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アリアドネの赤い糸

作者: 歌埜 朔日

「君には向いていないと思うよ。それよりもこっちをやってくれないか」

 無情な言葉と共に渡される大量の資料。それだけ渡しきると、先生はすぐに研究室へとこもってしまった。

 大量のため息が漏れる。

 手に持たされた資料の多くは、巨大な天文装置の開発に関わるものだ。そりゃあ、興味がないかと言われたら、否とは言えないが……動機と直接結びつくものでもない。

(そんなんじゃないのに。俺がやりたいのは)

「新星を見つけたいだけなのに……」

 言葉に出してみると、それは直ちに行き場を失った。

 最近では本当に自分が新星を探し出したいのかもわからなくなっていた。新星を発見することは幼い頃からの夢であったはずだ。だが、スタートダッシュの惰性でいるように感じてしまっているのが、現在の葵の姿だった。

 せめてゼミでそのための勉強が出来れば、気持ちも盛り返してくるだろうと思っていたのだが……それも可能性が薄くなってしまった。

 脳を溶かすような暑さの元、とぼとぼとした足取りのまま一人暮らしの自宅へ帰ると、一枚のはがきが実家から転送されていた。実家は電車で二時間も離れていない。それでも一人で暮らせている分、恵まれているのだろう。

 汗だらけの服も着替えずにベッドに倒れ込んで、はがきを見上げる。

「輪……」

 差し出し主は、高校の同級生。淡い初恋の相手だ。

 輪の少し垂れ目の、ぱっと輝くような笑顔が浮かんだ。


『未来の葵へ

 元気にしてる?

 そろそろあの約束の七夕ってところかな。

 もしかしたら葵は私のことを怒っているかもと思うと、細かい約束が出来なかったのだけど。宇宙のように壮大な謎と共に、私は待つことにします。どうか、私を追って来てね。


 秘密が歌は

 真っ直ぐに恋を告げる

 私は強く顔を上げ

 りんりんと星は降る

    ここで待つ  綸 』


 確か、科学館で未来へ手紙を出そうという企画を行っていたのだ。指定の年月まで科学館がはがきを保管してくれ、出してくれるというものだ。

 自分は誰に何を出しただろうか。そんなことさえ忘れてしまった。綸は、葵に出してくれていたのだ。

 しかし……、

「なんだよ、この詩」

 輪との約束は、微かに覚えていた。二十歳の七夕。再び会おうというものだ。そこまで決めたのに、肝心の待ち合わせ場所は決めていなかった。もしかしてこの詩は待ち合わせ場所でも書いてあるというのか。

 うーんとしばらく悩んで、深いため息とともに諦める。

 ごろんと横向きにはがきを見据え、首を捻る。

「全然わかんねー。こんなこと考える奴だったっけ?」

 確かに宇宙の謎だとか、輪が言いそうなことだ。

「なんの手掛かりもないで……本当に俺と会いたいと思ってるのかよ」

 しかし、これは約束した直後に出されたはがきだ。輪は葵と会う気持ちがあったからこそ、未来への手紙に託したのだろう。

 確かに怒ってははいるけれど……会いたくないわけがない。むしろ、会えることを願っている。

「なしなし。輪だって覚えてるかわかんないんだし」

第一、来られるのかどうかすらわからない。

 あの時は、あんな別れ方をするとは思わなかった。

 あんなに急にいなくなるなんて、思わなかった。


  ☆   ☆


 夏休み恒例、天文部の天体観測。先生に鍵を借りて、今夜はみんな揃って屋上で星を見ながら過ごすつもりだ。

 俺は考え事をしたかったため、階段の天井に上り、給水塔の横に腰を下ろしていた。ぼんやりと一人で夜空を見あげる。小さくため息を吐いていると、

「元気ないねー。背中がしょぼくれてるぞ」

 どこの会社員だというような声がかかる。それとともにヒヤッとした冷気が背中を襲う。

 振り向くと、給水塔のはしごを上り途中の輪の顔が半分見えた。

「冷たっ、こら、綸!」

「へっへー、差し入れだよ。まあ飲みなさいな」

 背中にぶつけられたのは、冷やされたブリックパック。大きな荷物を持っていると思ったら、こんなものを持ちこんでいたのか。

「暑いのに元気だな」

「輪ちゃんのりんは、日輪の輪なのです」

「日輪草だっけ……ひまわりなんだろう」

「そうとも言う」

 にへへへと笑う輪は、給水塔への階段を上りきり、葵の横へと座った。

「で? なにを悩んでるってーのさ」

「別に何も悩んでないよ。俺は静かに星を見ていたかったの」

「うっそだね! 背中が丸まってるよ」

 そう言って、輪はばしばしと背中を叩いてくる。やっていることはおじさんくさいのに、ん? と覗き込んでくる瞳は星のように輝いている。真面目な顔をしている時には硬質な顔が、笑顔になると途端に柔らかく、甘くなる。

