Moonlight flower
今やすっかり悪魔化してしまった佐藤さん。
僕達の制止なんて聞いてくれそうもない。だが、先程アーミルさんが言っていたように、佐東さんの体はまだ完全には乗っ取られていない。
佐藤さんはきっと、精神の中で悪魔と戦っているんだ。
僕達が、僕達も一緒に戦うよ。
だから、頑張って!
「いきまーす!!」
アーミルさんが憑依した伊東さんが大剣を振り上げながら突進する。
剣の先が白く輝いている。
あれは確か、伊東さんが佐藤さんに最初に出してきた技だ。
「ふむ、あの時より強い力を感じるな…」
しかし、シャドウは臆することなく立っている。
『一撃で無に還す!』
伊東さんの精神からアーミルさんが叫ぶ。
『妙さん!』
「はい!」
二人の意識が完全にシンクロした。
『バスターディア!』
真夜中の川を向こう岸まで照らすほどの輝かしい光の剣がシャドウに向けて振り下ろされる。しかし、シャドウはあくまで避ける姿勢を見せない。
完全にあれを受ける覚悟だ。
「やぁぁぁぁ!」
カッ!!
妙さんとシャドウが激突した刹那、目を開けていられないほどの光量が周囲に降り注いだ。
僕も、耐えきれず眼を伏せた。
やがて、光が弱くなり辺りが再びもとの暗闇に戻っていく。
(二人はどうなったんだ!?)
僕は、まだ元の明るさに慣れぬ目で二人が激突した場所に目をやった。
二人が激突したところはまだぼんやりと光輝いていたが、それもわずかな時間でもとの暗闇に戻っていった。
「……そんなものか?」
「!?」
まるで地獄から響くような低い声に僕は耳を疑った。そして、それは伊東さん達も同じだろう。
シャドウは右手で大剣を軽々受け止めていた。
「やはり、人間なんぞに憑依した天使なぞ取るに足らない存在だな」
「そ、そんな…」
「地獄に堕ちろ…」
シャドウは佐藤さんが戦闘時に使っていたナイフを右手で握る。
「とくと見よ…。我が暗黒魔闘の恐ろしさ…」
「伊東さん、逃げろー!!」
僕は悲鳴に近い声で叫んだ。
あいつのあの構えは、何かとんでもなく嫌な予感がする。
伊東さんは逃げられなかった。
シャドウは人間の僕には見えない速度で伊東さんとの間合いを詰めると、その速度のままナイフで彼女を連続で斬り続ける。
伊東さんの体から血が水しぶきのように飛ぶ。
悲鳴をあげることさえ、許されぬまま伊東さんは静かに川原に倒れた。
「………」
僕にはまるで見えなかった。
シャドウは、気がついたら伊東さんと間合いを詰めていて、いつのまにか彼女の体をズタズタに斬り裂いていた。
こんな単純にしか、今の出来事を説明できない。
「これで、わかってもらえたかな?私が力を出せば、人間に憑依しているとはいえここまでのことができるのだ。恐怖しただろう?怖いだろう?私に逆らえば、そこの天使憑きのように一瞬でその身を滅ぼされるのだからな」
シャドウはそう言って不気味に笑う。
「…いい月だ。今なら、人間が作り出した人工的な光がなくとも人間の血をはっきりと見ることができる」
「………」
シャドウが目線を伊東さんに落とした。
倒れた伊東さんの周りには血で染まった川原の石があった。
「………」
僕はそっと、弓を構える。
「う……」
下向きに構えた弓をそのままシャドウの胸の辺りに持っていく。
「うああああああああ!」
僕は残り数が少なくなりつつあった矢を手当たり次第に掴むと、シャドウに向けて射た。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「娘の血を見て迷ったか!」
混乱する僕をシャドウは鼻であざ笑った。
見ていろ!
一発、一発だけでも当ててやる!
「もう少し理性があるかと思ったが、目標を射られないほどとはがっかりだな」
うるさい!
うるさい、うるさい!!
「まぁ、射てしまって困るのは私ではないのだがな」
(え?)
ズド!
ついに僕の射た矢がシャドウの胸に突き刺さった。
うん、シャドウの胸に…?
シャドウの胸…?
シャドウは誰だ?
佐藤さんだ。
その佐藤さんの胸は――
「ようやく落ち着いてくれたかな?」
「……あ……」
僕はいったい何をしていたんだ?
辺りには、僕が作った手製の矢…?
正面にはその矢で胸を射抜かれた佐藤さん?
佐藤さん!?
顔から血の気が引いていくのがわかった。
僕の手製の矢は先端がそんなに鋭くない。
当たったからと言って死ぬには至らない。至らないのだが、佐藤さんの胸からはトロトロと血が流れている。
「人間の怒りとは恐ろしいものだ。このようなおもちゃが人を殺すための武器に変わってしまうとは…」
そんな……。
何を言っているんだ。
怒りくらいで、あんなおもちゃが凶器になるものか。しかし、しかしそれじゃあシャドウの、佐藤さんの胸からトロトロと流れているあの赤い液体は何だ?
紛れもなく血ではないか!
