嫌なことは忘れて飲みましょう!
「し~しょ~、きぃ~てまふかぁ~?」
「ああ、はいはい。聞いてるよ」
「ならいいのれふ。そもそもですね~」
あ~だこ~だとシズが何か言っているが、さっきからずっと聞き流している。飯を食い始めて2時間ってところか、慣れない酒に酔ったのかシズ以外の4人はすでに寝てしまっている。シンイチはテーブルに突っ伏し、カズキが長椅子に寝そべっている。アヤとメイは肩を寄せ合って寝息を立てていて、見ていて微笑ましいものだ。
問題はシズだ。
意外と酒に強いらしく、おれのペースに続いて結構な量を飲んでいるのにまだまだ元気だ。シンイチとカズキは半分もいかないうちにくたばったというのにだ。アヤとメイはおれが飲み始めた果実酒に興味を持ったのか少しずつ飲み始めて、いつの間にか寝てしまっていた。
今日はいろいろとあったから緊張から解放されて少し羽目を外し過ぎたのかもしれないが、酒に飲まれるとは情けない。ここはおれがいるから問題ないが、これが他の場所なら金や持ち物を盗まれても文句は言えない。自分の身は自分で守るのが基本だ。そのことに関しては明日注意してやるとしよう。
「おい、シズ。もうそれくらいにしておけ」
「なぁに言ってるんでふか。わらしはまだまだいけますよ」
「どこに行くってんだよ。ほら、こっちを飲んで少しは頭を冷やせ」
飲もうとしていた果実酒を取り上げ、代わりにただのジュースを持たせる。アルコールが入っていないだけであまり味は変わらないし、何よりもう味がわかるのかも怪しいから大丈夫だろう。
「む~、ししょーはときどき、わらしを子供扱いしまふ。わらしはそれが許せましぇん」
「そういう所が子供っぽいってんだよ」
ムキになる所とか、頑固な所もそうだ。いい加減に弟子にしてくれって言うのも諦めてくれたらいいのだが。
「レイスさん、部屋をご用意したほうがよろしいですか?」
「ああ、悪いねアンナちゃん。部屋を教えてくれたらあとはおれが運ぶから、お願いしてもいいかい?」
「わかりました。部屋は空いてますので、すぐにご用意しますね」
2階に上がっていく彼女の背を見送っていると、両手で頬を挟まれてグイッと横を向かされた。いきなりそんなことをされたから首が痛い。その元凶であるシズと結構近い距離で見つめ合う。
「シズ、痛かったんだが」
「ししょーは、あの人が好きなんですか?」
おれの話を聞いちゃいないよと、ため息を吐く。しかしいつになく真剣な表情をしているのが気になる。おれがアンナのことを好きだったら、シズに何か問題でもあるのか?まあ、隠すこともないので答えるけど。
「好きか嫌いかで言えば好きかな」
「それは、あの人の胸が大きいからですか」
「いや、それは関係ないが」
「ウソです。だってししょー、あの人の胸ばかり見ていました」
確かにアンナは胸が大きいほうであることは否定しない。しかし、そんなに言われるほど見た覚えはないのだが。あと、あまりそういうことを言わないでほしい。ほら、厨房の陰からアンナの父親がこちらを見ている。スキンヘッドの大男。筋骨隆々でここで酒場兼宿屋を始める前は傭兵をしていたらしい。アンナが幼い頃に妻を亡くし、男手一つで育ててきた。そのせいか娘を溺愛していて、近づく男には容赦しないともっぱらの噂だ。
「そんなことはねぇよ。おまえの勘繰りすぎだっての」
「では、わたしのことはどう思っていますか?」
「は?おまえのことをか?」
どうって言われても、シズは期間限定の教え子の1人に過ぎない。弟子として面倒を見るつもりも、もちろん無い。しかし、今の話の流れからすると1人の女性として見たときにっていう意味だろうか?
