、どうやら本物の近衛らしいという想像は当たっているようだ。

「こちらです」と手招きとともに案内され、少し歩く。駅舎を離れると、道らしい道がどころか轍すら見当たらないただの荒れ地。草も無くむき出しの為だろうか、どうやら最近風化により崩れたらしく、元々は固い土塊であったのだろうが、砂のように踏ん張りの効かない踏み心地となっている。ある意味当然ながら駐車場(パーキング)環状交差点(ロータリー)などという施設など存在せず、直接駅舎まで車で乗り入れも出来ない為仕方ないとはわかっている。わかってはいるが、いくら行軍で鍛えているとは言え、何とも歩きにくい。

 少し離れたところに停められていたのは、周囲の景色を見て想像した通り九四式小型乗用車(くろがね四起)だった。飾り格子(ラジエターグリル)紋章(エンブレム)が星ではなく桐になっていることから近衛納入分だとわかるが、何か改良を加えているらしい痕跡が随所に見受けられる。

 このような場所(満州)では、陸軍のみならず全軍で高級将校の送迎用として多数採用されているトヨタ製乗用車(トヨタA型)では、改良型(AC)といえどもまともに走れた物では無い。頑丈さが好まれ、タクシー用としてノックダウン生産されている横浜のフォードや大阪のシボレーの大衆車でもかなり厳しいだろう。

「遠いのかね」

 暖機運転アイドリング中の空冷二気筒発動機(エンジン)の音に負けないように声をかける。近衛納入分は初期生産分(ロット)のはずなのだが、陸軍含め、一部車両は現地で改良型(かって)に改造している事が割とよくある。そのため音と見た目からは、初期(1300㏄)なのか改良型(1500㏄)なのかまではわからない。だが、整備がよく行き届いているらしく規則的に響く音からでも調子がよいことかうかがわれる。

「いえ、旅館ホテルは駅からそれほど距離はありまません。ただ外人さんとかもちょくちょく来るため洋風ですが、きちんとしたところです。

 ですが、直線距離だとたいしたこと無いのですが、途中の道が……」

 西は、全く彼が思ったのと同じ事を答えだったことに、思わず苦笑した。


 満州国。

 中華民国北部(万里の長城)のさらに北側に存在し、かって清と呼ばれた帝国の出生地でもある。

 日清・日露の両戦役で入手した権益を元に、辛亥革命において資金難にあえぐ孫文の支援という側面から、日本が中華民国臨時政府から購入。

 世界大戦(グレートウォー)への本格参戦と引き替えにした英国の了承(裏取引)の元、かっての清の宣統帝(愛新覚羅溥儀)を大日本帝国の華族に列する(取り込む)とともに、大日本帝国を同君連合として構成する満州国として編入。また大戦後、国際連盟(LN)に参加していない米と、当時は未参加だったソ連およびドイツを除く列強から承認を受けることに成功。

 昭和金融恐慌(失言恐慌)とその後の大恐慌(グレートクラッシュ)のと言う逆風もあったが、不況対策として日米の間に締結された猶太自治州開発計画により順調に開発が進んでいた。

 だが、昭和七年に二度も発生した、大規模な隕石落下(・・・・・)とされる大災害によって生じた、日本陸軍(関東軍)の崩壊が全てを打ち壊した。

 一方その直後、皇太子様ご生誕と前後して満州の地で発見された大油田。

 そして、まさに狙ったとしか思えないそのタイミングで、満州売却は無効だと越境して(契約不履行に)きた中華民国軍(蒋介石軍)との偶発戦闘(小競り合い)。さらには満蒙国境(ノモンハン)の曖昧さから越境して(火事場泥棒に)きたモンゴル軍と顧問団(ソ連労農赤軍)との間に発生した、大規模な国境紛争。