 なんだってこんな奴に惚れてしまったというのだ。

 小さなため息とともに、屋上に寝転がる。給水塔の脇だからか、微かに流れてくる風が涼しく感じられた。

「進路がなあ……本当に星のことなんて勉強出来るのかなって」

 横に座る綸を見上げると、輪も夜空を見上げていた。その顔は見えない。目を合わせることなんて恥ずかしいから、この構図はありがたい。

「大丈夫、大丈夫。葵なら宇宙にだって行くことは出来るよ」

「おまえ……それ適当に言ってるだろう」

「勉強しに行くことぐらい、何を悩むことがあるの。本当に悩んでるのはその先でしょ」

 輪はどこまで人のことを見透かしているのだろうか。

 大学に物理を学びに行くことまではいい。親だって反対しない。問題はその先。勉強の先に、潜んでいる夢だった。

「大丈夫、大丈夫。葵なら新星だって見つけられる」

 適当じゃないよと、こちらを振り向いた顔には満面の笑み。

「そんなに心配なら、そうだなあ……二年後にまた会おうか」

「二年って、また微妙な時だな」

「どうせ葵は、またそれくらいに落ち込んでいるんだから……あ、ねえ。ほらほら、冠座」

 輪は大きく腕を伸ばして空を指す。

 冠座なんて暗くて小さな星座、本当に見えているのかどうかも怪しいというのに。

「本当に好きだな、その神話」

「好きじゃないの、憤ってるの。アリアドネの赤い糸のおかげで助かったっていうのに、そのアリアドネを飽きてポイ捨てしていくなんて! テセウスのばか! しかもそれが星座になっちゃうなんて!」

「神話なんてそんな話が多いじゃん」

「ねえ、葵は約束破っていなくなったりしないよね」

「はあ? 急にどうしたよ」

「約束、守ってくれるよね」

 その時の綸の顔が、あまりにも真剣で、葵は促されるように頷いた。するとどこかほっとしたように、輪は顔を和らげる。

「じゃあ、二十歳の七夕ね。二人とも誕生日迎えてるから、二十歳になりたての夏」

「あぁ、わかったわかった」

 それ以上輪は細かい約束をしようとしなかった。だからただのおざなりな約束なんだろうなと思って、少しだけ失望したのも覚えている。

 その約束が真実のものかどうか確認しなかったのではない。出来なかったのだ。

 天体観測以来、部活に来なかった輪は、夏休みが終わっても学校へ来ることはなかった。

 あの日を限りに、遠くの病院へ入院したということだけ聞いている。輪は誰にも話さなかった。もしかしたら死ぬかもしれないという病に侵されていたということを。

 葵にだって……だから、あの約束は微かな記憶としてとどめておくことしか出来なかったのだ。忘れることも、楽しみに待つことも出来ず。

 だけど今、こうやってはがきが届いた。

 大きな謎と共に。


  ☆   ☆


「二年前からの手紙ねえ」

 目の前でカレーライスにスプーンを入れた裕也が、にやりと笑った。

「しかも七夕の待ち合わせ。なんともロマンチックな話じゃないか」

 同じくカレーライスを頼んだ葵は、ルーが付かないように注意しながら、はがきを裕也に見せる。裕也はそれを無造作に持ち上げて、にやにやと見つめている。馬鹿にしているようだ。

