#3 メッセージ
▼メッセージ
「初めまして、八亀佳代と申します」
ゆっくりと落ち着いた有線の音楽が流れる喫黍店のあるテーブルを挟み、朔夜と叶に相対している女性は軽く頭を下げ、自己紹介をする。
短くカットされた髪の毛は、亡くなった前園克との決別の折なされた行為の果てに有るものだと語られた。
細身で、やつれた感の有る女性。
質音な黒いワンピースが、その姿をより厳かな雰囲気をかもし出していた。
「こちらこそ初めまして。どうですか?その後……お手紙拝見したのですが、念のため、詳しくお話願いたいと思います。その前にこちらの自己紹介をさせて頂きますね。僕が都住朔夜で、こちらに座っているのが、相棒の塚原叶です」
その言葉に合わせて軽く会釈をする叶。
「相棒と申しますと…この場合助手の方…みたいな方なのでしょうか?」
朔夜と不釣合いな個性がすぐ横にいるのが意外だなとでも云わんばかりの言葉に、
「助手?!…まあ、そんなところです」
叶は、テーブルの下で自分の足を踏み付けている朔夜の行為に言葉を殺して嫌々肯定する羽目にあう。
「そう云えば御注文は?まだされてないのでしょう?」
テーブルの上に何もない事に気が付き、朔夜は話の前に一息付こうと促した。
「あ、いえ…私の方は先にレモンティーを頼んでおりますから」
控えめにそう答える八亀。
「そうですか、で僕は縁茶を。叶は?」
「俺は、アメリカン」
一先の気持ちの整理をつけるだけの和みの時間を朔夜は設けた。
暫くするとオーダー通りウェイトレスがレモンティー、緑茶、アメリカンを運んで来た。
三人揃って一ロロをつける頃、改めて話は始まった。
「ところで、手紙にあった夢の内容からしますと、亡くなった、前園克さん……元婚約者が一週間続けて出てくると云う内容でしたね。中し訳ないのですが、もっと詳しく説明して頂けないでしょうか?夢の中の場所や時間、出て来る時の詳しい内容などあればこちらとしても判りやすいものですから」
回りくどい事は抜き。手っ取り早く内容を知りたいと、率直に聞く朔夜。
「はい。それは昼のような夕方のような……いえ、夜に近い夕方です。西の空に夕日が沈み、東の空が夜へと移り変わる頃。空が虹色に染まっていく頃です」
初めは自身無さそうに話していたが、ハッと思い出したかのように語りはじめる八亀。
「場所は判りますか?」
「灯台の見える海岸線の何処かです。海を前に立っています。あ……切り立った崖の上です。足下を…確か海を覗き込んだ憶えがあります」
目を瞑り、今夢を見ているかのような感覚で思い出している。
実際、色の有る夢はそうそう見る事は無い。
夢に色が付いている程、鮮明な事は無いのである。
しかし二週聞の間同じ夢を見るとは云え、やはり、どことなく思い描くのは難しいとでも云うかのようだ。
「その場所に亡き婚約者の前園さんは現れると言う事ですね。では、現実でのお二人の事をお聞かせ頂けますでしょうか?」
少し、気を効かせるように朔夜は現実の話を持もかけた。
「はい。結婚一ヶ月前は色々大変な時期でした。式についてもめる事が多い中、結婚式前夜、カッとなった私の方が気持ちの煮えない彼についてつい怒りをぶつけてしまったんです。今思えば、何故怒ったりしたんだろう?彼に非は無いのに……とさえ思う始末で…彼の死後勝手な私の我侭だったと反省しています」
事数で亡くなったとの事でやり切れないのであろう。もし、あの時八亀が怒ったりしなければ、また違った運命を辿り、式を無事あげる事が出来たかも知れないのに…
と考える事も有るのだろう。思いもしない感情の流れが引き起こす運命は、誰にも分かる事等出来ないのだから……そんないたたまれない気持ちが伝わってきた。
「結婚真際には、マリッジブルーにかかるというケースは多々有るようですよ。余り御自分を責めないで下さいね」
「…」
悪い方に考えないようにする為に、朔夜は言葉を選んでいるのが、隣でただ事の成り行きを見て座っている叶には判った。
いつもそうである。
叶はただ、事の成り行きを見守るだけである。しかし、ただならぬ気配がこのテーブルを挟んで感じていた。
そう。実は叶は吐き気が起きそうで、身を固めるようにして、その場で待機をしていたのである。
今はその事を八亀に気付かれてはならないとそう感じ取っていたから極自然に見守ってはいるが…