 わずか五年の間に発生したこれらの一連の、満州某重大事件として一部で知られる出来事によりこの地(満蒙)は恐ろしいまでに荒廃していた。

 その結果満州の地は、それだけが原因ではないとはいえ、きわめて無国籍(ごちゃ混ぜ)な地になっている。

 幸か不幸か、派兵された日本軍(関東軍)大日本帝国(皇国)に属する満州国正規軍(満州国軍)が駐屯している様な大きな街の治安は悪くない。寧ろ、中華民国を名乗る国家に属するとされる地域と比べて、かなり良いとさえいえる。軍と言う力によってもたらされている平和ではあるが、それ故にその力が有効である限り、確実にその平和は保証される。軍とは、その威力を発揮するためには常に統率が必要であり、それが故に混沌状態を嫌うからだ。裏を返せば、全体主義ファシズムとの親和性が高いと言うことでも有り、それはスペイン内乱で存在感を大いに見せつけたナチスドイツ軍だけで無く、敵対するソ連軍《赤軍》にも顕著に現れている。

 それはともかく、いくら治安のためとはいえ、満州全土に行き渡る(カバーする)だけの兵員を派遣することは不可能だった。

 某重大事件による関東軍の文字通り全滅とそれを機に侵攻してきたソ連との度重なる戦闘により悲惨な状況にある日本軍はむろんのこと、満州国に設けられたユダヤ人自治区を共同管理している米国にもそれだけの能力はない。

 民主党、いやルーズベルト政権は、前政権が購入が正当であると明言しなかったことを利用して日本の満州購入は無効だと表明している。だが下手に荒立てるとアラスカに飛び火する可能性も有りあまり声高に主張することもためらわれる情況で有り、痛し痒しと言ったところだ。さらに、名目上とはいえユダヤ人による自治をうたい文句として欧州のユダヤ人難民受け入れを表明し実行しているだけに、アメリカのユダヤ人社会自体意見の統一をできずにいる点も痛い。

 そんな事情のため、警備兵が駐屯し巡回警備(パトロール)している様な地域は、満州鉄道の沿線、ごく限られた地域だけであり、一歩奥に踏込むとそこは馬賊が駆け巡る無法の地とかすのである。実際、国内からも、これなら購入より鉄道と沿線の租借権だった方がよっぽどよかったのでは無いかと言われる所以でもある。

 例えるなら、米国西部劇(ウエスタン)拳銃使(ガンマン)日本古武術(バリツ)中国拳法(クンフー)で決闘をし、騎兵銃(カービン)を持った馬賊から村を護るために牛飼い牧童(カウボーイ)日本刀(カタナ)を手に取って立ち向う、そんな冒険活劇映画(プログラムピクチャー)じみた世界……それがこの満州である。



補足説明


・略式作業戦闘服:史実の陸軍防暑軍服や海軍第三種軍装に類似

近衛兵団は、昭和の軍政改革時に、御親兵と呼ばれる皇宮警備以外にも各地の皇室ゆかりの地警護名目で憲兵隊が、朝鮮半島および滿洲の霊地警護の名目で国境警備隊および対馬や離島の神社仏閣保護の名目で海城保安隊が統合された。

そのため、従来のような内勤と作戦時の両方で使用可能な軍服を制定する事が困難なため、海外でもあまり例の無い、軍服の分離を実施している。

米軍とは同時期に実施しており、世界的にも早い部類に属する。


・九四式小型乗用車《くろがね四起》: 史実の95式小型乗用車とほぼ同一仕様

日本本土以上にインフラの劣る滿洲での運用を前提に開発された。

当初は、連絡および偵察任務のみで軽便貨車としての運用は考えられていなかったが、満州某重大事件からの一連の紛争での戦訓を受け、軽量な(95式)機動野砲の牽引運用や弾薬の搬送程度の積載が求められ、荷室の拡大が行われた。

その一方、滿洲での運用前提としていたため南方での運用は考慮されておらず、台湾での運用時に発動機の加熱状態(オーバーヒート)が多発、後期型では南方向けに強制冷却装置の追加が行われている。


※ご指摘があれば、ネタバレを除き追加します

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