改めてシズの顔をまじまじと見る。眠たそうな目をしていることが多いが、意志のある強い光をその瞳の奥に秘めている。また頑固であることに面倒だと思うことはよくあるが、それも自身の考えがしっかりしているからこそであることも知っている。それに運動能力も優れており、この先の成長が楽しみであることには違いない。まあ、体型に関していえば小柄でスレンダー、悪く言えば幼児体型とも言えなくはない。
「今、失礼なことを考えましたね」
「いいえ、考えていません」
今の殺気に満ちた目は良かった。背筋に悪寒がはしったほどだったからな。うん、体型について考えるのはやめておこう。
だが、まあ、総合的に判断するのであればーー。
「うん、シズのことは好きだな」
「--っ。-まの、もーっかい……」
「ん?悪い、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれるか?」
そう言ったら途端にシズの顔が赤くなっていく。これはいよいよ本格的に酒が回ってきたかもしれない。そうでなければ風邪か。シズの額に手を当てると、びくっと震えて大人しくなる。やけに熱い気がするから、風邪の可能性が高いかもしれない。
「すごい熱だな。これは本格的に風邪かもしれないな」
「あの、ししょーっ。わたしは、別に……!」
「気にするな。連れてってやるから大人しくしてろよ」
酔いも回って足元も覚束ないだろうから、膝の裏と肩に手を回して抱き上げる。ちょうどお姫様抱っこをした状態だ。シズの顔が先ほどもよりも近くにきて、さらに赤くなったような気がする。
「連れてって、いったいどこに行くんですか……!?」
「どこって、ベッドまでに決まってんだろ?アンナちゃんの部屋の用意も終わった頃だろうしな」
「べっ……!あの、ではせめて、先に湯浴みだけでも」
「そんなもん明日にしろ。とにかく行くからな」
階段を上り始めるとすぐに大人しくなり、顔を俯かせて何かを呟いている。もしかして熱にやられてうわ言でも言っているのかもしれない。さっきまでのシズはどこかおかしかったから、早めに気づいて休ませてやればよかった。
階段を降りようとしていたアンナに部屋の場所を聞いて、それがちょうどおれが借りている部屋の隣だったので3階まで上がる。部屋のドアをなんとか開けて入り、ベッドにシズをゆっくりと寝かせてやる。
そのときに「あ」っと小さな声でシズが言い、不安と期待の入り混じったような視線と目が合う。ベッドに寝ているシズはやっぱり寒いのか、少し震えているように見える。その姿を見ているとなぜかこれから男女が事を成す前、初めての経験を迎えることに対して緊張しているように見えなくもない。それがやけに色っぽくて、不覚にも病人相手にそういう気分になりそうになった自分を殴りたくなる。
「シズ、今日はもうゆっくりお休み。あとで薬と水を持ってきてやるからな」
「え、あの、え?」
そう言いながら布団をかけてやるときょとんっとした顔になり、次いで怒りを我慢しているような表情に変わった。これなら意外と早く良くなるかも、なんてお気楽なことを考えていたら勢いよく上半身を起こしたシズに慌てる。
「おい、いきなりそんなに動いたらーーっ」
「ししょーのバカ!!出て行ってください!!」
バカとはなんだバカとは、と言い返す前に枕が顔面に投げつけられる。何がなんだかさっぱりだが、ここは言われた通りに出て行くのが正解なような気がするので直感に従って部屋を出る。
「シズ、せめて布団だけはちゃんと被って温かくしておくんだぞ」
「うるさいです。早くどこかに行ってください!」
ブンっと今度は投げナイフが飛んできたので慌ててドアを閉める。ダンッとドアに突き刺さった音がしたから、これは後で親父さんに謝っておかなくてはとため息を吐いた。
「あらあら、もう済んでしまわれたのですか?」
声のした方に振り向くと、そこには片手で口を上品に隠したアンナちゃんが立っていた。
「ああ、ベッドに寝かせてきたよ。すまないが、あとでシズに水と薬を持って行ってやってくれないか?何が気に障ったのかわからないけど、部屋を追い出されてしまってね」