「いつも夢みたいなこと言ってると思ってたけど、高校の時からそんな甘酸っぱいことしてたのか」

「甘酸っぱくない!」

「それにしても、こんな奇怪な謎を仕掛けてくるなんて、おまえの彼女もなかなかやるなあ」

「彼女じゃない!」

「あ、そう」

 裕也は興味を失くしたように、はがきを机の上に置き、スプーンを口に運ぶ。こうやって葵が頼まざるを得なくなるのを楽しんでいるのだ。

「……何かわからないか?」

「何が?」

「だから……その詩の謎について、だな……」

 ぐっと言葉を呑みこみ、頭を下げ、頭の上で手を合わせる。

「頼む! 俺だけじゃ正直お手上げなんだ! 七夕なんて今日なんだし! 今日中にわからないと、俺……!」

「おまえにわからないものが、俺にわかるわけがないだろう」

「そこをなんとか」

 再度頭を下げると、裕也は小さくため息を吐いた。

「おまえのことだろう? なんか手がかりとか思いつかないのか? 曲がりなりにも告白するタイミングすら逃したしょっぱい相手だろう? なんか謎に使いそうな好きだったものとかさあ」

「そんなこと言っても……あ!」

 ほら、というように裕也が葵を促す。

「冠座が好きだった。ギリシャ神話の」

「冠座ねえ……なあ、これってさ、頭文字取ったらなんかになったりしないか? 冠なだけに」

「え……あ、もしかして」

 机の上に置いた詩の頭の文字を指差していく。

「秘、真、私、り……なんだ?」

「馬鹿。そういうのはひらがなに直してみるのがセオリーだろ」

 葵がきょとんとすると、裕也がノートを取り出して、詩をひらがなに直して書き写した。


 ひみつがうたは

 まっすぐにこいをつげる

 わたしはつよくかおをあげ

 りんりんとほしはふる


 そして頭の文字に赤丸を付けていく。

「ほら、こういうことだよ」

 そこに書かれたのは……、

「ひまわり! 輪の好きな花だ!」

「ほらな。でもひまわりがなんだ? ひまわり畑?」

 怪訝そうな裕也に、葵も首を捻る。

「……そんなところに行った覚えも、話をした覚えもないけどな」

「じゃあ、ひまわりのあとの言葉とか?」

「み、つ、た、ん……何も言葉にならないけど」

「置き換えても言葉にはならないよなあ」

 二人して、スプーンを繰る手を止め、うーんと悩み始める。

「でもひまわりっていう言葉も、きっとヒントなんだろう。私を追ってきてって言葉もあるぐらいだしな」

「うーん、そうだと思うんだよな。ひまわりが好きな花って言ってたし」

「なんでひまわりなんだ?」

「『輪ちゃんのりんは、日輪の輪』って言ってたな。日輪草ってひまわりのことらしいよ」

「ちょっと待て……日輪の輪?」

 真剣な顔になった裕也に、葵はたじろぐ。

「あ、あぁ……」

「馬ぁ鹿!」

 心のこもった罵倒に、葵は怯む。

「な、なんだよ」

 怒ったような裕也が、とんとんとノートを叩く。

「日輪なんだろう? 日輪って言ったら、太陽のことじゃねえか!」

「え、そうなのか?」

「天文部がそんなこと知らないなんて、何してたんだよ」

 一応、結構本気で天体観測をしている時もあったのだが、はっきりいうと、星座だとかギリシャ神話だとかは輪の範疇だ。

「え、じゃあ、手がかりは太陽ってこと?」

「かもな……あぁ、やっぱり『たいよう』も入ってる」

 ほら、と裕也がその脇に点を付けていく。

「本当だ……でも『たいよう』が分かっても……」

「そこで冠座なんだろうよ。『たいよう』の冠、『たいよう』の前の字を辿ったらどうなるよ」

「ひみつがうたの『が』と『う』、こいの『こ』、つよくの『つ』。最後はないから、この四文字か」

「が、う、こ、つ……並び替えてみると、ええっと……」

「がつこう……学校だ!」

 その途端、母校の姿が目の前に広がったような気がした。あの懐かしい空気、熱い日差しを耐えて通った通学路……次々と思い出がよみがえっていく。

「高校で会いましょう、ってことなんじゃねえの?」

「そうかも! 考えてみたら、思い出の場所なんて学校ぐらいしかないんだよな」

「……気付くのが遅え……」

 裕也の言葉など聞かず、葵は片づけを始め、立ち上がる。