「では、お聞きしますが、海岸のその場所で、八亀さんは何をしているのですか?」
朔夜は再び上手く話を夢の方に持って行く。
「海を見ていました。でも背後に気配を感じ取り振り向くと、披が立っているんです。何かを云いたげに……でも、何かを私に語っているのですが、私の耳にはその言葉を聞き取る事が出来なくて……最後には、必死に何かを伝える彼と、その言葉が届かない自分。パニックは暫く続いて行きます」
八亀は目をギュッと瞑り、耳を塞ぐかのようにして手の平で覆った。
「そうして、気付いた頃、彼は黙り込んで何か考え事をしたかと思うと、私の前から姿を消すんです。空気に溶けてしまうかのように…」
パッと目を見開き、朔夜を見る八亀。
この夢がずっと続くのは何か私に伝えたいから?とでも云いたげであった。
もし判るのであれば、教えて欲しいと思っているのかも知れないことは手にとる程容易だ。
しかし、この夢だけで、何かを伝えられるだけの言葉は見つからないのであろう。朔夜は、何かを考えるようにテーブルに肘をつく。
「…それで、その夢を見始めてから体調が悪くなったり、周りの人との間に溝が出来始め、トラブルが生じたのですね?」
「はい。日に日に体重が減り、会社では普段しないようなミスはするわ、友人関係にヒビが入るわ、全く良い事は有りません。体重が減った事は、彼が亡くなってから食が進まないからかも知れませんが。実、泣いて全てを忘れる事で何とか保ってきた所も有りますから…」
蒼白な顔色が黒いワンピースの色に反映して余計に顔色が優れなく見える。
「八亀さん?僕の目から見ましても、貴方の体調が優れないのは判ります。睡眠はどのくらいとられてらっしゃいますか?」
「最近はそれでも…少なくても六時間は最低とってますが…」
ちょっと考えるようにして、答える八亀。
「六時間ですか?その割には、目の下のクマは目立っているようですが…失礼…」
化粧で隠しているのであろうが、隠し切れて無いのが分かった。
それを気づかせようと敢えて云う辺り、朔夜はこの範囲は叶の範疇だと、黙って隣に座っている叶を見て知らせる。
「…云って良いのか?」
叶は、朔夜の出番は終わった事知り、一息つくように、アメリカンを飲み干した。
「…何でしょうか?」
突然の交代劇に、八亀は分からないとでも云いたげに、叶の顔を見る。
「叶?お前には判っているんだろう?僕にはその力は無いからね」
朔夜は冷めない内にと、目の前に有る緑茶の入った湯のみを持ち上げると軽く啜った。
「朔夜?紙とペン持っとるか?」
静かに切り出す叶。そのくらい用意しておけば良いのに、こういうところに依頼心がある叶。
「ええ、持っていますよ」
脇に置いていた鞄から、メモ用紙とボールペンを取り出すと、叶の目の前のテーブルに並べる。
その取り出されたペンを指で軽く摘むようにして、
「えーとな…こんな感じかなあ?」
まるで、幼稚園児の落書きの方がマシな絵を描きはじめる叶。
そのペンタッチを呆れる気も無く見下ろして、
「相変わらず絵の才能ないですね」
笑っている朔夜。
「…放っといてくれ!」
笑いにムカついたのか、ガリガリと書きなぐる叶。かなり子供じみている。
そして、思いのたけを書き込んだ所で、
「八亀はん?こんな感じの人物知らへんか?」
絵を差し出して、叶は問いかける。
しかし、そうは云われてもこんな稚拙な絵で判れと云う方が可笑しかった。
「…ええと…」
困った顔の八亀。手を口元に持っていって考え込んでいる。
「困ってらっしゃいますよ。叶?」
今にも吹き出したいとでも云いたげな、朔夜の顔に苛立ちはしたものの、
「そんな事云われてもなあ…絵のオ能ないのやけど…それでも一応、特徴は掴んどるんやけどなあ…」
焦りながら、言葉を見つけ出していた。
「そうや、なんちゅうか、男なんやけど細身で、左目の下にほくろが有って…」
云われてみれば、そう描きたいと云う意志が見られる絵ではあった。最終的には言葉に頼る叶。なら初めからそうしていれば良いものを
いらない恥をかく叶は、何だか微笑ましい。
「細身で、左目の下にほくろ…」
そんな叶の言葉を受け取り、身近なところで思い出そうとしているかのように八亀は視線を窓の外に流した。
「年の頃は、二十五、六で、背丈は180位やなあ」
思い当たる所を振り返り、八亀は考えていた。そして、
「それはもしかしたら、私の勤めている会社の同じ部署の、三上さんかも知れません」