「え、部屋を追い出されたってことは、まだされていないんですか?」
「されてって、おれはたんに具合が悪そうだったシズを寝かせて休ませてやりたかっただけだから、もう十分に目的は達しているからその表現は間違いだよ」
「あ、すみません。あたしてっきりそうなのかと……、し、失礼しました!」
頭を下げて謝られても、こっちは何に対して謝罪をしているのかわからないから困るだけなんだけど。それを言ったら藪を突いて蛇を出しそうな気がするのでやめておこう。
他の4人もシズ同様に風邪をひかれても困るので、部屋の場所だけを聞いて運び込む。アヤとメイはシズと同じくお姫様抱っこで丁寧に運び、野郎どもは面倒なので肩に担いで少々乱暴に扱ったが問題あるまい。
全員をベッドに運び終わって酒場に戻るとテーブルの片づけをアンナがしていたので手伝ってやり、終わったところで親父さんに今日の食事代と宿代をまとめて払う。
「まいどあり」
「今日もうまい飯をありがとう、おやっさん」
「おう。だが娘はやらんぞ」
「もう、お父さんったらなに言ってるのよ!」
2人のいつものやり取りを笑ってやり過ごし、テーブルの下で飯を食ってそのまま寝ていたシンクを抱き上げる。ついでに果実酒のビンも一本貰って自分の部屋に戻る。シンクを市場で見つけてきた籠の中に布を敷き詰めた寝床に寝かせてやる。
「おやすみ、シンク」
一声かけてから窓を開け放ち、窓枠に足をかけてそのまま屋根に登る。屋根に腰掛け、明かりが消えつつある街並みを眺める。ここは少し小高い位置にあるから、そこそこ街を見渡せるところが気に入って部屋を借りることにした経緯があり、こうやって街や星空を眺めて酒を飲むのはひそかな楽しみだったりする。
「今日も相変わらず、薄気味悪い月だねぇ~~」
赤く光っている三日月を見上げながら酒を飲む。そうして1人、月見酒を楽しんでいると誰かが背後に立つ物音がした。
「こんばんは、レイス。わたしもご一緒していいかな?」
「ええ、もちろん構いませんよ」
隣に座ったリンさんは自前の酒を豪快に呷っている。ビンに貼ってあるラベルを見るにかなり度数が高いようだが大丈夫だろうか?
「お前も飲むか?ドワーフから貰った火酒だぞ」
「いえ、やめておきます。これ以上飲んだら、明日に響きそうですから」
ドワーフの火酒は普通の人間が飲んだら一杯でも吐くほど酔ってしまう代物だ。最初からそれだけを飲むのならそこそこいけるが、他の酒と合わせて飲むと悪酔いしてしまうから今回は遠慮させてもらおう。
「今日の報酬であいつらは正式に傭兵団の一員となった。あとどれくらい面倒を見るつもりだ?」
「そうですね。オークを倒すまでには至っていませんが、並みの相手なら互角に打ち合う程度に成長していましたから、もうそろそろ終わってもいいかもしれませんね」
「ほう、すごい進歩じゃないか。ゴブリン一匹に手間取っていた奴らが、たったの2週間でそこまで成長しているとはな。お前さえ良ければ、今後も教官の仕事は受けてほしいのだが」
「それは、できれば遠慮したいですね」
「まだ、誰かと一緒に行動するのは苦手か?」
リンさんに言われ、苦い思い出と一緒に酒を飲みこむ。仲間を失い、周りからは蔑視され孤立したあの頃。ただひたすらに、独りだけでも戦えるように体を鍛え、知識を蓄えた。そうして復讐を果たした後もより強さを求め続けた。
人と関わるのは苦手だ。一緒に戦うのもできれば避けたい。もう、誰かを失うような経験をしたくないから、おれは1人でも生きていける強さを手に入れたのだ。
「そうですね。やっぱり1人で行動するのがおれには性に合っているようです」
「そうか。では、他の仕事をまた依頼するよ」
「ええ、よろしくお願いします」
それからはシズらの最近の成長度合いの話や取り留めもない話をし、結構いい時間になったところで解散となった。明日はあいつらも1日休みにすると言っていたから、おれもゆっくりと時間を取れる。近いうちに戦争になるだろうから、消耗品の買い物や武器の手入れ、シンクのことについても訊きに行く日にあてるとしよう。