生ける屍
奇病患者を扱う奇病患者病棟。
体外に分泌される液体が全て宝石になってしまう奇病や、花を吐き出す奇病。
ありとあらゆる奇病を患った患者を隔離し、研究する異色病院。
その病院に入院している齢二百を超えた少女は、病人らしからぬ真っ赤なドレスを着ていた。
フリル付きのドレスを揺らし、裾を大きく膨らませて駆ける少女の姿は、病室に篭る患者も、カルテを運ぶ医者も見掛けているだろう。
「ソロモン!ソロモン!」
しかしながら、必ず少女を気に掛ける者ばかりではなく、少女が必死に呼びかけようとも、振り返ることのない人間もいた。
長い白衣を揺らしながら歩くその背中目掛け、少女は小さな足でリノリウムの床を蹴りつける。
ドスリ、鈍い音と共に、白衣をまとった背中が揺れた。
「ソロモン!」
「……そろもん、ソロモン。……あぁ、私のことだな、うん」
繰り返された名前を咀嚼するように呟いた白衣の人間は、うん、と一つ頷いたが、少女の方を振り返ることはなかった。
しかも、背中に少女を引っ付けたまま歩き出す。
「止まりなさいよ」
「……あのなぁ、私は忙しいのだよ。分かる?多忙、凄く忙しい」
白衣にしがみ付いた少女が不満そうな声を上げても、白衣の人間の足は止まらない。
可愛らしい柔らかな弧を描く眉が歪められ、少女は白い頬を膨らませて白衣を離した。
トトト、と小さな足音が白衣の後ろに付いてくる。
たまたま院内の廊下を通り掛かった女医が、カルガモ、なんて呟いているのが少女の耳にも入って来た。
カルガモなんて見たことないわ、溜息のような呟きに、白衣の人間がやっと足を止めて振り向く。
それを見て、少女がにっこり、唇を上げて目元を下げて、可愛らしく笑った。
「私はカルガモでもなければ、こんな年増を子供に持ったつもりはない」
「誰が年増よ」
ドレスに付いたリボンと同じ薄桃の靴で、的確に脛を狙っていく少女。
急所を狙っているが、唇を突き出して拗ねたような顔は、やはり少女らしく愛くるしいものがあった。
あったとしても、目の前の白衣の人間には通用しないのだが。
この白衣の人間、もとい白衣の男は、患者を邪険に扱うが、立派な病院長である。
裾の長い白衣をはためかせながら、病院内の廊下を闊歩している姿が良く見られた。
患者からも、医者や看護師からも。
医者らしい仕事をしている姿は見えないが、奇病の研究をする姿が良く見られるため、評判自体はあまり良くない。
「貴方、そんなんだから、嫌われるのよ」
少女は乱れた髪を手櫛で整えながら言う。
男の方は、面倒そうに溜息を吐き出し、白衣のポケットにその手を突っ込んだ。
心底どうでもいい、という態度だが、少女の言葉は止まることなく、その手の平から小さな花弁を落とす。
男の白衣にしがみついた時に、そのポケットから拝借したものだ。
「小桜だって、貴方を怖がって青い花ばかり吐き出すじゃない」
「研究用のサンプルを抜き取るんじゃない」
少女の小さな手の平から、ハラハラと落ちていく花弁を見て、男は眉を寄せた。
そうして、腰を折り曲げながら散らばったそれを拾い上げては、ポケットの中へと戻していく。
全く以て人の話を聞いていない様子だ。
小桜とは花を吐き出す奇病により入院している少女だ。
特別少女と仲が良いわけではないが、過去に中庭に咲いている白詰草で冠を作りあった仲である。
小桜が教えたのではなく、少女が教えたのだが、大して重要視されるようなことでもないだろう。
「……貴方って本当にどうしようもないわね」
全ての花弁を拾い終えた男が歩き出したので、少女も隣を歩く。
歩幅が違うので、少女は小走りだ。