「ちょ、ちょっと、何してんだよ?」

「行くんだよ、高校に!」

「待て待て待て、おまえは重大なことを忘れてるぞ!」

 必死に止められて、葵はきょとんとして裕也を見下ろした。

 裕也は呆れたように机の上のはがきをひらひらと振る。

「今から学校に行ったって、高校生は試験期間じゃねーのか?」

「あ……!」

「するんなら、夜の不法侵入にしとけ」

「……不法侵入」

 案外真面目であった輪が、夜に学校に侵入などするだろうか……否、真面目さを簡単に捨てて、面白がってしまいそうである。

「わかった」

 すとんと椅子に座りなおすと、裕也の手からはがきを奪い取る。

「会えるのかな……」

 謎が解けたら、会いたい気持ちが膨らんできた。

 だけれど、……その先は考えるのが怖い。

 知っている。輪が約束を忘れるわけがない。だが、本当に輪が会いに来られるのか……生きているのか……。

 そう考えると……冷たいものが背筋を通り抜け、身体中に弾けた。両腕を手で擦るが、寒気立った肌はなかなか収まってくれない。

「わかった……夜に、行ってみる……」

 意気消沈して、のろのろとはがきをバッグにしまい、あちこちにぶつかりながら、食器を持って立ち上がる。

「おい! このあとの授業は?」

「……サボる。代返よろしく……」

「おー、気をつけろよ」

 裕也が吐いた大きなため息も、葵の耳には届いていなかった。


  ☆   ☆


 夜の八時。試験期間中は部活動がないため、この時間には先生たちも帰っている。

 葵はそれとなく校門に近付くと、誰もいないことを確認して、門に足をかけた。

「よいしょっと」

 閉じた門が歯にしみるような金属音を鳴らす。ぎいぎいという音とともに乗り越えた校門に別れを告げ、きょろきょろとしながら鍵の壊れていたはずの美術室の窓を探した。

「まだ開いてた。相変わらず不用心だよなあ」

 窓をよじ登り、一度下駄箱へ戻る。応接用のスリッパを勝手に借りると、校舎の中を進んだ。

 ぱたん、ぱたんとスリッパが床を叩く音と、夏虫の鳴き声、それにどこからかジーっという機械音のようなものだけが、静寂に小さな亀裂を入れる。急に後ろから声を掛けられたら、腰を抜かす自信がある。

 漠然としたまま高校へ来てしまったが、本当に合っているのか。……否、それは自信がある。だが、高校の中のどこなのだろうか。三年間を過ごした場所は心当たりがあり過ぎる。

 とりあえず思いつくがまま、教室、部室と巡ってみるが、どこも人気がある様子はない。

「はぁ……どこだよ」

 教室の定位置、一番後ろの窓際の机の上に座り、大きな窓から空を見上げる。今日は夏の大三角もきれいに見える。今の気分は、彦星よりも、冠座の神話に関わるテセウスの気分に近い。

 テセウスは怪物ミノタウロスを倒すために、迷宮に入っていった。迷宮を無事に抜けて戻って来られるようにと赤い糸を渡したのが、テセウスと恋に落ちたアリアドネだ。しかしその後二人が結ばれることはなかった。そのいきさつは明らかになっていないが、一説にはテセウスの心変わりだとも言われている。

 だから輪は、その物語に掛けて、約束を違えないようにと言ったのだ。

「……あれ?」

(なんで、俺と輪がテセウスとアリアドネになってるんだ?)

 そのことに気付いて、急に顔が赤くなる。

 もしかして、あれは輪なりの気持ちの表れだったのだろうか。それとも、ただ一人で早とちりをしているだけか。

(くそっ……!)

 小さく舌打ちして、葵は机を飛び降りる。椅子が大きく揺れたのも気にせず、教室を飛び出した。

 そのまま、校内を一から巡り始める。関係ない教室も、一度見たはずの教室も、鍵の閉まった教室も隅々まで確かめた。

 それでもやはり、輪はいない。

(やっぱり……いないのかな)

 不穏な気持ちに支配されたまま、葵はいつの間にか屋上へ出る階段の前に来ていた。

 屋上へ出るには鍵がいる。あの頃も、面倒くさくても毎回顧問に拝み倒したものだ。

「いくらなんでも、無理だよな……」

 期待せずにノブを回すと、それは小気味よい音を鳴らして簡単に回った。

(え……?)

