Broken heart
僕はだらしなくベンチの上で横になっている佐藤さんを見下ろす。
何て幸せそうな顔をして寝ているんだろう。本当ならこのまま幸せに寝かせてあげておきたいけど、場合が場合だよな。
僕は目線を幸せそうな佐藤さんの顔からゆっくりと彼女の胸の辺りまで持っていく。
もう一度問うぞ、僕。この場合は仕方ないんだよな?
はい、仕方ないと思います。
「何が仕方ないんだ〜!!」
僕は思わず絶叫してしまった。
いや、でもこの場合は絶叫しないほうがおかしいと思う。これからまさか眠っている無抵抗な女の子の……を触ってしまおうとしているなんて。
「ゴク…」
唾を飲む音がいつもの何倍も大きく感じられる。
『高二のくせしてグラビアアイドルみたいだぜ』
昼間の園田の言葉が思い出される。確かに、あの時はみんなの前だから興味がないフリをしていたけど、いざ間近で見ると高校二年生にしては豊満すぎるといっても過言ではない。
それを今から……?
だ、駄目だ!
そんなことをしてばれたら殺させるくらいじゃすまないぞ!?何ていったって女の子の大切な部分を鷲づかみにしようとしているんだ。
でも、よく考えろ羽鳥健一。この場はそれを実行する以外に強烈な刺激を与えることはできないんだ。佐藤さんが、悪魔に乗っ取られて死んでしまうくらいなら、僕が死んだほうが何倍もマシだ!
きっと。
絶対に!
神に誓って!!
「健一君、急いで!!」
アーミルさんの顔がいよいよ深刻なものになる。
このチャンスを逃すな!
いけ、健一!弓道の基本は集中力だ!
この両手に全ての力を集中させるんだ。そして、思い切り握ることで強烈な刺激とせよ!
「だりゃああ!!」
ムニュウ。
あぁ、これが女の子の胸の感触……。
母親のものですら触った事がないのに。でも、きっとそれと佐藤さんの胸の感触は月とスッポン、いや宇宙の星々とミジンコほどの格差があるに違いない。
ほら、よく言うじゃない?
年を取ると垂れてくる、て。そんなものと比べること自体が佐藤さんに失礼と言えよう。でも、これは本当に……。
「ちょっと、羽鳥君……」
怒気を含んだ佐藤さんの声が聞こえる。あぁ、目を覚ましてくれたんだ。これで佐藤さんが悪魔に乗っ取られないで済んだんだ。
隊長、僕は任務を無事に完遂したのであります。しかし、その横ではアーミルさんが手で顔を覆い、いつの間にか起きていた伊東さんも口に両手を当てて唖然としている。
「あ……」
僕はようやく我に返れた気がする。なぜなら、佐藤さんの怒りが富士山の大噴火のように今にも爆発しそうだったからだ。
「君は何をしているのかなぁ…?」
「あ、その……こ、これには訳があって…」
「問答無用!!」
ドゴォ!
佐藤さんの渾身のアッパーを喰らい、僕はそのまま宙を舞って地面に倒れる。
こうなるとわかってはいた。
いや、これはこれで幸せかもしれない。
佐藤さんがあんなに恥ずかしそうに顔を赤らめているところを間近で見ることができたのだから。しかし、幸せは長くは続かない。倒れた僕の上に佐藤がのしかかり柔道かプロレスのごとく、両手両足の自由を奪い、えびぞりの状態にしてきたのだ。
「こぉぉぉっの、変態がぁ!」
「いたたた!さ、佐藤さん……痛いです!でも、痛くない!」
「訳のわからないことを〜!!」
「ぎにゃあああ!もっと僕を殴って〜!」
「馬鹿か貴様はぁ!!」
結局、僕は十数分彼女に幸せの鞭を浴びせてもらいましたとさ。
「う〜ん、確かに強烈な刺激を、と言いましたがまさか彼が禁断の行為に手を出すとは思いませんでした」
「羽鳥君、そんなことをするようには見えなかったのに…」
「仕方ないですよ妙さん。やっぱり、彼も男の子ですから」
「えぅ〜。私にはついていけないです…」
「ついていかなくていいわよ、こんな変態男なんかに。妙ちゃんもひどいことされるかもしれないよ?」
「ふぇ!?そ、それは嫌です〜」
「い、伊東さん。そんな目で僕を見ないでください!」
「見ないでください…というほうが無理なのでは?」
アーミルさんが呆れ顔で僕に言う。
「アーミルさんもそろそろ僕で遊ぶのはやめてくださいよ。このままだと僕の名前が変態男になってしまうじゃないですか」
「合ってるじゃん」
冷ややかなまなざしで僕を睨みつける佐藤さんに僕は押し黙るしかなかった。
それを見たアーミルさんも流石に気を悪く思ったのか一連の出来事を話して僕のした行為は誤解だということを説明した。
「というわけで健一君は仕方なく貴方の胸に触ったというわけですよ」
「だから僕は故意にやったわけじゃないんです!お願いだから信じてください!」
「と言われても……」
僕らの弁解に佐藤さんは相変わらず冷ややかな視線を僕に浴びせたまま、伊東さんもどこかしら不満そうな顔をしている。
「弓矢を射るのも当然ですけど、もう少しやり方があったんじゃないでしょうか」
なるほど、最もな意見だ。
……じゃなくて!
「でも、あの時はもうこれしか思い浮かばなくて…!」
「どんな理由であれ、女の子の胸を触った事実は残りますよ」
伊東さんの冷たい一言に僕は言葉を詰まらせる。
「……どうしたら許してもらえるんですか?」
「無理だね」
佐藤さんが冷たく言い放つ。
「あんたがしたことはあたしの人生で生涯傷に残るよ。恨んでも恨みきれないね」
あぁ、これは完全に嫌われたな。
伊東さんの言うとおり、理由が何であれ僕は佐藤さんの胸を触ってしまった。
これだけは変えようのない事実だ。
「あたし、帰るよ」
気まずい空気の中、佐藤さんがふぅっとため息をつきそんなことを言った。
「佐藤さん、送っていきま…」
「変態男に頼るほどあたしは廃れた女じゃないよ。二度とあたしに近づくな!」
それは確実な別れを意味していた。あんなことをしたら絶対にこの言葉を聞くとわかっていたのに。
去っていく佐藤さんの背中を呆然と見送りながら、僕はがっくりとその場に両膝をついた。
後ろを振り返ったらいつの間にか伊東さんとアーミルさんもいなくなっていた。
僕は今、完全に一人だった。
「どうして、こんなことに……」
僕の頬を一本の筋が伝い、それはやがて僕の手の上に落ちる。
十六年間生きてきて、初めて恋をして、初めてふられた日の夜だった。