男の方はそれに気付いても、自身の歩くスピードを変えることはない。
「貴方、本当に変わらないわ。私が来た時からずっとそう。何一つ変わらない」
「お前も何一つ変わらないな」
ふぅ、と小さな息を吐き、男は自身の後ろ髪に触れる。
少女は知っていた。
男のこの動きが、話を拒んでいる時の癖であることを。
小さな癖など見分けられるくらいに、少女とこの男の付き合いは長かった。
勿論、本人達が不本意であっても。
「奇病奇病、とそれしか頭にないのね。患者をサンプル扱いするのは頂けないわ」
「お前は私の母親か何かか」
「貴方みたいな変人奇人を子供に持つ親は、さぞかし苦労するでしょうね」
コツコツ、トトト、二人分の足音が廊下に響く。
傍から見れば、やはりカルガモ親子なのかもしれないが、会話を聞けばチクチクと感じる空気の悪さに苦笑いを浮かべることだろう。
何にせよ、付き合いの長さから来るものなので、患者だろうと医者だろうと、口を出すものはまずいない。
長い廊下を歩き、男の目的地だったらしい研究室と札の掛かった小部屋に来ると、少女の小さな手の平が、白衣を掴む。
大きなシワから小さなシワまで生み出す、強い力で白衣を引っ張り、男の足を止めた。
男の体が一瞬だけ後方へ傾く。
男が振り返った先には、真っ直ぐに金色に光る瞳を向ける少女がいる。
所謂パッツンで切り揃えられた前髪の下、大きな猫のような瞳があり、その中には男の姿がしっかりと映し出されており、男は眉を寄せた。
何となく、気分の良いものだとは思えなかったのだ。
「貴方、たまには病院長らしく医者らしいことでもしてみたらどうなの」
いつも研究者のすることばかり、なんて可愛らしい顔を歪めて言った少女に、男は一度目を閉じる。
それから、先程と同じように後ろ髪に触れた。
黒い毛先を指先で弄りながら、男は溜息と共にその薄い唇を開く。
「それならば一つ、医者らしいことでも言ってやろう」
男は白衣を揺らし、少女の手を振り落とした。
少女の眉が歪められた瞬間に、次の言葉は落ちてくる。
「死んだ人間っていうのは、常々同じ顔をしてるもんだ。そう思うだろ」
ニィと歪に引き上げられた男の口元。
端正に整っているはずの顔が、歪な笑顔を作れば、背筋が寒くなる。
少女は歯を見せて唇を薄く開く。
威嚇するようなその姿に、男は扉に手を掛けながら、ふっと鼻だけで笑って見せた。
目の前で閉まっていく扉。
薄暗い部屋の中身が僅かに見えたが、室内環境の悪そうな部屋だと少女は思う。
薬品の酸っぱい匂いも鼻を突いた。
パタン、と思いの外、扉の閉まる音は小さく、中から掛けられた鍵の音の方が大きく聞こえる。
「……何よそれ。私が死んでるも同然と言いたいのかしら」
少女の細く華奢な足が扉にぶつかり、大きな音を立てた。
中からは何も聞こえてこない。
その代わり、先程歩いてきた方向の廊下からは、パタパタと足音が聞こえてくる。
扉を蹴った音が聞こえたのだろう。
齢二百を超えた少女は、精神だけは確かに年寄り臭く年月を重ねて大人びていく。
その容姿は、奇病発症から変わることなく、少女のままだが、可愛い服だって着れるし、可愛い可愛いと病棟内でも持て囃されることを知っていた。
だからこそ、少女は近付く足音のために、ドレスの裾を整える。
乱れた髪も再度手櫛で整えて、リボンの傾きをその手で調整した。
鏡がないので確認は出来ないが、いつもと同じように口角を上げる。
それから近付いて来た足音の主に向かって微笑むのだ。
「大丈夫よ。ちゃんと生きてる」
そんな冗談を言えるくらいには、長い年月を生き、この奇病患者病棟で過ごしていた。