Last days
「こんちはー」
佐藤さんは今日も市民体育館にやってきた。
彼女はもはや、すっかり弓道部ではお馴染みのキャラになっていた。調子に乗った部長と園田が何を思ったか、彼女に弓を持たせてつきっきりで教えていたこともあったな。
その後、ちょっとしたセクハラ問題が発生して女子にボコボコにされていたけど。
「今日はずいぶんと遅くに来たんだね」
弓道部の女子達がそう言いながら佐藤さんに群がる。
「今日はちょっとね」
佐藤さんは舌を出しながら言うと、僕のほうを向いて手招きをする。
どうやら個別呼び出しのようだ。
「やっぱりあの二人って付き合ってるのかなぁ?」
「絶対そうだよ。この間は否定していたけど」
「くそー!羽鳥の奴、羨ましいぞー!!」
「部長!羽鳥の野郎、締めてやりましょうぜ!」
弓道場を後にする僕の後ろで部長と園田がそんな会話をしているのが聞こえた。
あいつら、悪魔に乗っ取られていなくても本当にアホだな。
「この辺でいいかな」
佐藤さんは角を曲がった更衣室の前で足を止めた。
「来るなりどうしたの、佐藤さん?」
「今日さ、部活終わったらそのまま二人で隠れてよう」
「……は?」
僕は言っている意味がわからなかった。
「いいから言うとおりにしなさい。わかった?」
「はぁ、まぁいいんだけど…」
僕は訳がわからないままとりあえず頷くことにした。
部活終了の時間になり、僕達は帰るフリをしてそのまま市民体育館の裏口に隠れていた。
完全に皆がいなくなったのを確認してから、僕達は守衛さんが鍵を閉める前にもう一度中に忍び込んだ。
館内から完全に証明の明かりが消え、暗い建物の中を僕は佐藤さんについて歩いていった。
「とうちゃ〜く!」
「ここって、弓道場?」
暗かったから気づかなかったけど、佐藤さんはどうやら僕を弓道場に連れて行きたかったようだ。
「道具、持ってるんでしょ?」
佐藤さんは貸して、と言わんばかりに……というか既に奪い取るようにして背中の弓を取り出している。
ストン!
暗がりにも関わらず、佐藤さんの射た矢は少しはなれた的に綺麗に命中した。
「お見事!」
僕は外に漏れないように小さく拍手をする。
「また、羽鳥君とこうしてここで会うとは思ってなかったよ」
佐藤さんは小さな声でつぶやくと、弓を床の上に置いた。
「あたしさ、君に胸を触られたときは『二度と君のいるところには近づくか』って思ってたんだよ」
「そうだろうなぁ…」
僕は苦笑しながら、後ろ頭を掻く。
佐藤さんはそこでキッと僕を睨みつけた。
「今一度聞くよ。あれは、本当にあたしを助けるためにやった行為なんだね?」
僕は笑うのをやめた。そして、小さくだけど真剣な眼差しで首を縦に振った。
「なら、もういいよ」
僕を睨みつける佐藤さんの顔がフッと和らいだ。
「それなら、この一件についてはもうおしまい。水に流そう」
「そ、そんな簡単に流していいの!?」
女性にとっては耐え難い出来事のはずだろうに、佐藤さんは僕の表情一つでそれを軽く水に流そうと言うのだ。
僕が女だったらそんなことは絶対にしないだろう。
「あたしがいいって言ったらいいんだよ。くだらないことをいつまでもうだうだ気にするのは性に合わないし」
佐藤さんはそう言って僕の前に立ち上目遣いで僕を見る。
「ほんと、言うとさ…」
佐藤さんの目線が僕から違うところに移る。
「頭の中では、わかっていたんだ。あんな話をしていれば悪魔が必ず手を出してくるのは。以前に悪魔の手引きを見ていながらそのことにまったく気づけなかったあたしの油断が招いた出来事なのに、羽鳥君はあたしに嫌われることを覚悟であんなことをした。そりゃ、その時は酷く裏切られた気持ちになったけどね」
「佐藤さん…」
「そのせいで、悪魔は計画を早めたんだと思う。まぁ、そのおかげで体を乗っ取られても内側から何とかすることができたんだけどね。先生の言ったとおりだよ」
佐藤さんはそう言って笑う。
「今回は本当にありがとう。羽鳥君がいなかったら、あたしもこの世界も恐ろしいことになっていた」
「………」
「君の気持ち、届いたよ。すごく暖かかった」
佐藤さんは優しく微笑んだ。
「でも、その気持ちは受け取れないなぁ…」
「え?」
思わず声が出てしまった。
どうしてこんなときにだけこんな情けない声が出るんだろう。
「当然じゃない。だって…」
佐藤さんの声の調子がさっきとは変わって明るくなる。
「このあたしを辱めただけじゃなくて、弓矢で二回もあたしを殺したんだから。当然、それなりに償うのが定めってもんでしょ」
「へ…?」
僕は文字通り目が点になった。
それってつまり――
「ま、全てを償い終わったら考えてやってもいいよ。ただ、あたしは好みが激しいけどね」
「うん、うん!それでいいよ!」
「な、何よ急に元気になって!まったく、いい気になるんじゃないっての!」
佐藤さんはうっとおしげに僕の顔を弓の弦でつつくが、今の僕にはまったく痛くなかった。
「これからも一緒にいていいんだよね」
「いつセクハラされるかわからないからナイフの練習しとかないとね。ついでに殺人鬼だし」
「厳しいなぁ、佐藤さんは」
やっと戻ってきた日常。
僕達はこれからずっと、この日常を当たり前として暮らすのだろう。
今までもそれが当然だったように。
しかし、忘れてはならない。いつも側にある日常には、その中に混じって非日常があるということも。
でも、その非日常のおかげで、僕達はここにこうしていられる。
〈Fin〉