 空気を引き裂くような音を鳴らしながら、ゆっくりとドアが開いた。

 その先には、懐かしい景色。

 懐かしいあの時と同じ星空。

 ――そして、懐かしい笑顔。

「おっそーい!」

 ケープを頭から被り、腰に手を当てて立っている輪がいた。

「夕方から待ってたんだから!」

「夕方からって……どうやって入ったんだ?」

 輪が不思議そうな顔をする。

「普通に学校見学させてくださいって言って入ったけど? それからは帰ったふりして、屋上に潜り込んで待機。暑かったんだからね!」

 足元には大きな水筒や何冊かの本が置かれている。本当に夕方に潜り込んで、そのまま過ごしていたようだ。

 頬を膨らませている輪に、葵は引き付けられる虫のように、ふらふらと近付いた。

 輪の丸い瞳も、柔らかそうな頬も、何も二年前と変わりがないように見える。むしろ、血色のよい顔色と唇が、あの頃よりも元気そうだ。

「輪」

「なあに?」

「輪」

「だから、なに?」

「本当に輪なんだよな」

「そうだよ。日輪の輪ちゃんです」

 にっこり笑う輪に思わず手を伸ばし、腕の中でその存在を確かめる。

「なんだよ、元気じゃんか」

 万感の思いがこみ上げ、声にも思いがにじみ出る。ぎゅっと力をこめると、輪の手が優しく背中をなでる。

「へへ、悪い悪い。心配かけたね」

「本当に……!」

 自分が輪を抱きしめていたことに気付き、慌てて離れる。

「ごごごごごごめんっ!!!!」

 それでもまだ腕を掴んだままであることに、輪はふっと笑う。そして、ゆっくりと葵の首に抱きついた。

「帰ってきましたよ。赤い糸を辿って」

「……おかえり」

 どうしたらいいのか硬直しながらも、ぽんぽんと頭を柔らかく撫でる。すると輪は満足したように身体を離し、葵を下から見上げる。

「それで? また悩んでるでしょ? 聞いてあげるから話してみなさい」

 口元ににやにやとした笑みを浮かべながら。

「……そんなに暗い顔してるか?」

「わかりやすいんだよ、葵は」

 葵の手を引っ張って、輪は屋上に座り込む。そしてそのままごろんと仰向けに寝転がった。

「ほら、星でも見ながらさ。ちっぽけな悩みでも語ろうよ」

「ちっぽけなって、失礼だな」

 笑いながら返すと、綸も満面の笑みを浮かべる。

「空に比べたら、人間なんてちっぽけなものだよ」

 それから輪は、入院してからのこと、手術をしたこと、元気になって今は大学に通っていることをぽつぽつと語った。

 葵もつられるように、悩みを口にのぼせる。

「本当に今でも新星の研究をしたいのかわからなくなって。研究室に入ればまた気分も盛り返すかと思ったら、研究室にも入れるかわからないし……八方塞がりってこのことだな」

 最後をため息で締めくくると、輪も大きなため息を吐く。

 珍しいものだと思って横を向くと、なんだか怒ったような顔をしている。

「結局さ、葵は新星を見つけたいの? もうどうでもいいの?」

 率直な問いかけに、葵の中の迷路にすっと光が差す。

「……見つけたい」

 そうだ。

 なんだかんだと理由をつけて、逃げていただけなんだ。

 新星を見つけたい。そのための研究をしたい。

 改めて突きつけられて、ようやく自分の気持ちがわかった。

 横を向いてじっと輪を見つめると、輪も見つめ返してくる。

 目が不思議そうに丸くなっているのが小動物のようだ。

「会いたかったんだ。多分二年間ずっと」

 だから、あんな謎を解こうと思った。

 輪はゆっくりとゆっくりと、顔中に喜びを広げていく。

 そっと伸ばした指の先が、輪の指先とぶつかる。きゅっと握り合う手。

 アリアドネの赤い糸のおかげで、今、迷宮からの再びの光に巡り合えた。


(了)


お読みいただきありがとうございます。


感想などいただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  数年ぶりに再開できてよかったです。 [一言]  相手に交際している異性がいたらショックです。
2016/03/11 07:14 退会済み
管理
[良い点]  読み終わったあと、清々しい気持ちになりました。  表題、主人公の夢、星座の話、謎解き、そして初恋……過不足なく整っていて、ちゃんと繋がっていて。謎解きも練られて、お話の中身もしっかりして…
2016/03/10 22:03 退会済み
管理
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