「ククク、もう終わりかね?」
シャドウは胸から矢を引き抜くと、僕の近くに投げた。
ポテン、と情けない音がして矢が僕の足元に落ちる。
僕も、そのままガクリと川原に膝をついた。
「小さな穴とはいえ、大量の血が流れたな。人間はその体に流れる血の幾分かが体外へ流れると死ぬと言うが、そうなっては私もたまらないからな。せめてもの情けで二人まとめて一片も残らず消し飛ばしてやろう」
シャドウはそう言うと、何やら僕たちにはわからないような言葉を紡ぎ始めた。
「醒めぬ夢に堕ちるがいい…!」
シャドウの体から放たれた光は瞬く間に川原を白一色に包み込んだ。
危険だということはわかっていたが、僕にはもう逃げるほどの体力は残っていないし、伊東さんもまだ目を覚まさない。
「ラストリアル!!」
(ああ、僕達はここで死ぬんだ…)
佐藤さんを救えぬまま、あの世でシャドウによって滅ぼされた地球を見なくてはならないんだ。
こんな情けない結末で終わるなんて、やっぱり僕はかっこ悪いなぁ。
「………………………………あれ?」
いつまで経っても死んだとは思えないくらい体が重い。
さっきよりかは軽い気はするのだが――
「間一髪でしたね…」
まただ。
またかよ。
どうしてあんたはいつもこっちがピンチにならないと出てこないんだよ。
「アーミルさん!」
僕の大声に気負されたのか、アーミルさんは言った後で小さくすいませんと僕に謝った。
そう。
あの波動が放たれた瞬間、アーミルさんは伊東さんから分離して僕と気絶した伊東さんを抱えて上空に逃げたのだ。
「まったく、人がどんな気でいたかも知らずに…」
「すみませんすみません。ほんと、私も人間だったらこんな忍びない助け方をしなくてすんだのですけど…」
必死に人間に謝る天使。
何だか変な構図だな。
何はともあれ、地上に降りた僕達は周囲の状況を確認すると同時に車道を探した。
おそらく奴は、あの一撃で僕達は完全に死んだものと思っているに違いない。
「それにしても、この川原の惨状はいったい…」
「これが悪魔の力ですよ。これでもまだ奴のほんの一部に過ぎません」
アーミルさんが険悪な表情で言う。
「それにしても都子さんはいったいどこに…」
「うわぁー!」
「!?」
「佐藤さんの声だ!」
僕は彼女の声が聞こえたほうに向かって走った。
「健一君、あそこです!」
アーミルさんが空から叫ぶ。
佐藤さんは、ついさっきまで川が流れていた大穴の下にいた。
「佐藤さん!」
僕は慎重に穴の底へと降りる。
「うわ!ぐ、ガ……あアあアアー!!」
「さ、とう…さん?」
「ぐは、は……ハどRI……くぎAAAAA!!」
佐藤さんが意味不明な悲鳴をあげながら、まるで体を半分潰された蟻のようにのたむちまわる。
「こ、これは…」
僕は降りてきたアーミルさんに視線を送るが、彼もわけがわからないといった顔をしている。
「HAド……り君。矢……ヤーァ!」
「矢!?佐藤さん、矢がどうしたの!?」
「矢デ、あたし…ヲー!い、イイってー!」
「え?」
「矢で自分を射抜いてほしい。そう言ったのでしょう」
「でも、僕にはそんなことできないです!」
「Oネが……イ、だか…ラァ!」
「健一君!」
アーミルさんが叫ぶ。
「今しか彼女の中にいる奴を倒すチャンスはありません。どういう理由かはわかりませんが、彼女の意思が表に出られている。この隙にシャドウを射抜くのです」
アーミルさんはぼくの背中の弓矢に触れると、不思議な言葉を紡いだ。
「これで準備はできました。これで、貴方の矢も妙さんに貸した剣と同様の力を持ちました。これで射られても彼女の魂は死にません!」
「はーやァァくぅぅ!!」
「佐藤さん…」
「ぐ、グゥ…。そ、そうはさせんZO!」
『!!』
「ま、まさかあの一撃が……娘をぉ……起こす手立てになったとはぁぁ!」
あの一撃?
さっきの衝撃のことか!?
「健一君、急いで!悪魔が完全に復活する前に!」
「さぁせぇるぅKa−!」
シャドウが最後の力を振り絞って僕に突進してくる。
僕は静かに弓を構えた。
いつもやっていることを思い出せ。
弓道の基本は、武術の基本は集中力。
目をつぶり、頭の中を空っぽにするんだ。
余計なことは考えず、今自分の目の前にあるものを正確に射抜いたところを考えろ。
僕は矢筒から最後の矢を取って、構えた。
もうすぐ夜が明ける。
月よ、長年地球を照らし続けた月光よ…。
「僕に力をわけてくれー!」
パシュ!
甲高い音がして、矢が放たれた。
疾風のごとく風を切り裂き、月光の輝きを乗せて。
アーミルさんの聖なる力を乗せて。
伊東さんの優しさを乗せて。そして――
そして、僕の貴方への気持ちを乗せて。