視線を、叶に定めて、ハッキリと思い当たる旨を伝える。
「そいつとなんやあったか?」
不躾な質問かも知れないが、叶にはそんな事はどうでも良かったのかも知れない。単刀直入に訊かないと事実が掴めない。
「…おつき合いを迫られた時期が有りました。……でも、私には婚的者がいるからとお断りしましたが……」
言いづらい事だから…少し心が疼いたのであろう。八亀は目線落とし気味に答える。
「そうなんや。分かったからその辺でええで。そう云う事なら俺もやりやすいわ」
と、今度は叶が何か思う所が有るかのように考え込み始めた。
「あの…三上さんが何か?」
ふとした不安が過ったのであろう、八亀はボソリと問いかけて来る。
「ん?…云うてええんやったら云わしてもらうんやけど、八亀はん。あんた、その三上っちゅう奴の生霊に取り憑かれとるんや」
「生霊?!」
聞き慣れない言葉に、たじろぐ八亀。
「でも安心しいや。早めにケリは付けてやるさかい。相手も、まだ未練があるよって、少し厄介やけど、今は俺の力の方が上や…やけどこのまま放置しとったら厄介かも知れんなぁ……」
ちょっと、考えるようにして、チラリと朔夜の方に視線を送る。
その様子に気付き、朔夜は肯定のサインを送る。
「どや?明日うちの方に出向かれへんか?こういう事は、さっさと片を付けた方がええよって。朔夜の方も許可くれたし、まずはこちらの方が重要やしな」
その言葉に、
「叶がそういうのなら、早めに取りかかりましょう。どうです?明日なのですが、僕の家に来て頂けますでしょうか?出来れば、叶の仕事の後、僕の仕事の方も片付けられると思いますから」
八亀には二人の云いたい事が良く理解できなかった。
そして、このままではいけない事は重々承知している。その上不安な気持ちが過らないと云えば嘘になる。
だけど、自分はこの人達を信じて今の状況を打開するすべしか思い付かない。
だから、
「明日ですか。仕事、六時には終わると思いますが、その後でも宜しいでしょうか?」
と切り出した。
「結構ですよ。夢を見るには、夜の方が好都合でしょうからね?」
ニコリと穏やかな笑みを見せる朔夜は、八亀の心を落ち着かせるだけの魅力があった。
「やったら朔夜、住所の分かるもん出さなあかんやろ!」
云われなくてもと、自然に名刺を渡す朔夜。
その様子に、何や気付いとるんか…と、両白く無さ気の叶。
その二人のコンビネーションの悪さに、戸惑いはあったものの、八亀は、不思議と少し気が安らいでいた。
「こちらの住所までお越し頂けますでしょうか?詳しくは、この名刺の裏に書かれてある地図を見ていただければ幸いです」
名刺の裏に地図が書かれてあるなんて珍しいとは思ったが、確かに解かりにくい場所である。下北沢の、入り組んだんだ住宅地。
「では、明日、お伺い致します。あの…報酬の方は?」
ちょっと躊躇いがちに、八亀は切り出した。
「その話は終わってからで良いですよ」
「そうそう、取りあえず、全てを終わらせん事には話でけへんやろ?今はそんな事考えとらんで、俺らに任せときいな。悪いようにはせえへんから」
こうして、話の段取りを付け、三人は喫茶店を出た。
「それでは、明日お邪魔致します。何とぞ宜しくお願い致します」
深々と頭を下げ、八亀は吉祥寺駅北口のバス乗り場へと足を伸ばして行った。
その後ろ姿を晃送るようにして、朔夜と、叶は立っていたが、叶は忘れないようにと、ポケットから取り出した一枚の紙切れに何やら呪文をかけると、パッと室中に放り投げた。それは、一羽の鳩となり八亀を追うかの様にして大空へと飛び立って行った。
「何です?式神ですか?」
「そうや。何か有った時のためには守護するもんがいるやろう?俺の忠実な部下にその任務を与えてやったんや」
それだけ云うと、ズボンのポケットに手を突っ込み、飛び立った鳩を眺めている。
「全ては明日片を付けたるわ…朔夜も、準備怠るなや!」
「云われなくとも分かっていますよ。僕の方は、あの夢の内容が手にとるように理解できましたからね」
にこやかな笑みで答えてる辺り、何を考えているのか判らないといつも思うのであるが、これが朔夜のスタンスなので何も言う事は出来ない。
しかし少しくらい怒った朔夜も見てみたい気がするなと思う今日この頃の叶。
そんな時分、路地を行き交う人々の雑踏の中を、二人はこの場所を後にした。